ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

EAST TO WEST〜「サックス」な飛行機&ホテル

2015-07-26 | アメリカ


さて、西海岸に来たとたんまともに編集面の文字打ち込みができるようになりました。
インターネットの速度を調べると、普通のホテルでも異常に速いのがシリコンバレー。
というわけで、東海岸での最後の日のことをご報告します。




息子の参加しているキャンプの解散が週末の午前中であったため、
二日前にボストン入りし、ボストンからニューヘイブンまで、ノンストップで飛ばしました。
学校近くのホテルに着いた時には、フロント係の

「How are you today?」

に、真面目に

「いやー疲れたわー、ボストンから渋滞の中運転してきて疲れたわー」

と答えてしまったくらい疲れました。



息子を迎えに行く前日、食事のためにニューヘイブンの繁華街にでてみました。
この近辺の駐車事情はそう悪くなく、パーキングのメーターもコインとカード両用です。
次の日は民間のパーキングに入れましたが、1時間で1ドル50という値段にのけぞりました。

ふと目に付いた「グッドネイチャーマーケット」というグロッサリーに入って、
ビュッフェ式のお惣菜をパッケージに取って持ち帰り夕食にしましたが、
後で息子もそこで少し前に夕食を取っていたことが判明しました。
この辺りには「先進的地域の証明」ともなっているホールフーズマーケットがなく、
そのかわり地域のオーガニック系グロッサリーが「意識高い系」のニーズを支えています。



明けて次の日、3週間前に息子をドロップオフした「オールドキャンパス」のロータリーに
親子で打ち合わせした時間に行きます。
学校の指定は「8時から12時までの間」と大変幅広く時間が取られています。



よう、お前行くのか!と別れを惜しむ息子とカウンセラー。
彼らもほとんどが大学生のアルバイトですが、なにしろ三週間同じ釜の飯を喰った仲間ですから。

後で聞いたら、解散式の時には挨拶をしたキャンプ主催者が涙ぐんでいたとのことでした。



来年も来いよー、などと言われております。
息子がレインコートを着ているのは、この少し前に土砂降りだったため。
彼が左手に抱えている紙袋はここで購入した本ですが、



滞在中、自分の本を買うついでに、「戦争コーナー」の写真を撮ってを送ってきました。



「ヘル・フロム・ザ・ヘブン」
「帝国陸軍」「帝国海軍」・・・。

「ママが欲しかったら買っておくよ」

ということだったので、「帝国海軍」をお願いしました。
これがなかなかすごい本だったのですが、これについてはまた後日。



息子と荷物を乗せて、いよいよニューヘイブン大学を後にします。

「楽しかった?」

「うん。最初の1週間は1日が長かったけど後はあっという間だった」

というわけで、彼は来年も同じキャンパスに来たいそうです。



帰りのI-95は大変な渋滞でした。
せっかくなので、息子と大学構内の博物館を三軒はしごして、ご飯を食べたら
ちょうど週末の帰宅ラッシュに引っかかってしまったのです。

前に停まっている犬のマークのバスが例の「グレイハウンド」。
ビリー・ジョエルの歌でもおなじみ、アメリカの有名な長距離バスです。



前にいたトラックの後ろにかっこいいバイクが積んであるなあと思ってふと見たら、



「ヨシムラ」・・・?

バイク乗りならおそらく誰でも知っている(らしい)会社のシールが。
バイクも作っていますが、特にマフラーはブランドのようですね。

ホンダやカワサキだけでなく、バイクという分野で日本の「職人スピリット」とも言える
ほとんどが小さな町工場から始まった技術は、今や世界の走り屋の信奉を集めています。



ナビは当初1時間半と予告をしたのですが、結局3時間かかって、
当夜のホテルのあるウェストボローに到着しました。
昔、何度か来たことのあるリーガルシーフード(ボストンの有名なシーフードレストラン)
で晩御飯を食べることになりました。



久しぶりに来たら、フロアーの4角に液晶パネルのテレビが掲げられ、
4つのテレビが皆違うチャンネルになっていました。
食事しながらレッドソックスやニューイングランド・ペイトリオッツの試合が観れる!
ということですね。

前回まで、毎回お店の人は息子に塗り絵とクレヨンを持ってきましたが、
(それがキッズメニューになっている)今回は無論ありません。



日本人の目には、その辺のご飯屋さんの焼き魚定食(レモン乗せ)にしか見えません。
メインを選んだら、二品サイドがついてくるディナープレート。



息子はスウォードフィッシュ(メカジキ)を選びました。
こうしてみると、こちらもせいぜいファミレスのセットみたいですが、
これでもどちらも26ドルします。

52ドルにタックスが加わり、さらにウェイターへのチップを加えると、
日本なら小洒落たフレンチのランチコース二人分がいただける値段に(T_T)

まあ、高いのは重々わかってはいましたがボストンも最後の夜だしねってことで。



明けて次の日。
国内移動はアメリカン航空です。
アメリカンとデルタというのはどうもアメリカ人の間でも評判が悪いらしく、

アメリカン・・・・サックス!」

などといわれているそうです(息子談)



タキシングしているときに横の海でジェットスキーをしていた人。



離陸しました。
さようならニューイングランド。



ボストン湾には大変島が多いのですが、今回こんなのを見つけました。

要塞のような城壁があるので調べてみたところ、「ジョージズ島」といい、
要塞に見えるものはやはり19世紀に建てられた要塞の遺跡でした。
この要塞は南北戦争時に兵士の訓練所や南軍の捕虜収容所として、(まじかよ)
また北西戦争、第一次・二次世界大戦時には海からの攻撃防御役を担っていたそうです。

2階建ての要塞には薄暗い通路や狭い階段などがあり、ダンジョン探検気分で
歩き回ることができるとか。




帆船でクルーズするツァーもあるようですね。
この近海には鯨も回遊してくるため、季節によってはホエールワッチングの船も出ます。



これは無人島・・・・だろうなあ。

そういえば、乗っていた船が難破して無人島にいたところ、アメリカの捕鯨船に助けられ、
鎖国中ゆえに日本へ帰れず船長と共にアメリカに行って暮らしたジョン万次郎っていましたね。
ジョン万次郎は捕鯨船の船長に連れて帰られたそうですが、その船長の家も

ここニューヘブンにあり、今ではその住んだ家が観光名所となっています。



上空からこの光景を見て、思わず鳥肌が立ってしまったわたしです。
海を埋め尽くすようにびっしりと見える白いものは、ヨット。
ケネディ家の別荘もあったというこのボストン港には、ヨットオーナーがたくさんいて、
この日は週末だったので皆がクルーズしているわけですが、それにしてもこの多さ。



国内移動はエコノミーで耐えるというのが家訓の我が家ですが、今回はどういうわけか
国際線の往復のステイタスと別のチケットが取れないことになり(T_T)、
ファーストクラスで行くことになりました。

「アメリカンのファーストって、なんか期待できないよねえ」

と失礼ながらヒソヒソ言い合っていたのですが、
実際ましなことといえば、座席が後ろより広いってだけの話です。
しかもファーストのくせに椅子が1ミリも後ろに倒せないんだよ。
離発着のポジションのまま寝る、これは大変辛うございました。
向こう側の男性みたいに独自の態勢ですっかり安眠しているらしい人もいましたが。



一応ファーストなのでおしぼりは出ましたが、手を拭くと水が滴り落ちました。



そしてこれがファーストの食事である。
いや、シカゴ乗り継ぎまでのせいぜい2時間半くらいだからいいですよ?



ボストンから2時間半でシカゴのオヘア空港に到着。
上からみたシカゴは、完璧に整備された碁盤の目のような街並みが続きます。 


 

計画的に作られた都市なんですね。
街の中心部の広大な公園も、真四角です。



野球場では観客は全くいませんでしたがダイヤモンドには人がいました。
ここで飛行機を乗り換え、サンフランシスコに向かいます。



タキシングの時に飛行機の後尾部分から水が流れているのを発見。
こ、これは一体?



これがサンフランシスコ行きのファーストの食事である。
生ハムのメロン乗せかと思ったら、微妙にハムが変な味でしかもどうしても噛み切れず、
苦しくなってこっそり口から出してしまいました。
アメリカ人ってこんなものを噛まずに食べることができるのか・・。



驚いたのはおやつの時間にアイスクリームが2スクープずつでてきたこと。
キャラメルタフィー入りのアイスで、これだけは美味しかったです。



サンフランシスコ上空にくるといつも不思議に思うこの景色。
地図で確かめると、この部分は「海」です。
浅瀬で泥の質が違うところだけが赤っぽかったりするのだと思いますが。



自然が作り上げた模様に、人工的な灌漑部分が直線を加え、芸術作品となっています。



右側がサンフランシスコ側と対岸を結ぶサンマテオ・ブリッジ。



上空から見えるように「フォスターシティ」と地面に巨大な文字を描いています。
今回後半はこのフォスターシティのホテルを予約しました。
空港の比較的近くです。



この辺は埋立地なのかもしれません。
右手のサンフランシスコ空港に向かう航路は2つあるので、時々
自分の飛行機と平行に飛ぶ他の飛行機を見ることがあります。



コンチネンタル航空ですね。



空港に着いたのに、いつまでもドアが開きません。
わたしは最前列の席だったのですが、CAが来て「場所代わって」といって
わたしが今まで座っていた席に座って外を見てのたまうには

「着いたのが15分早かったせいで誰もいないわ〜」

飛行機のドアに接続する通路を操作する人が来ていないとヘラヘラ笑いながら言っております。
をいをい、そして君は待っておる間、なんでその席で携帯電話のメールチェックを始めるかね。


鶴丸航空の皆さん、サービスが過剰だとか丁寧すぎてうざいとか思ってごめんなさい。
日本の航空会社の従業員教育とサービスは世界一です。ええ、世界一ですとも。



サンフランシスコ到着後、無事に車を借り、ホテルにチェックイン。
学校に極近のモーテル的なキッチン付きインを借りました。



写真に撮るとまあまあですが、おそらく築60年は確実な老朽化した木造の建物。
部屋に入ると変な匂いがし、異常に熱がこもっています。



一応インテリアなども考えている形跡はあるのですが、いかんせん部屋が汚くて暗い。
やっぱり写真だけで安めの宿を取るのは考えものだなあ、とがっかり。

管理人は(オーナーでもある)同じ建物の一角に家族で住み着いているインド人でした。



アメリカでは見たこともない小さな冷蔵庫。トースターなし。



そして問題はこれ。
窓のすぐ外が幹線道路で、しかも窓が防音でもなんでもなく、配管のために開けた壁に
隙間ができていてこのため猛烈にうるさいという・・。

おまけにクーラーというのが、音ばかり大きくて、いくらガンガン稼働していても
全く部屋が涼しくならないという代物で(もちろん日本製じゃありません)
それをつけると普通の会話も不可能になるくらい。

これは大変なところに住むことになってしまったなあ、せめて
道路に向いていない部屋が空いたら変えてもらおう、と思って一夜が明け、
二日目にわたしたちにとんでもない事件が起こったのでした。

火事です。



続く。


 



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8 Comments

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ヨシムラの歴史は、涙無しには語れない (婆裟羅大将)
2015-07-26 08:10:18
こんにちは、ちょっとごぶさたです。
信じてもらえないでしょうが仕事で忙しかったんです。(笑)
先週は久しぶりに地球環境委員会(仮名)もあったし。

さてヨシムラですが、日本のコンストラクター、レースバイク造りの商売しているわけですが、アメリカ進出は多くの日本の企業同様、栄光と挫折の連続でした。
ようするにアメリカの商売人に騙されたのね。
アメリカでのカタカナのヨシムラ商標権も奪われたままだと思います。

そうそう、ポップ(おやじ、先代、故人)は予科練出て航空機関士だった人です。
今は「ヨシムラジャパン」は厚木にある会社でお友達もいるのですが、なんとなく疎遠になってます。

全然違う話ですがネイビーブルーの時計買いました。
http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/201507220000/
返信する
多難な旅そう(汗) (昭南島太郎)
2015-07-26 16:05:13
米国住んだ事ないのですが、大変さが伝わってきます。
離着陸時の体勢のまま2時間半なんて無理です、私には(汗)
フライトで疲れたどり着いたホテルもサックスだなんて。。。
おまけ?に今から火事ですか。。。(大汗)
こうしてブログを更新されているので、ご無事なのだろうとは思いますが。

ちなみにタイトル拝見した瞬間、エリス中尉のお仕事柄、今日は音楽関係だな、なんて勝手に勘違いしてましたが、まさかこんな事態になっていたとは。。。

明日この島、子供達は一斉に休校、送迎で朝早く起きる必要のない太郎でした。

昭南島太郎
返信する
婆娑羅大将さま (エリス中尉)
2015-07-27 02:20:05
お久しぶりです。お待ちしておりました。
ブログを拝見していていつも思うのですが婆娑羅大将はこだわり派ですよね。
酸素ボンベのケースはめでたく阿修羅王に召し上げとなったのでしょうか。
旅行用の小物入れに良さそうです。

何気なく撮った「ヨシムラ」のロゴですが、そんな話があったとは。
やはり物事には細部までこだわるものです。
まずヨシムラの創始者が海軍出身だったということ。
海軍技術出身者が戦後の日本の技術の大きな部分を支えてきたということは
知っていましたが、こんなところにも、ってことですね。
ポップ・吉村のあだ名は、終戦後、バイクのチューニングを依頼してくる
進駐軍の若いアメリカ兵から氏が父のように慕われつけられたそうですね。
当ブログ的にアメリカでこのロゴに出会ったのは何かのご縁かも。
それから気になる一言、「アメリカの商売人に騙された」・・・?
今回調べたらウィキにも商標のことは記述されていなかったので、
もしかしたらこれは「公然の秘密」なんでしょうか。
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発音は同じですが (エリス中尉)
2015-07-27 02:23:23
sucks と saxで大違い、というわけでタイトルでちょっとシャレてみました。
全然洒落たシャレではありませんが。
アメリカ人、特に男性はsucksをよく使うようで、「使えねえ奴だな!」で
「 Man, he sucks.」、
「うぜー奴だな!」で「Man, he sucks.」、「オワタ\(^o^)/」で「It sucks!」、ってな具合に汎用性があります。

今回、アメリカンに乗ること自体久しぶりでした。(いつもはユナイテッド)
以前はリクライニングできたのにできなくなったというのは、
ピッチが狭いため後ろとトラブルになるのを防ぐという意味もありますが、
着陸態勢になった時に乗務員がシートを戻すのを点検するのがうざいから、
という理由もあるのではないかと彼女らの仕事ぶりを見ていて思いました。
アメリカの航空会社のCAはウェイトレス以上の仕事を全くしておらん(呆)

だから世間からも空中飯盛人(中国語でCAはこういうらしい)、
しょせんウェイトレス呼ばわりされるんだよお!
とここで思いっきり叫んでみる(笑)
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 (ハーロック三世)
2015-07-27 03:24:14
飛行機の後部から滴り落ちる水‥‥

こりゃ、おそらく誰かがまさにトイレを使ったのか、後部ギャレーで水を流したかですね~

機内で使った水(トイレの手洗いやギャレーのシンクの水は飛行中、外に排出されます。

不要なものは少しでも減らすわけです。

CAは地上では水を流さないこと、ジュース類を破棄したら、機体の参加腐食を少しでも抑えるために水を後から流すよう教えられます。

旅客搭乗前は、整備士やパイロットが点検で機体の下などを歩いています。

この時に水を流すと‥‥
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ターミネーターで (エリス中尉)
2015-07-27 11:52:35
今アメリカで「ターミネーター・ジェニシス」を見てきたのですが、サラ・コナーが
シュワちゃんのことを「POPS」と呼んでいました。
おじさんのことなんですが、なぜSが付いているのかは謎。
息子は「Pop's」つまりお父さんのお父さんでおじいちゃんじゃないか、
といっていましたが、正しいところはわからず。
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吉村のおやじさんのこと (婆裟羅大将)
2015-07-28 23:10:51
エリス中尉 どの
公然の秘密?
Wikiで吉村秀雄さんのところに書いてあるのは わりとよくまとまっています。一度ご覧下さい。
私も読み返してみて胃を1/3切除したという私と同じ病歴は忘れてましたが、胃を切ってからもずっと活躍したおやじさんと私では 比べるべくもないですな。

アメリカの話について思うのですが、オートバイレースや山登りの世界では金銭抜きで先輩は後輩の面倒を見る伝統がありまして、
特に吉村のおやじさんは、国内のレース仲間や九州の純朴な米兵とのつきあい方のまま米国へ出て行ってしまったのかなあ、と感じます。

茅ヶ崎の国際A級ライセンス持ちのバイク屋の社長はヨシムラで援助受けながらレースしてた人です。
その社長に私も草レース、草ラリーの援助をいろいろ受けました。
すいませんねえというと、自分も今までいろんな人の世話になったから、と言ってました。


婆裟羅はこだわり派? それを言うならネタの為に生きる人生とでも言いましょうか、
これ一つでエントリがいくつ書けるかという考え方でしょうか?
エリス中尉も同じ穴のムジナでは?(笑)

婆裟羅砦は王が統治していますので、時計はまず阿修羅王に献上され、それから恩賜の時計として下賜されます。
主席卒業でなくても もらえるんだよ!


ところでCAさんは中国語では空中小姐って言いませんか?
日本の古い小説に青空乙女というのがありましたがその感覚でしょうか。
写真を拝見していて、アメリカン航空のCAさんは男性用に太もも出してサービスしてるのかと思いました。:=)
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空中小姐ですね (エリス中尉)
2015-07-29 05:40:03
おお、しゃおちえで小姐と変換できてしまった。というか他に読みようもないか。
じつは非公開コメントで「飯盛人」ではないのでは、というのがありまして、
昔々田中康夫がスッチーに搭乗の度に声をかけていた頃どこかに書いていた
嘘情報に騙されていたことを知りました。

吉村秀雄氏のウィキペディア、見てきましたー!
これはあれだな、スターとデールというアメリカ人コンビが悪だったんですね。
アメリカ人は人がいいようで自分の利益となると途端に道義もくそもなくなる、
とこの間田母神さんが言ってましたが、まさに典型的な汚いアメリカ人。

たまたま渋滞で見かけた「ヨシムラ」の商標から、同氏のことを知りましたが、
門外漢には無名でもその世界ではレジェンドといわれる人だったんですね。

「挑戦し、諦めないという不撓不屈の精神は予科練で培われ、
その精神で航空機関士の勉強を耐え、そこで得た技術がチューナーの原点である」

というご本人の言葉にはこのブログの主催者としてまったく感じ入りました。

ところで・・・・・「こだわり派というよりネタ人生」「同じ穴の狢」ですか。
こちらの名言にも返す言葉はございません(笑)
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