rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

外科医の喜び

2008-05-22 00:35:24 | 医療
今日の内容は分る人は少ないとは思いますが、自画自賛的覚書として。

何が面白くて外科医をしているかと言えば、手術がうまくいった後の達成感を味わう事くらいしかないのではないか。うまく行っても患者さんや家族には「予定通り終わりました。ご安心下さい。」と報告して、後は病気の様子などを説明するだけで、我ながら苦労したけどこのようにうまくやりました、などと説明するわけでもないし、「大変よくできました」と褒めてくれる人がいるわけでもない。まあ一緒に助手で入ってくれた同僚や後輩がうまく行ったなと感想を述べ合う位か。

手術で苦労した、ということは患者さんの立場からすると危ない目にあっていたということで、あわよくば予期せぬ出血や合併症を起こす可能性があったということになります。どんな手術でも必ず「山」つまり「難所」と言える所があります。簡単に思える手術も舐めてかかると痛い目に合うことは外科医ならば分っているはず。それが分らないうちはまだ未熟者ということです。まして数時間はかかる大手術になると必ず二山か三山あると思ってかからないといけません。

若い頃の尊敬する外科医像は「手術が上手い先輩」であることは当然ですが、手術がうまいというのは教科書通りのきれいな手術をすることも一つですが、この難所の乗り越え方が上手い、俗に言う「修羅場に強い」事が重要な要件です。「予期せぬ出血で術野がどんどん血であふれてゆく」外科医ならば誰でも経験したことがある恐怖の瞬間です。ここで落ち着いて止血処置を適切に行ってゆける度量が一人前の外科医には求められます。人の血液は体重の7%、50キロの人でたかだか3.5L位です。大きな血管が切れると1分位ですぐ数百ミリリットルの出血が起こってしまいます。5分適切な処置を怠れば確実に死亡してしまう。だから出血の怖さは外科医ならば身にしみて分っているはずです。

昔(といっても30-40年位前)はtissue totと言って手術台の上で死亡するということは珍しくなかったと聞きます。それくらい医学が遅れていたとも言えます。現在予定手術(事故などの緊急手術でなく)中に手術台の上で死亡したらまず医療事故として大事件になるでしょう。民事訴訟や場合により刑事訴追を受ける可能性もあります。私は手術死亡(手術後30日以内の死亡)の経験はありますが、幸い手術台上での死亡というのは経験ありません。しかし予期せぬ出血というのは外科医をしている以上どうしても経験します。「ああ、これで外科医生命も終わりか」と一瞬考えたものの、何とか無事終了、輸血も殆ど使わず家族には「予定通り終わりました」と報告でき胸をなで下ろしたこともあります。

今回の手術は膀胱全摘、日本で年間行われる膀胱全摘は1、500例位であり、日本の泌尿器科医の総数は7、000名位なので平均すると泌尿器科医一人につき数年に一度しか行わない計算になりますが、私は昨年3例行い、以前もっと大きな施設にいた時には月1例位やっていたので泌尿器科医としてはactivityが高い方と自負しています。経験に基づく自信もありますが、やはり大手術の前は緊張して目覚めます。

今回の「山」の第一は骨盤が深く、脂肪が厚く膀胱のウイングと呼ばれる血管を含む結合組織と前立腺の先端から尿道のあたりが良く見えずに剥離しにくかったこと。大病院ではないので若い助手と二人で手術をせねばならず、何が起こっても自分で全て処理しないといけない。これは大病院で一人前の泌尿器外科医が複数いて、Helpすればいつでも若手と変わって入ってくれる施設との大きな違いです。どうしても慎重になって時間もかかる。しかし一番出血しやすい場所も乗りきって数百mlの出血で膀胱尿道を取り終えた。患者さん自身の「自己血」が1L取ってあるから他人の輸血をしなくても済む。

第二の「山」は、この患者さんの膀胱癌が上皮内癌といって粘膜に沿って広がってゆく癌が尿道や両側の尿管にも浸潤していたこと。陰茎の先まで尿道は取ってしまうので問題ないのですが、尿管は回腸導管につないで尿を出さねばならず、ある程度の長さが必要。右側は多めに切除して断端を病理迅速診断に出した結果が「癌陰性」の返事。しかし左側からは「まだ癌があります」と言われ、追加切除に。既に尿管は腸骨部まで切除しています。

左尿管を4センチ腎臓方向に追いかけて剥離切除して再度迅速病理に、なかなか返事がこない。「先生、深スライスでほんの少し癌細胞があるんです。もう少し切れませんか」彼らもこれが「山」であることは十分承知してくれている。また尿管が短くなれば導管につなげなくなることも分っている。ここはプロ同士の会話である。「あと1センチでいいですか。それ以上は無理です。」「まず大丈夫でしょう、もう一回迅速に出して下さい。」

勿論また癌が出たら腎臓ごと切除、或いは回腸導管でなく結腸を使った導管という手もある。しかし既に夕方5時、手術時間も6時間をまわってこれから術式変更は辛いものがある。病理のドクターは大学の後輩で病理医の腕(眼)も信頼できる、ここは彼を信じて小腸の処理にかかる。まず虫垂を切除、小腸の腸間膜を処理して導管部分を切る直前に病理から電話「先生、癌はありません!」。思わず「よーし!」と叫んで気合いを入れる。麻酔医、介助ナースの顔も明るくなった。「皆疲れているのに付き合ってくれて悪いね。」心で詫びながら手術を進める。

腸切除は自動吻合機を用いる。これは15年前NYに留学していた時に流行っていたのを私は覚えて帰ってきた。今ではどこでも使っているが、かつて手縫いで行っていたのが1/3の時間でできるようになった。泌尿器科医は消化器外科医のように腸の手術も行う、また血管外科医のように透析のシャント手術も行う、副腎や副甲状腺の手術もする、そのマルチぶりが魅力で泌尿器科を選ぶ医師は多い。

そして今回最後の「山」は「短くなった左の尿管を右側にある導管につなげるか」である。通常左の尿管は後腹膜腔のS状結腸の後ろを通して右側に持ってきてそこで切離した回腸につなぐのである。だからもともと右にある右の尿管よりも左尿管は長くないといけない。できるだけ腎臓の近くまで剥離して右に移動させて、結腸の背後から少しでも見えれば導管を通常よりも内側上方に持ち上げて繋げるかもしれない。

結腸の後ろを指でトンネルを掘るのは何も見えないし大きな血管もあるので緊張する。右の結腸間膜の外側から後腹膜を開いて左から入れた指を迎えにゆく。何とか出た。次に鉗子を通してできるだけ剥離した左の短い尿管を、尿管に付けた糸を頼りに右側に持ってくる。後腹膜腔の奥に尿管の先が1cm位覗いた。「やった、これなら導管につなげる。」神霊手術のように腸の後ろを何も見ずに10分以上指でぐりぐりしていた私を心配そうに見ていた助手が叫ぶ。

9時間30分、飲まず食わず尿出さずで手術を終え、家族に説明。「これこれの理由で時間がかかりましたが、予定通り終わりました。」とさらっと説明。家族には「予定通りできた」ことで十分である。患者が若いこともあって麻酔の醒めも早く、術後すぐに家族と会話。術後は大丈夫そうである。手洗いに行って濃い尿を出す。ジュース位飲んでから家に帰ろう。

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2 コメント

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お医者さんって大変ですね (biryo)
2008-05-22 11:42:57
 先生の記事読ませて頂きました。
 医者の、それも外科医の大変さに感動して読ませて頂きました。それこそ命を張っお仕事ですね。
 9時間にも及ぶ術後の、誰にも言えない自己の発揮、表現と言う言葉のほうかいいのかもしれませんが、をなんとかく自分自身に、それなりに満足させる中の孤影悄然たる思いに浸る一時が「予定通り終わりました。ご安心下さい。」の一言の中に込められているように思えます。
 「山」という言葉、あらゆる物の中に存在するものなのですね。

 御身後大切に、これからも多くの悩める人たちをお救い下さるようお願いいたしす。
ありがとうございます (rakitarou)
2008-05-22 17:19:22
biryo様

拙記事を読んでいただき、またご理解あるコメントまでいただきましてありがとうございます。たいへん励みになります。

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