三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定af1

2020-09-30 03:06:56 | 日記
また、さらに、多磨農協のすぐ南側を南西に伸びる東郷寺通り、北側に伸びているわけだが、旧甲州街道から先は、霊園南参道となり、多磨駐在所脅迫事件の舞台となっている。旧甲州街道沿いには、第三回多磨農協脅迫事件で、電話がかかった、綿新商店があり、やはり、霊園南参道とは近くなのである。
(2013年12月記)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三億円事件の場所の特定ae12

2020-09-29 02:58:39 | 日記
さらに、アンダーパスの先は、1968年7月25日(木)に発生した、第五回多磨農協脅迫事件の舞台でもある。三億円事件犯人が電話で言っていた、興亜土木や甲州街道への階段もある。少なくとも、第五回多磨農協脅迫事件の時点よりも前、第一回多磨農協脅迫事件の指定ルート地図に載っていたということになる。
(2013年12月記)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三億円事件の場所の特定ae11

2020-09-28 03:08:24 | 日記
甲州街道のバイパスが開通する前から、南北に伸びる通りを往来しているのであれば、アンダーパスがずれているということは、気にならないのかもしれない。もしそうでなければ、書き添えたかもしれない。実は、この南北道を、北に進んでいくと、西武多摩川線多磨駅周辺怪文書事件の現場である、多磨駅の東側に出るのだ。
(2013年12月記)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三億円事件の場所の特定ae10

2020-09-27 04:04:45 | 日記
また、この陸橋近くであれば、陸橋下のアンダーパスである。南北に伸びる通りがあるように描かれてあるが、実際は、甲州街道に突き当たってから、側道をいったん西へ進み、アンダーパスを潜って、今度は東へ進み、北へ、という風になっている。おそらく、南北に伸びる通りの位置だと、アンダーパスの屋根部分の高さが低くなってしまうので、西側にずらせたと思われる。新しい甲州街道が、まだ、開通していなかった頃の名残だろうか。
(2013年12月記)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三億円事件の場所の特定ae9

2020-09-26 04:01:35 | 日記
西武多摩川線を甲州街道は陸橋で越えていくわけだが、その下を潜る、アンダーパスがあって、そのアンダーパスへは、甲州街道の側道のような道路がある。その道路は、東から西へ向かう道路のみである。そのまま西へ向かうと、西武多摩川線があり、踏切はないからである。踏切を設けていないのは、陸橋である甲州街道を通ればいいからであるが、三億円事件犯人による指定ルート地図には、そのまま、西へ、道路を伸ばして描いてあるのだ。
(2013年12月記)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする