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旅順港閉塞作戦~広瀬武夫の「最後の言葉」

2013-09-14 | 海軍

旅順港閉塞作戦で壮烈な最期を遂げた広瀬少佐と杉野兵曹長の像が、
東京秋葉原の万世橋、以前交通博物館のあったあたりに立っていました。



それがこの写真と同じ意匠のものです。

万世橋駅と周辺

この東京絵葉書によるとかなりおおきなものだったようです。
この像は終戦後になってGHQによって撤去されてしまいました。
当時「軍人を称える」ということがGHQ的にはアウトだったので、
このようなものが次々と消えて行ったわけですが、戦後70年、
「坂の上の雲」で人気が出た?こともありますし、広瀬中佐の偉業は
むしろ「人を思いやって命を失った」ということにありますから、
戦後レジームからの脱却が成ったあかつきにはこの広瀬中佐像も
もう一度復活させてもいいのではないでしょうか。

秋葉原に置くのですから、せっかくなら「萌え」風で・・・・(顰蹙)


さて、今日は改めて広瀬中佐の最後についてお話ししてみます。




防衛省資料室に残る戦死状況報告書。

軍船朝日第五回戦闘詳報附録
福井丸決死隊員死傷及び救助の状況

一 戦死の状況
      軍艦朝日水雷長海軍中佐 廣瀬武夫

右は福井丸に指揮官として本月27日午前4時15分頃
旅順港口に突入し同船を予期の位置に沈浸せしめ
部下一同を率い、同船を退去せんとするにあたり
兵曹長杉野孫七在らざるを以て船内を三度捜索したるに見当たらず

而して海水は暫時進入し仝船(どうせん)上甲板を浸入し至りたるを以て
瑞艇(ずいてい)に移乗し艦長と相並(あいならび)て位置を占め
港外に向かて退去の途中に墜落し、救わんとしたるも及ばず
戦死せられたり


というのがこの報告書に見える文言です。
これだけだと、確かに巷間伝わる「広瀬中佐の最後」そのままです。

これをもう少し詳しく補足していきます。


広瀬武夫海軍少佐の乗った閉塞船「福井丸」には、
ロシア艦隊の駆逐艦「シーリヌイ」の魚雷が命中し、
徐々に沈み始めていました。



「福井丸」の乗員は広瀬少佐含む18名。

閉塞船を沈没させた後は、乗員は手漕ぎの短艇(カッター)で港の外まで脱出し、
第三船隊に救出される予定となっていました。

広瀬少佐は総員退去を命じ、短艇に乗り込んで点呼を行ったところ、
杉野孫七兵曹長がいないことが判明します。

広瀬少佐は船内に戻り(報告書によると三度短艇と船内を往復した)
杉野兵曹長を捜索しますが、探し当てることはできませんでした。

しかし沈んでいく「福井丸」の甲板にはもう海水が迫ってきており、
ロシアの攻撃は地上の砲台からも、海上の駆逐艦や水雷艇からも、
「福井丸」に集中し、このままでは全員の生命も危険です。

やむなく広瀬中佐は短艇に乗り移り、「福井丸」から離れるように命じました。

その直後。

敵の陸上砲台の放った一発が、広瀬少佐らの乗った短艇を襲い、
何人かに負傷を負わせ、広瀬少佐を直撃します。

この時の負傷者は報告書によると

海軍大機関士 機関長 栗田富太郎
海軍一等機関兵 中条政雄

の二名。
別の記録によると負傷者三名」ということなので、
前回問題にした、報告書で死亡扱いになっていた「小林吉太郎一等機関兵」
は、負傷者でしょう。


これによると、福井丸に乗り組んでいた階級の
上位から三人全てが戦死あるいは負傷したことになります。

これは、短艇に乗り込むときに彼らが「階級の順列」に則っていた、
ということの証明でもあるかと思われます。

 

またまたこの写真を出してきます。
真ん中の簀巻きがどうも栗田機関長のようです。
もう二人の負傷者は、軽傷だったのかこの写真からはわかりません。

右の写真には囲み写真がありますが、広瀬少佐にはどうしても見えません。
アップにしてみると、軍帽が士官のものに見えないのですが、着ているのは
どうも通常礼服のようですし・・・。

このころの写真は修正しまくるので、人相が変わってしまったのかもしれません。

そして、右の写真を左と比べると、囲み写真の下に人影が見えます。
彼らを揚収した第三艦隊の水兵であろうかと思われます。
棺と広瀬少佐の肉塊を入れるための小箱はすぐさま用意されたのでしょう。

負傷者が病院に収容されていないこと、そして小箱を持った兵の表情から、
これはまさに27日中に撮られた写真であるらしいことがわかります。

さて。

皆さんは「坂の上の雲」の「広瀬、死す」をご覧になりましたか?




短艇上の広瀬がふと空を仰ぐ。
彼の命を次の瞬間奪うことになる砲弾が空を切ってくる気配に。

最後の瞬間、彼の脳裏をかすめたのがこの光景だった。

「あれはなんていうの?」
「・・・アサヒ」

二人の手が重なったとたん、広瀬の体と、その記憶は消滅する・・・・。



好いシーンでしたね。

今までの、たとえば加山雄三が演じた広瀬爆死のシーンは、
淡々とその事実を描くことに終始していましたが、
この「坂の上の雲」の場合、広瀬はほとんど準主役のような位置づけですし、
この、ロシア海軍の将軍の娘であるアリアズナとの淡い恋愛が、
いわばこのドラマの白眉ともいえる部分ですから、念入りに感情表現がされたわけです。


だがしかし(笑)


事実は若干趣の違うものであったようです。
第二回作戦に参加した高橋吉太郎、旧姓小林吉太郎
(報告書で死んだことになっていた人)
が、その後語ったところによると、


総員退去し、短艇を漕ぎだしたとき
頭上を飛び交う砲弾の音の凄まじさに

誰もが顔をこわばらせていた。

そんな水兵や機関兵の顔をみた広瀬少佐、

「睾丸握れ。睾丸。皆睾丸は二つあるか」

皆の気持ちを落ち着かせるべくこう言ったのであった。


・・あれ?


このエピソードも、確か「坂の上の雲」には登場しましたが、
作戦前に、広瀬が皆に檄を飛ばすシーンでしたよね?

しかし、小林機関兵の証言によると、実際はこうです。

広瀬少佐のこの言葉に、皆が勇気づけられる思いでカッターを漕ぎ出した。
次の瞬間、砲弾が直撃して少佐は爆死してしまった。


つまり、


「これが広瀬武夫の人生最後の言葉」


だったということなのです。

ロシアに遺してきた永遠の恋人との美しいひとときを走馬灯にめぐらせたのではなく、
「二つあるか」が実は広瀬少佐の「遺言」であったと・・・・。


確かに「坂の上の雲」のこのシーンは美しく、切なく、
この手の「狙った感じ」には非常に冷淡なエリス中尉ですら、
思わず涙がじわりと浮かんでしまったのですが、案の定NHKは
こういうシーンを「お約束仕立て」していたんですねー。


しかし、実際に部下の心を落ち着かせるために言ったこの人間臭い言葉こそが
廣瀬武夫という人の最後に相応しいとは言えませんでしょうか。
少なくともNHKの創作したきれいごとなどより、わたしはこのような真実にこそ胸を打たれます。

もし、「坂の上の雲」映像化に当たって伝わっているこの話どおりに廣瀬の最後を描いてみせていたら、
きっとわたしはNHKをいろんな意味で見直していたと思います。

そんなことには今後も決してならないのはわかっていますが。





 



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