夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

火事場泥簿

2011年03月25日 | Weblog
みずほ銀行が、システム障害に陥っている件だが、未処理の給料振込等を優先的に解決するために、19日~21日の3連休、ATMを休止し、代わりに、全支店の窓口を開けて、一人10万円まで預金の引き出しを受け付けていた。その際、通帳・印鑑がなくても、キャッシュカードと運転免許証などの本人確認書類を見せれば引き出しできるようにしていた。

それを利用し、詐欺が行われたと知った。みずほ側で払戻請求を受けた際、システム障害のため、正確な預金残高を把握できないまま、10万円までは支払に応じざるを得ないことを悪用し、ありもしない預金を、中には複数の支店を回って引き出した者が、全支店におり、被害額は2億円に上るということだ。

こんな、人の弱みにつけ込んだ、火事場泥棒のような心ない犯罪があるだろうか?

この事態を収拾するためにまたみずほは人手をとられ、正常化が遅れるではないか?システム障害のことだけではなく、たとえば、みずほ銀行いわき支店は未だに営業再開できていない。近くにある七十七銀行は再開した(恩師に聞いた。今時、キャッシュカードもクレジットカードも一枚ももってらっしゃらない方なので、やっと引き出しできたということだ)というのに。それだけではない、4大バンクの一つが正常に営業できないということが、金融システムの機能不全を助長し、日本全体の復興を妨げるではないか?

また、いろいろな支援事業を性悪説に基づいて行わなければならなくなり(たとえば、配給の列に複数回並ばないようチェックするとか)、非常な非効率を招く。日本人の大半は馬鹿正直な人たちなのに、一部の心ない人たちのためにこのようなことになることを考えると、今回の詐欺は、未曾有の国難に際して足を引っ張る行為である。

生命・財産を失ったり、今も苦難に耐えている被災者を冒涜する者だし、非国民といってもいいのではないか?

このような人でなしの者には、厳正に臨むべきだ。

まず、民事的には、手間はかかるだろうが、一件一件、預金伝票と突合して、過払いした預金者に返還を請求すべきだ。不当利得は故意・過失がなくても成立するので、面倒でも全件きちんと請求してほしい。自分たちにも落ち度があるなどという遠慮は、彼らに対しては、全くする必要がない。 

刑事的には、詐欺罪の故意の立証は難しいだろうが、悪質な場合は警察にきちんと通報してほしい。


金融取引法の研究者としては、預金者の本人確認義務という論点について、またとないフィールドワークの機会だったので、3日間のどこかで、引き出しをやってみてテラーがどの程度の注意義務を尽くしているか、見ておけばよかった。家賃の振り込みなどで現金は必要だったのだが、混んでいるかな,と思ってOGとして遠慮したのだった。しかし、日曜日に出町支店の前を通ったので、「引き出す人で混んでいるかな」とちょっと入り口から覗いたら、ロビーにはあまり人がいなかったので。



宅配やゆうパックの情報をずっとチェックしていて、ゆうパックがいわき支店留めで送れるようになったので、25日の朝、大学に行く途中、近くの四条大宮郵便局にカップラーメン等を詰めた小包をもっていったら、「いわき支店はまだです」といわれた。

「そんなはずはない。私はさっきネットで見たんだから」というと、「確認します」とのこと。

その確認に10分以上かかり、局長を呼んで、「いったいいつの情報に基づいてだめだといったのか」ときいたら一昨日のものだという。

別に震災がらみでなくても、自分の仕事であるゆうパックの送付という業務が、東北方面には全然送れない状態から、毎日徐々に正常化していくのであれば、毎日情報をアップデートするのがプロとして当然だろう。ましてや、それが被災者の生命にもかかわるかもしれないと考えれば、より真剣にすべきだろう。随時ネットに公開され、一般家庭でもすぐ見られるようなものを、肝心の郵便局で見ていない、2日前の情報でよしとしていうというのが信じられないのだ。プロとして、人として、感受性に何か問題があるのではないか?

ヤマト運輸は、全然関係ない荷物の配達に来た人にきいても、そういう状況を把握しているのに、一体この郵便局のていたらくは何だ?何のために民営化したのかわからないではないか?

郵政会社に電話で苦情をいい、「こういう情報の全郵便局への周知はどうなっているのか?会社全体の問題なのか、それとも、会社ではきちんと指導しているのにきかなかったという、四条大宮局特有の問題なのか、今後のためにもはっきりしてほしい」といったのに、「会社として周知しているかどうかはお客様にはお伝えできない情報になっています」という木で鼻を括ったような対応、本当に呆れてものもいえない。


仙谷、馬淵などが復権し、これまでの与野党の攻防が全部無効化している。これだけの国難に直面すると、ここ最近の国会でのやりとりが、児戯に等しい馬鹿馬鹿しいもののように見えてくる。

首相の外国人献金問題もふっとんだし。

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石原都知事の見識を問う

2011年03月24日 | Weblog
乳児に水道水を摂取させるななどと首長がいうのは、徒にパニックを煽るだけだ。

あの人はセクシストだというだけでなく(「子供産んでないババアには年金払うな」と公式の場で発言して、女性団体から訴訟を起こされている)、リーダーとしての資質にも欠けるといわざるをえない。


<iframe src="http://matome.naver.jp/paste?id=2129161684892120001&amp;ver=2.0&amp;color=02&amp;size=02&amp;p=1300929625191&amp;g=1" frameborder="0" width="460" height="540"></iframe>

4月から夫が東京の本省に転勤になり、根津に住むことになった(護国寺のマンションは一人では広すぎるので賃貸する)ので、私も今まで以上に東京都の行き来をすることになるが、この人が続投するのだけは絶対嫌だ(もちろん、東京出身者としても)。


地震から日にちがたって、海外からのお見舞いメールもぱったりなくなったところに、香港の友達から、3度目のメール。

Another week has gone. We learnt from media that your countrymen have been fighting hard, which we highly praise. We will continue to pray.

Add oil (which means "you can do it") !

Our best wishes,


世界が忘れつつある中で、こういうのは、本当に嬉しい。

最後は、中国語で「加油」(北京語でジャーヨウ、広東語ではガーヤウと発音)、頑張れという意味だ。

彼女は香港大学大学院の同級生だった香港政府官僚、授業も英語だったし、英語でしか話したことないので,たぶん、私が多少中国語ができることを知らず、こういう回りくどい表現になったのだろう。

ちょうど私が研究テーマにしているオーストラリア起源の不動産登記制度を香港でも導入しようとしている担当者になったので、調査のために今年度中には訪問する予定なのだが(科研費が出るといいのだが)。



近くの宅配便の営業所までは荷物を送れるようになったので、いわきの恩師に電話したら、東京行きの高速バスが復旧したことをご存じなかった。電気の供給は止まっていないが、携帯もパソコンももたない主義でいらっしゃるので、こういうことになってしまうのか。どうも私たちは、ネットで情報を得られるのが当然という前提で動きすぎている気がする。

さっそくバスの運行会社の電話番号をお知らせした。途中何かあるかもしれないのがご心配なのかもしれないが、とりあえず、一刻も早く東京のお宅に避難していただきたい。

それにしても、郵便は全く来ないというのに、雑誌に連載されている原稿をいつも通り投函されたとお聞きして、涙が出た。

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ふるさと納税で被災地を支援

2011年03月22日 | Weblog
京都府は個人で被災地に物資を送るのはまだ受け付けていない。

今は義捐金などの現金がいいだろう。

最近、「義援金」という言葉ばかりになっているが、ちょっと前までは、「義捐金」だった。
「捐」という言葉は、「出費する」「懐を痛める」という意味。誰かを「援助する」というというと、助ける方と、助けられる方の立場が違うみたいだが、(義捐金
を出している人を批判しているのではもちろんありません)「義のためにお金を出す」という方が、たまたま災害に遭った人とそうじゃない人の不公平をなくすための出費、だから、当然だみたいな感じがするのでいい。

「捐」という漢字は、金預金取引において、預金者は、名義人か、預入行為者か、それとも出捐者かという論点があり、通説は出捐者だが、最近それでは説明できない最高裁判例がいくつか出ている、という文脈で民法ではおなじみの漢字なんだが。

「捐」という言葉の方が、みんなで痛みを分け合っているような気がして私はいいと思う。

その方が、預けられた方も心して使い道を決めてくれるような気がする。

現金による支援の方法として、ふるさと納税という方法がある。(別に全く縁のない地域宛でもできます)

義捐金詐欺が横行し、そうでなくても、使途がどうなるかわからない、そう考えるととてもいい方法だと思う。

詳しくは、下記、総務省のHPを参照。

http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/080430_2_kojin.html

私も扶養家族がいないので一人で年間50万円くらい住民税を払っているが(それは昨年住んでいた大阪市の分、来年払うのは京都市になるから、非課税の宗教法人が多いため個人住民税が高く、もっと高額になるだろう)、さっそく恩師のいらっしゃるいわき市に寄付の申し出をした(ただ、その手続は,今はそれどころではないのでずっと後になるだろうが)。

控除の対象になるのに上限があるのは承知の上。


それにしても、「ACのCMが不快」という声が大きく、とくに最後に流れる「エーシー」という甲高い声が耳障り、というので、その声だけが消されている。

家族を亡くした被災者が、親子の姿を見て辛い思いをされるのは仕方ないが、それ以外の人が苦情の電話をかけたりする、そういうヒステリックな反応は馬鹿馬鹿しいだろう。普通のCMのかわりなんだから。そんな電話で回線や電気代を使うのやめてほしい。
今回の震災の支援CMを制作中というから、その作業の邪魔にもなる。

それだったら、前に収録してあったらしい馬鹿騒ぎしているバラエティ番組の内容の方をどうにかすべきじゃないか。

それから、TVに出るアナウンサーやタレントの服装が急にださくなった。どうも、視聴者の反感を買わないように地味な服にしようとして、流行遅れみたいなのになるらしい。喪服にしか見えない服装の人もいる。いつもタンクトップみたいなのを着ている西川史子も白い長袖ブラウスを着ていた。

そういう、形だけ整えておく、というのは偽善的で嫌だ。

明るい色の、センスの良い服の方が、見ている方も明るい気持ちになるのではないか?


それに、この自粛ムードは、1988年に昭和天皇が危篤になった時を思い出して、大政翼賛会みたいで怖い。

井上陽水が日産のCMで「みなさーん、お元気ですか?」といっていたのを、「やんごとなき人が元気じゃないから」という理由で口パクになったり、カラオケなどを大音量でやるなといわれたり、何ヶ月もの間、毎日日刊紙の一面に血圧などのバイタルデータが出てたのを思い出す。

何が本質的な問題なのかを冷静に見極めた方がいい。



ところで、大学生協でも単1電池が売り切れていて、メーカーが出荷をストップしていると表示されていた。

京都みたいなところでさえ買占めしていると、被災地に届かず、死活問題になるのじゃないだろうか?

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天災の上に人災まで

2011年03月21日 | Weblog
私の恩師のいるいわき市は、原発問題に起因する風評被害で、物資が全く入らず、孤立した方々が餓死の危険にさらされている。

大変な思いをされている方はたくさんいらっしゃるが、これは、どう考えても人災である。

頻繁に報道されている地域ではありませんが、どうか皆さん、このことを深刻に受け止めてください。

いわきからの悲痛な声が下記にあります。

http://4guruguru.jugem.jp/?eid=1264



なお、ヤマトの宅配便は、福島に関しては、閉鎖されていない営業所止めで、荷物が送れるようになりました。

といってもガソリンもないので、取りに行ける方は限られるかもしれませんが。

送れる営業所は下記の通り。

http://www.yamato-hd.co.jp/information/info/notice_1103_01.html

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レターパックなら大丈夫

2011年03月20日 | Weblog
福島には宅配便や小包はまだ送れない(毎日業者のHPを確認している)が、郵便は送れるので、断水で困っておられるいわきの恩師に水のいらないシャンプーだけでもお送りしようと、ドラッグストアで探したが、考えることは皆同じのようで、ここ京都でもどこに行ってもない。

が、18日、まさかと思ったが一応入ってみた河原町三条のドラッグストアで見つけた。(観光中心地の方があるのかも)

それをさっそく速達で送った後、「普通の郵便が大丈夫ならレターパックも大丈夫かも?」と思い、郵便局に電話して確認したら、「遅れる可能性は高いですが、受取人がそこにいるなら大丈夫」とのこと。

先生に電話したら、「出版社から定期的に送ってくるものも含めて、地震から一切郵便物は来ていない」というので、速達にした意味はあまりないかもしれないが。

「放射能漏れの風評被害で、物資を運んだトラックが近くまで来たのに引き返したとかで、もう、スーパーマーケットには品物が何もなく、どこも開いていない。食料が全く手に入らない状況。近所で農家やってる中学の同級生が米を持ってきてくれたので、それで食いつないでいる。」とのこと、先生がそんな思いをされていると思うと、気の毒で涙が出る。(こちらが協力を申し出ても、他人に甘えるような方ではないので、よほどのことなのだろう)

さっそく、レターパックに、レトルトカレー、板チョコ、ビタミン剤、ウエットティッシュなどを入れて、マンションの真ん前にあるポストに投函しようとしたら、分厚すぎて入らない。

ちょうど集配に来て出発してしまったところの郵便局のバイクを、必死で四条通りを走り、捕まえて、「福島宛ですけど、レターパックなら大丈夫ですよね」と確認したら、知らなかった。「知り合いにそういうものを送る人はたくさんいるのだから、そういう情報を知らないのはだめじゃないですか?」と、手渡しながら苦情をいっておいた。


京都は、被災者の方々に申し訳ないほど、本当に何の問題もない生活が続いている。

ただ、海外からの旅行・ツアーのキャンセルが相次いで旅行業界は大打撃らしい。

私は、東京の計画停電の関係で学会のHPがダウンしたり、や首都圏の大学の先生と連絡できなかったりの不便はあるが、

増えた仕事は入試の追試関連業務と学生の安否確認。

メールを出すと、「わざわざありがとうございます」とか「安否確認ご苦労様です」とちゃんと書いてくる学生が多くて、「ああ、ほんとにうちの学生はいい子ばかりだな」と思う。

茨城以北が実家の学生は20人台(全学の学生総数は1800人)しかいず、他の学生もほぼ安全確認できたが、たまたま東北旅行中で無事だが戻れない者、家族の安否がわからない者もいる。

学生数がもっと多かったり、被災地からもたくさん学生を受け入れている大学の確認作業はもっと大変だろう。



京都では地震の影響がないのに、買占めがあり、コンビニにも「乾電池、懐中電灯は売り切れです」と貼り紙してある。

そういうことするのは本当に情けないのでやめてほしい。

コンビニは表の電灯だけ消して、中は真夜中でも煌々と灯りがついているのも、何か形だけ繕っているようで嫌だ。


ちなみに、私のケースのように、特定個人宛でなく、避難所宛等に個人で物資を送るのはまずいそうだ。
個人で送るものは中身の種類が多様なので、その仕分けに人手がとられ、却って迷惑だそうだ。
中越地震の際も、仕分けしきれない段ボールが山積みになって場所をとって大変だったそうだ。
送るなら、自治体等、とりまとめている所を通じてすべきであるとのことです。

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優しいおとな 桐野夏生

2011年03月18日 | 読書
みずほ銀行がずっとシステム障害でATMはもちろん、ネットバンキングもできず、困っている。

他の都銀にはそういう問題が起きていないのに。

三行が統合するときに、最も高性能だった富士銀行のシステムを中心にすることで話が進んでいたのに、三行の勢力の均衡のために、途中でDKB系のものに急遽変更したつけが、2002年4月の統合完成時に続いて起きてしまった。

「どうしてそんなことを?」と当時疑問に思ったが、銀行の上司からは、「勢力が偏るということは、統合に伴う人員整理などについてもうちが譲歩しなければならない、ということにつながる。みんなを守るために仕方ないことなんだ」と説明された。

実際に徐々に進められていた統合プロセスでは、管理職のポストが全部3の倍数になっていて、「これで生き残れるのか?」と不安になったことも、2001年2月、夫の海外転勤の際に、(主とした理由は香港大学の大学院の中国法専修コースに魅力を感じたことだが)、思い切って銀行を辞めた原因のひとつだった。

それにしても、HPを見ても、たとえば、自動引き落としはできるのか(できなくてクレジットカードの決済ができなかったら、ブラックリストに載せられてしまうではないか)、といった情報がないし、昨日の情報のままでアップデートされていないなど、利用者に対して説明責任を果たしていない。

せっかくの義援金が届けられなかったり、急激な円高で動いている外為市場のこともあったり、社会的責任は大きい。



優しいおとな
桐野 夏生
中央公論新社


桐野夏生の作品は(少女小説時代のものを除いて)全部読むことにしている。


社会が荒廃し、街ににホームレスがあふれる近未来の東京で、施設を脱走した後、自分の出自につながる『鉄』と『銅』の双子を捜しながらさまよう15歳の少年、イオンを描いた作品。

ホームレスは公園村、アンダーグラウンド、川人と様々なコミュニティを構成して生きている。イオンはそのどれも経験することになるが、それぞれの社会や人物造形にリアリティがあるのがさすが。

以下、ネタバレ注意

イオンの施設での体験がどのようなものであったのかの謎解きが縦糸になっているのだが、それに関連して、大きなテーマとして、「真の平等」の実現可能性というテーマを扱っている。

「人間の究極の平等を考え」、真っ暗な地下が一番平等だからという理由で地下に住む、「環境ですらも不平等を生んでいる社会に対して抗議する、真の正しい人間たち」闇人や、

先鋭的なフェミニストが主宰する、子供の差別の温床を撤廃するために、大人と子供が、親子関係の有無と関係なく共同生活する施設「照葉」、

両方とも、「原理的な平等主義」を標榜し、コミューンの実現を目指している。

それらが本当に成功し、関わった人間を幸福にしているのか、という重く大きなテーマを、せっかく扱っているのに、それが今ひとつ掘り下げられていないのが残念だ。

ただ、スカイエマのカラーの挿画が多用され、少年の目線から物語を紡ぐことを強く前面に押し出しているなど、新境地を開拓しようとしている点は、ファンなら必読。


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神に感謝

2011年03月17日 | Weblog
写真は河原町荒神橋の近くにある生花店花孝の看板犬チョコがいつも直立しているのが可愛くて仕方ないのでアップした。
癒しになれば。

いわきの恩師も仙台の恩師もご無事だった。

いわきにいらした恩師は、奇跡的にご無事で、水道以外のライフラインもつながっているそうだ。カップラーメンをお送りすると約束したのだが、宅配便がまだあちら方面には受け付けてもらえず、困っている。14日に電話が通じたときは嬉しくて、涙が止まらなかった。無神論者だが神に心から感謝した。

仙台の恩師のご夫妻も、たまたま東京のマンションについたとたん地震が起きたそうで、常勤の教授職は私大も含めとっくに引退され、そんなに東京にいらっしゃる機会も多くないだろうに、やはり、運というのはあるのだと思う。

こちらは全部の学生の安否確認(といっても関西出身者が8割以上、それ以外も西の地方ばかりで箱根の関を越えてきている学生はあまりいないのだが、東北旅行中の学生もいたりしたので)と、後期入試の追試の対応に追われるくらいの負担増しかなく、被災者の方に申し訳ない。


海外の友人からのメールも続々来ている。

「ニュースで見る日本人が、非常時にもかかわらず、行儀よく、秩序立って助けあっているのを見て感動した。そんな素晴らしい国民だからきっと立ち直ると信じてずっと祈っている」というメッセージもある。

確かに略奪とか絶対ないし、乏しい食糧をみんなで分け合うとか、希有な美徳だと思う。


それにしても原子炉の件も停電の件も政府の対応には失望する。

週末は会社などで打ち合わせができないのだから、日曜日に言われて月曜など無理。きちんと周知期間をおくべきだ。

放射能漏れで福島の方は、風評被害による救援格差で二重に苦しんでいる。

福島の原発は現地でなく関東地方の電力を供給しているのに。
都会の便利な生活のために、地方に負担を押しつけている構造がここでも明らかになった。

少し古いが原発問題を扱った江戸川乱歩賞受賞作は必読。

原子炉の蟹 (講談社文庫)
長井 彬
講談社


それにしても上つ方の国民向けのメッセージはやっと昨日発表された。

2005年夏私がロンドンでテロに巻き込まれたとき、早くも事件の翌日に女王がTVで生でメッセージを伝え、同日皇太子夫妻が病院に犠牲者を見舞ったたことと比べても遅すぎるだろう。

ブログの下記記事参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/fa90c2fca6d976eebfeb769c68378e85

京都でもなるべくエアコンはつけないようにしている。

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正月にやっと見たドラマ

2011年03月16日 | 演劇
ビデオに録ったままでずっと見ていなかったドラマをやっと正月休みにまとめて見た。


コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命 2nd season DVD-BOX
山下智久,新垣結衣,戸田恵梨香
フジテレビ

やはりまじめな医療ドラマで見応えがあった。

とくにパート2では、患者のエピソードと医師個人の悩みがシンクロしているという特徴が顕著だった。

父に見捨てられたと思う藍沢が、最後に息子を置いて事故現場から逃げた父親に対峙するところは、臭いと思いながらもつい涙した。

彼女と友達と事故で一緒に串刺しになるという状況で、しかも彼女と友達がつきあい始めてしまったことを知り、しかも、その二人を助けるために自分の命を犠牲にしなければならない患者を濱田岳が演じたのは、山下とは『プロポーズ大作戦』以来の共演だったが、ここでは、藍沢より、同期の足を引っ張ることに悩む浅利を持ってきた方が、より自分の立場と重ね合わされて説得力があったのではないかと思う。

ただ、パート1からの整合性がない部分がある。

たぶん、パート1では祖母は母方という設定だったし、リリーフランキーが,母親がぼけているときは来ない(そもそも認知症があんなにころっと治るのも非現実的)で元気になると来るとか、息子に会ってしまうのは必至な状況であえてくるとか、母親に養育費の仕送りもしていなかったのかとか、冴島の彼氏はパート1では自殺を図ったりして弱々しかったし、外科医という設定は2で作ったな、とか。

母親が死んだのが6歳でその日に投函した遺書の消印が86年とあって(それ自体、本来消印は元号だからおかしいのだが)、じゃあ、藍沢は30歳という設定、えーと思った。

ただ、リリーフランキーが「優秀なお母さんを子供を産むことで自分と同じレベルに引きずり下ろしたかった」というのはリアリティがあった。
大学院に行っても大学で職を得られるとは限らず、年喰っていてつぶしがきかないので、ドラマのように塾の講師になる人もたくさんいる。
藍沢の頭の良さは両親が理系の大学院卒でとくに母親が夫から嫉妬されるほど優秀だったことからくるのか、とか、ここだけは脚本家に優秀なブレーンがいたのかな、と。

また、藍沢がエレベーターの中などで、手先の訓練なのか、いつも指を動かしているのはパート1からの特徴だったが、パート2の最後、母の墓前で父と和解するシーンで、父にも同じ癖があるのをみて、「若手の中でも自分は手先が器用で、それはお父さんからの遺伝だと思う」というのは、考え抜かれているなあと感心した。

これは、ストイックな仕事ドラマに徹しているのがいいので、パート3をやったら、どうも藍沢と白石が恋愛モードになりそうなので、やらない方がいいと思う。


ブザー・ビート ~崖っぷちのヒーロー~ DVD-BOX
山下智久,北川景子,相武紗季,貫地谷しほり,溝端淳平
ポニーキャニオン


彼女や家族のために料理などする男の子(山下智久)が主人公で、彼より料理が下手な彼女(北川景子)は仕事のために彼と別れ別れになり、1年も連絡も取らないなど(山下の『最後のラブ・ソング』の「叶えたい夢のために遠い街へ君が行く」という歌詞が重なる)など、ジェンダー的には感心な設定だった。

ただ、主人公は草食系といっても「男は妻を養わなければならない」という性別役割分業にとらわれているので、「この給料じゃ結婚できない」と消極的になってしまうのが、最初の彼女(相武紗季)と別れる原因になる。

時代を感じたのは、年収315万円(のっけから実業団の幹部に「年俸315万円、いやなら契約更改はなし」と宣告されるシーンが出てくるのだ)とか、お別れのプレゼントがシールを集めてもらえるマグカップとか、とにかくリアルに貧乏くさいこと。

(でも、主人公がたくさんの色のG-Shockをいつも服とコーディネートしているのをおばさんはしっかりチェックしたぞ。スタイリストは主人公の経済事情も考えなきゃ。)

とくに、1988年のW浅野の『抱きしめたい!』では浅野温子演じるスタイリストは家賃200万円のマンションに住んでいた(けど携帯はものすごくでかかった)ので、それから20年以上たって一体社会は進歩しているのかそうでないのか、ということをつくづく考えさせられた。

このドラマでは携帯解約したから連絡手段がなくなるというのも、時代を反映している。

ただ、途中、視聴率が伸び悩んだせいか、必然性もなく海に行くシーンがあったり、やたらロッカールームが出てきた(1997年の『ビーチボーイ』が主人公二人の裸のせいで数字がとれたことのひそみにならったのか)のが不自然な気がした。

それから、プロの選手なのに、公園みたいなところで練習するか、とか、バイオリニストを目指しているヒロインが、クラブのバイトでスカウトされるとか、リアリティの点では突っ込みどころ満載だった。

大森美香は秀作が多いが、いろいろな制約があり難しかったのだろう。


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ミシマダブル 金閣寺

2011年03月16日 | 演劇
三島由紀夫の作品なので当然見に行った。

ミシマダブルについては、『サド侯爵夫人』は戦後戯曲の人気投票で一位になった作品で、現在も繰り返し上演されている。私もこの5年で3回目くらいだ。

『我が友ヒトラー』は、題名のせいか、なかなか上演されることがなく、私も小劇場で10年以上前に見て以来である。

演劇のアンケートに「上演してほしい作品は何ですか」という問いがよくあるので、その度に「らい(どうしても漢字がでてこないというのはどういうことか?漢字をなくせば差別がなくなるとでもいうのか?)王のテラス」「我が友ヒトラー」と書き続けてきた甲斐がある。

でも、「らい王のテラス」は無理なんだろうな。
実際、60年代に北大路欣也が初演も含めて2回やった以外に聞いたことないし。もちろん私は幼稚園児だったので見てない。
(北大路欣也が、「楽屋でシャワーを浴びていたら三島先生が入ってきて驚いた」といっていた。
北大路は中学の時ファンだった。勤めている大学は北大路通りのすぐそばなんだが、この芸名は、父の市川右太衛門が近所に住んでいて「北大路の御大」と呼ばれていたからだそうだ。)

ちなみにうちの大学と北大路を挟んでほぼ向かいにあるのが金閣寺の放火犯の通っていた大谷大学(しかしなぜ禅寺の修行僧が真宗系のの大学に?)。小説中にももちろん何度も出てくる。そばを通る度に「ああ、ここが林養賢の通った大学か」と感慨深い。金閣寺から十分歩いて通える範囲だということも京都に住んで実感した。2008年は校舎に「文学部卒業生津村記久子さん 祝芥川賞」という垂れ幕が出ていた。

『金閣寺』を読んだことがなくても、大谷大学の関係者でなくても、10代の若者でも、京都の人は皆、放火犯が大谷大学生だったことを知っているのがすごい。

上演開始になってから大きな鏡を設置するとか、ソファなどの調度品は二つの作品に共通して使っていた。

役者の後ろ姿も観客は見えるわけである。

木場勝巳のサンフォン夫人が圧倒的にうまい。
これほど見事なサンフォン夫人を私は見たことがない。

生田斗真も思ったよりはなかなかやる。
ただ、ずっとハイテンションで一本調子の演技だった。少なくとも最後の「政治は中道をいかねばなりません」は、もう少し冷静にいうべきだと思うが、これは演出の問題だろう。

しかし、東山紀之のルネ、レームがひどい。
科白を丸暗記しているのがみえみえで全然消化していない。
役者としてやっていくつもりなら相当厳しいものがあるだろう。

『サド侯爵夫人』は能のお囃子のような音楽はいいとして、最後に例の市ヶ谷バルコニーの演説を流すのはいかがなものか、藤原竜也が同じ蜷川演出で『弱法師』をやったときも全く同じだったが、陳腐だと思う。

まだ、『我が友ヒトラー』でこれをやるならわかる。レームの「軍隊ごっこ」はまさに楯の会そのもので、自決の2年前に書かれたこの戯曲を見ると、三島が自分がやろうとしていることが児戯に等しいことも、実現しっこないことも、世間から嘲笑されることも理解していたことがよくわかるから。

初めてこの戯曲を見た夫は「これって楯の会の隊員は見てなかったのかなあ」といっていた。

『我が友ヒトラー』は、ミソジニーの世界、ヴィスコンティの『地獄に墜ちた勇者ども』と同じ世界観で、そういう意味では、ジャニーズの美少年にやらせるのに一定の意味はあるかもしれないが。

それにしても、ジャニタレが出ていると、三島を読んだこともなく、普段演劇に興味もない層が見に来るせいか、観劇マナーがひどかった。
まず、私の斜め後ろのおばさんは、何度も分厚いアルミの袋に手を突っ込んでばりばり音をさせてお菓子を食べている。2幕目で振り向いてにらみつけたのに、3幕目でもやるのに驚いた。3幕めでまた振り向いてにらみつけたらその周辺から携帯電話のぶるぶる音が聞こえてきてもう最悪。隣の人は、携帯で時間を確認していてまぶしい。前のおばちゃんは上演中何度もペットボトルを飲んでいる。


『金閣寺』宮本亜門演出もひどかった。

まず、ストレートプレイなのに役者が全員マイクを使っているへたれぶり。

それから、主人公が何かしようとすると金閣が邪魔をするという現象が、ホーメイ奏者が不快な金属音を肉声で響かせるという方法で表現されていて、何か作品に対する大きな誤解があるとしか思えなかった。

ストーリー展開もト書きの朗読を含めた説明調のもので、演劇としてやる意味があまり見えなかった。

柏木役の高岡蒼甫はまあまあかな。(『ヘンリー6世』でのリチャード三世の役もなかなかのものだったが)

どちらの興行も、ジャニタレが出ると何か制約があるのか、アンケートをとらないというもので、三島ファンとしては「もうジャニタレを使うのはやめてくれ」とただひたすら思った。

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ちりとてちん

2011年03月16日 | 演劇
写真は2008年夏、小浜で塗り箸作りに挑戦する夫。

初めてリアルタイムで見て、初めてはまった朝ドラの最高傑作。

現代を扱った朝ドラのヒロインによくあるパターンで、とにかく破天荒で天真爛漫、周りの迷惑も考えず、突き進む、でも必ずその無茶苦茶は寛大な周囲の人に、「しょうがないね、○○ちゃんは」と笑って許される、そして、その無軌道ぶりにもかかわらず、彼女の人生はhappyに展開する、というのがある。
見ている方は、「人生そんなに甘いわけないだろ!」と突っ込みたくなる。

このドラマの主人公は、従来のヒロイン像とは真逆の、草々(青木崇高)が亡くなった師匠(渡瀬恒彦)おかみさん(藤吉久美子)を懐かしみ「春の陽だまりみたいな人だった」というと、「どうせ私は日陰の水たまりですよ」というような、いじけた暗い性格のヒロインである。

彼女が小浜から大阪に出てきて落語家になるという主筋が、家族や一門の物語とともに描かれる。

毎週違うタイトルが上方落語にもじったもので設定してあり、ストーリーも落語の内容とシンクロしている。(その手法は『タイガーアンドドラゴン』でも使われていたが)登場人物の名前もほとんど落語からとっており、主人公の喜代美とライバルの清海は、上方落語に頻繁に出てくる、喜い公と清八をもじっているのだ。(彼女たちが名字も同じで区別するためにA子、B子と小学校で呼ばれるのが、B子である主人公がいじける歴史の始まり)。最後の方で、両方の父親が娘に「きよみ」と名付けたのが近所の同じスナックのホステスの名前だったことがわかるというのもほほえましいが。

作者の名前へのこだわりは並々ならぬもので、徒然亭草若(当然本名は吉田)一門のシンボルが蝉なのも、「ひぐらし硯に向かいて」からきているし、主人公が出身地から「若狭」と名付けられたとき、「だから師匠の名前をそうしていたのか」と思わず膝を打った。他にも落語にまつわる小ネタが満載。

無職でひものように暮らす叔父(京本政樹)が「兄貴は親父の正太郎からとって正典なのに、俺は小次郎だ」というと、死の床にいる草若が、「お母さん(江波杏子。元芸者だが夫(米倉齋加年)を「正太郎ちゃん」ということが、堅い職人と芸者の大恋愛を想像させ、憎い)の小梅さんの小とお父さんの太郎の次の次郎からとっている、二人の愛の結晶らしい名前じゃないですか」と励ますのにも泣かされた。

A子とB子の仕事と恋の両方における人生の逆転という大きなテーマだけでなく、他にもそれぞれの人物の思いが丁寧に描かれていて、群像劇としても面白い。
とてもここには全部書ききれないが、働く女性としては、原沙知絵が「肉じゃが女憎し」という気持ちは痛いほどよくわかったし、後日自分が肉じゃが女になるという落ちも微笑ましい。

何よりも、そうした無数の心温まるエピソードを横糸にしつつ、主人公の人間としての成長が太い縦糸になっていたことに気づかせる最後がすばらしい。

それは、「お母ちゃんみたいになりたくない」といって故郷を跳び出した主人公が、最後は「お母ちゃんみたいなお母さんになりたい」といって落語家を引退するという結末である。視聴者はここに来て、大きなカタルシスに包まれる。ふだんジェンダー法学を研究し性別役割分担を徹底糾弾している私でさえそうだった。

おそるべき傑作ドラマである。

(四草役の加藤虎之助はこのドラマで注目されるようになった。NHKの土曜スタジオパークに出演した際、質問メールが殺到して初めてサーバがパンクしたそうである)

このドラマで夫婦役だった主役の貫地谷しほりと青木崇高は、2009年の月9ドラマ『ブザービート』で莉子の親友役と直輝の同僚役で出演していたが、直接の会話はなかったが、バスケチームのファンの集いで会うシーンで意味ありげに目配せするシーンがあり、朝ドラファンはにやりとした。

ちりとてちん 完全版 DVD-BOX I 苦あれば落語あり(4枚組)
貫地谷しほり
VAP,INC(VAP)(D)

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ゲゲゲの女房

2011年03月16日 | 演劇
ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX1
松下奈緒,向井理
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


写真は境港鬼太郎ロードにて。

『control』で、藤木直人が「げげ、」といったら、松下奈緒が「げは三回です」といった。

このドラマはたぶんガリレオのぱくりだが、心理学はほとんど役立っていないし、藤木はどう見ても変人には見えない(ルパンシリーズの『813』を「はっぴゃくじゅうさん」て読んで、スタッフが誰も間違いに気づかないのかよ)し、松下はどう見ても熱血景事には見えない。松下は174cmもあるので、共演者が限られて大変だなあ。180cmの藤木ともヒールを履いて並ぶとほぼ同じ高さだもんな。

『ゲゲゲの女房』

ロマンチックラブ神話のためか、朝ドラってどんな時代でも、主人公が恋愛の末、夫と結ばれるという設定が多いが、現実は、少なくとも60年代までは見合い結婚が普通だったのではないか?

そういう意味では、(実話を元にしているのだから当然といえばそうだが)リアリティのある設定で、相手のことを知らず、見合いから5日後に結婚した二人が、一緒に暮らす中で愛情を育んでいく。その中には、夫の仕事に対する妻の尊敬・理解があるという、現代ではある意味新鮮なテーマを正面から扱っている。

また、やたら前向きで明るい性格の主人公が多い朝ドラにあって、内気で引っ込み思案、背が高すぎて良縁に恵まれないという主人公も新しい。

長女が私と同い年なので、その当時の東京の風俗に「そうそう、こんな感じだった」と懐かしさを覚えた。

だが、最初の頃、主人公がここ10年しか見ないようなおしゃれなカフェエプロンをしていたのは明らかにおかしく、苦情があったのか途中から普通のエプロンに変わった。

向井理ではスマートすぎるかなと思ったが、飄々とした演技がなかなかはまっていたし、内気なヒロインをバタ臭い顔の松下奈緒がやるのはどうかと思っていたが、実際の布枝さんは彫りの深い美人なので合っているのだった。

演出も脚本もさりげないなかに、それぞれの登場人物の個性や家族の絆を描いていてすばらしい。

とくに竹下景子演ずる母親の愛すべきキャラクターが最高だった。(私に性格似ている)

主人公が小さい頃道に迷ったとき助けてくれたのが茂だったかどうかはっきりさせない最後も粋だ。

いずみとアシスタントの恋愛のエピソードも大好きだった。

つげ義春がモデルのアシスタント役で斎藤工がちょっと出ているのも注目(つげはそんなにイケメンだったか?)。

今年の大河『江』(相変わらず脚本も演技もひどい。『篤姫』もそうだったが、なぜこんなのが評価されるのかわからない)で、向井が徳川秀忠、斎藤が京極高次で義兄弟を演ずることになっている。

質屋とのやりとりや、約束手形、土地の所有名義に関わるトラブルなど、ビデオを編集してかなり民法の教材として使った。

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被災した方々にお見舞い申し上げます。

2011年03月12日 | Weblog
大きな地震が起きて、死者が1000人を超えた。

いわきと仙台に恩師がいらっしゃるが、伝言ダイアルにも登録されていないしもちろん電話も通じないので心配である。
(どなたかご存じなら教えてください)Facebookでも呼びかけたのだけれど。いわきの先生は携帯もパソコンもお持ちでなくTVは天気予報しか見ないという方なのだが。

東京でも憂国忌の会場となっている九段会館で天井が崩落して死者が出たと聞いて驚いた。

京都でもその時間、かなり長時間揺れ続け、机の下に退避した。(授業期間でなくてよかった)

また、携帯電話がずっと「圏外」になっており、一般電話からかけても夫の携帯にも通じなかった。

東京の知人は帰宅できず会社に泊まったそうだ。

2月に見に行ったNODA MAPの『南へ』の公演中止のメールが来た。

今夜TVで上映が予定されていた『ゴールデン・スランバー』は別の映画に差し替えられた。
仙台を舞台にしているからだろう(原作者の伊坂幸太郎は千葉出身だが東北大法学部を卒業した後も仙台に住み、仙台を舞台にした小説を多く発表している。)

京都は今のところ日常生活に影響はなく、今日予定している後期日程入試も予定通り行われる(地震のため受験できなかった人は追試で対応するとのこと)。



海外から安否を気遣う友人のメールがいくつも来たのに加え、卒業したオックスフォード大学のSomerville College とHarvard大学から学長、総長名でお見舞いメッセージが夜中の内に来ていたのに驚いた。

以下に貼り付けるが、オックスフォードとケンブリッジは英国の中で今でも古いカレッジ制をとっている。
全ての学生は、どこかの学部とカレッジに在籍するのだ。学部が縦糸、カレッジが横糸で、後者はHRみたいなものと考えればよい。私は法学部の大学院生であると同時に、Somerville College(写真)の学生だったのだ。

Somervilleは、現在は共学だが、伝統ある女子カレッジで、サッチャー元首相、ノーベル化学賞受賞者のドロシー・ホジキン氏、インディラ・ガンジーなどを輩出している。

カレッジごとの結束は堅く、カレッジごとに紋章やマフラーのカラーが決まっていて、毎年カレッジ対抗ボートレースをやるし(私の在学中優勝)、卒業時にFirst Class(上位10%の成績表彰)の人数を競ったりする。私がFirst Classの表彰を受けると決まったとき、Tutorの先生が「うちのカレッジは今年は少なかったから本当にありがたいわ」と褒めてくださったのが忘れられない。

毎年、卒業生の近況を聞くアンケートを実施して、それが毎年送付される同窓会誌に反映されるので、私も結婚したり、転職したり、著書を出す度に掲載してもらった。

今回のメッセージも、「日本に16人いる卒業生」とか、「ニュージーランドにお見舞いのメッセージを出したときの返事に日本の援助協力に感謝するというメッセージがありました」とか、本当に通り一遍でない、心のこもったメッセージで、思わず涙が出た。
Dear Somervillians,
The terrible news and pictures this morning have brought the 16 Somervillians living in Japan powerfully into our thoughts here in Somerville. The magnitude of the quake and the tsunami is truly shocking and the scale of a natural disaster of this kind is quite difficult to grasp in peaceful Oxford. We hope that you and your families are safe and that any friends and loved ones that you may have near the epicentre of the quake are unharmed. It is very sad to think that only a matter of days ago we were sending a message of this sort to Somervillians in New Zealand, and one of the very touching replies we received referred to the New Zealander's gratitude for the efforts of a special Japanese earthquake disaster crew with their dogs, sent in to help New Zealand. We hope that the whole world will be ready to help Japan now.
we will keep you in our thoughts during the dark and difficult days ahead.

With sincerest good wishes.
Dr Alice Prochaska, Principal
Liz Cooke, Secretary to the Somerville Association


Harvard大学からも、Faust総長の名でメッセージが来た。

Dear ○○ ○○,

We are following the unfolding events in the aftermath of the earthquake and tsunami in Japan with alarm and concern and want you to know that the Harvard community is thinking of you in this time of unexpected hardship. Harvard's strong and long-standing ties to Japan are deeply valued here at the University, and I was grateful for the generous hospitality of our vibrant alumni community during my visit last year. Please know that you are in our thoughts.

Drew Faust

President
Harvard University

オックスフォード大学に比べると、短いメッセージだけど、冒頭にちゃんと私の名前がフルネームで書いてあるのにびっくりした。日本に卒業生は無数にいるだろうのに。

Harvardからも、一ヶ月に一度は手紙が来るが、たいてい寄付のお願いだ。

年に一度アンケートで個人情報を登録するときに、年収欄の最低レンジが10万ドル以下になっているので、私なんかが寄付する必要はないと考えるが。


改めて疑問に思ったのは、やはり世界中から留学生を受け入れている母校・東京大学では、海外の被災地の卒業生宛に同じように迅速にメッセージを送れているのか、ということ。

2004年に法人化してから、初めて、同窓会関係のきれいな広報誌(相当金がかかっているように見える)がしょっちゅう届くようになったが、(寄付のお願いも来る)、こういう部分でこそ海外の大学を見習ってほしいものだとつくづく思う。

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きことわ・苦役列車

2011年03月09日 | 読書
きことわ

7歳年の離れた幼なじみの永遠子と貴子、永遠子は貴子の母が弟と貴子と夏の間しばしば滞在した葉山の別荘の管理人の娘であり、貴子の遊び相手として毎夏親しく過ごしたが、心臓疾患をもつ貴子の母が急死して以来、別荘に行くこともなくなり、25年間会っていなかった。その別荘が手放されることになり、骨折した母に代わって,40歳になった永遠子が貴子と打ち合わせもかねて25年ぶりに再会する話。

時間と空間が自在に移動し、二人の女性それぞれの人生が描かれるが、文体がゆったりとした独特なリズムをもっている。

「ひとびと」とか、「うごかす」「こわす」というように、意識してひらがなが多用されている。「可笑しい」「揺らぐ」は漢字なのでかなり独特で、それはそれで作家のこだわりなのだろうが、「むつかせる」という明らかなら抜き言葉の文法ミスは作家としてどうかと思った。

純文学の雰囲気はもっているが、中身についてはとくに感心することはなかった。

和雄の姉に対する兄弟愛を超えた思いをもう少し描けば(抑制を効かせたつもりかもしれないが、食い足りない)違っていたかもしれない。


苦役列車

ひたすら自堕落な生活を描いた私小説。

悪を気取って実は小心者であり、また、家賃を踏み倒すとか、友達に借りた金を返さないとか、家族にたかるとか、スケールの小さい悪で、ただの迷惑な生活破綻者の暮らしぶりを描かれても少しも共感するところはない。

悪というなら、世の中の仕組に異議申立するくらいの気概でやれよ。


それでいて、プライドだけは異常に高いというのも反感しか覚えない。

そうした人間としての欠点も、それゆえにすばらしい芸術作品を生み出しているなら納得できるが、小説の出来もそれほどでもない、とすると、読んでいて不快になるだけである。


芥川賞受賞作品は最近全部読んでいるけれど、これはという作品はない。

すごいと感心する作品は『アサッテの人』以降、ないのが残念だ。




きことわ
朝吹 真理子
新潮社



苦役列車
西村 賢太
新潮社

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不正入試 その2

2011年03月08日 | profession
春休みになったが、授業がないというだけで、論文の締切を抱えて忙しい。
1本大きい論文を仕上げなければならない他に、連載原稿や、単行本の原稿、その上、学会誌に投稿していた査読論文が補正の上採用ということになった。


携帯電話を使った入試に関する不正事件で、容疑者が逮捕され、トイレ等でなく、全て会場で膝の間に携帯電話を挟んで左手で入力したという供述が報道された。よくそんな大胆なことができたものである。

そんなことをしている受験生に、4大学のどこも監督者が気づかなかったということに驚いた。

私が監督するときは、側面から机の下の棚に何も入っていないかどうかもちゃんと見るし、脇においたカバンの中身が見えそうな場合は「カバンの口を閉めてください」まで指示するので、ちょっと考えられない。

ただ、だからといって、大学が悪い、この受験生は悪くないというのはおかしな論理だ。

この受験生のしたことは、卑劣な手段で自分の学力について大学側に誤認させ、もって当該大学と不正に在学契約を締結しようとしたものであり、民事的に許されないだけでなく、入試業務の適正な運用を害し、刑法上偽計業務妨害罪に当たることである。

たとえ、大学の監督者に落ち度があったとしても、そのことに些かの影響もない。

「受験生がかわいそうだ、自分だってカンニングの一つや二つやったことがある」などという発言がマスコミなどで散見されるが、正気とは思えない。

また、「母子家庭で母親の負担を減らすために国立大学に行きたかった」という動機をわざわざ報道する意味もわからない。

同情を引こうとしているのかもしれないが、全く見当違いだ。

日経新聞の報道によると経済的理由で大学進学を断念する家庭が最も多いし、岡山のホーム突き落とし事件の犯人少年も、推薦で国立大学に行けるほど優秀なのに経済的理由で進学を断念した(父は派遣社員、母はパート労働者)ことが犯行動機の一つだった。

そんな中、浪人することが許され、しかも、わざわざ全寮制の予備校に通い、仕送りを受けて都会の大学に通おうとすること自体、経済的に恵まれた方の家庭といえるだろう。

まず、昔と違って(私の学生時代は国立大学の学費は年間18万円でバイトで何とか払えた)、現在国公立大学の学費は年間60万円近い。消費者物価指数の変動に比して不当に値上げされているのだ。

それに、京都は一般的な物価が東京より高い。住居費も東京に準じる水準だ。景観条例などで高いマンションが建てにくいため、物件自体が少ないし、京都市は全国のどこよりも学生人口比率の高い自治体なので、貸し手市場になりがち。不当に高い更新料が消費者契約法違反という判決が出たのも京都のケースで、同様な事例は今も京都で最も多い。
バイトしたい学生がいくらでもいるせいか、アルバイトの時給も最低賃金ぎりぎりに低いケースが多いなど、京都で大学生活を送らせるための地方の親の仕送りの負担は非常に重い。私の勤務校も自宅生が多く、泉佐野市や西宮、明石といった遠方から通学している学生もいる。

本当に親の負担を考えるなら、地元の国立大学に行くのがベストの選択だろう。現役時は地元の山形大に出願していたがセンターの結果が悪く受験しなかったという報道も見ている。


また、「警察に通報するのは大学の自治からいってもおかしい」という論理もおかしい。

ニフティ事件の第一審判決で、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダ側の不法行為責任が認定されたことをきっかけに、業界の危機意識から制定されたプロバイダ責任制限法では、ネット上不適切な行為をした者を特定するのはとても難しい。

犯罪であり、警察の正式な捜査協力依頼があれば、特定に協力してくれるが、そうでない場合は、まず、不適切な書き込みがされたサイトを運営するプロバイダに、民事訴訟を起こして開示請求し、開示決定が出て初めて、投稿者側のプロバイダが明らかになるので、今度はそのプロバイダに対して同様に裁判で開示請求する、という非常に時間のかかる手続をしなければならなくなる。

今回の入試結果は、京大は10日には合格発表をしなければならなかったし、12日に後期日程も控えていて、入試業務を適正に行うためにも、迅速な本人確定が必要だったのだ。

「特定ができた時点で被害届を取り下げるべきだった」というのも法を知らない者のコメントだ。親告罪じゃないから、被害届が取り下げられても、警察には捜査を継続する義務がある。

ただ、大学は、もし監督をきちんとしていたら発見できていたなら、他の受験生に対しては重大な義務違反をしているといえるだろう。

受験生全員が、受験する大学に対して、「試験を公正に運用し、自分の学力を適正・公平に判定してもらう」権利を有し、それを4大学の受験生は侵害されたといえるだろう。

入学定員が決まっているので、合否判定は相対評価になるから、個々の受験生は、不正な手段で高い点を取った受験生との関係で、自分がそうでない場合より低い順位の受験生として判断されることは絶対ないと保証してもらう権利がある。

自衛隊の労災事故がきっかけ(不法行為だと提訴の時点3年の短期時効が完成しているので、時効期間が10年である債務不履行責任を利用しようとした)で現在は判例上確立されている「安全配慮義務」類似の考え方である。
池田小学校の児童殺傷事件で被害者遺族が学校(国)を訴えたのもこれだし、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダの責任もこの一種であり、江戸川区役所が分煙対策を取らなかったために、同僚の喫煙により呼吸器の疾患になったとして訴え勝訴した(賠償金は5万円だけど)のもこの義務違反である。

受験生一般に対するこの義務違反については、4大学はきちんとした説明責任を果たすべきだろう。


4大学のHP全部にこの件についてのメッセージが出ているが、既に当該予備校生を合格させ、それを取り消した早大のそれは、刑事責任には一切触れず、答案を精査して、知恵袋との類似性から不正行為者を特定し、以前からある規程に従って合格を取り消したと説明している。つまり、民事上の処理をしただけだ、ということが強調されている。行為者が未成年でおそらく刑事責任を問われるところまで行かないことを見越した、リスク管理的にはスマートな説明方法で、さすが総長が法学者だけのことはあると思った(私はこれをほめるつもりはないが、リスクヘッジ的には正解だというだけ)。


気になるのは、12日に行われる後期日程に、逮捕された予備校生が出願している場合、受験させてもらえないのかどうかだ。

もちろん、私は今回の行為が、偽計業務妨害罪の構成要件に該当し、可罰的違法性もあると考える。

しかし、行為者が未成年なので、家裁の審判で少年事件として処理される可能性が高いと思う。家裁から検察に逆送されて刑事裁判になる可能性は0ではないが(光市の事件等がそう)、一般的に逆送されるのは、殺人事件などの凶悪事件であるケースがほとんどだからだ。


だからといって、今回のような卑劣な行為をした者が、「大学はなにもそこまでしなくてもいいのに」という論調で同情を受けるのだけはおかしいと強く感じる。正直者が損をする、のが現実の社会かもしれない。しかし、教育の現場だけは、絶対そうであってはならない、民主社会のボトムラインとして絶対に死守すべきだ。

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オペラ トリスタンとイゾルデ

2011年03月04日 | 演劇
2010年12月25日(土)、新国立劇場で。

このためだけに日帰りで上京してきた。

ワーグナーは三島が愛した作曲家であり、自ら監督・主演した映画『憂国』の全編を通して流れている曲がこれなのである。

切腹シーンがあるせいか、遺族が公開を禁止し、そのため、ずっと、そのビデオも門外不出だった。
毎年山中湖の三島由紀夫文学館で開かれるセミナーで演出に関わった堂本正樹氏が「私がビデオをもっていることも、夫人が聞いたら怒るくらいだ」と発言していたことがある。(私は銀行員をしていたとき、三島の読書会の友達と堂本さんを囲んだ研究会を企画・実施したことがある)現在は夫人も亡くなり、遺族の態度も軟化して、市販されているようだが。

憂國 [DVD]
三島由紀夫,渡辺公夫
東宝



三島由紀夫の好きなもの・影響を受けたものとこの作品の関連もある。

○ニーチェ 『悲劇の誕生』にあるアポロン的なもの、デュオニソス的なものの二項対立が三島作品に通底している。
→今回パンフレットで思い出したが、『悲劇の誕生』で「イゾルデの愛の死」が引用されていた。

悲劇の誕生 (岩波文庫)
Friedrich Nietzsche,秋山 英夫
岩波書店



○トーマス・マン 『トニオ・クレーゲル』に描かれた、青春の象徴:ハンスやインゲと、他人の輝く青春を「見る」ことしかできないトニオが、『禁色』や『豊饒の海』等にある、人生を真に生きることのできない「見者」の絶望の基底になっている。
→今回知ったが、マンは『トリスタン』という短編を書いていた。

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
高橋 義孝
新潮社


○ヴィスコンティ
三島が最も好きな映画はマン原作の『ベニスに死す』。
性的嗜好だけでなく、その世界観は三島作品と通底。
→これも今回知ったが、『地獄に墜ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』ではトリスタンが使われている。
ルートヴィヒ2世もワーグナーを偏愛し、その居城ノイシュバンシュタイン城には「トリスタンとイゾルデ」を上演するための部屋があって、壁にはその絵が描かれている。(その隣の部屋がドアを開けるといきなり洞窟になっていたりする。それは『タンホイザー』に出てくる洞窟を模しているのだ。)

ベニスに死す [DVD]
ダーク・ボガード,ビョルン・アンドレセン,シルバーナ・マンガーノ,ロモロ・ヴァリ
ワーナー・ホーム・ビデオ




初めてこの作品を舞台で見て、三島作品のもう一つの基底になっている、「義母への許されぬ愛」というテーマもこの作品にはあると感じた。

ときくと意外かもしれないが、トリスタンにとって父代わりであるマルケ王の后であるイゾルデを愛したことは、そのように解釈することもできるのだ。

父の後妻への愛、というテーマは、ラシーヌの『フョードル』が有名で、三島はとくにこの作品を愛して、自作の歌舞伎『芙蓉露大内實記』に翻案したり、『燈台』という戯曲をものしている。

前者はほとんど上演されず(『椿説弓張月』は死後も何度か上演されていて私も2,3回見たが)、後者も初演以来殆ど上演されていなかった。それが、90年代に英国人演出家デイヴィッド・ルボー氏によって、森下のベニサン・ピット(なくなってしまったのが惜しまれる)でTPTで堤真一、佐藤オリエ主演で上演され、私は見逃してしまったが、その後何度もTPT作品を見に通ううちに、森下駅でルボー氏を見かけ、三島作品について話ができたことがある。


さらに、トリスタンが、自らイゾルデを王との結婚式のためにアイルランドに呼びに行ったときならまだ間に合ったのに、そのときは奪おうとせず、正式に王の妻になった後、逢瀬を繰り返すという筋書きは、『春の雪』で、松枝清顕が、父侯爵に「今なら間に合うが、勅許が出たらもうだめだぞ。本当にいいのか?」と念を押されたときは平然としていて、聡子と洞院宮治典(京都に東洞院通りと西洞院通りという結構大きな通りがあり通る度に私は三島を思い出すのである)との婚姻の勅許が降りたとたん、激しい恋情を自覚して、密かに逢瀬を繰り返すことと重なる。とくに、湘南の浜辺での情事のシーンを書くとき、三島の頭にトリスタンのエピソードがあったに違いないと思った。

三島が国民は天皇の赤子という思想を信じていたとは思えないが、天皇が一種父なる者と考えていたとしたら、皇族の許嫁と通じるということはやはり共通するテーマになる。


それにしても、装置や衣装が簡素すぎる(イゾルデが柄も飾りもないあっぱっぱみたいなワンピースを着ているのだ)のが、どうにかならないものかと思った。他人の体型のことはいえないが、イゾルデ役があの体格なら、侍女の役もそれなりの体格でないと。小さくて細い侍女が大きいイゾルデを抱きしめると、子供が大人を保護しているみたいで変だった。

最近はそういう演出が流行みたいだがどうかと思う。

新国立でオペラを見るのは二回目(ニューヨークのメトロポリタンやロンドンでは10回以上見たけど)だったが、1回目のカルメンは、隣のカップルのマナーの悪さに辟易した。
中年男性と若い女性だったが、女性の方は、つまらなそうにし、上演中に堂々と携帯画面を見て操作している。端とはいえ、一番前の席なのだから、出演者にも失礼だろう。男性は、聴いたことのある曲が出てくると(カルメンはCM等で使われている曲が多い)、一緒に大声で歌うのだ。(もちろんフランス語でなく、ラーラーみたいな感じで)知らない曲の時は、退屈そうにもぞもぞもぞもぞしている。相当体格の良い男だったので迷惑この上なかった。
こんな不愉快な経験をしたのは初めてだったが、トリスタンではそういうことがなくて良かった。






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