三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件犯人が現れたバーゲンについて(3)

2017-06-30 02:59:27 | 日記
火災のあった、2年後、1954年から、緑川、蓋をする、工事が始まる。
順次、作業は、進み、1971年、緑川、地上から姿を消した。
蓋をされた跡は、どうなったのだろうか。
多くの場合は、親水公園になったり、緑道になったりするわけだが、緑川の場合、駐車場に利用されたようだ。
とくに、駅北口では、1954年度中に、早々と、蓋がされ、駐車場になっている。
高度成長期は始まり、そのような、跡地利用になったのだろう。
(2013年10月記)

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三億円事件犯人が現れたバーゲンについて(2)

2017-06-30 02:58:25 | 日記
ただ、終戦間際だったためか、緑川、完成することはなった。途中まで、作り、その先に、貯水池を作る、という案もあったらしいが、それも、未完に終わる。
終戦後、立川陸軍飛行場は、アメリカ軍に接収され、アメリカ空軍立川基地となる。すると、未完に終わるはずだった、緑川開削の工事、再び始まる。1947年、やっと、緑川は、完成する。
完成したものの、今度は、排水が多過ぎて、たびたび、洪水が発生、さらに、燃料用のガソリンも、排水されていたので、緑川の川面が、炎上することも、多かったようだ。
1952年、川面の火災は、近くの建物に、燃え移るという事態にまで、深刻化。
結局、緑川に蓋をするということになる。
(2013年10月記)

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三億円事件犯人が現れたバーゲンについて(1)

2017-06-29 03:26:49 | 日記
1968年10月10日(木)から10月13日(日)、緑川駐車場で開催されていた、バーゲンセールに、三億円事件犯人が、現れたわけだが、では、緑川駐車場、というのは、どのような場所なのだろうか。
その前に、緑川について。
大正時代の終わり頃、1922年、立川陸軍飛行場が開設される。緑川は、立川陸軍飛行場の排水路として、開削された用水である。
ただ、開削工事が、始まったのは、終戦前、1943年。ひょっとすると、その前、たとえば、近くを流れる残堀川に合流させるような、排水溝は、すでに、存在していたのかもしれない。
そのことについては、もはや、わからないが。
とりあえず、立川陸軍飛行場の排水路として、緑川の、開削工事は、開始される。
(2013年10月記)

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三億円事件の遺留品 ハンチングについて(10)

2017-06-29 03:25:13 | 日記
さらに、三億円事件犯人が、1968年10月10日(木)から10月13日(日)、緑川駐車場で開催されていた、バーゲンセールで、ハンチングを、購入したとすれば、同時期、立川市南西側、新奥多摩街道北側、富士見町団地にも、三億円事件犯人、現れていた、ともいえるわけだ。
発見されたサニーというのは、1968年9月10日(火)から翌11日(水)にかけて、夜、三億円事件犯人が、都営多摩川住宅で、盗んだ、クルマである。
また、盗んでからの、走行距離、1507キロ。まだ、1カ月しか経っていないとすれば、継続して、使っていたと思われる。
とすると、富士見町団地、おそらく、三億円事件犯人、何度か、訪れている可能性がある。
(2013年10月記)

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三億円事件の遺留品 ハンチングについて(9)

2017-06-28 03:29:57 | 日記
三億円事件犯人、立川市緑川駐車場で開催されていた、バーゲンセールに、現れたとされるわけだが、その信憑性を、高めていることが、もう一つある。
トラメガの窃盗現場が、小平市小川駅西口とされていることと、似ているのだが。
小平市小川駅東側の、ブリヂストン社宅で、三億円事件犯人は、スカイライン1500を盗んでいることがわかっている。
そのことが、トラメガ窃盗現場、小川駅西口ということの信憑性を、高めているのだ。
立川市南西側、新奥多摩街道北側、富士見町団地で、三億円事件犯人の盗んだ、サニーが、見付かっている。
つまり、三億円事件犯人が、富士見町団地に、現れた可能性が、きわめて高い、ということである。
ということは、トラメガの窃盗現場と同様、その近く、立川駅北口、緑川駐車場で開催されていた、バーゲンセールに、現れた可能性も、高い、ということだ。
(2013年10月記)

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