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空母「ホーネット」~空母「ワスプ」メモリアル

2014-02-04 | 軍艦

「空母ホーネットの空母ワスプ」ってなんですか?

といぶかしく思われること必至のタイトルですが、
つまり、博物館になっている空母「ホーネット」の展示コーナーの中に、この

「空母ワスプ メモリアル」

があったということです。
先日「ワスプ」というのが「ホーネット」と共に「スズメバチ」を意味するということで、
コメント欄では「スズメバチの鬼畜?さ」について盛り上がったりしたことがありますが、
今日はその「ハチ繋がり」で、ホーネット博物館の仲のワスプ展示部分をご紹介します。

冒頭画像はハンガーデッキに飾ってあった、アメリカの艦船のマークから、
空母「ワスプ」のものをアップにしてみました。


ワスプ (USS Wasp)はアメリカ海軍の航空母艦で、エセックス級空母の8番艦。
その名を持つ強襲揚陸艦もありますが、ここに展示されているのは「最後のワスプ」
である、CV-18。
第二次世界大戦中に建造され、1970年に退役になった空母の記念の品の数々です。



ハンガーデッキを歩いていると、このような掲示板が。
ハンガーデッキの一階下の住居区を記念コーナーにしているようです。



どれどれ、下に降りてみましょうか。
しかし、あいかわらずフネの中というのは狭い。
階段の幅が異様に細いんですよ。
アメリカ人には、30センチはあるんではないかというくらい巨大な足の人がいますが、
のぼりはともかく降りるときはいったいどうやっていたんでしょうか。
日本の護衛艦に最初に乗った時も驚きましたが、アメリカの軍艦でも
全く同じ、いや、「ひゅうが」と比べるとむしろこちらの方が狭いのではと思われました。

いずれにしても太っている人間に艦隊勤務は務まらないということですね。



こういう記念館には必ず巨大なモデルシップが飾られています。
後ろ側が見やすいように鏡張りになっているので撮影者が写っていますが気にしないでね。

時計も上のコーヒーカップも、「ワスプ」の意匠入りの特別仕様。



額に入っているのは、元乗組員によるこのような詩です。


仲間の絆はたとえようもなく強い

ワスプが台風に突き上げられバンク(寝床)にしがみつきながら

彼女のフライトデッキが軋み唸り声をあげるのを自分の痛みのように聞いた


仲間の絆はさらにたとえようもなく強い

仲間にキャンバスの覆いをかけ「さようなら」とつぶやき

彼らは静かに波間へ滑り落ちていく

仲間と一緒にMOG MOGに座って「地上はどのくらい静かなんだろう」と思う時

仲間の絆は永遠に強くなる


そして今俺たちは老い、思い出に生きてる

しかしいまだに俺たちは仲間だ

俺たちは俺たちの物語を語る そしていまだに夢をみる

誰かがこう言って笑うだろう「何年も経っているのに」

しかしわれらの仲間はそれに頷き、彼らに我々の物語を語るだろう

俺たちの絆は永遠だからだ

たとえ老いて思い出の中にだけ生きているのだとしても





これもワスプの刻印を入れた銀器。
下段にはWASPと書かれた当時のキャップがあります。

それにしてもここにある「警棒」のようなものはなんでしょうか。
アメリカにも「海軍精神注入棒」に相当するものがあったのかしら。


海軍はじめ日本軍の「体罰体質」は、元を言うとイギリス海軍をお手本にしたからで、
なんと本家のイギリスでは体罰が普通になされていたそうです。
アメリカの体罰事情はどうだったんでしょうね。


映画「頭上の敵機」で、赴任そうそう仕事をバックレてバーにいる先任士官を、
グレゴリーペックがいきなり憲兵に逮捕させて、そのあと
「生まれたことを後悔させてやる!」
などと厳しすぎる叱責をするのですが、その飛行隊長は

「あなたを訴えます」

なんて言っちゃったりしているんですね。
アメリカ軍では下級の軍人が上官を訴えることもできたのか・・・・。

根性注入棒なんてとんでもないですね。

・・・・・だったら、これはなんでしょうか。



ホーネット仕様の食器。

んまあ、これなんというかオシャレじゃなくって?
お皿の真ん中が手書きでブルーに塗ってあるあたりが気が利いてるわ。
自由が丘のイデーショップあたりで買えそう。



アップにしてみるとわかる、空飛ぶ艦載機から見た海上のワスプ。
まわりに散りばめられたマークは6種類。
金の縁取りが高級感をアップしています。
高級将官用の特別仕様でしょうか。






サンフランシスコで配られた真珠湾攻撃を伝える記事。おそらく号外でしょう。
この時点で死者は6人で負傷者21人となっています。
第一報はどんな大事件でもそんなものですよね。 



艦上機のパイロットたち。
全員が航空帽を飛行メガネを着用していますから、帰投してきたばかりかもしれません。
後ろで翼をたたんでいるのはTBFアベンジャー?



おそらく艦長はじめワスプの偉い人。

後ろの壁に描かれているのは左から航空機、アイランドつまり艦橋が撃沈した艦船。
ちなみにワスプは、ウェーク島、南鳥島の攻撃を行ったことがあります。

航空機の撃墜は、艦船ほど正確ではなく、戦後になって両側の記録を比べたら
どちらも「自軍が圧倒的に勝っていた」
とするケースが非常に多いのだそうです。
我方が優勢であった!と思いたいのはいずこも同じというわけですね。
ですから、いわゆる撃墜数なども、本人がそう思っているだけで実は落ちてなかった、
というようなこともかなりあったのだろうなと思われます。




1945年の3月に艦内で行われた追悼礼拝のプログラム。

第81航空群と、216,217部隊のメンバーのため、とあります。

「彼らエアメンに、自由と正義の敵を殲滅する英雄的な仕事を賜った神に感謝する」

とか、

「彼らエアメンは、われらと共にあり、 われらを神の御意志の元に守ってくれる」

「幾人かの行方不明の者たちが、 神のナビゲーターの与えるチャートによって、
愛する者の元に戻れるように我々は心から祈りたい」

このような文の後、聖書の一節が書かれ、亡くなった26人の名前が記載されています。
艦載機が一挙に敵に(ってそれは日本軍であるわけですが)撃墜されたのですね。


 

1944年6月19日、ジャップの航空機に急降下爆撃を受けているワスプ。
だそうです。
もう普通に「ジャップ」だもんなあ。
もう少し遠慮しようよ。戦争終わったんだからさ。



ダイブしているジャップの航空機はジュディ、と書いてありますから、「彗星」ですね。
(えへん、これは覚えていたもんね)
 
・・・・・・・あれ?

1944年6月19日と言えば・・・・・・。

 マリアナ諸島侵攻作戦に向けて、南鳥島の攻撃をした、と先ほど書いたその日です。
このときにワスプの艦船は日本軍の激しい対空砲火に晒された、とありますが、
それでは先ほどの「慰霊礼拝」されていたのは、この作戦による戦死者であったと考えられますね。

 

戦時中にワスプ艦上で催された、クリスマス会・・・・・・
みたいなんですが、なぜか「戦術的進化」という副題が・・・。
ちょっとわかりにくいのですが、真中の絵は、ハチが「ワスプ」に乗って、
四つの手にボクシングのグラブをはめているのですが、
それを取り囲むのがクリスマスのリース。

パーティなのか、戦略会議なのかよくわかりませんね。
もしかしたら戦略会議ついでにクリスマスパーティもしましょうってことだったのかしら。



右はサンクスギビングの特別メニューですね。
描かれている絵は、七面鳥と、右側はカボチャです。

アメリカにいると、サンクスギビングというのが非常に重要な行事であることを実感するのですが、
必ず彼らはどんなに遠くても故郷に帰り、親族がターキーローストとパンプキンの食卓を囲みます。

故郷に帰ることを許されない将兵のために、ワスプのダイニングは腕を振るったのでしょう。

それにしても、テンプレートでも使ったのか、カボチャの大きさが変ですね。


左は、レイティング・デスクリプションつまり評価説明です。

航空兵の飛行評価だと思うのですが、肝心の評価のところ、
A.O.Mの意味がどうも分かりません。

それはいいのですが、日付が・・・・。

そう、1945年8月15日。
日本が降伏した日ですね。
戦争が終わったとは知らずに飛行評価テストをワスプではしていたってことでしょうか。



はい、戦争に勝ちましたね。よかったよかった(投げやり)

ワスプ内で配布されたアメリカ勝利のお知らせ。



あんまり調子に乗ってんじゃねえよ、と思わず毒づきたくなる、
「戦勝記念ディナーメニュー」。

戦争までしておきながら、この期に及んで中国と日本の違いがわかっとらんという・・・。






戦争が終わってワスプがサンフランシスコに帰ってきたというお知らせ。
もしかしたら、母港はアラメダの海軍基地だったのかもしれません。



帰還後港で妻や恋人と抱き合いキスをするワスプの乗員。
それにしてもこれ、1952年のことなんですよ。
戦後何年間もいったい何をしていたのか、ワスプは。

その理由が、これ。




千葉県館山にあった館山航空隊のことが書かれています。
これはおそらく 、終戦後、昭和20年の9月になって、
アメリカ軍が4日間にわたって直接占領し、本州において
唯一軍政が敷かれたことがあったのですが、そのためのチャートではないかと思われます。

8月31日にまず海兵隊の先遺隊が235名上陸し、占領部隊の主力である
アメリカ陸軍第8軍第11軍団麾下第112騎兵連隊戦闘団約3,500名その三日後上陸しました。



これも、円の中心は館山です。

 

東京湾から日本を眺めているらしいワスプ乗員。



これも日本の光景ですね。

ところでさあ。
ホーネットもそうだけど、このCV-18ワスプの先代、CV-7ワスプって、


日本軍に沈められたんですよね?


どうして、アメリカ人って、沈められたフネのことは無かったことにして、
全く語ろうとしないのかしら。
ここにメモリアルを作るんであれば、一緒に日本軍に沈められた先代ワスプのことも
すこしは触れてあげましょうよ。


CV-7は、1942年の9月に、伊号19の魚雷3発で海の藻屑と消えてしまいました。
そういえば、かわぐちかいじのSF戦記マンガ「ジパング」では、ワスプを沈没させたのは
伊潜ではなく、護衛艦「みらい」のトマホーク一発だということになってましたね。

詳しいいきさつは忘れましたが(おい)、伊19に乗り込んでいたのが、滝少佐だったような。

水雷長の菊池二佐が、沈みゆくワスプを凝視しながら、

「たった一発であの巨大なワスプが・・・。
きっと中には脱出できなかった人間が百人、いや千人単位でいたかもしれない」

といいながら茫然としていましたっけ。


しかしながら実際はもっとすごくて、伊19号は、この時航空母艦に対して撃つことを許されている
最大限の魚雷数6本を(律儀に国際法を順守して)撃ち、そのうち三つが命中。

しかも。

ワスプを逸れた残りの3発のうち一発は10キロ先を航行していた戦艦ノースカロライナに、
もう一発は駆逐艦オブライエンに命中し、オブライエン大破沈没、ノースカロライナは
修理に6か月を要したそうです。

なんと、命中確率6分の5。

「みらい」のトマホーク(巡航ミサイル)より伊19の水雷長の方がこの場合優秀だったってことですね。


 



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