犬がいなくなって1か月以上。
犬がいなくとも日常生活は続くのであって、あれこれとしなくてはいけないことがある。そういう時は気がまぎれるのだが、ふっとした時に涙があふれてきてしまう。
息子にとっては初めての身近な存在の「死」となったせいか(一緒に長いこと暮らしていたという意味においての身近な存在)、衝撃が大きかったようだ。犬の死にはかなりがっくりときていた。
息子が4歳のときから一緒に暮らしてきたし、自身が大きくなるにつれて犬への愛着も高まってきていたように私には見えていた。同時に息子は私がひどく落ち込むだろうと心配してくれていた。犬が一番なついていたのは私だし、私がいちばん長く犬と接してきていたから。だから私は犬のことを話題にしたりしないようにしてきた。話し始めたらきっと泣いちゃうし、心配させたくないし。
生後11か月のときにうちに来てから12年とちょっと。毎日の散歩はほとんど私が担当していた。日本に行くときには、だんなに任せていったが、「お母さんはどこに行ったの?」といった感じで過ごしていたらしい。日本から帰ると大喜びで迎えてくれた。
そんな長い不在ではなくとも、仕事などで長時間外に出て帰ってくると、ドアの近くでちょこんと座って「お帰り~」とばかりに、にっこり(ホントにスマイルしている表情だった)と迎えてくれた。または大喜びでしっぽをぶんぶんと振り回しながら近づいてきたり。
ふわふわの毛皮に顔をうずめると、心臓の音が聞こえてくる。犬のぬくもりに癒されていた。
丸くなって寝ている姿は、小さな茶色い幸せのかたまり。「そこにいるだけでいい」という存在だった。
毎日の散歩もめんどくさいな、と思うこともあった(でも、もちろんきちんと出かけてたけど)。シャンプーとか爪切りとか歯磨きとかが大嫌いで、それをやるのに一苦労するから、「そろそろシャンプーしないとなぁ」と憂うつな気分になったりもした。犬のほうはもっと憂鬱だっただろうけど。シャンプーされているときは、しょぼくれた顔で「なんでこんな目に遭っているのか」とうらめしそうに私のことを見ていたものだ。
爪切りは失敗して血を出しちゃったことが数回。1回はなかなか血が止まらなくて、パニクッた私が抱きかかえて獣医のところに連れて行ったことも(歩けるところにあって助かった)。
先天的に後ろの右足のひざの骨が脱臼しやすくなっていたので、1歳くらいのときに手術。以来、抜歯のためとか、膀胱結石除去のためにとかで全身麻酔を受けた。その他にも、ノミがついて大変な騒ぎになったり、回虫をお腹の中で発生させたり、変なものを拾い食いして下痢したり。獣医さんのところには常連になりつつあった。
亡くなる1年前くらいには心臓が肥大しているというのが発見され、心臓の弁がうまく閉まらなくなるとかで、肺に液体が流れ込むため、ひどい咳をするようになった。そのために3種類の薬を毎日ずっと飲み続けるということになった。
でもその薬のおかげで咳をすることはなくなった。
こんな感じで、健康に問題が多かっただけに、長生きは出来ないかもなとは思っていた。けれど、できたら15歳くらいまで頑張ってくれたらいいなぁと思っていたのだ。まさか13歳になったその当日になくなってしまうなんて。具合が悪くなって数日で亡くなるというのは、私にしてみれば急死とも思える。
いろんなところにも出かけた。
私が子どもと日本に行っている間に、だんなが自分の母親と犬と一緒に、車でカナダ横断してまた同じ道をたどって帰ってきた。往路、復路と1週間ずつくらいかかったと思う。私たちのいるBC州からだんなの故郷であるNB州までいったのだが、NB州はカナダの東のほぼ端っこなのだ。時差が4時間もあるのだからものすごく遠い。
NB州でもだんなの親戚や友達に会ったりして、これはまさに大冒険だったと言えるかも。
私たち家族4人と犬とで1週間くらい、隣のAB州に行ったこともあった。3月半ばを過ぎていたけど、AB州には雪がたくさん残っていた。雪の中で遊んだりもした(ちょっとだけ。寒いから)
バンクーバー島にも旅行に行ったこともあったし、ハリソンホットスプリング(郊外の温泉地。温泉っていっても温水プールみたいだったが)にも何度か一緒に行った。
犬も年を取ってきたのと、子どもたちも大きくなってきて家族で遠出というのがなかなか出来なくなっていったけれど、近場でもいろんなところに一緒に行った。一緒に走り回ったりもした。ほんとにいろんなことを一緒にしたよね。
年を取ってきてアクティブさはなくなってきたけど、その代わりに食い気がどんどんと大きくなった。とにかく食べることが好きで、食べ物のことしか頭にないんじゃないの?という感じだった。
私がキッチンで料理したりしていると、そっとその入り口から顔をのぞかせて「なにか食べるものくれる?」と言いたげにこっちを見ていた。今も、キッチンで作業していると(特に鶏肉の人間があまり食べない部分を茹でただけのものを、犬にあげていたので、鶏肉を切っているときなどに)、ふっとそこに犬がいるような気がしてしまって見てしまうけど、もちろんそこにはいない。
いまでもついつい、「犬はどこかな?」と探してしまったり、振り向くとそこにいるような気がしてしまって、でももちろんいないわけで、「ああ、もういないんだな」と改めて気づかされてその度にぐっとこみ上げるものがある。
犬はいっぱい楽しいことも幸せも与えてくれた。なんにも芸がない犬だったし、家の中でよく吠える(玄関のベルだとか、玄関前を人が歩いていたりとか、私たちが出かけるときとか。だけど外では全然吠えない)うるさいヤツでもあったけど、私たちにとっては本当にかわいいかけがえのない存在だった。
もっとこうしてあげればよかったとか、ああいうことはしてはいけなかったのかもな、とか思うことはいくつかあって後悔の念に押しつぶされそうな気になる。犬は私たちと暮らして幸せだったのかな、そうだったらいいのだけど。
息子は犬の死をきっかけに今までの自分の態度について反省したらしい。これは犬に対しての態度ではなく、学校のことなどを含む生活態度のことらしい。犬の死とそれがどうしてつながっていったのかは謎なのだけど。だけど、そのように息子をシフトさせた犬の存在に私は感謝したい。本当にいろんなものを私たちに残してくれたのだと。ただ、その反省がどれだけ続いて、実際に改善につながるのかどうかは分からない・・とも思う。そのあたりはあまり期待しないでおいた方がいいかもな、とも思う。
犬がいなくとも日常生活は続くのであって、あれこれとしなくてはいけないことがある。そういう時は気がまぎれるのだが、ふっとした時に涙があふれてきてしまう。
息子にとっては初めての身近な存在の「死」となったせいか(一緒に長いこと暮らしていたという意味においての身近な存在)、衝撃が大きかったようだ。犬の死にはかなりがっくりときていた。
息子が4歳のときから一緒に暮らしてきたし、自身が大きくなるにつれて犬への愛着も高まってきていたように私には見えていた。同時に息子は私がひどく落ち込むだろうと心配してくれていた。犬が一番なついていたのは私だし、私がいちばん長く犬と接してきていたから。だから私は犬のことを話題にしたりしないようにしてきた。話し始めたらきっと泣いちゃうし、心配させたくないし。
生後11か月のときにうちに来てから12年とちょっと。毎日の散歩はほとんど私が担当していた。日本に行くときには、だんなに任せていったが、「お母さんはどこに行ったの?」といった感じで過ごしていたらしい。日本から帰ると大喜びで迎えてくれた。
そんな長い不在ではなくとも、仕事などで長時間外に出て帰ってくると、ドアの近くでちょこんと座って「お帰り~」とばかりに、にっこり(ホントにスマイルしている表情だった)と迎えてくれた。または大喜びでしっぽをぶんぶんと振り回しながら近づいてきたり。
ふわふわの毛皮に顔をうずめると、心臓の音が聞こえてくる。犬のぬくもりに癒されていた。
丸くなって寝ている姿は、小さな茶色い幸せのかたまり。「そこにいるだけでいい」という存在だった。
毎日の散歩もめんどくさいな、と思うこともあった(でも、もちろんきちんと出かけてたけど)。シャンプーとか爪切りとか歯磨きとかが大嫌いで、それをやるのに一苦労するから、「そろそろシャンプーしないとなぁ」と憂うつな気分になったりもした。犬のほうはもっと憂鬱だっただろうけど。シャンプーされているときは、しょぼくれた顔で「なんでこんな目に遭っているのか」とうらめしそうに私のことを見ていたものだ。
爪切りは失敗して血を出しちゃったことが数回。1回はなかなか血が止まらなくて、パニクッた私が抱きかかえて獣医のところに連れて行ったことも(歩けるところにあって助かった)。
先天的に後ろの右足のひざの骨が脱臼しやすくなっていたので、1歳くらいのときに手術。以来、抜歯のためとか、膀胱結石除去のためにとかで全身麻酔を受けた。その他にも、ノミがついて大変な騒ぎになったり、回虫をお腹の中で発生させたり、変なものを拾い食いして下痢したり。獣医さんのところには常連になりつつあった。
亡くなる1年前くらいには心臓が肥大しているというのが発見され、心臓の弁がうまく閉まらなくなるとかで、肺に液体が流れ込むため、ひどい咳をするようになった。そのために3種類の薬を毎日ずっと飲み続けるということになった。
でもその薬のおかげで咳をすることはなくなった。
こんな感じで、健康に問題が多かっただけに、長生きは出来ないかもなとは思っていた。けれど、できたら15歳くらいまで頑張ってくれたらいいなぁと思っていたのだ。まさか13歳になったその当日になくなってしまうなんて。具合が悪くなって数日で亡くなるというのは、私にしてみれば急死とも思える。
いろんなところにも出かけた。
私が子どもと日本に行っている間に、だんなが自分の母親と犬と一緒に、車でカナダ横断してまた同じ道をたどって帰ってきた。往路、復路と1週間ずつくらいかかったと思う。私たちのいるBC州からだんなの故郷であるNB州までいったのだが、NB州はカナダの東のほぼ端っこなのだ。時差が4時間もあるのだからものすごく遠い。
NB州でもだんなの親戚や友達に会ったりして、これはまさに大冒険だったと言えるかも。
私たち家族4人と犬とで1週間くらい、隣のAB州に行ったこともあった。3月半ばを過ぎていたけど、AB州には雪がたくさん残っていた。雪の中で遊んだりもした(ちょっとだけ。寒いから)
バンクーバー島にも旅行に行ったこともあったし、ハリソンホットスプリング(郊外の温泉地。温泉っていっても温水プールみたいだったが)にも何度か一緒に行った。
犬も年を取ってきたのと、子どもたちも大きくなってきて家族で遠出というのがなかなか出来なくなっていったけれど、近場でもいろんなところに一緒に行った。一緒に走り回ったりもした。ほんとにいろんなことを一緒にしたよね。
年を取ってきてアクティブさはなくなってきたけど、その代わりに食い気がどんどんと大きくなった。とにかく食べることが好きで、食べ物のことしか頭にないんじゃないの?という感じだった。
私がキッチンで料理したりしていると、そっとその入り口から顔をのぞかせて「なにか食べるものくれる?」と言いたげにこっちを見ていた。今も、キッチンで作業していると(特に鶏肉の人間があまり食べない部分を茹でただけのものを、犬にあげていたので、鶏肉を切っているときなどに)、ふっとそこに犬がいるような気がしてしまって見てしまうけど、もちろんそこにはいない。
いまでもついつい、「犬はどこかな?」と探してしまったり、振り向くとそこにいるような気がしてしまって、でももちろんいないわけで、「ああ、もういないんだな」と改めて気づかされてその度にぐっとこみ上げるものがある。
犬はいっぱい楽しいことも幸せも与えてくれた。なんにも芸がない犬だったし、家の中でよく吠える(玄関のベルだとか、玄関前を人が歩いていたりとか、私たちが出かけるときとか。だけど外では全然吠えない)うるさいヤツでもあったけど、私たちにとっては本当にかわいいかけがえのない存在だった。
もっとこうしてあげればよかったとか、ああいうことはしてはいけなかったのかもな、とか思うことはいくつかあって後悔の念に押しつぶされそうな気になる。犬は私たちと暮らして幸せだったのかな、そうだったらいいのだけど。
息子は犬の死をきっかけに今までの自分の態度について反省したらしい。これは犬に対しての態度ではなく、学校のことなどを含む生活態度のことらしい。犬の死とそれがどうしてつながっていったのかは謎なのだけど。だけど、そのように息子をシフトさせた犬の存在に私は感謝したい。本当にいろんなものを私たちに残してくれたのだと。ただ、その反省がどれだけ続いて、実際に改善につながるのかどうかは分からない・・とも思う。そのあたりはあまり期待しないでおいた方がいいかもな、とも思う。