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三井造船資料室~護衛艦「いなづま」に巡る因果

2014-05-11 | 自衛隊

まずは先日4月25日のニュースからです。

ソマリア沖 海自の護衛艦75人を救助 

海賊対策のため、アフリカ・ソマリア沖で活動する海自の護衛艦が 
エンジントラブルのため漂流していた小舟を発見し、
乗っていたソマリア人など75人を救助しました。 


23日午前、海賊対策のためソマリア沖に派遣されている 
広島県の海上自衛隊呉基地所属の護衛艦「いなづま」が 
多くの人を乗せて漂流している小舟を発見しました。 
護衛艦の乗組員が乗っていた人に話を聞いたところ、 
ソマリアを出港し、対岸のイエメンに向け航行中にエンジンが故障し、 
およそ5日間、漂流していたことが分かりました。 

全長10メートルの舟にはソマリア人やエチオピア人など75人が乗っていて、 
「いなづま」は、飲み水や食べ物などを提供したうえで、 
全員を護衛艦に収容して目的地のイエメン沖に運び、
地元の海軍に引き渡しました。 


「いなづま」は、ことし3月、護衛艦「うみぎり」と共に呉基地を出港し、 
今月中旬から海賊対策に当たっていました。 
(NHKニュース)


先日カレーグランプリのお土産に「うみぎり」の第9次派遣パッチを
何の気なしに買ってきて、そのエントリを制作中に聞いたニュースです。

ひとつのことを集中してやっていると、時折このような・・・・、
たとえばちょうどエントリ作成している日が書いている内容と一致したり、
その人について書いているときに訃報を目にしたりといった偶然が
起こるものですが、今回このパッチについてお話ししたときに

「うみぎりといなづまが今ソマリア沖に派遣されている」

という一文を書いたばかりだったのでそのちょっとした偶然に驚きました。
そういうとき、わたしはちょっとした「因縁」を感じずにいられません。
実はわたしは「いなづま」にはかつて呉で遭遇しております。



どうですかこのかっこよさ。
これを撮ったのはニコンでもカールツァイスレンズのRX−100でもなく、
3万円くらいのフツーのデジカメですが、構図とか悪くないですよね?
(これが本当の自画自賛)

2012年の6月に艦番号106の「さみだれ」に乗せてもらい、
艦長自らの案内で艦内を見学したという、今にしてみればぜいたくな経験でしたが、
そのとき「さみだれ」に乗るために甲板を通り抜けた、
という浅からぬ縁がわたしと「いなづま」にはあったのでした。

え?中を通り抜けるくらい大した縁じゃなかろう、って?

本稿の伏線なんですからいいんです。こじつけですけど。



左に見えているのが「いなづま」。

うーん、これが今ソマリア沖にいて、国際活動をしているのか。
通り抜けるときにいた人にサイン貰っておけば良かった(笑)

余談ですが、このときの「さみだれ」がわたしにとって記念すべき

「初めて乗った自衛艦」

となったわけで、見るもの聞くもの全てが珍しく、主砲の説明中に

「これは1分間に最大100発を撃つことができ・・」

と聞くなり、自制心を働かせる間もなく口が先に動いてしまい

「さみだれ撃ちですね」

と言わなくてもいいことを言って艦長に無視された、という
恥ずかしくも甘酸っぱい思い出があるのでございます。

さて、冒頭のニュースですが、珍しく日本のメディアがちゃんとこれを報じたらしく、
(とはいえ質量ともに韓国のフェリー事故の100分の1ってとこですが)
画像も伝わってきているのですが、まずこのニュースの突っ込みどころは

「10mの船に75人が乗って5日間漂流していた」

ということではないかと思います。
確かに小舟にはぎっちりと人間が詰め込まれ、何人かは船の縁に乗ったりして
ただでさえ悲惨な状態のうえ、船のエンジンが壊れて動かなくなったとあれば、
絶望に打ち拉がれていたソマリア人たちが、自分たちを発見したのが他でもない、
日本の護衛艦であったことでどんなに驚喜したでしょうか。

たとえばロシア軍などに発見されても、救い上げてくれるとは限らず、
せいぜい水と食べ物を与えるだけで軍艦には乗せないという話もありますし。

ニュースでは詳細はわかっていないらしく、助けたのがどういう人たちなのか
記述はありませんが、写真を見る限り女子供、赤ちゃんもいるという具合で
どうやら難民ではないかと思われます。

「いなづま」はボートの乗員に水と食物を与え、艦に引き上げて
事情を聞いたそうですが、ここでわたしが気になったのが、
「いなづま」乗員の英語による質問を、ボート難民(かどうかは知りませんが)
の少なくとも一人は理解し、自分たちの状況を説明することができたということです。

ソマリア人はアラビア語とソマリ語を使っているそうですが、
やっぱり英語だけはしゃべれた方がいざというとき命を救うことにもなるんですね。

日本人が英語をしゃべれないのは日常で必要がなく、このソマリア人たちのように
それで命がどうにかなるような非常時が全くないことでしょう。

日本人の外国語音痴はある意味、日本が平和で恵まれているという証拠でもあります。


「いなづま」は他の護衛艦と同じく、インド洋への派遣に当初から参加しており、
今回の派遣で4回目に当たるということです。

この「いなづま」は護衛艦になってからの二代目で三菱造船所の生まれですが、
冒頭に写真を挙げた初代「いなづま」は、この日見学した三井造船で建造されました。

昭和28年度計画「乙型警備艦1203号艦として1954年12月25日着工、1955年進水
1956年に就役ののち、呉地方隊に配属されたフネです。

自衛隊法によって警察予備隊が海上自衛隊となったのは昭和29年のことですから、
この「いなづま」はまだ警察予備隊であった時代に計画されています。

「乙型警備艦」

となっているのは、まずこのころ「護衛艦」という言葉はなく、昭和36年に
この言葉が制式になるまでは「警備艦」とよばれていたからです。
この1953年、昭和28年の計画は、日本が独立し、戦後初めて国産艦艇新造が
立案されたときのもので、

甲型警備艦(後のはるかぜ型護衛艦)2隻
乙型警備艦(あけぼの・いかづち型護衛艦)3隻

の計5隻でした。

この甲乙の分類は、何を意味するかと云うと、

甲型=汎用護衛艦=DD
乙型=小型護衛艦(通称)=DE

で、ちょっと面白いのは、このときに使われた甲乙分類は現在でも生きており、
(この部分の訂正を行わずにきてしまったせいでしょうか)予算編成などでは
汎用護衛艦のことを「甲型警備艦」、小型護衛艦は「乙型警備艦」
といまだに称しているということです。


ちなみに

「はるかぜ」は共に三菱重工業、「ゆきかぜ」は新三菱重工業、
「あけぼの」は石川島播磨重工業、
「いかづち型」の「いかづち」は川崎重工業、
「いなづま」が三井造船、

と、戦後になって艦船作りの解禁を待ちかねていた日本の造船会社に
実に公平に、建造を同時に依頼しています。

その中でもこの「いなづま」は1956年の3月と、(いかづちは5月)
最も早く竣工が完成したため第二次世界大戦後の国産護衛艦(警備艦)では
最初の就役となり、
ある意味日本の独立の象徴的な護衛艦ともなったのでした。

そして、このときに「はるかぜ」型といういかにも戦後のネーミングセンス
命名された警備艦の2番艦が、「ゆきかぜ」でした。

ゆきかぜ

想像するに、自衛隊は、というか戦後警備隊の多くを占めていた旧軍軍人は、
戦後初の国産艦には何をおいてもこの「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた幸運艦、
「雪風」の名を持つフネを持ちたいと願ったのに違いありません。

それで「かぜ」の名が使える警備艦型、「はるかぜ」型を決めたのでしょう。

はるかぜ

全く同じフネに見えるのだけど、って当たり前か。

さて、稀代の幸運艦であった「雪風」にその名をあやかった「ゆきかぜ」は、
旧軍軍人の期待通り大きな事故もなく無事退役しましたが、
これに対し「いなづま」は、大きな事故に見舞われています。

就役6年目の1960年、津軽海峡で行われた夜間対潜訓練中に、僚艦の「あけぼの」が
操作を誤ったため艦橋に衝突し、この事故で2名の自衛官が殉職したのです。

さらに、その修理のためにその日のうちに入渠したドックで、翌日の作業中、
ガソリンに引火したため大爆発を起こし、3名が巻き込まれて死亡、さらに
従業員4名、ドック作業員3名が重軽傷を負う大惨事となってしまいました。

詳細がわからなかったので断言はしませんが、この事故は自衛隊開隊後、
自衛艦に起こったものとしては初めての大事故ではなかったでしょうか。


しかし「いなづま」は決定的な損壊にいたらなかったのか、
修理後は任務に戻り、1983年に引退するまで勤め上げました。
合計9名の死者重軽傷者が出たフネもそのまま修理して使う、というのは
海軍の直系の組織である自衛隊ならではのドライさのような気がしますが、
それより、当時の日本が貧乏だったことを考えれば、致命傷でない限り
自衛艦は使い続けるのが当たり前ということになっていたのかもしれません。


電(いなづま)

「電」と書いて「いなづま」。
「雷」と書いて「いかづち」。

どちらも「吹雪型」の駆逐艦ですが、わたしはこの「雷」の航海長だった
谷川清澄氏(海兵66)の話を聞いたとき、この

「敵兵を救助せよ」

で有名になった工藤俊作艦長の軍艦だけでなく、日本海軍は明治以来
普通にそのような状況にあれば人命を救助していた、とおっしゃったのが
非常に印象的でした。

サミュエル・フォール卿の来日で美談として急にクローズアップされたが、
決して「雷」だけがそうだったのではない、と。

そういえば、去年日本海大戦シリーズで取り上げた上村彦之丞大将

船乗り将軍の汚名返上

というエントリで、上村艦長が敵艦であるリューリックの乗員を救助した、
という話をしたのですが、あれもまた日本軍には当時当たり前の
「武士道」の現れであったということなのです。


ちなみに日露戦争で捕虜になったロシア人は収容所でお客様待遇で、
語学教室まで開いてやり現地の娘と問題を起こすものもいるくらい
その収容所生活はフリーダムだったという話もあります。


「敵兵を救助せよ」では「雷」だけが有名になりましたが、スラバヤ沖海戦の際、
「電」は「雷」とともに撃沈した「エンカウンター」「ポープ」の乗員を
376名、海から救い上げています。

このときの救助を決定したのは「雷」の工藤艦長でしたが、
近くにいた「電」は「雷」とともに「雷電コンビ」で救助作業に協力しました。
このときに救い上げられたイギリス兵は全部で422名でしたから、
「電」の方が大勢のイギリス兵を救助したということです。


冒頭にも書きましたが、こういう軍艦と護衛艦の話を見たり聞いたりしていると、
ときどきこの話のように「因果は巡る」ということの好例を見出すことがあります。

以前にも書いた「いせ」がレイテ湾に救出に向かった話もそうですし、
「ゆきかぜ」という名を持つフネが護衛艦となっても無事故だったのもそうです。
今回、「いなづま」がインド洋で75名もの人命を海から救い上げたのも、
かつての「因果が巡った」と考えてしまうのです。


ここで、最後に「いなづま」と先代、先々代の「電」の同名の因縁を
もうひとつお話ししてこの項をおしまいにしましょう。


敵兵を救助した「電」はその名の艦としては二代目です。
一代目は、大日本帝国海軍が運用した駆逐艦では最初の艦級であった 

「雷型」 (雷、電、曙、漣、朧、霓《にじ》)

の2番艦として1899年に竣工されました。
驚くことに竣工完成の次の日にはもう出航しているのですが、
このころは軍艦の就役の儀式の形がまだ決まっていなかったのかもしれません。

そしてまずこの初代「電」ですが10年後の1909年、

 汽帆船と衝突し、沈没しています。

そしてこの二代目「電」。

一代目の沈没から21年後にやはり「雷」型の2番艦として就役し、
メナド攻略戦、先ほど書いたスラバヤ沖海戦、キスカ救出作戦、
第三次ソロモン海戦と生き抜いたつわもので、
1944年、マニラからダバオまでの船団護衛任務中に、米潜水艦
「ボーンフィッシュ」 の雷撃により戦没を遂げた駆逐艦ですが、
その艦歴で、2度の大きな衝突事故を起こしているのです。


まず、一代目「電」と同じ、民間船との衝突事故。

●1944年1月20日、ダバオ湾口付近で「仙台丸」と衝突 

その前には、一代目「いかづち」と全く同じ、訓練中における
僚艦との衝突事故。

●1934年6月29日、済州島沖の演習中に「深雪」に衝突
「深雪」は艦首を喪失し、沈没した

 


うーん・・・・。

あまりにも酷似した「一代目電」「二代目電」「一代目いなづま」の事故。
代を追うごとに事故の被害がひどくなっているのもなんとも・・・。

「因果は巡る」とわたしが言ったわけ、お分かりいただけました?


ただ、安心したのは、現在の護衛艦「いなづま」が先輩の「電」から
受け継いだらしい「因果」は、今のところ

海面に浮かぶ人々を救助した

という誇れる実績だけのようで、何よりです。




 



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8 Comments

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艦名 (雷蔵)
2014-05-11 21:30:39
艦名にはこだわりますね。実は国産一番艦には「ゆきかぜ」と命名したかったのですが、同盟国が首を縦に振らなかったのです。

それ以前の護衛艦と一線を画したイージス一番艦(63DDG)の時にもやはり「ゆきかぜ」が最初は候補にあったのですが、拒否されました。

結果的にDDHで欠番になっていた「こんごう」「きりしま」(金剛級戦艦は「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の4隻で、DDHは「はるな」「ひえい」に続く2隻は「しらね」「くらま」になった)になりました。

「いずも」は一時期、時の人(政権与党代表)に配慮して「ながと」になるという噂がありましたが、さすがにあまりにも有名な連合艦隊旗艦を踏襲するのはヤバいということになったようです。

「いずも」は意外でした。「ひゅうが」「いせ」に続く神話シリーズなら「みずほ」「ふそう」くらいがよさそうですが、銀行とかトラックみたいだからダメなんでしょうか。
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余計なことで済みません (雷蔵)
2014-05-12 20:14:49
「いかづち」と「いなづま」の因果は、おそらく今の乗員達も知っているはずです。口にすると本当になりそうな気がするので、あまり書いて欲しくない気がします。余計なことを言って済みません。
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ジブチとエチオピア (hayama55)
2014-05-12 21:25:04
エリス中尉さま

けしからん読者(笑)です。その節はご迷惑をおかけしました。なにとぞご容赦を。

さてソマリアはどうかわかりませんが、その隣国エチオピアは公用語こそ現地語のアムハラ語ですが、中学からは授業が全て英語で行われていました。ですのでそれなりの教養がある人間は英語が話せました。多民族国家なので地方の人間同士だと現地語が通じないこともありました。もっとも、進学率が低いのが問題でしたが。

もう10年以上前ですが、エチオピアに滞在していました。当時はエチオピア大使館がジブチも管轄していました。地方出張で、エチオピア人ドライバーの言葉が通じず、なぜか日本人の私が通訳する羽目になったことを思い出しました。今となっては懐かしい思い出です。
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けしからん読者さまへ (エリス中尉)
2014-05-12 23:24:47
なんとなくタブに残しているので今でも見ています(笑)
おお、エチオピアに在住しておられたんですか!
別項でトルコのイメージの話をしましたが、エチオピアと云うとさらに
「コーヒー」「バナナ」「男の人の長い服(トーガとかトーゴとかいうあれ)」
くらいしか浮かびませんね。

そういえば、昔読んだVOW!というネタ本に、
そのあたりに赴任する大使は4~5カ国まとめて担当するということが書いてあり、
なぜか笑い話になっていたのを思い出しました。
各国ともに国語はあるのでしょうが、皆英語で通じてしまうんですね。
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余計なこととは思いませんが (エリス中尉)
2014-05-12 23:36:14
自衛隊の方が「担ぐ」というのは良く知っていますしそのお気持ちは良くわかりますが、
「電」から受け継いだ因果が「人命救助」だけに終わることを祈って、
いやそうなることを確信しているからこそ、このようなエントリを書きました。

説明するのも野暮な話ですが、本稿では最後には悪い因縁はきっと断ち切られたに違いない、
という希望を持たせたつもりです。
当方の真意をお汲み取りいただければ幸いです。

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Unknown (予備中尉)
2014-05-13 22:14:34
スルーww

情けない奴め。

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予備中尉さま (エリス中尉)
2014-05-13 23:15:48
予備中尉さん、初めまして。
大変申し訳ないのですが頂いているコメントの意味がわたしには全く分かりません。
もしよろしければわかるようにご教示願えませんでしょうか。
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エチオピアといえば (フリーマン大佐)
2021-06-06 17:00:34
冒頭のニュース「全長10メートルの舟にはソマリア人やエチオピア人など75人が乗っていて、」

エチオピアと聞くと秋の夜空を彩る星座を思い浮かべます。アンドロメダもカシオペアも(そして、ちょっと影の薄いケフェウスもエチオピアの人ですが、エリトリアの独立により内陸国になったエチオピア。アンドロメダを食らおうとした化けクジラがやってくる?リスクはなくなりましたが、当時エチオピア海軍の皆さん、どうしたんでしょうね。
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