夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

女ってめんどくさい

2005年01月06日 | Weblog
前の記事で、女は高いハードルを課されるといったが、それは、仕事と家庭の両立のことだけではない。

中村うさぎ(大好きです。著書は全部読んでます)や岩井志麻子が繰り返し指摘していることだが、働く女には、「仕事偏差値」のうえに、「女偏差値」という物差しがあるのだ。
つまり、男であれば、仕事偏差値が高ければ、つまり、年収が高ければ、異性にももてるし、結婚市場でも高く取引される。
しかし、女の場合、「いくら仕事ができてもブスじゃ女として不幸」という価値観で見られてしまうのだ。同性からさえそう見られるのである。
さらに高学歴・高収入といった男なら結婚偏差値を上げる要素が女の場合、逆に下げるというハンディまで加わっている。

小雪主演「きみはペット」は秀逸なドラマだったが、主人公は、職場では仕事人として完璧に、恋人の前では女として完璧にしようと努力するあまり、恋人の前でさえ本音をいえない。結局、ペット(ダンサーを目指す美少年)にしか安らぎを見出せない。

仕事偏差値と女偏差値を両方上げ、しかも結婚もしようとしても効率的ではない、すなわち失敗(=負け犬になる)ので、多くの女性は女偏差値のみをあげるように努力し、経済力のある男性との結婚をめざす。(そうした二極化現象は小倉千加子「結婚の条件」にくわしい)それは、大変合理的な賢い戦略で、責めることなんてできない。

マスコミに登場するような女性文化人や政治家についてはすぐに容貌が取り沙汰されるが、男性の場合は、よほどイケメンでないかぎりほとんど問題にされないだろう。

いわば、女だけが入学試験の試験科目が多いようなもんである。

しかも、最近は、元がどうであれ、ファッションセンスや化粧の仕方でかなり垢抜けられるから、逆にそういう努力をするよう強迫観念に駆り立てられる。

私の女偏差値は著しく低いが、だからこそ、まったく努力しないのでは、社会人失格とみなされそうなので、仕方なく最低限の肌の手入れはしている。
しみもレーザーとかでかなりお金をかけてとったりした。
それも、大学を卒業するまで、顔に何も塗ったことがないという悪行のつけである。
もし娘ができたら、「日焼け止めだけは塗りなさい」とアドバイスしようと思う。

しかし、化粧は講義のときしかしない。(女子学生の手前、やらないわけいにはいかない。就職セミナーとかで、社会人になったらノーメークより薄く化粧はした方がいいといっているようなので)
それでも、しみは怖いので日焼け止めは塗っている。そうすると、寝る前に落として寝なければならない。夫と二人で芝居なんか見に行って夜遅くなって、夫はすぐに寝られるのに、私だけ化粧等を落とし、さらにクリームとかを塗って、という手順をふまなければならないのが面倒くさい。
しかも、年齢とともに安い基礎化粧品ではすまなくなってきて、出費もものすごく痛い。

私のようにかまわない者すら、今まで化粧品の情報集めや買い物のために費やした費用と時間を考えたら、それだけでも男よりすごいハンディを負ってしまっていると思う。
夫なんて毛むくじゃらだけど、私は永久脱毛を計50万以上かけてやったしね。
洋服だって、男はそうでもないけど、女はいつも同じ服ってわけにいかないしね。
なんで女だけ?と不条理に感ずる。

爪はサロンにいったりしてきれいにしているが、これはいわばアリバイ。ノーメークでいることが多いので、「私は身なりにかまわないわけじゃないですから」というメッセージのつもり。
それにきれいに化粧しても自分では鏡見ないとわからないけど、指先はいつも見えるから、自分の目に触れるところがきれいな方がきもちいいしね。

眉毛は抜いたり切ったりして手入れするものだということもつい最近知ったのだ。
私の眉毛はほっておくとまぶたまでかぶってくる薄く広いぼさぼさ眉毛。
それを30年以上放置していたのだから恐ろしい。

別のたとえ話でいえば、女だけ、マンションを買うと、庭付きの1階部分が自動的に割り当てられてしまう、というようなもんじゃないだろうか。そりゃあ、ガーデニング(化粧やおしゃれ)が好きな人はうれしいだろうけど、全然興味ないのに、庭がついている以上、雑草生え放題というのは見苦しく近所迷惑だから、最低限の草取り等はしなきゃなんない、あーめんどくさい。


私の場合は以上のような笑い話ですんでいる(それも一応結婚しているからいえることだが。結婚する前は、「結婚しないと女偏差値が低い、つまり敗者と思われる」という強迫観念があったもの)が、「いくら仕事で成功しても女としても一流でないと」という強迫観念は悲劇を生む。
「負け犬」なんて自恃をこめた自嘲をしたり、中村うさぎみたいに整形に走っているうちはまだいいが、東電OL事件の被害者も、「仕事だけじゃ嫌だ。女として男に欲されなければだめだ」という女偏差値への強迫観念が昂じた結果、街頭に立つようになり、あげく命を落としたのではないだろうか。
そういう悲劇性が、多くの働く女性に(私もそうだった)「東電OLは私である」という感想を抱かせたのでは。

桐野夏生「グロテスク」よりかなりまえに佐野真一のルポを読んだが、あまりに被害者に感情移入しすぎ、「疲弊した現代日本に現れた巫女」のような扱いをするのはちょっとついていけなかったが、よくできたルポだと思った。

中村うさぎは女偏差値にこだわっているようで実はそうでない、少なくとも異性から評価される女偏差値より同性から評価される女偏差値に固執しているにすぎない。
服やかばんのブランドなんて、男はあまり知らない。女こそが「お、エルメスか、侮れない奴」と気づくのだしね。整形もそう。つまり、同性にうらやましがられたいという意識が強いように思える。そこに異性のまなざしは計算されていない。
東電OLとは逆に、女として異性から欲される状況を避けようとしているように見え、実際に性交渉をしない結婚をホモセクシャルの無職の外国人としてしまった。
これは、友人から「男根恐怖」といわれているようだが、まさにそうで、私の分析では、前の結婚相手を深く愛しながら破局した経験が、「もう二度とあんなふうに傷つきたくない。だから、異性としての男に向き合うのはいやだ」と強く思わせているような気がする。
でも、書いたものを読むと、頭はいいし、性格はいい(人間として根本の部分が清く潔い)し、(行動を見ると紛れもなく自己愛型人格障害の症状を呈しているのに、人格障害でかつ性格がいいという稀有なケースだね)、彼女のことは大好きです。でも痛々しい。女としての幸福を諦めないでほしい。
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