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潜水艦「せきりゅう」引き渡し式

2017-03-14 | 自衛隊

3月12日、神戸は川崎重工業株式会社において、
自衛艦「せきりゅう」の引き渡しと就役の式典が行われました。
ご招待いただいて出席してまいりましたのでご報告いたします。 

「せきりゅう」は「そうりゅう」型潜水艦。

蒼龍雲龍白龍剣龍瑞龍黒龍仁龍

に続く8番艦となります。

通常動力型(原子力を使わないタイプ)としては世界でも
トップクラスといわれる日本の技術力の結集である「そうりゅう」型。

潜水艦の保有数が22隻と決められている日本では、毎年一つのペースで
潜水艦を調達しており、今年もまた一つ、自衛隊に引き渡されたわけですが、
ますます厳しさを増す近海の防衛のために、仮想敵国(もはや仮想じゃない?)
の海軍も恐れる「そうりゅう」型、しかも日進月歩の最新機材を搭載した
潜水艦が防衛に加わることは、我々にとっても頼もしい限りです。

後になるほど細部がアップデートされていくため、先年見学した「はくりゅう」も
「せきりゅう」から見れば古い部分があるということです。
さらには、3代後の11番艦は進化を遂げ、1番艦とはほぼ中身が別というくらい
大幅に性能が変わってくるという話です。

 

ところで名前のことを言うと、せきりゅうとは赤い龍で、
色としては蒼白黒赤と4色が揃ったことになります。

「今後色ものが出るとしたら・・・きんりゅう?」

「ラーメン屋みたいだからそれはない」(断言)

今回のイベントは日帰りにしたため、羽田神戸往復をスカイマークで取りました。
スカイマークが初めてなら神戸空港を使うのも初めてです。

ガルウィングの先にハートマークが!

離陸しました。
東京湾の「風の塔」(アクアラインの換気塔)が沖に見えます。

そしてわずか1時間ちょいで神戸に到着。

空港で発見した神戸のゆるキャラらしきもの。

「なにこの手抜きな感じ」

「ねえ、この続きどうなってると思う?」

「おたまじゃくしみたいににょろーんってなってたら嫌だな」

そんな会話をして通り過ぎたのですが、実態は予想を上回っていました。

神戸ー関空ベイシャトル、イメージキャラクターキャプテントビー

うーん・・・そうきたか。

タクシーの中から神戸税関の建物を見かけて。
神戸生まれの神戸育ちであるわたしにとって、
小さい時から見慣れてきた懐かしい光景です。

この辺りも昔とは随分変わってしまいましたが、古い建物は
変わらず残してくれていて、嬉しくなります。

海岸ビルヂングはカフェになっている模様。

神戸郵船ビルは大きいサイズ専門のブティックに。
その辺を歩いているのも日本人じゃなかったり。

あの地震でもほぼビクともしなかったビルです。

こちらは「海岸ビル」。「海岸ビルヂング」とは別です。

商船三井ビルディング。

東京の丸ビルがなくなってしまった今、大正期の大型オフィスビルで
現存する日本で唯一のものとなっています。
現在修復工事が行われているようですね。

これらのビル群は近代化産業遺産に指定されています。

おまけ。
玉ねぎかな?

さて、式典まで少しだけ時間があったので、途中のホテルオークラ神戸で
朝ごはんを食べることにしました。

私ごとですが、実はこのホテルには懐かしい思い出が(〃'∇'〃)ゝ 

神戸の市章をつけた警備艇が走っています。
震災の時この辺一帯の岸壁は壊滅的に崩れてしまいましたが、
慰霊のための鐘や、メモリアルを備えて復興し現在に至ります。

オークラのティールームから見える遊歩道になにやら潜水艦のようなものが・・。

そして案の定ここで食べたものなどをアップしてしまうのだった。
朝ごはんに温野菜メインのセットがあるなんて、神戸オークラ最高。

さて、少し早めにタクシーで現地入りしました。
造船会社の内部は写真が厳しく禁じられていたりするので、
ここでとりあえず一枚だけ。

紅白の受付台に向かって歩いて行くと、途中にこのような碑がありました。
同じ筆跡で明治29年起工、明治35年竣工とあります。

川崎重工業の神戸工場第1ドックのドック壁だったんですね。 

2007年にドックの役目を終え、現在は当時の形のまま「埋め戻して」
保存している(それを保存と言うのなら)ということです。

第1ドックが111年の歴史に幕 

受付を終えると、建物の中の会議室に通されました。
ほぼ一番乗りとなりましたが、この後続々と人が来て
この椅子が満席になるくらいになりました。

「いずも」の時に比べると人数も少なく、やはり艦艇の大きさで
来賓の数も随分違ってくるものだと思いました。

さて、この後時間になったらバスで岸壁まで向かい、
岸壁に繋留された「せきりゅう」とその前に整列している乗組員の前で
紅白の垂れ幕のかかった観覧席に座り、待つことしばし。

約30分で引き渡し式が始まったのですが、この間の撮影は禁止。
待合室で他の方が自衛官と話をしているのを聞いていたら、

「みんなが写真を撮ると収拾がつかなくなりますので」

とその理由を説明していました。
「ちよだ」の進水式の時と同じです。

確かに、出航の時には写真が許されていたので皆がそれぞれ
スマホを出して撮ったりしていたのですが、中には
ものすごい連射音の出る機種を持っている人がいて、

「こんなんだから写真禁止になってしまうんだなあ」

と心から納得したものです。

式開始にあたっては、防衛副大臣である若宮けんじ氏がまず
儀仗隊の閲兵を行いました。

引き渡し式は実質5分です。
川崎重工業の社長が

「 潜水艦せきりゅうをお引き渡しいたします」

といい、引き渡し書を渡すと、

「潜水艦せきりゅうを受領しました」

と受け取った防衛大臣(代理)が言って、終わり。
ちなみに引き渡し先は「防衛大臣 稲田朋美殿」でした。

続いて自衛艦旗授与式が行われました。
防衛大臣が自衛艦旗を艦長に渡すと、艦長はそれを受け取り、
列に戻ると副長に渡すのです。

この時に奏楽されるのが、そう!「海のさきもり」です。

1 あらたなる光ぞ
  雲朱き日本(ひのもと)の
  空を 富嶽(ふがく)を
  仰ぎて進む
  われらこそ海のさきもり

2 くろがねの力ぞ
  揺るぎなき心もて
  起(た)ちて 鍛えて
  たゆまず往かん
  われらこそ海のさきもり

3 とこしえの平和ぞ
  風清き旗のもと
  同胞(とも)を 国土を
  守らでやまじ
  われらこそ海のさきもり 

 

わたしは「ふゆづき」の引き渡し式、「いずも」の引き渡し式に
参列するという栄誉を得ておりますが、いずれの場合もこの自衛隊儀礼曲は
音楽隊によって歌なしで演奏されるのみでした。

ところがここ最近、「海のさきもり」そのものが
演奏会でも歌付きで取り上げられる機会が増えてきて、さらに少し前から
自衛艦旗の引き渡し式で奏楽されるときには、
三宅三曹の歌が加わるようになって来たなと感じていたのですが、
この日は三宅さんではない女性歌手が堂々とこの歌を歌い上げました。

彼女が歌い出した途端に

「こんな上手い人が呉音楽隊にいたの?」

と驚いてしまったのですが、後から聞いたら中川麻梨子士長でした。 
まさか横須賀音楽隊から来ているとは思わなかったので・・。

「海のさきもり」が終わると、乗組員乗艦です。
自衛隊旗を片手で掲げ持った副長を先頭に、軍艦行進曲に乗って
岸壁に整列していた乗組員が紅白のラッタルを渡って乗艦しました。

潜水艦ですので、「いずも」「ふゆづき」のように時間はかからず、
軍艦も最後まで行かないうちに全員が艦上に整列を終えました。

 

そして、艦長乗艦。

サイドパイプの

ホーーーー、ヒーーーーー、ホーーーー、 

ホーーーー、ヒーーーーー、ホーーーー、 

が鳴り響く中、艦長が乗り込みます。

男と生まれ(とは最近では限りませんが)海上自衛隊に入ったら、
艦長として万座の注目の中、こうやって自分の潜水艦に乗り込む瞬間は
自衛官冥利につきるというか本望というか・・・・、
とにかくどんなにか高揚することであろうと他人事ながら胸が熱くなります。

特に潜水艦の艦長というのは、「はくりゅう」の見学の時にも書きましたが、
常に単独行動を取り、海中においては司令部と通信することもできないので
全ての判断を一人で行うという重責を担っています。

ですから、決断力、判断力を複合した統率力はもちろんのこと、
自分の艦を知悉し技能も併せ持っていることが求められるのです。

そもそも体質的な適性もさることながら、実技、筆記、後述試験を受け、
狭き門をくぐり抜けてさらに実地教育で絞り込まれた、
生え抜きでないと潜水艦には乗れないわけですが、さらにそのなかで
艦長になるというのは、とにかく凄いことだとしか素人には思えません。

 

さて、続いて若宮防衛副大臣が執行官である呉地方総監、
そして防衛省の人々と乗り込み、自衛艦旗を「君が代」に乗せて掲揚します。

艦首には日本の旗の形をした日の丸もいつの間にか揚がっているのですが、
こちらは護衛艦的には「識別旗」という位置付けなので、
こういう場合には自衛艦旗を国歌に乗せて揚げるということが優先されるのです。


続いて防衛大臣訓示。
いつものような出だしの後、若宮氏はこのように続けました。

「我が国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しています。
北朝鮮は度重なる弾道ミサイル発射と核実験を繰り返しており、
3月6日には4発もの弾道ミサイルを発射しました。
北朝鮮の一連の行動は我が国及び地域の安全保障に対する
明らかな挑発行為であり断じて容認できません」

「中国は東シナ海や南シナ海で力を背景にした現状変更の試みなど
高圧的とも言える行動が我が国の安全保障上の懸念ともなっています」
 

つまりそういう中、戦略的にも敵の大いなる脅威となる潜水艦の皆さん、
国土防衛を自分が担うという気概で頑張ってください、という感じです。

この訓示で面白いなあと思ったのが、

「フネの伝統は初代の乗員がつくると言われます」

という一言でした。

日本の潜水艦の基礎というのは、戦後初の潜水艦であった
「くろしお」(実はアメリカのガトー級ミンゴ)の最初の乗員が作り、
それが現代にも継承されているらしいと最近思ったことがあったのですが、
またこれについてはいずれお話ししたいと思います。

 

そして防衛副大臣は訓示の後、なんと潜水艦の中に入っていってしまいました。
あのハッチを降りて艦内を視察するのですから、これは何分かかることやら。

すると、みんなの心の声があたかも聞こえたように、
来場の人々に向けて解説が始まりました。

 

続く。