三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

第一回 多磨駐在所脅迫事件(4)

2016-08-30 23:11:46 | 日記
駐在所、交番を、標的にしたわけではないものの、やはり、公安に対して、直接、脅迫電話をする、というのは、かなり、特異なことと、考えなければならない。
それは、世間づれしているとか、していないといったレベルのことでは、むろん、ないことだ。
公安、いや、体制そのものに対する、公然とした、挑戦、である。
とはいえ、そうした、事件、ないわけではない。
ないわけではないものの、当然ながら、自暴自棄、刹那的、ではある。
三億円事件犯人のように、確信的、とすれば、たとえば、三億円事件の翌年、1969年10月24日、警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件、翌々年、1970年12月18日、上赤塚交番襲撃事件。
多磨駐在所脅迫事件が、そうした、事件の、系列になるものなのか、わからないが。
それはそれとして、そうした事件、ある一つの、歴史を、根に持っている。
三億円事件の16年前あたり、日本共産党の武装蜂起である。
ただ、現状の日本共産党と当時の日本共産党、根本的に異なり、同一視するのは、誤りである、ということは、付記しておく。
(2013年7月記)

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第一回 多磨駐在所脅迫事件(3)

2016-08-30 04:14:20 | 日記
「この前」というのは、6月25日、多磨駅周辺怪文書事件のことだろう。ここで、放火の予告をしている。
もっとも、実際、三億円事件犯人、時限発火装置の開発など、やっていないだろうし、放火など、毛頭、やる気はないはず。
脅し、あるいは、陽動作戦にしろ、もし、そんなことをやっていて、公安に、逮捕されるようなことがあれば、三億円事件、遂行することは、不可能だからだ。
とはいえ、怪文書で、放火の予告をやっておきながら、何もなかった、ということであれば、後が続かない。
後に続けるためには、弁明が必要となる。
その弁明が、「雨が降ったので、時限発火装置が作動しなかった」ということ。
6月25日、東京の天気。9時から雨が降ったり止んだり、なのだが。
府中あたりは、東京の西側、天気は西から変わる、ということを考えれば、たとえば、8時くらいに、雨が降ったり止んだり、だったのかもしれない。
なんとも、微妙な天気ではある。
(2013年7月記)

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第一回 多磨駐在所脅迫事件(2)

2016-08-30 00:04:04 | 日記
基本的に、駐在所、交番には、直通の電話は、かけられない。
たとえば、多磨駐在所の場合は、府中署に、いったん、電話をかけて、多磨駐在所に、つないでもらう、ということだ。
このときも、当然、三億円事件犯人は、まず、府中署に、電話をしている。
だからといって、そのことが、三億円事件犯人を、特定する、というわけでもないだろう。
それ以前に、電話をかけた相手、多磨農協、府中市役所東部出張所、綿新商店、府中ガス、となっているが、電話でのやり取りからみて、駐在所に電話をかけるぐらい、三億円事件犯人にとって、さほど、ハードルが高いとも思えない。
相応に、「世間づれ」を持ち合わせ、交渉に関しても、高い経験値を持っている、ということだ。
たとえ、なにかしら、想定外の対応があったにしても、冷静に、対処し、目的を、達成したに違いない。
(2013年7月記)

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