ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

神戸、我が街

2012-02-24 | つれづれなるままに



またもや事情により旅に出ている我が家です。
先日まで神戸居留地、オリエンタル・ホテルに宿泊して居りました。

画像はオープン当初、1904年のオリエンタルホテル。
今と違い、ホテルの前に砂浜の海岸があることにご注目ください。
このころ海岸線は今と全く別のところにあります。
その後どんどん埋め立てて土地を造り、今では砂浜など全く無くなりました。
ホテルの前の道が、今の「海岸通り」であると思われます。

泊ったのは、1945年空襲で全焼したこの初代の建物の位置(海岸沿い)から移転、
その後阪神大震災で大打撃を受けまたしても立ち直った5代目です。

神戸の人間にとって「オリエンタル」は特別の響きを持つホテルです。
近年になってポートピアホテルやオークラなど、新しいホテルが次々できましたが、
この老舗ホテルは、神戸人にとって別格と言うか、特別な意味を持っていたような気がします。

震災前はこれもレトロなバーが地下にあり、他のホテルにはない重厚な空気や、
港街に立ち寄る世界中の人々の運んできたエキゾチックな雰囲気を楽しんだものです。



先日まで新神戸駅には「新神戸オリエンタル」と言うホテルがあったはずなのですが、
新神戸に着いてびっくり、クラウンプラザに身売りしてしまったそうです。
タクシーに乗って「オリエンタルホテル」というと、
「港の方じゃないですね」
と念を押されました。
埋め立てた港沿いに「メリケンパーク・オリエンタル」と言うホテルがあるのです。

因みにこの時、実家の母と妹と昼食を一緒に食べるため待ち合わせをしたのですが、
案の定間違えてそちらに行っておりました。
最初から「旧居留地のオリエンタル」と言うておろうが。



知らない人には何の感慨もない普通の駅前の景色ですが、このそごうの建物を見ると
「ああ、帰ってきた」と神戸っ子は思います。
震災で打撃を受け大変なことになっていた地域ですが、もう何の痕跡もありません。



神戸に帰ってくるといつも、空の広いこと、空気の明るいことに驚きます。
今回何となくTOにそれを言うと、かれも全く同じことを考えていた、と言いました。
TOも関西の出身です。



プラン・ドゥ・シーという会社がホテルのコンセプトを手掛けたそうですが、
居留地のモダンではなく、どちらかというとモダン・オリエンタリズムを打ち出しています。
コロニアル風、とでもいいましょうか。
個人的にはレトロなバタ臭さ、というのがこの地には相応しいと思っているので、
若干この「はやりの演出」は残念でないこともないのですが。


画像左のアロマ・ディフューザーがエレベータホールで得も言われぬ芳香を放っていました。
LINARIのもので、一階のショップで購入することができます。
この香りが気にいったので、今回買って帰りました。


ところで、昔「火垂るの墓」について書いたとき、この作品で清太少年の回想に出てくる、
連合艦隊の艦観式についてお話したことがあります。
港にすぐ迫っている山の斜面電飾で描かれた「錨と神戸の市章」が再現されていました。
わたしが覚えている限り、ずっとこのマークは不変だったはずなのですが、


変わっていたみたいですね。
今回ホテルの窓からちょうどこのライトが見えました。
何分かおきに三種類が交互に現れていましたがKOBE2012というものは初めて観ました。
どうして錨と市章、やめちゃったのかなあ。

ちなみにこれが神戸の市章です。
「かうべ」の「か」をデザインしてあります。
神戸が「こうべ」になってもこの市章は変わりません。

居留地付近の街並みです。
震災後、イメージを壊さないような街づくりをしてはいるようですが、
こうして写真に撮ってみると、全く特異性は感じられない「普通の街」になってしまっています。
思い入れを持つ者としては、非常に寂しい思いがします。
それでも大阪都心などと比べると段違いに風情はあるのですが。

久しぶりに神戸に来たので、母、妹と三宮元町を「思い出散歩」することにしました。



いつまでも変わらない神戸大丸。
アーケードにも昔のままの店を見つけては「あれ、まだある!」と喜んでいました。
大森一樹監督が映画で描いた「元町ヤマハ」も健在でした。



私事ですが、わたしの父は医師で、当時この通りの近くに診療所を開いていました。
それもあって、我が家のお出かけは必ず三宮、元町。
大阪には少なくとも子供のころはめったに家族で行くことはなかったように覚えています。

神戸文化会館で行われたピアノの発表会の後、ここにあった不二家で食事をしたり、
映画を見た後、やはりこの並びにあった中華料理に行ったりしたものです。
発表会で着るドレスは、母が作ることもありましたが、大抵はこのアーケード内にある
子供服「ファミリア」で買った姉妹色違いのワンピースなどでした。


時々母は「ちょっと待ってて」と私達に言って、自分だけお店に飛び込んで出てきません。
幼稚園の頃でしたか、「ここ、何?」父に聞くと、父いわく
「いったん入ったら、お店の人が皆で手や足を引っ張るのでなかなか出て来られない所」
それを聞いて、心底怖かった覚えがあります。


元町は子供の目にも「お洒落で華やいだ街」に映りました。
ファミリアのスモック刺繍の入ったブルーのドレスとエナメルの靴の装いが嬉しかった、
あの日のことを今でもはっきりと思い出すことができます。



明けて次の朝、朝食を食べたレストラン。



「ホワイトオムレツ」をオーダーしたのは、日本人ではない従業員。
最近、こういったサービス業に日本人以外が就いているのが目につきます。
日本人は、一体どこで仕事をしているんだろう?
就職難とか有効求人倍率低下とか、世に仕事がない話はいくらでも聞くけど、
こういう「肉体労働」なら、いくらでもあるのかなあ。

どの外国人労働者も、一応日本風にちゃんと躾けられて働いてはいるのですが、
何かのはずみで「違うなあ」と思うことがあります。
ここのウェイトレスは、接客の間ずっと鼻をすすっていて、少しそれが気になりました。
まあ、ホワイトオムレツが一回で理解できたので、良しとしましょう。

ちなみにクロワッサンは不合格。
大磯の吉田首相別荘に毎日トースト用のパンを届けていたフロインドリーブのある、
「パンの街」神戸なんですから。
少なくともバターをけちったクロワッサンを出すのだけは、やめていただきたかった。

 

お洒落な町並み、粋なお店に美味しいレストラン。
港の埠頭に歩いて散歩に行け、車で5分走ればそこは山の上。

神戸に生まれ育った者にとって、ちょいとロマンチックなシチュエーションは、
気づいたら生まれたときから周りに、当然の如くあるわけです。

この点について、よく「神戸の女子はすれっからし」などと言われたりします。
傍から見ると特殊な舞台装置でも彼女らには日常。
夜の海も100万ドルの夜景も「何を今さら。とっくの昔に体験済み」というわけ。

こういう環境や風土が形成する気質があるとすれば、
わたしもまた神戸っ子の一人として、それを色濃く持っているのかもしれません。
それがどういう気質となってわたし自身を構成しているかは、
残念ながら自分のことなので分からないのですが・・。



住めば都といいますし、世界のどこにもその土地なりの良さがあると思いますが、
やはり人は生まれ育ったところにこそ、一生心を残して生きていくのかもしれません。
いつかは帰りたい・・・そう思いながら我が街神戸を後にしました。









最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。