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台湾・烏山島ダムを行く~八田與一という人

2013-01-23 | 日本のこと

八田與一が今日も台湾人に尊敬され愛されているのは、
かれが優れた頭脳とともに、誠実でかつ公平な視点を持ち、
愛情あふれそまた人に分けるだけの人間性を供えていたからでしょう。

大事業を成し遂げるのには人を動かさねばなりません。
しかし、自分の元で働くものを自分の道具と見なして、その人格を軽んじたり、
ましてや統治国の住民だからと奴隷扱いしては、うまくいくものも行かなくなる。

日本の台湾統治は決して搾取するものではなく、教育を与えインフラ設備をする、
世界一寛大なものであったというのはもう歴史的にも証明されていますが、
それでも統治前まで「化外の地」(これは大陸の中国人がそう呼んでいた)
であったこの台湾の住民は日本にとってあくまでも「二等国民」。
一般に日本人が台湾人と親しく交わったり、飲食を共にすることはなかったと言われますし、
単純労働者として雇った現地人を対等に扱わなかった日本人もきっといたでしょう。

八田は工事にかかわった同じ仲間として、決して台湾人と日本人を区別しませんでした。



台南の人々は今でも八田與一を「嘉南大しゅう(土へんに川)の父」と呼びます。
その父に敬意を表し、功績を駈り継ぐため、彼らはその住居群を日本風庭園とともに
ここに復元する計画を立てました。
日本の、八田の故郷である石川県の協力を得て、それは2011年に完成しました。
当時の建築の名残が残る、公園の芝生。
いかにも植えられたばかりで枝ぶりの落ち着かない木々が、
かつてのように生い茂るのはどれくらい先のことでしょうか。



しかし、かつての居住区があったころからそこにあった木は、
このように当時のままにその枝ぶりをとどめています。
この部分は、かまどらしきものだけが残された住居跡。
煤で黒くなったかまどだけが、往年の人の気配を感じさせます。

 

公園の中には真新しい展示室がありました。
パネル展示とともにこのような八田の遺品が飾られています。




またこのようなかつての居住区を再現したジオラマがあります。
昭和初期において、テニスコートが居住区内にあったというのも驚きます。
労働環境を健全に整えようとする意識の表れでもありましょう。
八田はここに働く人たちのためにお祭りや映画などの娯楽を企画し、
それを日本人だけでなくすべての者が楽しむことのできるようにしました。

なにより八田は、工事のための人間を集めるとき「その家族も一緒に住めるように」
ということを重要な条件としたのでした。
日本人は勿論、台湾人の人夫についてもです。
その理由は、

「この工事は長きにわたる。
その間彼らが家族と一緒に住み、精神的支えを持つことが労働意欲の源となる」

働くものすべての心を安寧に保つことこそこの大工事を成功させることにつながる、
それが八田の考えたことでした。



この公園内には資料館のジオラマどころか(というかこちらがメイン)、
かつての実際の住居が実物どおりに復元されています。
これら八田家始め何軒かの日本式住居は、すべて台湾芸術大学と識者が、
日本からの技術指導を受けて作り上げました。



日本人にとっては、「少し田舎に行けばどこにでもある古い家屋」ですが、
中国人、特に大陸からの観光客には珍しいらしく、
ガイドに連れられた団体がこの赤いテープを外して家に上がっていました。

しかし、わたしは「ふーん」と思ったものの、わざわざこのピカピカの
(古い感じを出すためにわざわざそういう木を使って作られているのですが)
室内の中まで入ってみる気にはなれませんでした。

写真で見ましたが、長らく残っていた彼らが実際に住んでいた家屋は、
経年劣化ででおそらく改築することができず、(日本人ならきっとできたと思いますが)
仕方なく壊して、わざわざゼロから作り上げたということのようです。

しかし、本当に住んでいたわけでもない家を上がって見てもねえ、
と思ってしまったのはわたしが日本人だからでしょうか。



座卓の下の煙草盆、酒器などは、実際に日本で集められたもの。



まっさらな畳、座布団にちゃぶ台、お正月なのでちゃんと注連縄(しめなわ)飾りも。

しかし、惜しい。

注連縄を付ける正しい場所まではかれらにはどうやらわからなかったようです。
日本ではいくらなんでも引き戸に正月飾りを付けたりしませんよね。
注連縄とは厄払いのために、つまり「結界」の意味を持つわけですが、
戸のような開けたり閉めたりするところにはその意味を考えても付けないのが普通です。
そもそもこんなところに付けていたら、開け閉めで落とす心配が・・。

それから、当時の家はこんな鍵をこんなところにかけなかったのではないかと。
まあ、これは単なるセキュリティのための鍵なのかもしれませんが。



そして、彼ら渾身の製作、日本風庭。
日本文化を学び、それをここに再現しようとしてくれた台湾の人たち。
ありがとうっ!

しかし・・・・・違う。

何が違うのかわからないけど、これは違う。
石畳の配置、池の周りの囲い、灯篭の位置も、獅子脅しの場所も、
こうして全く違う配置をされて初めて、日本人としては
「何が違うのかはっきりわからないけど、でも全然違う気がする」
と思ってしまいませんか?

やはり日本人に生まれてそれ以来そういうものを見てきて、
DNAにも組み込まれている視覚の記憶というものは、
指導を受けて再現した外国人の造ったものに違和感を感じてしまいます。

台湾の人々の気持ちと八田與一に寄せる思いがわかるだけに、
不愉快とか腹立たしいなどとは断じて思いませんが、
文化が違う、って、つまり越えられない壁みたいなものなんだなあ、と、
あらためて感慨深く認識した次第です。



立派な桜の木が寄り添うように二本立っています。
この前に、まだ石の色も新しい石碑があります。
桜が満開の季節、この木の下に立ってみたいものだと心から思いました。



おお、元内閣総理大臣、森義朗。
「日本は神の国」と発言しただけでマスゴミと左翼に引きずり降ろされた
森元総理は、(今にして思うけど、何が悪かったんです?)石川県出身。
八田與一と同郷であることからこの揮毫となった模様です。

先日、うちのTOさんがあるところで森元さんと奥様に会い、
職場に直筆サイン入り著書を送ってもらったそうです。
持って帰ってくれと再三言っているのにTOはずっと忘れています(-_-)

台北には海部元総理の揮毫をありましたが、総じて元総理というのは
こういう依頼をしょっちゅう受けるようですね。
TOがお会いした会合もいわばそういった「顔」としての元総理出席でした。
政治的活動ではないが、象徴としての親睦や記念行事に顔を貸す仕事。

そういえば、先日、中国政府は何を思ったのか鳩山元総理を呼びつけて、
現防衛大臣のいうところの「国賊行為」に及んできたわけですが、
鳩山氏もまた自分が必要とされている!と張り切ってしまったんでしょう。
むしろ、元総理にできることは「顔貸し」程度のこと、と百も承知の上で
我が方に有利な発言を引き出そうとしたあの国のやり方に、
なんとなく藁をもすがる、という言葉が思い浮かびました。

もしかしたら、かなりあせっているのでしょうか?


それはともかく、この二本の桜の意味するものは、揮毫の「絆」という字に伺える通り、
「台湾と日本」であるというのは疑うべくもないところです。



ここの売店には、中国人の団体がぞろぞろ入っていくものの、
皆何も買わずに出ていってしまっていました。
だからというわけではありませんが、日本人としては、
ここに働いている売り子さんたちのためにも、売り上げに協力させていただきました。

これはプリン味のアイスキャンデー。
ちゃんと先はカラメル、黄色い部分はプリンの味がしましたよ。

 

そしてこの二本のDVD。
どちらも1000円くらい。
右側は「八田来!パッテンライ!」という虫プロ製作のアニメ。
ホテルで観たのですが、これが侮れなかった。
実に見応えがあり、どうも劇場公開用に作られたようです。
主題歌は台湾出身、一青窈。(ひととようで一発変換できてしまった。びっくり)
このDVDについても、またそのうち・・・とりあえず一通りお話が終わったら、
また紹介する日もあるかと思います。


さて、かつて八田與一は工事の責任者として日本人も台湾人も分け隔てなく扱いました。
それは決して「事業推進上の建前」などではなかったのです。
次はそんなことからお話ししたいと思います。










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