冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

不幸と幸福と

2020年09月30日 | 生活
今回はグチグチな内容です(笑)
50年以上も生きてきたら、いろいろなことを通り抜けてくるものだ。
人によってその度合いは違うし、それぞれの人の感じ方によってもやっぱりその度合いは変わってくる。
人生では、不幸だと感じるときと幸福だと感じるときが順番にやってくると思う。それは、幸福、不幸、幸福、不幸というような規則的なものではなくて、幸福、不幸、不幸、幸福、不幸、だったり、幸福、幸福、不幸、幸福、であったりするし、どういう順番でやってくるかの予想も出来ない。不幸、不幸、不幸とやたら続いて、いつ幸福がやってくるかと絶望的な気分になることだってある。
自分の力や努力で幸福を引き寄せるということもある程度は可能だろうけど、やっぱり自分の力だけではどうにもならないってことも多々あるわけだ。そんな時に自分の努力が足りないのか・・・とがっくりするよりは、運に身をまかせていた方がいいこともあるかもしれない。

誕生日カードが実家から送られてきた。誕生日まではまだちょっとあるのだが、息子の誕生日が私の2週間ちょっと前なので、一緒にカードを送ってくれたのだ。普通の航空便が届くのに1週間くらいかかることがよくあることを考えると、2週間くらいしか違わなければ、わざわざ別の便で出すことなどないと思うので全然かまわない(手間も郵送代ももったいないしね)。
そのお礼の電話をかけたが、結局、私に対する恨みごとを聞かされて、これが誕生日おめでとうメッセージかとがっくりきてしまった。私の親はいまだに私がカナダに来たことを恨んでいる。妹が近居しているものの、同居して面倒を見るということはいまのところしていない。妹がそういうことをしないのも「お姉ちゃんが勝手なことをしている(つまり海外にでていったこと)から、妹だって親の面倒を見るわけないわよね」というのが親のご意見だ。「お姉ちゃんが悪いことしているから、妹もまねをする」というご意見は今までにもう何度も何度も何度も聞かされている。この度私について「子育ての失敗作」という新たなレッテルもつけられた。
なんというかもう、「生きててごめんなさいね」という気分になってくる。(かといって死ぬつもりはないのだが)。

そんな感じに自己憐憫にひととき浸っており、いまのところ気持ちのたてなおしに努力している最中である。
ああ、こんなときに犬がいたらなぁ、慰めてもらうのに・・・(なにをしてくれるわけでもないけど、犬の側にいたり、そのモフモフに顔をうずめてたりするだけで結構慰められていたもんだ)とか、しょうもないことを考えたり。
誰かに話してもきっとそのあと、後悔する気がするので話したくない。
いまは不幸が来ている時期なんだと思って、じっと息を潜めてそれが過ぎていくのを待つとか、日々のやらなくてはならないことをこなしていくことに集中するとか、そういうことをする時期なんだと思うしかない。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスク

2020年09月22日 | 生活
コロナの影響でマスクをする人は増えた。
真夏でもマスクをしている人がいるような日本(夏に日本に行って、父母子どもとご家族そろってマスクしている人たちを見てビックリしたことあり)では、マスクに抵抗がある人は少ないのではないだろうか。もちろん慣れていないという人もそれなりにいるだろうけど、こちらの人たちのマスクに対する抵抗感に比べればずっと少ないだろう。
マスクをするのは医療従事者だけって感じで、それ以外でつけているひとは何か悪い伝染病でも持っているのか?と勘ぐられるような感じだった。

コロナで今よりも規制されていた頃は、マスク人口もずいぶん増えた。カナダの街中で、マスクしている人をゴロゴロと見かける日が来るとは、夢にも思わなかった。しかし7月になってから徐々に規制が解かれてきて、マスク姿も減っていったように見受けられる。お店の人はしているけど、買い物客はしていない、というような状況になっていった。

8月末になったら入店する際にはマスク着用をお願いすると呼び掛ける店が増えた。バスやスカイトレインの乗車もマスク着用が義務となった。とはいっても、つけていないと罰金とかバスに乗れないとかといったことまでにはなっていない。
8月末、マスク着用が義務化された日にバスに乗った。この日はバスを乗り継いでリッチモンド市から帰ってきたので、長い時間、合計3台のバスに乗った。私はマスク(といっても私は手作りマスク・着用義務があるところでは使い捨てでなくても布とかのマスクでももちろんOK)を常に持っているので、バスに乗る際にマスクを着用。もともと花粉症でマスクをすることに抵抗もまったくない。ただ、夏場にはマスクをしなかったので、夏にマスクは暑い~!ということはこの度実感した次第。
バスターミナルでバスに乗りこんだのは私ともう1人の乗客だけだったが、その人はマスクを着けていなかった。運転手はマスクを着けていなくても何も言わない(大体どのバスでも同様)。しばらくするとバス会社の人が乗りこんできてその乗客に「マスク着用しなくちゃいけないんだけど、持ってないの?」と聞いた。その人がないと答えると、バス会社の人は袋から使い捨てマスク(ジップロックにきちんと入っていた)を取り出して、「これ使って」と渡していた。ターミナルにはこうした人が待機しているらしくて、くださいというとくれるから忘れたら言ってね~と言い残して去っていった。

それから約1週間後、またバスに乗った。途中、バスに乗り込んだ男性はマスクをしていなかった。運転手は何も言わないが、もともと乗っていた乗客の一人が「マスクしなよ」とその人に言ったが「忘れちゃったんだ。急いでて」と悪びれずに言っておしまい。バスを降りろ!ってことにはさすがにならない。

そんな話を娘にしたら「あ~、マスクね~。困るんだよねぇ」とのこと。娘はセイリングセンターでバイトしており、メンバーの人などの対応をおこなっている。オフィスに入る際には、マスク着用が義務付けられているが、着けないで入ってくる人もいるという。そこで「あ、マスクつけてください」とお願いすると、大抵は問題なくつけてくれるが、中には「は~?」って感じで目玉ぐるりん(信じられないとか呆れたとかっていう表現のジェスチャー)して出ていっちゃったり、怒ったりするひとがいるということである。「だから、マスクつけてくださいってお願いするの嫌なんだよねぇ」と娘は言う。確かにねぇ。
オフィスで働く従業員もマスク着用は絶対なので、娘も(そのほかのスタッフも)働いている間はマスクをしている。就業中8時間もマスクつけっぱなしの不便さに比べれば、オフィスに入るほんの数分ぐらい我慢して着けてくれてもいいようなもんだと思うんだけど。

マスクを着けることに抵抗感を激しく感じる人は一定数いる。マスクを着けるか着けないかは自分で決める!マスクを着けないという自由・権利が自分にはある!マスク着用を押し付けるのは人権侵害である!などなどがそういう人たちの言い分だ。そういう人たちはマスク着用は義務です、などといわれたら非常に不快らしい。人によってはかなり攻撃的になって抵抗するようだ。
お店の人とかは、だからといって「じゃ、あなたはいいです」とも言えないし、そもそも私が「マスク着用義務」を決めたわけでもないが決まりなのでお願いしているわけで、そのことにあれこれ文句言われても困る・・・て気持ちだろう。
娘も、いろんなお客さんが来て対応する仕事であるだけに、マスクに限らずいろんな「もー、やんなっちゃう」案件を経験しているようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある俳優の死

2020年09月16日 | 日本のこと
俳優の三浦春馬さんが逝去されて2カ月が経とうとしている。
私はファンではなかったけれど、このニュースにはさすがに驚いた。「せかほし」はたまに見ていたので、そこに登場している彼を見ている限りでは、とても死を選ぶ人には思えなかったので。
この番組以外で、彼の出ていたドラマ(あとバラエティー番組とか)は、ほとんどすべて見たことがない。こちらで日本語の番組を流すチャンネルはNHKのものが主で、民放のドラマなんかは数が限られている。当然、映画、舞台、バラエティー番組等々見る機会がないわけで、そういう場に登場している姿を見たのはほぼ皆無だ。逝去後、彼に関する報道がいろいろと流されるのを見たり、過去の出演番組やらの動画がどんどんあがってきていて、それをいくつか見てみたが、彼の逝去のニュースに日本の多くの人が「なんで?!」と驚いたのも確かに無理ないなぁと思った。そういうのを見ている限りでは、仕事も順調そうで、前向きな姿勢も感じられたと誰もが思うのではないだろうか。

30歳の誕生日に合わせて出版されたという自著の宣伝を兼ねた、テレビでのインタビュー動画を見た。つらいときには「助けて」といえるようになることも大人になるということかもしれない、というようなことを話していた。それはまさに彼自身が「助けて」と発信していたのかもしれない。でも誰も気がつかなかった・・・。もっとも今になってみるとそう思える、というだけなのかもしれないけれど。
さらに余談ではあるが、この著作は日本の47都道府県をたずねて、その土地の名産品や伝統工芸品などを取材したものをまとめたものとのこと。京都では、伝統工芸を次世代につなぐための活動をしている伝統工芸の担い手の人たちに会っているらしい。この方たちのうち、4人が2年前にバンクーバーを訪れて京都からの伝統工芸を紹介していた。私は取材でその方たちにもお会いしている。その時見た工芸品などもその本に入っているんだなぁと思うとなにやら近しいものを感じた。だけど、今更それがわかってもなぁ・・とまた切なくなるのだった。

芸能人はプライベートまで追われて写真を撮られたり、ゴシップを書きたてられたり、SNSとかでうっかりとしたことでも発言したら中傷されたり炎上したりと、その世界に身を置いていることだけでもすごくストレスフルなんではなかろうか。大変な仕事だよなと思う。亡くなった後でも、あれこれ詮索されたりするのだもの(まさにいま私がこんなことを書き綴っているのもそのひとつであり、どの口がいう!という感じなのだが)。

数年前くらいから死にたいと考えることがあったらしいという報道もあった。そういう気持ちを隠して笑顔を作っているのが苦しいとも。それがほんとうなら、死にたいほどつらい気持ちを抱えながら、でも死んだりしてはいけない、頑張らなくちゃと自分を奮い立たせるようにして、一生懸命仕事に取り組み、努めて明るく振舞ってきたのかもしれない。あの笑顔も一生懸命生きようとしてきた、彼の精いっぱいの行動だったのかもしれないと思うと心が痛む。それは彼にとっては戦いのようなもので、ずっと頑張ってきたけど、ふっとした瞬間に「戦いに疲れちゃったな」と、魔が差してしまったのか。

でも彼はほんとうは死にたいとは思っていなかったんじゃないか。ただ、逃れたい、自由になりたい、そのためにはもう死ぬしかないとまで思い詰めてしまったのではないかと。自由を求め続けてきた彼は本当は助けてほしかったんじゃないか。誰か助けて、と心は常に叫んでいたのかもしれない。
彼が死を選んだ理由は本人にしかわからない。それを探ってみたところで彼が戻ってくるわけでもない。もうそっとしておいてあげようという声もあり、それもその通りかもしれない。だけど、彼は心の奥底では死を望んでいたとは思えない。これは彼が望んだ結果ではない、と思うのだ。
救えた命だったかもしれない。彼を抑圧していたものを探ることは(興味本位のゴシップ的な追い方はするべきではないとは思うけど)、誰かを責めるためではない。これから先、こうした悲劇を防ぐためにも必要なことではないだろうか。それが彼の死を無駄にしないことにつながるのではないかと思う。

名前のごとく空高く駆け上っていってしまった三浦春馬さん。いま、あなたは苦しみのない世界でゆっくりと休んでいるのだろうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中古車を買う

2020年09月11日 | 子ども・家族
娘が中古の車を買うことになった。夏の間バイトで週5日出かけて行ってたが、遠いので車で通いたいといっていた。それで、自分の車を買いたいとは言っていたのだ。なかなか見つからず、結局ほとんど我が家の車を使うことになった。
娘とだんなが売買サイトを見て探していたのだが、8月になってからは私もそれに参加して、これいいんじゃない?というようなものをだんなに送り、だんなも良さそうだと思ったら連絡して見に行って、ということをしていた。

車を買うというのはなかなか大変な作業である。中古車のディーラーに行って探すという手もあるが、なぜかだんなはそういうのがイヤで、サイトで個人が自分の中古車を売っているというケースで買いたい派である。
サイトには個人で出しているひともあれば、ディーラーも出しているということもたくさんある。あとは詐欺っぽいのも混ざっている。実際、問い合わせを出した人からこんなメールが来たことがある。「私はいま事情があって国外に住んでるんだけど、車はカナダにある云々」。もちろんこういう人とはすぐ没交渉である。
個人で自分の中古車を売ろうとしている人でも、見に行ってみると「うーん、これはさすがにボロすぎ」っていうケースもよくある。または、この古さでこの値段は高すぎでしょ!というような提示をして絶対に割り引かない強気な人とか。
どんなひとか分からないから怖いというのもあるし。いろいろとストレスフルなわけである。

振り返ってみるとカナダに暮らして20年以上、いろいろな車に乗ったんだけど、ほとんどすべて中古車である。安く買ったフォードのバン、その後はフォードのセダン(これは義母の車を死後譲り受けた)。そのあと私にとっては初めての新車であるヒュンダイに乗った。その後はまた中古でマツダ。中古とはいえ、やっと日本車に乗れたぞと嬉しかったけど。
こちらの若い人が初めて買う車は中古が多い。安いから。ただし、親がお金持ちの場合はその限りではなく、20代前半で新車を買い与えてもらっている人もいることはいる。
わが娘も初めての車は当然中古車である。

で、ようやくスズキのコンパクトカーを見つけ、だんなが見に行ったところ、なかなか良さそうということだった。
10年以上前の年式とはいえ、女性が学校に行くために使っていたもので走行距離が低めだったことで、ダメージがあまりなさそうだったのが決め手になった気がする。スズキは北米ではそれほどメジャーではない(たしか何年か前に撤退しているし)。ハッチバックは嫌だけど・・と不満げな娘であったが、コンパクトであるうえ、ハッチバックならバックする時もやりやすいんじゃない?と私としては思う。なにせ、ちょっと狭い駐車場で我が家のマツダの前の部分(しかも左側と右側どっちも!)を擦られてしまった前科を思うとねぇ。

日本では中古車市場ってどうなってるんだろうと思い、ネットをちょっと見てみた。私は日本で車を買ったことがない(免許も持ってない)ので、新車ですらどのくらい値段がするものかよく分かっていない。
ざっと見る限り、日本の中古車は新しいものが多い、走行距離が短いということが分かった。去年や一昨年の年式とか、こっちだったら中古車の市場になど出てないんじゃないか・・。10年以上前のなんてほとんどないし、あっても走行距離が短くてびっくりする。ちなみに娘が買ったのは走行距離が13万キロ超。この古さでこの距離数はかなり低い。

無事に購入、整備工場へ持っていってチェックしてもらい、スターターとか部品を変えてもらったりといったメンテナンスをしてもらった。おもったほどその費用も掛からなかったし、ちょっとほっとしている。
娘はまだNドライバー(日本でいうところの仮免と普通の免許の間にあたるもの)なのだが、Nの人は自動車保険料が高いのが痛いところだ。車の購入、修理費、保険料はいったんうちで立て替えて、娘から徴収することになっている。
ついに自分の車を手にして嬉しいようである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校はどうなる?

2020年09月05日 | 子ども・家族
9月から学校は再開するということになっている。
ただ、学校に子供を送りたくないと考える親も多いことを考慮して、教育委員会では8月末にそれぞれの家庭にアンケートが送られてきて、9月からの学校はどうしたいかということを尋ねてきている。普通に学校に行かせるつもり、とか、ホームスクーリングにしたいと思っている、とか、オンラインコースを取らせたいとか、オプションがある。教育委員会ではその結果をもってどのように学校再開をしていくか最終的に決めていくんだと思う。
オンラインで授業を受けさせたいと思っている場合でも、状況が良くなってきたら学校に戻らせたいと思っている親もいるし、いろんなケースに対応しなくてはならない教育委員会や学校も大変かも。

3月末から学校が休校になってからオンラインでの授業というものがおこなわれたわけだが、授業らしいものになってなかったケースも多かったようだ。これは、いままで対面で授業してきたものをいきなりオンラインにして・・・というようなことになったから、準備する時間があったわけでなく、テクノロジーに慣れてない先生もいたりなどといったことで、対応が追い付かなかったんだと思う。
その経験から、9月からオンラインで授業を受けさせたいが、その質はいかがなものかと心配する親も多いだろう。が、高校生の場合、コロナに関係なく、もともとオンラインコースというものはあったので、それを受けさせるってことであれば問題は無いかなと思う。以前うちの息子は体育10年生というのをオンラインで受けている(体育なんで、外に行って運動したりとか、年2回体力測定があったりとか、全く家の中だけではさすがにできないけど)。
こういうもともとオンラインコースがあったものは、すでに形ができているから実施するのもそれほど大変でもないだろう。ただオンラインコースの定員を超える人数が受けることになったりしたら、どうかなー。
あと、高校生くらいならさほど問題なさそうだけど、なんでもかんでもオンラインっていうのは小学生だとちょっと難しい気もする。

私の住む市の高校は、1年間を10週間ずつの4つのタームに分け、1つのタームで2教科を勉強するらしい。学生たちは毎日学校に行って1教科だけ受ける。残りの1教科は週に2日くらい学校で受けて、残りをオンラインで受けるのだそうだ。そうすると学生が学校にいるのは毎日1~2時間程度。そうやって学生たちが学校に来る時間を振り分けて、あまり集中しないようにしようという考えのようだ。人を集めないようにするためには、確かにこうするしかないかも。
うちの息子は、週1日だけ学校に行くという変則パターンになるため、このグループ分けに入れてもらえないだろうけど、一体どんな風にされるのか、いまのところ全くわからん。彼の場合は、個別対応ということになるのだとは思うけど。コロナ騒ぎに乗じて、きちんと対応してもらえないという可能性も捨てきれず・・・

感染が怖いので(持病があるとか高齢の家族がいるから感染は絶対避けたいという人も多い)、学校にはなるべく行かせたくないと考える人は、なんとかして行かなくても済むオプションが欲しいだろう。オンラインで授業をすることも良いとは思う一方、オンラインでは学べないものというのがあるのも確か。講義だってオンラインと実際に教室で聴くのとでは、なんか違う、勉強しづらいなぁ、身につかないなぁと感じることもあるだろう。そして学校に行くというのは勉強するだけでなく、クラスメイトとの交流やグループワークをしたりといったことで、社会性を見につける場所でもある。こうしたことはオンラインでは身につかない。オンライン授業だけでは子供もストレスが多いだろうと思う。

そんなこんな考えると何が正解かまったくわからない・・というような気持になってくる。果たして学校はどんなふうに再開していくんだろうか。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする