ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

太平洋奇跡の作戦 キスカ

2012-03-07 | 海軍


「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(東宝1965年作品)を観ました。

はて、あの映画は確か主人公が三船敏郎であったはず、と思った方、その通り。
豪華男優陣の中で、三船でも藤田進でも、山村聡でもなく、
なぜ平田昭彦の画像を描いたか、というと、単に個人的に贔屓にしているから。
このあたりが、わがままの許されるブログのいいところですね。

陸軍士官学校(60期)卒、戦後東大法学部に学んだという経歴もお気に入りの理由。
世が世なら陸軍士官としてカーキ色の制服を着ていたであろう平田様は(つい様付け)、
戦争映画に出演の際には、圧倒的に海軍軍人(必ず士官)を演じてきたわけですが、
これも当然。
エリス中尉独断にて言わせていただければ、平田昭彦は

海軍軍医役の日本一似合う俳優

であるからです。

この映画での平田の役どころは太平洋の島、キスカ島に防衛隊として駐留する海軍軍医長。
孤島で孤立無援。
玉砕の色濃くなったある日、自分が手術した兵が絶望のあまり自決します。
工藤軍医は病棟を回って全員から手榴弾を取り上げます。
「もし敵が来たら、そのときは軍医長が殺して下さい」と頼む兵に

「わかった。しかし、最後の瞬間まで生きることをあきらめるな」

 

ああ、このセリフ、聞いたことがあるような。
「潜水艦イ-57降伏せず」で平田昭彦演じる中沢軍医中尉が、
あまりの辛さに「死にたい」と弱音を吐く我がまま娘イレーヌにこんなことを言ってましたね。
こういう説教臭いセリフも、この人が言うと
「ああその通りだ。この軍医のいうことなら信じてみよう。ついでにもっと叱って下さい」
って気になりませんか?
それはわたしだけですか?

ところで、こういう硬派な映画、女性の一切出ない、男だけの戦争映画を観ると思うのですよ。
たとえお金がなくて、東京オリンピックの次の年だというのにまだフィルムが白黒で、
潜水艦沈没シーンがその「潜水艦イ‐57降伏せず」の使いまわしで、
なぜか米軍の配置であったこの地域で英軍機スピットファイアが飛んでいる、
という不思議なことになってしまっていても。(説明っぽいな)

この映画のころが、日本でまともな戦争映画が作れた唯一の時代だったのではないかと。


芸者との絡みや幼馴染の涙なんて、戦争映画にはいらん!
兵が「おかあさーん」と叫びながらみんなでおいおい泣く恥ずかしい戦争映画なんぞいらん!

この映画を観て、全ての出演男優が一人残らず、司令官から下士官のおっちゃんに至るまで、
そのあまりのかっこよさに光り輝いているように思ったのはわたしだけではないでしょう。
特に、三船敏郎の木村少将と、クラスメートだという山村聡演じる川島中将の、
互いを「貴様!」と呼びあうツーショットの渋さ。
この二人が一種軍装で並んでいる画面の美しさには、背中がゾクゾクするほどしびれます。

 ね?

さて、このブログに来られる方ならもしかしたらご存じかも知れませんが、この映画のテーマ、
第二次大戦末期にあった、キスカ島からの撤退作戦について説明しておきましょう。

キスカは、今は北方領土と言われている北海道の先の先にあり、
アラスカは眼と鼻の先、という位置に存在する島。
ミッドウェー作戦の支作戦としてアッツ島とともに防衛のため陸海軍が駐留していました。

アメリカにすれば本土の近くに日本軍基地があることそのものが脅威であったため、
日本軍がさして戦略上重視していなかったこの地点を徹底的に叩きだしました。
そして昭和18年5月、アッツ陸軍守備隊はバンザイ突撃打電を遺して玉砕します。

制空制海権を全て米軍に掌握され、まさに孤島に取り残された形のキスカ島の将兵。
アッツ島と同様の運命はもう迫っているかに思えました。
彼らが覚悟を決めつつあった昭和18年6月、大本営はキスカの撤退作戦を計画します。

作戦立案者、川島中将。
実際の第5艦隊司令長官は河瀬四郎中将と言います。



こういう人もいたようです。
なぜかしつこく?作戦を反対する軍令部の赤石参謀。(西村晃)



軍令部に米内光政発見!この俳優さん、誰かは全く分かりませんでしたが、似てません?



取り残された島、キスカに駐留する5千余名の将兵の司令官、秋谷少将(藤田進)
うーむ。何たる存在感。何たる渋さ。
海軍将官を演じさせてこの人の右に出るものなし。
どう解釈してもうまいというわけではないこの人の演技が、むしろ軍人らしい!とこれも独断。
この人の演技は、これでいいんです。(断言)



救出作戦のトップに抜擢されたのは、兵学校をドンケツ(118人中107番)で出た大村少将
実際は木村昌福少将と言いますが、なぜか仮名扱い。
全く史実通りの映画ではないための配慮でしょうか。
(NHKにも、少しこのあたりの配慮が欲しいところですね。とイヤミを言ってみるテスト)
これが、あんまり成績ドンケツに見えない三船敏郎
おそらくハンモックナンバー上位のクラスメート、山村聡の川島中将と、
すでに昇進に差がついています。



しかし、川島中将は大村少将の実力を見込んでこの大役に大村少将を抜擢。
「救出作戦にはフネを最低でも5ハイ出してくれ」と頼み、川島中将がはったり効かせ
交渉に成功するのですが、全くそれが当然のことのようにしているので、
艦隊参謀の国友大佐(後右側)は「川島中将に失礼じゃないですか!」と怒ります。

 

国友大佐を演じるのが中丸忠雄
最近亡くなった俳優さんですが、この映画の頃はニューフェース。イケメンです。
ある意味一番活躍する中心的キャラクター。
艦隊参謀国友大佐は、キスカに艦隊が救出に向かうことを知らせる重大な任を帯び、
ひそかに潜水艦に乗り込みます。
無電では敵に作戦が傍受されてしまうからです。

国友参謀のキスカ潜入の成功合図は連送「サクラ」。
応答はやはり連送で「サイタ」。

 

「我々の命に掛けても参謀をキスカに送り届けます」
ときっぱりと言うイ号潜水艦長天野少佐(佐藤充)
「この辺の海は水温が低く、15分も浸かっていたら凍死します」と言われ、
一人船室で不安におののく国友大佐。



この潜水艦は、キスカ到着後浮上したところを敵航空機に攻撃され、艦長天野少佐は戦死。
残った乗員は文字通り自分たちの命と引き換えに発射管から大佐だけを外に逃がします。
国友大佐を脱出させた後、ハッチを閉める間もなく、垂直になった艦は乗員と共に沈んでいきます。

 

沈む潜水艦。それをただ敬礼で見送る国友大佐。
大げさな演出も、もってまわった余計な感情表現も何もなく、
キスカの将兵を救うために、ただ任務を完遂するために、莞爾として死んでいく潜水艦の乗員。
涙の「さようなら」も遺言も無しです。

素晴らしい。

でも、この潜水艦の存在そのものが映画上の創作でした~。(ちゃんちゃん♪)
と、ここでこの映画はこの映画なりに「盛って」いるということに気づくんですが、
でも、これくらい許してあげようよ。
NHKと違って仮名を使ってちゃんと創作だとことわっているし。(とさりげなくイヤミを略)


ところで、この頃キスカではどうなっていたのでしょうか。

 

脚を切断されたあと、自分をかばってくれた上官が戦死するのを目の当たりにし、
手榴弾で自決する兵。
このころのアメリカ軍の攻撃は非常に苛烈で、応戦する方にも被害は日に日に増えました。
ただ、キスカ特有の濃い霧が立ち込めたとき、攻撃がないのでそれは彼等にとって
「良い天気」だと言われていました。

そしてキスカの撤退作戦も、この霧を利用して行われました。
攻撃の来ない間に霧に隠れてキスカ湾に突入、1時間以内に全員が撤退するという作戦です。
そして、平文で、キスカの将兵に向けて玉砕を勧告するような電文を打ちます。
つまり、アメリカ軍が盗聴していることを逆手にとって、
日本軍はすでにキスカを見捨てたのだと油断させるための作戦でした。



しかし、なまじ希望を持たさぬよう、本当の作戦の経緯を聞かされない兵たちは、
自分たちは日本から見捨てられたのだという絶望的な思いを強くします。

「お盆の日には、キスカ島守備隊は全員幽霊となり、
幌莚の五艦隊に殴りこみをかけるから覚悟しろと返事を打とうじゃないか」


という笑えない冗談でむりやり笑う兵たち。
このキスカで生還し生存していた中に、このときの主計士官がいて、
このDVDの特典で生存者証言をしている近藤敏直大尉と共に、
戦後「キスカ会」を立ちあげました。

 

左は第二種軍服の近藤大尉。
実にスマートな感じのする海軍士官ですね。
右画像、右が映画撮影時にアドバイザーとして参加した近藤氏。
真ん中はどうやら中丸忠雄氏のようです。
左人物は皮手袋をしていますから、阿武隈の艦橋にいた誰か、おそらく、
近藤大尉を演じた俳優、土屋嘉男ではないかと思われます。

近藤氏は砧の撮影所で俳優のオーディションに立ちあい、出演俳優を選ぶ手伝いもしたそうです。
監督は、自身の俳優を観る目より、近藤氏の元海軍軍人の眼を信頼していたようで、ここにも
今とはかなり違う、戦争を扱うことに対する当時の映画界の姿勢が覗えるような気がします。

近藤氏がキスカの生存者に新聞で呼びかけ、それに呼応したのがその主計長。
さらに呼びかけに応じてきたのが小林新一郎元軍医長で「今キスカの本を書いている」
その本の製作に二人は手を貸し、出来上がった本「霧の弧島」は靖国神社に奉納されました。

ある日その本はあるきっかけで映画関係者の目にとまり、それがきっかけで、
「キスカ」は世界でも稀有な奇跡の成功撤退作戦として映画化されることになったのです。

映画化を打診されたとき、近藤氏には一つの希望がありました。
「映画会社の力で各地にいる生存者がもっと名乗り出てくれたら、
皆で慰霊祭をやりたい」

というものでした。


さて、映画に戻りましょう。
絶望に陥ったキスカの彼らに、救出作戦が動き出したことを伝えるべきか。

 

この作戦は「乾坤一擲」のけを取って、「ケ号作戦」と称します。

「今回傍受した五艦隊から連合艦隊の無線にケ号という作戦名がありました。
私の記憶の間違いでなければ、ガダルカナルの撤退作戦でこの名が使われています。
艦隊は我々を迎えに来てくれるのではないでしょうか」

と工藤軍医長。

「彼らに希望を与えたいので直ぐにみんなに知らせてください」

と訴えますが、
「五艦隊だけでこの作戦が成功する望みは薄いのだ。
あてのない希望を与えて何になる」
「軍医長、いいか。
このことは君の胸にだけしまっておいてくれ」

とそれを口止めする秋谷司令官。

うつむいて唇をかみしめる軍医長・・・・。

平田昭彦の画像ばっかりだしていますが、実は出演個所はそう多くありません。
この項だけ見たら、まるで主人公みたいですが(笑)


この項は二部に分け、キスカ撤退作戦の実際については、後半に譲ります。 





最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
キスカ (ミルママ中尉)
2012-03-09 05:52:36
私も以前のブログで取り上げましたが、山村聡と三船敏郎のツーショットは何度見ても素敵ですね^^

今の俳優さんでは絶対に出せない存在感に圧倒されてしまいます。

それにしても・・日本軍の撤退劇だけはなぜか大成功に終わっているのは皮肉です。キスカは勿論、コロンバンガラやガダルカナル等など・・・

エリス中尉殿のブログの精密さにはいつも感心して読ませていただいています、その豊富な情報ソースはどのあたりからゲットされているのですか?

今後の参考にさせていただきたく、ご教示頂ければ幸いです。
返信する
いやいや (エリス中尉)
2012-03-09 22:17:42
ミルママ中尉殿、こんにちは!
精密と言っていただきましたが、実際自分ではかなり情緒に流れていると思っています。
これそのものは資料ではなく、エリス中尉という一人の人間の目を通して見た歴史の出来事に対する「感想」に過ぎませんから。

ソースは、まずネットで検索、密林で購入、その他、国会図書館、戦史資料室、たまに自費出版図書室などを利用して、取りあえず数を読み飛ばします。
読みながら気になる部分を記憶の引き出しに入れておいて、必要な時には出してくるのですが、ときどきそれがどこに書いてあったことかわからなくなり、本を何冊も捜索しなくてはならなくなるので、最近はメモを取るようになりました。
仕事ではないのであくまでも楽しんでやっていますが、記事が自分でもうまく書けたと思うときは、嬉しいです。
基本、書けなくなったらいつでもやめる覚悟でやっていますので、もしブログが突然ストップしたら、そのように御理解下さい。

ミルママ中尉のキスカの記事、見ました。
なんと、最近のアップじゃないですかー!
映画だって数十年前の公開なのに、奇遇ですね。
実に多くの本を読んでおられるのにも驚嘆しました。

返信する
Unknown (ミルママ中尉☆☆)
2012-03-10 14:03:15
いやはや、沢山の本を所持しているのはエリス中尉殿とは違って脳の引き出しに限りがあるのでして・・・

あれ、あの記事どこに書いてあったっけ??てな事でブログ1つ書くのに大騒ぎになってしまうのですよ。
その割に中身が貧弱??・・・ご容赦下さい、これが精一杯なのです。

止めるなんておっしゃらず、どうか末永く続けて下さいませ。後に続くものがいることをお忘れなきよう!(^^)!

返信する
Unknown (エリス中尉)
2012-03-11 21:32:37
いつも非公開でコメントを下さる方が、このキスカの記事の日、飲み会の話題にたまたまキスカのことを話していた(どんな飲み会?)ので驚いた、というコメントを送ってくれました。
偶然が重なり過ぎて実に不思議な「キスカ撤退」ですから、事象を述べるにもこういう偶然も起こりうるのかなと(笑)

いろんなことを調べたり読んだりしていると、実にたくさんの物事が次々と現れ、自分がいかにモノを知らなかったかを思い知らされる毎日です。
ブログという形で常にアウトプットをするにはインプットがそれ以上に必用になってきますが、何しろ一つ記事を書くたびに知らないことが必ずぞろぞろ出てくるのですよ。
そして知識は嫌でも増えていくわけです。
ですからまだまだ書きたいことはいくらでもあるのですが、ただ、冒頭の方の忌憚ないエリス中尉評によると、こういう方面に興味を持っている人間が知っているはずの、ごくごく簡単なことを知らないので、ある意味本当に詳しい人から見ると「どうして?」なんですって。
これは自己分析すると、まだまだ知識が浅くて、かつ興味の方向が偏っているってことなんだと思います。
でも、「らしい」といえば「らしい」って褒めてもいただきました。うふふ。
・・・・違うかな。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。