冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

月が見える

2021年07月29日 | 生活
月は不思議だ。
私が寝ている部屋はブラインドとカーテンがつけてあるものの、遮光性はあまりないので外が明るくなると部屋にも差し込んでくる。そしてブラインドの隙間があってそこから月が見えたりする。
あるとき横になって窓の方を見たら、月が目の中に飛び込んできた。そしてなぜだかやけに輝いている。まぶしいくらいだ。
次の日、同じくらいの時刻に窓を見たが月がいない。曇っていて見えないわけではなく、出ている位置が昨日と少しずれているのだ。毎日ちょっとずつ東にずれていくらしいことは聞いたことがあるが、ここでも同じなのかな。

月が不思議だと思うのは、出てくる位置が毎日違うし、夜の間にもどんどん動いていくこと。また朧がかっていたり、オレンジや黄色、赤っぽかったり色も違うし、三日月やら半月やらと形も変えていくし。季節によって高さも違うので、いつも違うところに存在している感じ。さっき向こうの窓の方から見えた月が、本など読んでさて寝るかと窓を見ると、目の前の位置まで来ていたりして「おや、ここまできたのね」と思ったりする。
あるとき「今日は満月だがうちのどの窓からも見えない」という位置に出ていたらしい。午前4時くらいにふっと目が覚めて窓に顔を向けたら月が目の前にいた。

太陽はまぶしいから直視することができないため、たいていどんな状態なのかよくわからない。天気の良い日は気持ちも良くて太陽がありがたく思えるし、ここのように冬が長くどんよりしている日々が続くと、太陽が出ることのありがたさをしみじみと感じる。ただ、容赦なく照りつけてなにもかも白日の下にさらけ出すかのような陽光もある。ここは日本より太陽の光が強烈なので余計にそう思うのかも。

形や色や出ている位置などをいつも変えてくる月は神秘的だ。何か隠し事を持っているかのようにそっと空に浮かんでいる。
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そういえばオリンピック

2021年07月26日 | 日本のこと
ついに開幕した東京オリンピック。
こちらではあまり話題にのぼらないままであった。たまには記事を見かけるのだが扱いが小さくて見落としてしまうほど。
開催間近になって、ほとんどの会場で無観客となったという記事は比較的大きく載っていた。あとは、いよいよ開催だけどほんとに大丈夫?的な記事もあった。
開催間近になるとさすがにもう少し記事を見かけるようにもなった。開会式で旗を持ってカナダチームの先頭に立つ2人の紹介とか。そのうちの一人はラグビーの選手で日系人である。私が以前勤めていた新聞社では、ラグビーの世界大会が開かれたりするとこの選手にフォーカスしたりしたので(日系人であるが故)名前も顔写真も何度か拝見している。

カナダは女子サッカーは強いので活躍が期待されているようだ。ベテランでキャプテンも務めるシンクレア選手はBC州バーナビー市出身。私が住んでいる市であるが、ここではこの選手はもうスターというかレジェンド的。うちから車で10分程度のところに人工芝のフィールドを何面も備えたスポーツセンターがあるが、ここの建物の名前が最近彼女の名前をつけたものに変更された。それだけすごいわけである。このフィールドには息子や娘のサッカーの練習や試合などで何度も行ったことがある。ワールドカップのころにはカナダ女子サッカーチームが練習場所にもしていたらしい。いちどだけそこの建物内でシンクレア選手を見かけたことがある。やっぱり背が高いなぁ、足長い~と思ったことを覚えている。

日本のテレビ番組を楽しませてもらっているテレビジャパンだが、放映権だかの関係でオリンピックの様子は放映できないのだそうだ。ということでカナダのチャンネルで見るしかないわけだが、当然カナダの選手が出てるところを重点的にうつすからねぇ。
開会式はちょうどいい時間に放映されてたので見てみた。内容はところどころ端折られていたようでパフォーマンスの全部を見れたわけではない。選手団の入場(これも端折られてたけど)は「どんなユニフォームかな?」という楽しみがある。イタリアのユニフォームがヘンだった~。なんかチェーンのピザ屋さんのロゴみたいなマークがついてたりして。
でも選手たちが楽しそうに行進している様子はやっぱり見ていて楽しい。
Misiaさんの国歌斉唱はよかったですね。なんか「君が代」って感じがしない、かっこよさ。もはやMisiaさん自身の歌になっている感じ。アメリカやカナダでホッケーやフットボールの試合の前に歌手が国歌を斉唱するのを聞くと、かっこいいなーと思うことがよくある。これは国歌そのものがかっこいいからなのかなと思っていたのだが、実は歌い手によるところが大きいんだということに気づかされた。
あとは上原ひろみさんのジャズピアノもかっこよかったよね。ひとりで演奏してあんなに存在感が出せるってやっぱりすごい。

いろいろと物議を醸しているオリンピックではあるが、ともかく始まったことだしあとは無事に終わってほしいものですね。
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「本が好き、悪口言うのはもっと好き」

2021年07月24日 | 読書
これは高島俊男さんのエッセイ集のタイトルである。1994年に出たもので私は1998年に文庫になったものを購入した。ということでまた古い本なのであるが、最近手持ちの新しい本がなくなって前から持っている本を読み返しているのである。私の本棚のスペースの関係上、もう読み返すことはないなと思う本は寄付したりして一定数以上にならないように努力している。だから手持ちの本はほぼお気に入りの本ばかりであり、このエッセイ集も今までに何度も読み返している。
なお、高島さんは今年の4月に亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。

高島さんは中国文学の研究をなさっていたとのことで、李白と杜甫、水滸伝、三国志などについての著作もあるそうだが、私はそれらは読んだことがない。おそらく一番多いのは週刊誌で連載していたエッセイをまとめたシリーズだろう。18巻くらい出ていたとか聞いたことがある。
さて、このエッセイ集では中国関連以外のこともたくさん書かれており、内容充実で面白い。言葉や国語辞典についての話、新聞についての話、書評、支那という言葉について、身辺雑記などなど、取り上げている題材は多岐にわたる幕の内弁当のような著作である。高島さんの書くものは明解な筆致でわかりやすいし、なによりちょっぴり辛口な文章が面白いのである。

「なごやかなる修羅場」というエッセイでは「歌仙」という本について書かれているのだが、歌仙についての丁寧な説明もあるのが親切。俳諧のことなど全く知らない私には、これがなかったらなんのことやらさっぱりだっただろう。それにしても歌仙の座での宗匠とそのほかの連衆が交わすやり取りが、一見誉め言葉のようでいて実はかなり嫌味っていうのがあって、まさに「なごやかなる修羅場」。高島さんも「和気藹々たる敵意の衝突」と書いているが全くその通り。この「歌仙」という本は丸谷才一さんなどが参加しているが、そういえば丸谷さんの本にも歌仙のことがでてたよなぁと、「思考のレッスン」を引っ張り出してこちらも読み返してみた。

李白と杜甫という対照的な2人について詳しく説明されているエッセイもおもしろい。どちらも高校の漢文の授業で取り上げられていたなぁ、というほどの理解しか持ってなかったんだけど。
その中でそれぞれの良い作品を挙げられている。杜甫の「旅の夜に憶い(おもい)を書す」という詩の最初の四句二聯をここに引用してみる。

細草微風岸   
危檣獨夜舟
星垂平野闊
月湧大江流

細い草がたなびいている岸辺で 高い帆柱のもと一人で過ごす夜の舟
星は垂れ下がるように輝き、平野は広々としている
月は水に湧き出たようにうつり、長江は流れている

訳したものはこんな感じらしいのだけど。高島さんはこの詩のどこが良いのかという説明はされていなかったのが残念(だって私など詩を読んだだけではわからないのだもの~)。
それにしても「月が湧く」っていう表現がいいよなぁ。月が湧き出たように水に映っているというのと、月が水面から湧きあがるようにのぼるという解釈があるそうなんだけど、どっちにせよ良い。「星が垂れる」というのもいいよね。
私にはこの2つの表現が特に印象的な詩だ。

他にも狩野亨吉、江馬修などいまや知る人は少ないのでは(このエッセイの発表当時であっても知名度は高くなかったと思うが)というような人物の話も興味深かった。まさに奇人としかいいようのない狩野のエピソードにもびっくり仰天する。ここでは詳細を書きたくないけど(笑)。
また50歳以上年下の女性、直美さんを見初めて、ついには一緒に住むようになる江馬のエピソードも仰天もの。親子どころか祖父と孫ほどの年の差ではないか。ほかの女性と暮らしていた江馬の求愛から逃げていた直美さんだが、江馬が見つけ出し、ぎゅっと抱きしめて「君がいないとダメなんだ」みたいなことを言ったというくだりなど、76歳でこれって!とあきれるとともに、その生命力のすごさに感心してしまった。この江馬修についてのエッセイのタイトルは「おれはひとりの修羅なのだ」。高島さんのエッセイはタイトルのつけ方も秀逸なんである。
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夏休み・子育てについての感慨

2021年07月19日 | 子ども・家族
夏休みである。
学校は6月の第3週で終了。それより先に卒業式もあって、やっと下の子も学校を出たというわけだ。とはいえ、息子は9月からも学校に行くけど。
卒業に先立って息子の免許取得により私の送り迎えも終わった。
5月末で職業訓練のコースが終わり、残り1か月ほど高校に毎日通うということになった。そしてひとりで運転することが可能な免許を取得した息子は、自分で車を運転して学校に行くようになったのである。おんぼろターセル君で。
カレッジや大学の駐車場は有料であり、職業訓練コースを受けていたのもカレッジだったので、車で行くと駐車料金がかかってしまう。が、高校の駐車場は無料である。高校3年生くらいになると自分で運転できる子も結構いるので駐車場も作られているわけだが、免許を持ったからといって自分が自由に使える車を持っている子は限られてくるため、駐車場はいっぱいになるということはまずない。

というわけで今年6月、私はついに子供の送り迎えを卒業したのである。上の子がプリスクール(幼稚園みたいなもの)に通うようになってから数えて実に18年。学校の送り迎えに加えて習い事や友達の家に連れて行くというのも多々多々あった。私の時間というものの多くは、子供の送り迎えに費やされていたといっても過言ではない。いまや習い事もなく(息子がバイオリンをやっているがこれも自分で行くようになった)、子供たちはどこへでも自力で行くので、私がどこかに連れて行くということもなくなった。子育ての第1段階が終了した気分だ。というか子育てというものはほぼ終了したといってもいいかもしれない。BC州では19歳で成人とされる。そこまで息子はあと1年ちょっとあるのだが、息子が成人すれば子育ては終了といえるだろう。成人したって子供には変わりないが、これからは育児ということではなくなる。娘はまだ学生で授業料なんか払っているから、お金はまだ払わされているのだけどね。それに成人したってすぐ家を出るというわけでもない。娘は家を出たがっていて、さっさと寮に入っちゃったりしたけど、息子の方はなかなか出ていきそうにない感じ。
まぁとにかくお世話をしてやらなくてもよくなってきたのは、やっぱり楽なんだよな。

振り返ってみると自分の子育てはいろいろ(かなり?)間違いもしているし、すばらしい親ではなかったかなぁとは自覚している。でもまぁもしも戻れたとしてもやっぱり同じような間違いをしてしまうんだろう。そもそも子育てに正解なんてない気がする。
息子が小さかった時、「君が運転免許を取ったら、車に乗せてもらっていろいろ連れて行ってもらいたいなぁ~」なんて冗談半分でいったことがある。息子は「うん!Let's explore the world!」なんて言っちゃってさ。いろんなとこ探検しよう、っていいねぇ。実際は車に乗せてもらう機会は多くないし、あっても息子の用事に付き合うために同乗していることの方が多いけどね。言った本人はとっくに忘れていると思うけど、そういうこと言ってくれただけでうれしいわけだよ。
立派な親じゃないけど、まぁなんか大変だったり、困ったりしたときは、私はここにいるから声かけてよね。大したことはできないかもしれないけど話は聞けるし、ちょっとは力になれるかもしれないしね。なんてことを子育て終了を控えて思うのであった。
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卒業式

2021年07月14日 | 子ども・家族
息子は12年生、日本でいうところの高校3年生。こちらでは6月は卒業の月だ。大体の高校は5月末に卒業式をおこなうが、6月も3週間くらいは学校に行かなくてはならないので卒業式の次の日からも普通に登校する。卒業式で「みんな卒業おめでとう~」と盛り上がった後に、「じゃ、また明日ね」となるのが不思議なんだけど、こっちでは普通らしい。
今年はコロナの影響で大人数で集まってはいけないため、Zoomとかで卒業式をおこなったところも多かったようだ。それでも規制が少し緩和されたので、6月末まで開催を待って人数を制限しながらおこなったところもあったらしい。
通常私の住む市の公立校はみな同じ会場を使う。その会場では5月末の1週間、毎日どこかしらの高校が卒業式をおこなうのだ。高校の卒業生は多いところで400人以上少なくても200人程度はいるので、大きな会場が必要となる。学校の体育館では無理なんだよね。

息子は12年生の1学期ごろまで普通の高校に通っていたのだが、途中から特殊学校へ移った。ここは普通の学校でついていけない子とか問題児が通う学校である。まぁいわゆる落ちこぼれ生徒用の学校である。この学校に今年は10年生から12年生まで30人くらい来ているとか聞いた。普通の高校で卒業式に出られるかもと思っていたのだが、それはかなわぬことになってしまった。まぁ、本人はそこが嫌で仕方なくて移ったわけで、そこの卒業式に出られなくても全然気にしていないのだが。
特殊学校のほうも公立校の一環である。6月の初め、ここの学校でも卒業式をしてくれるという。人数が少ないので学校の体育館でおこなわれた。

行ってみると駐車場には風船で飾った写真用のバックグラウンドが用意されていた。すごい、けっこう本格的。先生たちが作ってくれたらしい。
体育館の中には卒業証書を受け取る生徒とその家族(2人まで)が入り、その生徒の順番が終わって退場すると次の生徒が呼ばれて中に入るという形式になっていた。家族はステージから少し離れた場所に、立つスペースが用意されて写真を撮ることができる。
普通の卒業式のように、卒業生は証書をステージ下で受け取りステージに上がる。通常はこのステージ上に先生なんかがいて握手するのだが、今回はステージ上には卒業生のみ。スタッフが写真を撮っている間、司会の人が卒業生の名前を読み上げて今年度こんなコースを取ったとか、学校でこんな活動をしたとか、こういうことが得意だとかなにかしらの褒める点をあげて紹介する。
通常だと家族や友人が見に来ていて、卒業生が呼ばれると名前を叫んだり歓声が上がる。ほかの卒業生たちも声を上げてすごく賑やかな雰囲気になる。日本だったら卒業証書授与は厳かな感じで、受け取り方もきちんとしてないといけない雰囲気だが、こっちはいたってカジュアルな感じで全然違うのがおもしろい。さて今年はそういう人たちがいない状況。で、先生やスタッフが歓声をあげてくれて、卒業式らしい演出をしてくれていたのが印象的だった。こじんまりしているけど暖かな雰囲気で、こっちの学校に来てよかったかもなんて思ったりした。

コロナでいろいろと制限がある中で、せいいっぱい卒業式らしい飾りや雰囲気を演出してくれた先生やスタッフには、感謝の気持ちでいっぱいである。準備も大変だったと思う。ちょっと私は感動してしまったよ。
もっとも息子は今年度、職業訓練コースを取ったため12年生の必須科目が取り切れず、来年度もこの学校にくるんだけどね。ただし来年度はまた別の職業訓練コースもとる予定で、学校に行くのは週の半分ということになりそうだ。

体育館の外に出たら写真を撮る。天気が良くてよかった。雨だったら写真撮るのも大変だっただろう。
本来なら式が終わると卒業生たちは外でフォトセッションでしばし忙しいのだが、今年は他人とは距離を取らなくてはならないわけでそういうこともできない。2,3人でちょっと離れ気味に立って写真撮ることくらいはなんとかできるって程度。だから、なんかもうすることないねー、帰る?って感じに。時計を見たら、式が始まってから30分くらいしかたってなかった!笑っちゃうくらいあっという間でした。



卒業生といえばガウンとキャップ。男の子はこんな感じになります。キャップについているタッセルは、式が始まるときには右側に垂らしておいて、式の途中か終わりごろには左側に移すのが慣例らしい。
記念写真用のガウンを着ているところをモデルにして描いたのだが、実際のガウンは襟元にストライプ模様が入っているということはなくプレーンに真っ黒だ。加えて、幅広ネクタイみたいな長いストールを首から垂らすのが普通で、息子もロイヤルブルーのストールをつけた。これは学校によって色やデザインが違う。
写真スタジオでの前撮りのガウンの襟元のデザインも、きちんと学校ごとのカラーに合わせたものになっている。たとえば娘の時は、青と黄色だったのだがこれは娘が卒業した学校のテーマカラーであり、学校の旗なんかもこの色になっている。息子が卒業予定だった学校は赤(えんじ色に近い)と黄色の取り合わせで、息子もそれをつけて写真を撮った。前撮りのときはまだ学校を変えてなかったのでね。
卒業証書は丸めてリボンで結んであるのが定番とはいえ、実際は丸めずにファイルフォルダみたいなのに入れてくれる。この方があとあとの保存には便利。丸めてあるとしわしわになるのだ。
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熱波とか規制の緩和とか

2021年07月13日 | 生活
6月末、ものすごい暑い日が数日続いた。日本でも報道されたようだが、カナダとアメリカの西部が記録的な暑さとなった。
金曜日「暑くなってきた」、土曜日「さらに暑くなってきた」、そして日曜日と月曜日が猛烈に暑かった。火曜日「まだ暑いけど昨日よりは少しマシ」、水曜日「少しマシになった」って感じである。
BC州で一番暑いらしいリトンという村では49℃という記録を打ち出してしまった。1937年にサスカチュワン州のどこかで45℃というのが今までの最高気温だったらしいのだが、リトンでは日曜から3日間、46、47、49℃と順調に更新してカナダで一番暑いところになってしまった。バンクーバー辺りでは34℃くらいになったのだが、体感温度は40℃とか。いつも思うんだけど体感温度ってどうやって測っているんでしょうね(計算式があるらしいが)。
日本のような蒸し暑さとは違い、砂漠のような暑さという感じだったと思う。照りつける太陽は容赦なく、外に出ると熱気ともいえるような暑い空気が襲ってくる。通常、夏でも朝晩は涼しくなることが多いのだが、この熱波の時は朝晩も暑かったのもつらかったよね。

熱中症が原因と思われる突然死も多かった。救急車の要請が激増し、救急車待ちが何時間も続いたという。不幸なことに救急車がなかなか来ないため、待っているうちに亡くなってしまった人もいたということだ。救急隊員もコロナがあったり、依然多いままの薬物過剰摂取のケースに対応するなど、すでに手いっぱいのところにこの熱波で、要請に応えてすぐに行きたくとも手が回らなかったらしい。彼らにとってもつらい状況だったろうなと思う。こちらの人はもともと暑さには慣れてないし、いきなりこんなに暑くなったら体力の低下している人や基礎疾患のある人なんかには危険な事態だっただろう。いまはものすごい暑さとまではいかなくなったものの、相変わらず暑く乾燥しており山火事が頻発中。これはこれで問題である。

さて、BC州では再開プランなるものが順調に進められている。7月1日から第3段階に入った。去年3月半ばからずっと出ていた緊急事態宣言が解除(公衆衛生緊急事態宣言とかいうものが別にあるのだがこれはまだ解除ならず)。マスクは屋外屋内とも着用が義務づけられず、推奨ということになった。個人的な集まりに関しては人数制限などがなくなった。人数制限はあるものの、イベントなんかも開催することが出来るようになった。カナダ国内なら旅行ができるようになった等々。といった具合で、今年の夏はパンデミック前の状態にかなり近いものに戻れそうな感じだ。

7月1日はカナダデーだった。カナダの建国記念日だ。数年前よりクローズアップされてきているが、カナダの先住民の人たちには「カナダデーとは、自分たちがもともと住んでいた所にイギリス人やフランス人なんかが侵略してきて建てた国を記念する日なので、自分たちとしては祝いたくない」と考える人も多いということである。
カナダのあちこちにレジデンシャルスクールというものがあったのだが(なんと1990年代まで存在していた学校もあったとか)、これは先住民の子供たちを強制的に親から引き離して入学させる寮付きの学校である。その多くはキリスト教の教会が運営していた。英語を習わせて自分たちの母語を話すことを禁じたり、キリスト教徒に改宗させたりといったことも問題ありありだが、虐待なんかもかなりあったようである。
今年5月、BC州にあるこうした学校の跡地から、記録にない子供たちの遺骨が多数発見されたことを皮切りに、サスカチュワン州、そしてBCのまた別の跡地で多数の遺骨が見つかった。こうしたことで今年のカナダデーはいつも以上に「祝っていいの?」というような雰囲気になったともいえる。実際、イベントをキャンセルしたところも多かった。

カナダデーのお祝いイベントをキャンセルするかどうかについては、賛否両論。そうした歴史的事実を踏まえつつ、過去の過ちを反省し、謝罪し、今後は皆が良きカナダ市民としてお互いを尊重しあい助け合い、ともに良い国を作っていこうという決意みたいなのを表明する機会とするならば、カナダデーの意義もあるんではなかろうかと思うが、そう簡単なものでもないのも確かだ。
今年のカナダデーでカナダの首相などいろんな人がメッセージを発信したのだが、単なるお祝いという感じではなく、負の遺産ともいうべきこの事実を十分に受け止めて反省し、より良い未来への足掛かりとしたいという感じのメッセージが含まれたものとなったようだ。
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The Police

2021年07月11日 | 思い出
私が高校生の時に最も好きだったバンドはポリスだ(今も好きだが)。ポリスとしての活動は1977年ごろから1983年ごろまでと短く、その間に出したアルバムは5枚。私がせっせとそのアルバムを買い集めて聞いていたのは、事実上解散となる活動休止をしたころだったのでファンとしては出遅れている。
そうそう、その頃はまだレコードだったのですよ、懐かしいよねぇ。カナダにくるにあたってレコードはかさばるし重いので、かなり処理していったのだが(知り合いにレコードならなんでももらうよ!という人がいたのでどっさり差しあげた)、ポリスとその後のメンバーのソロのレコードは大切にこちらに運んできた。もっともこちらでプレーヤーを持っていないため、レコードのほうは全然聞いてないのだけどね。

いま聞いてもやっぱりポリスはすごい!と思う。3人がそれぞれとても高い演奏技術を持っていて、短い活動期間の間に名曲が詰まっていると断然思う。バンドとして最低限の人数でこれだけの表現力。無駄なところもないけど、スカスカ中身がないということもない。私は音楽の技術的なことには詳しくないため、どんな機材を使ってどんなプレイスタイルでとかといったことは全然わからない。だから感覚で書いてます。見当違いも多いかもしれないんだけどね。
スティングのベースのリズム感も卓越しているとおもうけど、なんといっても高音でいてハスキーなあの声がたまらんのです。若き頃はすごいハイトーンで、さすがに年を重ねてからはあそこまでは出ないけど、今の声は深みが出てさらに素敵だと思う。
アンディ・サマーズの軽やかなギターも独特な感じだ。リードギターの派手なソロみたいなのがあまりないと思うんだけど決して地味じゃない。うちの息子が最近気に入っている「Every Breath You Take」。日本語タイトルは「みつめていたい」。ストーカーソングと私は呼んでいるが、いい曲ですよねぇ。私も大好き。ポリスの最大のヒット曲でしょう。この曲の印象的なギターのフレーズを弾こうとしているが「難しいー」とのこと。見ていると左手が開いている感じで、うん、手首が痛くなりそう。
スチュワート・コープランドのドラムは、手数が多くて、つき抜けるようなドラム音がかっこいいと思う。とにかく多彩なリズムを繰り出すスタイルは圧倒的と私は思っている。

3人がそれぞれあれだけの技術を誇っていると、バンドとしてまとまるのは大変なのではなかろうかと思う。それぞれがバンドを引っ張るリーダーみたいになっちゃって。実際、最後のアルバムはばらばらにレコーディングしていたとかなんて話も聞く。そんな感じだからバンドとしての活動は長続きはしなかったわけだろうなぁ。
いまから13年くらい前に期間限定的に再結成をしてツアーをしていた時、バンクーバーにも来たのである。私はぼんやりしていて気がついたらチケット販売が始まっていた。当然すぐソールドアウトでして。悔し涙に暮れましたよ。
ずいぶん経ってから、知り合いが日本公演の動画を教えてくれたのでそれを見た。今度は感動の涙。これ見ているとほんとすばらしくて。アンディのギターソロもかっこいいぞ!この時御年65歳ってのがまたすごい。スチュワートはドラムだけでなくパーカッション部門も担当、縦横無尽の大活躍。疾走感のあるドラムがかっこいい!スティングの歌はいうまでもなく衰えぬすばらしさで感動感激。などなど、ボーボーと燃え上っていた私。
見ながら「そうそう、コンサートではこの曲からあの曲につながってくんだよね」とか思い出したり。セットリストの組み方も、当時のものをなぞったようになっているのもファン思いかなと。そこここでメンバーのおちゃめな姿が垣間見えたりするのもホントいいんですよね。
なんかねぇ、つまるところ、彼らの音楽は私の青春そのものなんですよ。
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さて再び

2021年07月10日 | 生活
お久しぶりです。
私は根性と体力はないのだが、健康である(つまり病気はほとんどしない)。だが、さすがに50を過ぎるとなんだかいつもどこかしら不調みたいな感じになってきた。腰が痛いだの、膝が痛いだの、胃が痛いだの、貧血気味で疲れるだの、めまいがするだの。そんなわけで体調がすぐれぬ日が続いてしまった。更年期障害なんてのもあるお年頃だしね、仕方ないよね。
いつもぼんやりして過ごしている私でもストレス感じたり、疲れちゃったりってことはあるわけで、しばしのあいだ心身を整えていたのでした。

年を取るのはあんまりうれしいことじゃない。でも避けられないならあきらめるしかない。悪いことばかりじゃないさと。
中島みゆきさんも昔こう歌った。
「としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか」
断ち切りたい思いもやるせない気持ちも忘れてしまえと私は坂を上る。
くじけることもあるけど私は前を向く。私の進むべき方向へ向かって進むよ。

まぁ情けない日々でしたが、そんな時に聞く音楽は何が良いか。
やはりしっくりくるのは中島みゆきさんでしょうということで、ヘビロテした。あとポリスも久々にがっつり聞きたい気分になり、せっせと聞いた。

さてさてまたブログを書いていきたいと思っています。
読んでくださる方、どうもありがとうございます! 良ければこれからもお付き合いをいただければと思います。
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