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「われは海の子」~我は護らん海の国

2013-09-22 | 海軍

先日、海上自衛隊東京音楽隊の定例演奏会に行き、
会場で無料のCDをいただいてきました。

収録されている曲は次のようなものです。

1、君が代

2、イージス~海上自衛隊ラッパ譜によるコラージュ

3、われは海の子

4、ブルー・サンセット

5、アンヴィル・コーラス(ヴェルディ)

6、幻想交響曲「断頭台への行進」

7、幻想交響曲「ワルプルギスの夜」

8、行進曲「軍艦」 

2番と4番は東京音楽隊隊長である作曲家の河邉一彦二佐の作曲。
幻想交響曲は、言わずと知れたベルリオーズの名曲です。

これを手に入れてから車の中で聴いていますが、
選曲の妙で、何回リピートしても飽きません。
特に、河邉作品は、どちらも心憎いほど「いい曲と感じるツボ」をおさえた名曲です。


そして、今話題の海自の歌姫、三宅由佳莉三曹はこのCDで一曲だけ、
「われは海の子」で参加していました。

「浜辺の歌」や「ふるさと」のような、自衛隊音楽隊のレパートリーの中の
日本の唱歌の一つとしてこの曲が選ばれ収録されているのだろうと、
わたしは何も考えずに当初彼女の気持ちのいい声に耳を傾けていました。

・・・・と。

今まで聞き知った一番と二番に続き、間奏を挟んで三番になったとき、
「もしかして・・・これは・・・・」

と耳をそばだて、もう一度この曲だけをリピートしました。
三回繰り返して聴いたとき、不覚にも鼻の奥がつんとして、
運転しながら涙で視界がぼやけました。
最後の歌詞はこうだったのです。


いで軍艦に乘組みて

我は護らん海の國。



ああ、「海の子」とは、そういう意味だったのか。

そして、彼女が歌い、海上自衛隊東京音楽隊を紹介する曲の一つとして
ここに収めることを決めた自衛隊の「誰か」に感謝したのです。


「われは海の子」は、1910年、明治43年に尋常小学読本唱歌に発表されました。

長年、作詞者不詳とされてきましたが、1989年になって、児童文学者であり翻訳者でもある
宮原晃一郎の娘が、宮原が文部省の新体詩懸賞に応募し、佳作当選した「海の子」
であると主張し、宮原の故郷である錦江湾には碑が建てられました。
しかし国文学者で学士会院の芳賀矢一の義理の娘もまた義父の作であると主張し、
結局決定的な証拠がないことから、いまだに作詞者不詳のままになっています。

2007年には、それまで「とまや」「ゆあみ」などの言葉が難解であるとされ、
姿を消していたのですが、この年に「日本の歌100選」に選ばれています。 


皆さんがなじみがあるのはおそらく二番までではないでしょうか。

一、
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ。

二、

生まれてしほに浴(ゆあみ)して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を
吸ひてわらべとなりにけり。



とまや(苫屋)とは苫で屋根を葺(ふ)いた、粗末な家のことです。
この二番までは小学校で習った方もおられるかもしれません。

三、

高く鼻つくいその香に
不斷の花のかをりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき樂と我は聞く。




「不断の花」とは、「フダンソウ」と呼ばれる花のこと。
自分の育った海の情景描写が続きます。

四、

丈餘(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底
遊びなれたる庭廣し。

五、

幾年こゝにきたへたる
鐵より堅きかひな(腕)あり。
吹く鹽風(しおかぜ)に黒(くろ)みたる
はだは赤銅さながらに。




海を庭のように櫓をこぎ成長した彼は、
赤銅色に日焼けし、鉄のようなたくましい腕の持ち主に成長しました。

「丈餘(じょうよ)のろかい」とは一丈(3メートル)あまりの櫓のこと。 

この4番以降は、1947年以降、教科書から姿を消しました。

六、

     浪にたゞよふ氷山も

來らば來れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも
起らば起れ驚かじ。



このあたりから、戦後の「自虐派」が眉をひそめる表現が出てきます。

海辺に育ち、海を住処としてたくましい腕を持つ青年に成長した彼は、

「氷山も竜巻も、来るなら来い、恐れはしない」 

とその蓄えた力を誇示するかのように豪語します。
そして最終段の

七、

いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。 



に、彼の人生は集約されています。
波の揺り籠で育ち、巨大な櫓を操って鍛え上げた鉄の体は、
即ち海の国である日本の護りに捧げるためのものであった、
というのがこの「海の子」の大意であったというわけです。


戦前は、この歌詞は当然のように7番までが歌われ、
教科書にもそのように書かれていました。

当然です。

「海の子が海の国を護る」

これが作詞者のこの歌で言いたかったことだからです。

ところが、戦後GHQが全ての軍歌を禁止し、そして唱歌であっても
「軍国主義的」とみなされたものは歌詞を代えるなど、
徹底的な「旧軍色パージ」を行いました。

たとえば「めんこい仔馬」という歌は、もともと陸軍省選定の映画
「馬」(ストレートなタイトルありがとうございます)の主題歌でしたが、
愛唱歌として普及していたため、作者のサトウハチローは、
GHQ的に問題のあった、

紅い着物(べべ)より大好きな 仔馬にお話してやろか
    遠い戦地でお仲間が オーラ 手柄を立てたお話を

    ハイド ハイドウ お話を

明日は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ
    軍馬になって行く日には オーラ みんなでバンザイしてやるぞ

    ハイド ハイドウ してやるぞ


という部分だけを改変させられています。

そしてこの「われは海の子」の7番もまた、どういうわけかついでに削除された
4番以降とともに、世間からは姿を消すことになります。


しかし、これらを見て思うのですが、

「仔馬との別れを惜しむ」
「国を護る」 

という歌詞の意の、いったいどこが軍国主義的だというのでしょうか。 
いずれも「軍馬」「軍艦」という「禁止ワード」だけをガイドラインに、
ともかく「軍の付くものはみんなダメ」ということにしてしまった感があり、
あの時代のGHQの行ったことは、じつに性急で雑駁な、
そして荒々しい「思想弾圧」にすぎなかったとの認識を新たにします。 


しかも、これらの作業をすべてアメリカ政府の代行であるGHQがやったのか、
というと、わたしは非常に残念ながら「そうではなかった」と言わざるを得ません。

微にいり細にいり、このような重箱の隅をつつくばかりの言葉まであげつらって、
それに対してこまめに「禁止」「改変」「削除」という作業をしたのは、
実は昨日までの敵であるアメリカの手先となることを良しとした当の日本人だったのですから。

昨日まで教壇に立って「お国のために」「兵隊さんありがとう」と言っていた教師が
次の日には「日本は悪いことをしました」と、自分もずっとそちらに立っていたかのように言い、
国民は国民で「日本人は騙されていた」と刷り込まれた頭で、何も自分で判断することもなく、
情熱をこめて昨日までの日本人を糾弾し罵倒する。
戦争に行った軍人を「戦犯」と呼び、特攻で死ななかった人を「特攻崩れ」と蔑み・・・。

日本は戦争に負けたときに国を分割されたり植民地になることはありませんでした。
戦勝国から「見せかけの独立」を与えられ、それでもその勤勉と精勤で見事に経済と国力を復興させ、
奇跡ともいえる発展を遂げ、繁栄を満喫してきました。

しかし、実はその代償として、もっとも大切な「日本人であることの誇り」
を見事に抹殺されてしまったのです。
極端な言い方をすれば、それは精神的なジェノサイトでした。


「われは海の子」の7番は、1949年以降なかったものにされ、さらに、
「7番だけを削除するという不自然を糊塗するため」だと思われますが、
さしたる不都合もなさそうな4番以降をすべて割愛してしまいました。


しかし、いったん人の口端にのせられ歌われた歌は、そして、
海軍軍人を歌ったこの歌詞の「言霊」は、この世から消えてしまうことはなかったのです。


自衛隊を理解し、感謝し、その音楽を愛してくれる人々、という限定で配られる
このCDに、まことに「ひっそりと」、収められている、この7番。

「われは護らん海の国」

この一節がこれほど胸に迫ったのは、その演奏が日本の海を護る
海上自衛隊の一員によるものであるからだったにほかなりません。



 





 



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3 Comments

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Unknown (とし)
2013-09-23 17:58:01
蛍の光も同じように省略されていますね。

あのコンサート応募しようと思ったのですが気づいた時には閉め切り過ぎていて・・・

音楽祭に今年の行けたらいいなと。
和太鼓は中々素晴らしいです。
返信する
我は海の子 (しん)
2013-09-24 16:23:53
(`・´)ゞエリス中尉殿、本件、なるほど!
私は、「我は海の子」の一番しか知りませんでした。
それでも、海の子=海兵 と自然に自覚して歌っておりました。
当時、両親か、先生に確認、聞いたのかもしれませんが、定かではありません。
ただ、け~むりたなびく~・・・は、明らかに軍艦の煙、と解釈していたんです。
ちょっと、勘違いですね・・・。
既に、何十年も、記憶の彼方に忘れ去られた思い出、今回の中尉殿の記事で、それを再確認することができました。
図らずも、私も目が潤んでしまいました。 (`・´)ゞ
返信する
蛍の光 (エリス中尉)
2013-09-24 22:01:26
としさん、しんさん、コメントありがとうございます。

このコメントに対し、ある自衛官の方からこのような一言を含む一文をいただいております。

”われわれ海上自衛官は、この曲の7番がどんな歌詞であるか、
夙に先輩から教えられて いました。 ”

海自自衛官にとっては「わがこと」を歌った歌として昔から伝えられてきたのですね。
またまた恥ずかしながら、この一文にも目頭を熱くしたわたしです。

そして、としさんと全く同じく「蛍の光」の省略について触れておられました。
わたしはかろうじてこのことは知っておりましたが、
お二方が奇しくも同時にこのことを書いて送ってくださったのに、少し不思議なものを感じております。

蛍の光の「省略された」三番と四番を記しておきます。
皆さまご自身で解釈をお願いいたします。


つくしのきわみ みちのおく
うみやまとおく へだつとも
そのまごころは へだてなく
ひとつにつくせ くにのため

千島のおくも おきなわも
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

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