冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

犬がいなくなって

2020年05月29日 | 子ども・家族
犬がいなくなって1か月以上。
犬がいなくとも日常生活は続くのであって、あれこれとしなくてはいけないことがある。そういう時は気がまぎれるのだが、ふっとした時に涙があふれてきてしまう。

息子にとっては初めての身近な存在の「死」となったせいか(一緒に長いこと暮らしていたという意味においての身近な存在)、衝撃が大きかったようだ。犬の死にはかなりがっくりときていた。
息子が4歳のときから一緒に暮らしてきたし、自身が大きくなるにつれて犬への愛着も高まってきていたように私には見えていた。同時に息子は私がひどく落ち込むだろうと心配してくれていた。犬が一番なついていたのは私だし、私がいちばん長く犬と接してきていたから。だから私は犬のことを話題にしたりしないようにしてきた。話し始めたらきっと泣いちゃうし、心配させたくないし。

生後11か月のときにうちに来てから12年とちょっと。毎日の散歩はほとんど私が担当していた。日本に行くときには、だんなに任せていったが、「お母さんはどこに行ったの?」といった感じで過ごしていたらしい。日本から帰ると大喜びで迎えてくれた。
そんな長い不在ではなくとも、仕事などで長時間外に出て帰ってくると、ドアの近くでちょこんと座って「お帰り~」とばかりに、にっこり(ホントにスマイルしている表情だった)と迎えてくれた。または大喜びでしっぽをぶんぶんと振り回しながら近づいてきたり。
ふわふわの毛皮に顔をうずめると、心臓の音が聞こえてくる。犬のぬくもりに癒されていた。
丸くなって寝ている姿は、小さな茶色い幸せのかたまり。「そこにいるだけでいい」という存在だった。

毎日の散歩もめんどくさいな、と思うこともあった(でも、もちろんきちんと出かけてたけど)。シャンプーとか爪切りとか歯磨きとかが大嫌いで、それをやるのに一苦労するから、「そろそろシャンプーしないとなぁ」と憂うつな気分になったりもした。犬のほうはもっと憂鬱だっただろうけど。シャンプーされているときは、しょぼくれた顔で「なんでこんな目に遭っているのか」とうらめしそうに私のことを見ていたものだ。
爪切りは失敗して血を出しちゃったことが数回。1回はなかなか血が止まらなくて、パニクッた私が抱きかかえて獣医のところに連れて行ったことも(歩けるところにあって助かった)。

先天的に後ろの右足のひざの骨が脱臼しやすくなっていたので、1歳くらいのときに手術。以来、抜歯のためとか、膀胱結石除去のためにとかで全身麻酔を受けた。その他にも、ノミがついて大変な騒ぎになったり、回虫をお腹の中で発生させたり、変なものを拾い食いして下痢したり。獣医さんのところには常連になりつつあった。
亡くなる1年前くらいには心臓が肥大しているというのが発見され、心臓の弁がうまく閉まらなくなるとかで、肺に液体が流れ込むため、ひどい咳をするようになった。そのために3種類の薬を毎日ずっと飲み続けるということになった。
でもその薬のおかげで咳をすることはなくなった。
こんな感じで、健康に問題が多かっただけに、長生きは出来ないかもなとは思っていた。けれど、できたら15歳くらいまで頑張ってくれたらいいなぁと思っていたのだ。まさか13歳になったその当日になくなってしまうなんて。具合が悪くなって数日で亡くなるというのは、私にしてみれば急死とも思える。

いろんなところにも出かけた。
私が子どもと日本に行っている間に、だんなが自分の母親と犬と一緒に、車でカナダ横断してまた同じ道をたどって帰ってきた。往路、復路と1週間ずつくらいかかったと思う。私たちのいるBC州からだんなの故郷であるNB州までいったのだが、NB州はカナダの東のほぼ端っこなのだ。時差が4時間もあるのだからものすごく遠い。
NB州でもだんなの親戚や友達に会ったりして、これはまさに大冒険だったと言えるかも。
私たち家族4人と犬とで1週間くらい、隣のAB州に行ったこともあった。3月半ばを過ぎていたけど、AB州には雪がたくさん残っていた。雪の中で遊んだりもした(ちょっとだけ。寒いから)
バンクーバー島にも旅行に行ったこともあったし、ハリソンホットスプリング(郊外の温泉地。温泉っていっても温水プールみたいだったが)にも何度か一緒に行った。
犬も年を取ってきたのと、子どもたちも大きくなってきて家族で遠出というのがなかなか出来なくなっていったけれど、近場でもいろんなところに一緒に行った。一緒に走り回ったりもした。ほんとにいろんなことを一緒にしたよね。

年を取ってきてアクティブさはなくなってきたけど、その代わりに食い気がどんどんと大きくなった。とにかく食べることが好きで、食べ物のことしか頭にないんじゃないの?という感じだった。
私がキッチンで料理したりしていると、そっとその入り口から顔をのぞかせて「なにか食べるものくれる?」と言いたげにこっちを見ていた。今も、キッチンで作業していると(特に鶏肉の人間があまり食べない部分を茹でただけのものを、犬にあげていたので、鶏肉を切っているときなどに)、ふっとそこに犬がいるような気がしてしまって見てしまうけど、もちろんそこにはいない。
いまでもついつい、「犬はどこかな?」と探してしまったり、振り向くとそこにいるような気がしてしまって、でももちろんいないわけで、「ああ、もういないんだな」と改めて気づかされてその度にぐっとこみ上げるものがある。

犬はいっぱい楽しいことも幸せも与えてくれた。なんにも芸がない犬だったし、家の中でよく吠える(玄関のベルだとか、玄関前を人が歩いていたりとか、私たちが出かけるときとか。だけど外では全然吠えない)うるさいヤツでもあったけど、私たちにとっては本当にかわいいかけがえのない存在だった。
もっとこうしてあげればよかったとか、ああいうことはしてはいけなかったのかもな、とか思うことはいくつかあって後悔の念に押しつぶされそうな気になる。犬は私たちと暮らして幸せだったのかな、そうだったらいいのだけど。

息子は犬の死をきっかけに今までの自分の態度について反省したらしい。これは犬に対しての態度ではなく、学校のことなどを含む生活態度のことらしい。犬の死とそれがどうしてつながっていったのかは謎なのだけど。だけど、そのように息子をシフトさせた犬の存在に私は感謝したい。本当にいろんなものを私たちに残してくれたのだと。ただ、その反省がどれだけ続いて、実際に改善につながるのかどうかは分からない・・とも思う。そのあたりはあまり期待しないでおいた方がいいかもな、とも思う。

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星になった犬

2020年05月23日 | 子ども・家族
うちの犬がお空に上って星になってしまった。4月の半ば頃のことなのだが、このことでしばらく打ちのめされていたので、なかなか記すことができず。友達とかにも話し出したら泣いちゃいそうで話せず、だった。
以下にこと細かに記すのは、自分の記録の為もある。冗長になっていますことご了承下さい。

日曜日くらいからなんだか元気がなかった。その2週間前、血便やら腸からの粘膜まで出すような事態になり、また医者に行かねば・・・と悲しくなりながら連れて行った。前から医者にお世話になることが多い犬ではあったが、シニア期に入ってからはさらに増えてきた。その時は便の一部を持っていって検査してもらい、なにやら細菌に感染しているといわれ、抗生物質が出された。2週間終わるまで飲み続けなくてはならないが、今日が最後というのがこの日曜日だった。薬などそのまま飲むことはないので、薬を入れてあげられるようになっているおやつなんかに混ぜ込んであげていた。それまではだまされるように飲んでいたのだが、最終日のこの日は嫌がって食べたがらない。半ば無理やり飲ませてなんとか抗生物質のスケジュールを完了した。
元気がないうえ、えさ(我が家はドライフード)も食べたがらない。驚くべきことにおやつも食べたがらない。これは問題ではないだろうか。うちの犬はえさは食べたがらない時もあるが(しかしお腹が空くので最終的には食べる)おやつは絶対断らないのだ。ちょうど冷蔵庫にあった、調味料無しの焼いた鮭があったのでそれとちょっとゆで野菜を混ぜてあげてみたら、パクパク食べた。もしかして固いものを食べたくないのかな?口のなかが痛いとか?と思って見てみたけど、私が見える範囲では出血や腫れなどなにもないようだった。

月曜日もやはりドライフードを食べないが、鮭と野菜は食べる。柔らかいものを食べたいのなら、フードを出汁みたいなものでふやかしてみるかと考えた。水は飲んでいる。散歩は遠くまでは行きたがらないもののそこそこ歩いていた。
火曜日になると散歩もほとんど行きたがらなくなってしまった。トイレが終わると「はー、疲れた」といった具合に座り込んでしまう。とりあえずドッグフードではない柔らかめな食べ物は食べるようなのだが、この元気のない状態は良くない気がする。医者に連れて行かないとと考える。

しかし翌日の水曜日、私はどうしても仕事に行かねばならないことになっていた。出勤直前、犬が吐いてしまって昨晩あげた食べ物がほとんど未消化で出てきた。かなり良くないなと思ったのだが、仕事に行かないといけないためひとまず出かける。獣医のところには帰ってからか翌日に行こうと考えて。
夕方帰ってみたら、また吐いてしまったようだ。しかも足の力がいきなり弱くなってしまっていて、吐いたものの上にへたりこんでしまったらしく、胸の辺りの毛が汚れていた。大急ぎで獣医のところに電話したのちすぐに連れていく。朝までは大丈夫だったのに、夕方には4本足で立っていることも出来なくなっていた。
これまでにも下痢気味だったりすると(シニア期になったらそういうことが増えた)、外でトイレをする習慣のあるうちの犬は、入り口の扉までいくもののそこから先は出られないため、そこでしてしまっていた。この日も弱々しくなっていたにも関わらず、吐きそうと思ったらなんとか入り口の扉(しかも途中に階段がある)まで行ったんだ、しかもその後ヨタヨタといつもいる場所まで戻っていったのかと思うと、健気すぎて泣いてしまった。いまでもそのことを思うと泣けてしょうがない。

獣医さんは血液検査をするといって血を取ったが結果は次の日まで分らない。体温は普通だと言う。レントゲンも取ってみると、心臓も肺も薬を服用し続けているのが功を奏しているようで、問題は見られないということだった。ただし、腎臓に結石があるそうで、腎臓の結石は取り除くというわけにはいかないのでどうにもできないと言われた。肝臓もすこし肥大しているようだとも。吐き気止めの注射をしてもらい、食べられるようなら食べさせて、食べないようなら次の日に点滴をしましょうと言われて帰ってきた。

そして夜。日付が変わりそうな頃、呼吸が早くなってきて苦しそうに見えた。時々キャンとか鳴くので、どこかが痛いのかもしれないと不安に。急ぎ、夜診療してくれる緊急病院に電話したら「連れて来て」と言われたので、行くことにした。
うちのだんなは犬のことは大好きだが、大金をかけて延命治療などしても犬がつらいだけだからと行くのを渋っていた。犬が可哀想とか言っているがほんとはお金が惜しいんだろうと分っているので、「お金なんて私が払う!」と怒って出かけることに。結局だんなも息子も乗せて私が運転して病院へ。犬はぐったりしてきている。間に合わないかもしれない・・・
パニックになりそうになりながらも、運転している身としては冷静にならないとと自分に言い聞かせながらの10分間のドライブ。

折りしもコロナのせいで、私たちは中に入れてもらえず、簡単に症状を話し犬だけ預けた。またスタッフが出てきて、もう少し詳しい話などを聞きながらメモを取っていた。最近暖かくなってきたものの、夜中の零時過ぎの屋外は寒い。スタッフの人は「獣医が見ているから車の中で待っていて」。どれくらい待っただろうか。途中、車が入ってきて、慌てて飛び出してくる男女2人組がいた。手にしているキャリーバッグからすると猫だろう。夜中にここにやってくるのは、当然だけど緊急事態のペットを連れて来ている人ばかりだろう。私たちが待っている間、その人たちの猫はしばらく病院で預かることになったのか、2人は帰っていった。うちの犬は時間がかかっているなぁと思い、絶望的な気分になった。

スタッフが出てきて一人だけ中に入れるというので、私が入った。中に入ってもスタッフや獣医とは2m近く離れていないといけない。距離を取るように気をつけながら部屋に入った。獣医がいうには、心臓の機能が低下していて血液の循環がうまくいっていないようだとのこと。でも今日、かかりつけの獣医のところでは心臓は問題なさそうだと言われたと言うと、「そうなの?へんだなぁ」などといっている。ともかく血液の循環がうまくいかず脳もすでにダメージを受けていると思われ、意識も混濁しているらしい。酸素を吸入しているけれど、それをずっと続けても回復する見込みは薄いと言われた。それにもし奇跡的(という言い方からすでに絶望的なんだと分かったんだけど)に持ち直しても、心臓に問題を抱えているから、またこういうことは絶対起きるとも。会う?と言われたので行ってみると、ケージの中でぐったりと横たわった犬に酸素が送り込まれているが、もう意識はほとんどないような感じで、呼ぼうが目の前で手を振ってみようが全然反応してくれなかった。ただ呼吸をしているだけのようだ。もうダメだなとは分かるのだが、感情がついていかない。なんとか治らないだろうか、なんとかならないかと頭の中でぐるぐると。そして、だんなや息子も順番でひとりずつ中に入って犬の様子を見た。
その後、どれくらいか覚えていないが逡巡したのち、「わかりました。もう逝かせてあげてください」と伝えた。涙声になってしまった。

処置の前に書類にサインをしたり支払いをしなくてはならない。遺体は火葬した後に遺灰を返してほしいかどうかとか、安楽死に同意した旨サインをする。
そして処置をする際にはほかの2人も一緒に入っていいと許可を受けたので、外で待っている2人を呼んで中に入ってもらった。処置室には犬が運ばれてきており、もう虫の息だった。眼は開いているけどその瞳には何も映っていない。口はうっすらと開けていた。最後のお別れをしてくださいと言われ、3人でべそべそと泣いた。しばらくすると獣医さんが注射を持って入ってきて、犬の前腕に付けられていた点滴のためのチューブに針を指すとゆっくりと液体が注射器から消えていった。
しばらく聴診器で心音を確認してから「心臓が弱っていて血液の流れが悪いので、到達するのに時間がかかりました」といって臨終を告げた。
そのあとは退室するように催促されることもなく、3人してかなりの間、泣いていた。特に息子は大泣きしていた。

午前零時半ごろに到着した病院を出たのは、午前2時半ごろ。この日は犬の13回目の誕生日だった。誕生日当日に亡くなるなんて。

翌日の朝8時半ごろ、かかりつけの獣医から電話がかかってきた。犬の様子はどう?と聞かれて、残念ながら昨日亡くなりました、と説明。それは非常に残念でしたねとお悔やみを言われた後、血液検査の結果を知らせてくれた。それによると腎臓と肝臓がきちんと機能していなくて、さらに膵炎にもなっていたらしい(獣医さんの英語が分かりにくいのと私のボキャブラリーの貧弱さでやや不確か。ともかく膵臓に問題があったということだけは確か)。そんなにいろいろと問題を抱えていたとは、全然分からなかった。シニアになって動作がゆっくりになってきたとはいえ、その他にこれといった症状はほとんどなかった。数日前に元気がないなと思った時から、まさにあっという間に瀕死の状態になってしまったのだ。

もう助かる見込みはないとなったら、苦しむ時間を長引かせるより、楽にしてあげることの方がいいだろう。私たちはそう考えた。もう犬は苦しみのない世界へと旅立ったのだ。
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ぼちぼちと制限解除

2020年05月17日 | 生活
BC州も少しずつ規制を解除し始めた。3月半ばからはじまった緊急宣言はまた延長となって結局トータルでは10週間ほどとなるようだ。今回延長されて緊急事態は5月末まで続くことになった。そういうなかでも規制は少し解除され始めている。いきなりすべてをもと通りにするというわけにはいかないので、段階的にお店が開いたりといったステップを踏んでいくということだ。

先週末は、いくつかの店が再開。ひとどおりも絶えていたらしい(というのも全然いかなかったので実際に見ていないので)ロブソンストリートというダウンタウンの賑やかな通りに面したチェーン店がいくつかオープンした。ルーツとかザラとかアリッチアとかといったアパレルの店など。当然ながら店の前には行列ができたそうだ。でもいったん店に入ったら入場制限している分、なかは当然混雑していないだろうから、ゆったりと買い物ができそう。
誰かしらが試着して買わなかったものは、売り場に戻す前に消毒したり袋に入れてしばらく放置したりするといったことも行われているらしい。
そしてお店の人は当然マスク姿。手袋をしている人も多い。お客さんはマスクをしていてもいなくても構わないようだ。
(スーパーによってはマスク着用しないと入店できない所もあるそうだけど)

ニュースではロブソンストリートで一般の人にインタビューしていた。買い物に来た人は「待ってたのよ~。オンラインショッピングだと試着とかできないしねー」などなど歓迎ムード。道行く人へのインタビューでは「まだ再開するのはちょっと早い気がするけどね・・」という意見もあった。その人は自分は買い物に来たわけではないと話していた。
2カ月も休店状態だったからさすがにそろそろ開けてほしいなぁというムードはあったと思う。これが早かったのかどうかは、判断が難しいところ。

州立の公園も日中だけならオープンとなったところもあるそうだ。しかしこの週末はちょっと天気が悪そうなのでそれほどの人出にはならないかも。でもまだ遊具などは使えないようだから、子供たちの遊び場は戻ってきていない感じ。
この週末は3連休。ビジネス再開となるところもでてきているけれど、保健局の人は「この週末は遠くに行かないで」と呼びかけていた。いままで義理の家族とか自分の親であっても一緒に住んでいない場合は、訪問したりできなかったのだが、それも可能になった。ただしあんまりくっつきすぎないようにということだ。家族間でも一緒に住んでいる人以外とはハグとかしないようにといわれている。また、友達とかと会うのもOKになったけど、もちろんこれも距離をある程度取りながらだ。さらに、集まるのは6人くらいまでということ。

娘は昨年夏、セイリングセンターで事務のバイトをしていた。またこの夏も同じところでバイトすることになっていた。本当は3月半ばからオープンするはずだったのだが、コロナの影響で出来なくなり、3月と4月は週末のみバイトに行く予定だった娘の予定は台無しに(収入が見込めなくなるのでね)。
どうなるかと思ってたけど、規制が解除され始めたこの週末からオープンすることになったそうだ。
オフィスにはプラスチックのシールドが用意され、メンバーの人とかと対応する際にはそのついたてを挟んでやり取りするそうだ。またスタッフはみなマスクを着用、マスクは会社から支給されるという。オフィスにやってくるメンバーの人たち(つまりお客さん)もマスクをしてくる。
ともかく仕事が始まって娘はひと安心のようである。5月からは夏休みとなっているのでフルタイムで勤務、つまり週5日40時間働くのである。それなりの収入が入ってくる。本当はこの夏も一人暮らしする予定だったが、それもなくなったので自宅から通う。遠いので通勤は大変だけど、生活費を自分で出さなくていいんだからいいよねえ。
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少しずつ解除へ

2020年05月11日 | 生活
3月半ばから続いていた州の緊急事態宣言。2週間経つとまた2週間延長してという具合にきていたが、8週間を超えてようやく解除の方向へと向かっている。
とはいえ、一気に今まで通りに戻るわけではもちろんなくて、段階的に解除していくらしい。人との距離を2メートル近く開けるようにするとかといった措置はこのまま続くということだ。

5月の3週目の月曜日はビクトリアデーという祝日であり3連休となる。例年、この週末がキャンプのシーズンの始まりって感じなのだが、今年はそういうわけにはいかない。ただ祝日を前にまず、一部の州立の公園が日中の使用が可能になるということ。それでもあんまり遠くに出かけないで、とか言われている。気候も良くなったし公園とかオープンするなら行っちゃうだろうけどねぇ。
連休明けくらいにはレストランも中での飲食が可能になるらしい。けど、やっぱりお客さん同士がくっつかないようにしなくちゃいけないらしい。とすると小さな店なんか一回に入れる客が20人程度になってしまうとかいうところもあって、これじゃ採算取れるかな?って気もする。また美容院もそろそろ開けていいといわれているのだが、お店によっては怖いからまだ開けたくないと思っているところもあるらしい。美容院のサービスなんかはどうしてもお客さんとくっつかなくてはいけないから、店のスタッフとしては感染の不安がぬぐえないというものだろう。
それにお客さんの方も、なんとなく恐くて行きたくないかなぁと思う人も多いかもしれない。

スーパーでの買い物は現在入店できる人数を制限しているので、外に列ができている。これからは店によってはマスクをしないと入店できないということにした所もあるそうだ。マスクを持っていないという客には店側が提供するらしい。
そうか・・やっぱり買い物時にはマスクをしようかなぁと思って(基本的に私はしていくのが、たまにしないで行くこともあった)、今週末の買い出しにはしっかりつけていくことにした。
今週末は気温がぐんぐん上がり、日中25度くらいになった。これくらい気温が上がるといきなりみんな夏の格好になる。若い女の子はお尻が見えそうなくらい短いショートパンツやタンクトップ着てたりする。若者以外でも半袖姿がたくさん見られた。で、マスクをしている人があんまりいない・・ということに気がついた。先週末の方がもっとマスク率が高かった気がする。マスクをしているのはアジア人か白人でも神経質そうな見た目(などと失礼ながら決めつける・・)の人くらい。
そんな中、マスクをしてしっかり長そで・長ズボンで買い物に行った私。マスクをしていると暑いんだよなぁ・・。

まず八百屋に行く。ここは入店のために列ができることはほぼないが、レジ待ちが多少あるくらい。それからスーパーへ。ここは結構長い列ができていた。日の当たるところにいると暑い・・・。でも列はトントンと動いて進んでいくので待っていたのは5分程度。レジ待ちはほぼ無しですごくスムーズ。コストコなんかは相変わらず入店街が大変そうだが、うちの近くのスーパーはいつもこんな程度。続いて、ドラッグマートへ。この店にはかなり久しぶりに行った。外での待ち時間は5分ほど。並んでいた時に前にいた人がやたら陽気な人で(なんかやってハイになってるのか?ってくらい)、「暑いね~~」とジェスチャーつきで話してきた。私は自分の付けているマスクを指さして「これでさらに暑いのよ~」と言ったら異常にうけていた。なんで?

アジア人が差別されたりといったニュースに過敏に反応している私は(家族には過剰反応し過ぎ!と言われている)、買い物に行くたびになんとなくドキドキしてしまうのだが、今日はいや~~な気分になることなく、むしろ感じの良い対応ばかりに出会いながら買い物終了。ほっとした。

そろそろ規制が解除され始めるということもあるし、暑くなったし(暑くなると人は開放的になる、と私は思う)、あれもこれもダメという状況に飽きてきている人が多いということもあるし、なんか緩んできたな~と思う。
友達や知り合い同士で固まって話している人とかも多く見たし、車もなんかたくさん走っていて、みんな外に出てるなって感じ。
小さな規模の集まり(6人くらいまでだそうで)はしてもよくなるそうで、友達と会うということが可能になる。もちろん大人数の集まりは禁止。大きなイベントは当面できない。去年とかのイベントで大勢の人がひしめき合っている写真なんかを見ると、こういうことが可能になる日はいったいいつなんだろう・・、そういう日は来るのか?などと考えたりする。





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緊急事態は延長中

2020年05月06日 | 生活
BC州の緊急事態がまた延長となった。
3月17日だか18日から緊急事態を宣言したのだが、延長しつづけて今回は5月12日までということだそうだ。最初から数えて8週間ということになる。州ごとに緊急事態宣言というものを出すことができるが、その期間は最大2週間までということになっているそうだ。だから終わりごろになると、やっぱりまた延長ね、という感じに伸ばしていくらしい。
州のホームページを見ていたら、2017年夏に大規模な山火事があってその時に緊急事態宣言を出したそうで、その時は10週間続いたんだそうだ。とはいえ、記憶にあまりない・・・。というのも山火事が起きているのは、BC州でも内陸の方だったりするわけで、自分たちが住んでいる所には被害がほとんど及びばないから身近なものではなかったのかもしれない。ただ、火災から発生する煙のせいで大気が汚染され、呼吸器系とか弱い人や持病がある人などは健康被害があったりしたという記憶はある。なんとなく空気がモヤっていて、太陽が恐ろしくオレンジ色になっていたことも。
それにしても10週間という長い間、緊急事態だったとは。

それからすると、いま8週目に入った今回の緊急事態がすごく長く感じる。えー、以前にももっと長いのがあったの?!って思うくらい。それは今回の事態が自分たちの生活に大きな影響を及ぼしているから、そう感じるのだろうか。
制限、制約も多く、仕事がなくなる人が多数いたり、家族とすら同居していない場合は自由に会えなくなったり、日常のささいなことも今は簡単に出来ないといった事態は、前回の山火事の事態より多くの人に多大な影響を及ぼしている。
私は基本的に、買い物を1週間に1回程度に抑えているのだが(もともとそんな程度のペースだったけど)、その買い物もまず店内に入る前に列を作る、中では人とすれ違う機会を減らすべく通路を一方通行にしてあるので、その矢印の方向を間違えないように回るようにする(そのため無駄に行きつ戻りつしないように効率的に回るように心がけている)、レジでも前の人と離れて順番待ち、といった感じで疲れてしまう。

それでもだんだんとこういうのにも慣れてきつつある気がする。この先も当分、買い物はこんな感じでしなくちゃいけないようだし、もはやこれがいわゆる「ニューノーマル」ということになっていくのかなと。ニューノーマルとは日本でもネットニュースなどで見かけるけど、直訳すれば、新しい普通ってこと。つまり新たな日常のあり方って感じだろうか。
人と距離を取るようにするとかってことが、これからは当たり前になっていくってことになりそう。
この先、ビジネスを再開するかどうかを決めるにあたって、たとえばレストランとかなら店内のテーブルスペースをゆったり取り、客同士がくっつかないようにするなら開けて良いとかあるかもしれない(そうなると集客数が少なくて売り上げに響きそうだけど)。その他の店も店内に入る人数を制限して、それ以上なら外で列を作って待つとか(そのために入り口で整理する人員が必要になりますが)。

そして学校はどうするか。1クラスを2つに分けて交代で出席させるようにし、教室内が混み合わないようにする、とか大きい学年(高校生くらい)はこのまま学期末までオンライン授業にするとか、案は出ているみたいだが。
さらに、夏に向けてサマーキャンプだとか、子どもの各種スポーツ教室は?しかしこれらはおそらく今年の夏は絶望的だろう。夏は大きなイベントもたくさんあるが、その多くが中止を決定している。夏は気候も良くて楽しい季節なのに、今年はそういうわけにはいかなそう。

5月末には高校生の卒業式のシーズンが来るが、今年は全然できないということになるだろう。可能なのはバーチャルで卒業式とかくらいか。卒業式もそうだが、その後のプロムも楽しみにしていた子も多いだろうから、かわいそうな感じ。高校卒業は一生に一度しか(普通は)ないからね。女の子なんて9月くらいからプロムのためのドレスを用意していたって子も多いだろう。ドレスを着る機会なんてそうそうないから、買ったドレスやら靴やら、出番がないままになってしまいそう。
新聞でもそれに関する記事を見た。高校3年生の女の子がいう「プロムの当日は、リムジンを友達と借りて、まずドレスを着てどこか景色のいい公園に行って写真撮影をして、会場に行ってみんなで踊ったりおしゃべりしたりするんだ~って楽しみにしていたんです」。けれどそういうことも今年は全部無理。「仕方ないことだけど、本当にがっかりです」と話していた。そうだよねぇ。

たくさんの人が集まるイベントが開催されたり、友達と距離を気にせず会えたり、ひとと近づかないように腐心する必要なく散歩に行けたり、買い物も列を作ってお店に入る必要がなくなったりとか、そんないままでは当たり前だった日常は戻ってくるのかなぁなどと考えたりする。夏ごろにはいったん収まって規制解除になるも、また秋、冬で次の波がやってきてまた規制、ってなるのだろうか、そしてそれを何年か繰り返すのだろうか。ワクチンができたら、これからはインフルエンザのように、シーズンになるとワクチンを打ちましょうって奨励されるようになるのだろうか。これからの生活はどんなふうになっていくのかなぁ。
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