夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

オペラ トリスタンとイゾルデ

2011年03月04日 | 演劇
2010年12月25日(土)、新国立劇場で。

このためだけに日帰りで上京してきた。

ワーグナーは三島が愛した作曲家であり、自ら監督・主演した映画『憂国』の全編を通して流れている曲がこれなのである。

切腹シーンがあるせいか、遺族が公開を禁止し、そのため、ずっと、そのビデオも門外不出だった。
毎年山中湖の三島由紀夫文学館で開かれるセミナーで演出に関わった堂本正樹氏が「私がビデオをもっていることも、夫人が聞いたら怒るくらいだ」と発言していたことがある。(私は銀行員をしていたとき、三島の読書会の友達と堂本さんを囲んだ研究会を企画・実施したことがある)現在は夫人も亡くなり、遺族の態度も軟化して、市販されているようだが。

憂國 [DVD]
三島由紀夫,渡辺公夫
東宝



三島由紀夫の好きなもの・影響を受けたものとこの作品の関連もある。

○ニーチェ 『悲劇の誕生』にあるアポロン的なもの、デュオニソス的なものの二項対立が三島作品に通底している。
→今回パンフレットで思い出したが、『悲劇の誕生』で「イゾルデの愛の死」が引用されていた。

悲劇の誕生 (岩波文庫)
Friedrich Nietzsche,秋山 英夫
岩波書店



○トーマス・マン 『トニオ・クレーゲル』に描かれた、青春の象徴:ハンスやインゲと、他人の輝く青春を「見る」ことしかできないトニオが、『禁色』や『豊饒の海』等にある、人生を真に生きることのできない「見者」の絶望の基底になっている。
→今回知ったが、マンは『トリスタン』という短編を書いていた。

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
高橋 義孝
新潮社


○ヴィスコンティ
三島が最も好きな映画はマン原作の『ベニスに死す』。
性的嗜好だけでなく、その世界観は三島作品と通底。
→これも今回知ったが、『地獄に墜ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』ではトリスタンが使われている。
ルートヴィヒ2世もワーグナーを偏愛し、その居城ノイシュバンシュタイン城には「トリスタンとイゾルデ」を上演するための部屋があって、壁にはその絵が描かれている。(その隣の部屋がドアを開けるといきなり洞窟になっていたりする。それは『タンホイザー』に出てくる洞窟を模しているのだ。)

ベニスに死す [DVD]
ダーク・ボガード,ビョルン・アンドレセン,シルバーナ・マンガーノ,ロモロ・ヴァリ
ワーナー・ホーム・ビデオ




初めてこの作品を舞台で見て、三島作品のもう一つの基底になっている、「義母への許されぬ愛」というテーマもこの作品にはあると感じた。

ときくと意外かもしれないが、トリスタンにとって父代わりであるマルケ王の后であるイゾルデを愛したことは、そのように解釈することもできるのだ。

父の後妻への愛、というテーマは、ラシーヌの『フョードル』が有名で、三島はとくにこの作品を愛して、自作の歌舞伎『芙蓉露大内實記』に翻案したり、『燈台』という戯曲をものしている。

前者はほとんど上演されず(『椿説弓張月』は死後も何度か上演されていて私も2,3回見たが)、後者も初演以来殆ど上演されていなかった。それが、90年代に英国人演出家デイヴィッド・ルボー氏によって、森下のベニサン・ピット(なくなってしまったのが惜しまれる)でTPTで堤真一、佐藤オリエ主演で上演され、私は見逃してしまったが、その後何度もTPT作品を見に通ううちに、森下駅でルボー氏を見かけ、三島作品について話ができたことがある。


さらに、トリスタンが、自らイゾルデを王との結婚式のためにアイルランドに呼びに行ったときならまだ間に合ったのに、そのときは奪おうとせず、正式に王の妻になった後、逢瀬を繰り返すという筋書きは、『春の雪』で、松枝清顕が、父侯爵に「今なら間に合うが、勅許が出たらもうだめだぞ。本当にいいのか?」と念を押されたときは平然としていて、聡子と洞院宮治典(京都に東洞院通りと西洞院通りという結構大きな通りがあり通る度に私は三島を思い出すのである)との婚姻の勅許が降りたとたん、激しい恋情を自覚して、密かに逢瀬を繰り返すことと重なる。とくに、湘南の浜辺での情事のシーンを書くとき、三島の頭にトリスタンのエピソードがあったに違いないと思った。

三島が国民は天皇の赤子という思想を信じていたとは思えないが、天皇が一種父なる者と考えていたとしたら、皇族の許嫁と通じるということはやはり共通するテーマになる。


それにしても、装置や衣装が簡素すぎる(イゾルデが柄も飾りもないあっぱっぱみたいなワンピースを着ているのだ)のが、どうにかならないものかと思った。他人の体型のことはいえないが、イゾルデ役があの体格なら、侍女の役もそれなりの体格でないと。小さくて細い侍女が大きいイゾルデを抱きしめると、子供が大人を保護しているみたいで変だった。

最近はそういう演出が流行みたいだがどうかと思う。

新国立でオペラを見るのは二回目(ニューヨークのメトロポリタンやロンドンでは10回以上見たけど)だったが、1回目のカルメンは、隣のカップルのマナーの悪さに辟易した。
中年男性と若い女性だったが、女性の方は、つまらなそうにし、上演中に堂々と携帯画面を見て操作している。端とはいえ、一番前の席なのだから、出演者にも失礼だろう。男性は、聴いたことのある曲が出てくると(カルメンはCM等で使われている曲が多い)、一緒に大声で歌うのだ。(もちろんフランス語でなく、ラーラーみたいな感じで)知らない曲の時は、退屈そうにもぞもぞもぞもぞしている。相当体格の良い男だったので迷惑この上なかった。
こんな不愉快な経験をしたのは初めてだったが、トリスタンではそういうことがなくて良かった。






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