rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

映画セブンイヤーズインチベットと尖閣事件報道

2011-01-24 20:33:35 | 映画

Seven Year in Tibetは1997年のアメリカ映画でブラットピット主演、監督はジャンジャックアノーで中共のチベット侵略を描いた作品として製作当時も現在も注目されています。監督や主演のブラピはこの映画のために危険人物として製作当時から終身中国入国拒否になっているそうですが、この映画には密かにチベットで撮影されたシーンも20分位入っているそうです。

 

映画の感想としては、何か物足りない淡々とした映画だな、という印象です。主に描きたかったのがブラピ扮するオーストリアの登山家ハラーが、第二次大戦直前にドイツ帝国の国威をかけてヒマラヤ登頂に挑み、戦争勃発でインドで英軍に捕らえられて脱走してチベットのラサに行き着き、そこで幼いダライラマ14世と7年に渡り交流し、50年の中共チベット侵略を機に母国に還るという(故郷を離れていたのは10年)物語だから、文明国を離れた非日常的な生活、しかもヒマラヤの絶景と密教的な異文化の中で過ごしたことを物語るだけで十分映画としての面白さはあるのかも知れません。

 

しかし描きたい中心がチベット文化なのか、若き日のダライラマなのか、中国のチベット侵略なのかがはっきりしない所が長尺な映画の割に何か物足りなさを感じてしまう所以なのだと思います。

 

若き日のダライラマを描いた時点で当然中共のチベット侵略が映画の焦点として描かれない訳にはいかないのですが、描き方が肩透かし的で、中共軍によるチベット人の虐殺もダライラマの夢に出てくるだけ、チャムドの戦いもちょっとした砲撃でチベット軍は雲散霧消、指導者ンガワン・ジクメの降伏勧告があっさり描かれているだけです。

 

この中国のチベット侵略はハラーを交えた物語の一部として映画で描くには、実はあまりに複雑で長期に及んでいるから簡単には描けなかった、というのが監督の本音ではないかと思われます。49年の中共成立、50年のチベット攻略宣言、51年の17条協定の強要、56年からのチベット動乱58年ラサ暴動とダライラマ亡命など実際には10年以上かかってじわじわとチベットの独立(自律的政権の消失)が行われてきた訳ですし、中国も当初は香港的一国二制度を西蔵といわれる地域には認めていた経緯などもあって、監督としては「まあこんなもんだろう」という感覚でチベット侵略を描かざるを得なかったのだと推測します。その点は某在日韓国人監督が描く日本統治時代の朝鮮と似たようなもので、「まあこんなもんだろう」という嘘だらけの内容になってしまうのだと思います。チベット併合の是非はともかく描かれた中国としては「許せない」という気持ちも多少理解できます。

 

この映画、1月22日の夜CS放送で見たのですが、その日の夕方TBSの「報道特集」というニュース番組で尖閣諸島の中国漁船巡視船体当たりビデオをYou Tubeに流した元海上保安官の一色氏を「sengoku38単独インタビュー」と題して特集していました。明らかな犯罪現場が写されているのに、その犯人の漁船員が無罪放免になっていて、その犯罪現場を写したビデオを公開した海上保安官が起訴されることはあり得ない(つまり衝突は犯罪でないことになったのだから)のですが、結局一色氏は自主的に退職をすることになり、テレビにも実名で出る事を承諾しました。

 

このインタビューの一番の眼目は、

「既存のマスメディアがビデオを公表しないから素人がYou Tubeに公開し、世に問うたという事実をどのように受け止めるか」という一点にあります。つまり「既存メディアの存在価値を職を賭して世に問うた人にインタビューする覚悟がメディア側にあるか」を視聴者が評価できることにあるのです。

 

だから「この「報道特集」という番組に一色氏がビデオを持ち込んでくれれば我々は確実にこれを公表しました」或いは「中国の心証を害する可能性があったので、局として、或いはジャーナリストとして、我々もビデオの公開はしなかっただろう」という真摯なコメントが番組のどこかでなされるものと期待していました。YouTubeに出た途端に全てのテレビがこれでもかとビデオを流したということは、このビデオ自体国家機密などではないとメディアは確信していた訳で、どこかの局かジャーナリストがこのビデオを初めに流しさえすれば、全てはそいつの責任ということにして我先にとビデオに飛びついたということです。「初めに流す」という責任を誰も取ろうとせず、一色氏があえてその責を負ったということに対する既存メディアの負い目をどう表明するのかと期待していたら、何と「職を追われて家族は大変でしょう。」とか「公務員として自分のやったことは正しかったと思いますか」とかくだらない質問に終始、終いには「sengoku38とはどのような意味ですか。」ときた。このインタビュアーはバカではないのか。この番組のキャスターをしている深刻そうな顔をした良い年の記者(金平、日下部)達は自分たちの責任についてどのように感じているのだろうか。「我々にも家族がいて、生活もある。だから一色氏のような決断は自分たちにはできなかった。」という正直なコメントがあって初めてジャーナリストとしての面目が立つのではないですか。


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1 コメント

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日本のジャーナリズムは死んだ (密)
2011-08-23 06:00:38
おはようございます。一色正春さんのこともその通りですが、7月に俳優の高岡さんがマスメディアのステルスマーケティングについて発言したことがきっかけとなり(決して韓国批判ではないのに関わらず)マスメディアがステルスマーケティングについてのコメントもせず論点をずらして差別差別と騒ぎ立て、しまいには高岡さんを精神病に仕立て上げたりして結果的に俳優としての職務がクビになりました。今までの浅田真央ちゃんに対する特に酷い報道姿勢があったことも含めて、フジテレビデモという前代未聞のデモが今月2回も起きましたが、やはりマスメディアは報道しません。人生をかけた一色さん高岡さんに比べて、マスメディアはその事実さえも報道出来ない闇の深さが露呈されたということが日本国民に分かりました。マスメディアは死にましたよ

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