市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2009年4月号(通巻444号):この人に

2009-04-01 18:38:43 | ├ この人に
国益だ、国の安全だ、と言いながら、
本土からは見えない沖縄に
米軍基地を押し付けて、平気でいる。
なぜ他人の痛みが感じられないのですか。

大田昌秀さん(元沖縄県知事)

 第二次大戦中、日本で最大の地上戦として、一般住民を巻き込んだ熾烈な戦闘が行われた沖縄戦。
 全住民の4人に1人が犠牲になったとも言われるこの悲惨な歴史の事実を、自衛隊の海外派遣や有事法制の動きが顕著になっている現在、私たちは忘れてはいないだろうか。
 そして、今もなお日本国内の米軍基地の75%を、国土全体のわずか0・6%の小さな沖縄の島に負担させ続けている現実に、目を背けてはいないだろうか。
 身をもって沖縄戦の惨禍を体験したことを礎いしずえに、沖縄県知事として平和行政や基地問題に取り組んで来られた、大田昌秀さんにお話を伺った。
※08年11月2日、龍谷大学社会学部開設20周年 記念講演より

■住民を巻き込んだ沖縄戦の教訓

 私が参議院議員をしていた当時、所属していた外交防衛委員会で、外務大臣と防衛大臣に「あなたは沖縄戦について何か書物を読んだことがありますか? 防衛省スタッフから沖縄戦についてレクチャーを受けましたか?」と聞きましたら、何も読んでいない、レクチャーも受けていないというんです。私はがっかりするというより、あきれてしまいました。
 現在も沖縄には多くの米軍基地が残り、危険と隣り合わせの被害に悩まされている。その安全保障問題の責任者である大臣が、沖縄戦について何も知らないし、何の教訓も学んでいないのは、あまりにも非常識すぎると思います。
 沖縄戦は、日本本土の防衛のための“捨て石”になるということが、最初からわかっていた戦いでした。沖縄を攻めた米軍は延べ54万人。当時の沖縄の全人口が約43万人程度でしたから、それをも上回る大部隊です。対する日本の沖縄守備軍は8万人。結果は明らかです。約2万5千人の地元住民を徴用したが、それでも足りずに、沖縄の12の男子中等学校からは、徴兵年齢以下の学生により結成された学徒隊である「鉄血勤皇隊」に、10女学校からも従軍看護婦などにと、年若い学生までが動員されました。当時学生だった私もその一人として、38式の銃と120発の銃弾と2個の手榴弾を腰に、半そで半ズボン姿で戦場へ駆り出されたのです。またこれらの動員は法律の根拠もなく行われました。そのための法ができたのは、後になって沖縄守備軍が自決した日のことでした。
 日本軍の大本営は、本土決戦の準備態勢が整うまで、勝ち目のない沖縄戦で時間稼ぎをする計画でした。沖縄が玉砕することは前提として、軍の玉砕後も住民を巻き込んでのゲリラ戦を続けさせるために、スパイ養成で有名な陸軍中野学校の工作員までが沖縄に送り込まれていたのです。

■軍隊は住民を守らない

 沖縄戦の教訓は、「軍隊は住民を守らない」ことが実証されていることです。
 自衛隊に関する論議では、よく「私たち国民の生命・財産を守るために必要だ」とみんな口を揃えて言います。しかし、みなさんは自衛隊法を読んだことがありますか? 第3条「自衛隊の任務」を見ても、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」としか書いていない。果たして、ここに言う“国”は、“国民”と同じでしょうか?
 沖縄戦では、敵国である米軍によるものではなく、味方であるはずの日本軍に殺された一般住民の数が非常に多いのです。沖縄に対する日本軍の見方は、沖縄は昔、琉球国という別の国だったから、天皇陛下を敬う意識が薄い。だから沖縄住民は信用できないし、監視の手を緩めたら敵側に行ってしまうかも、というショッキングなものでした。“残置諜報員”として、身分を偽って離島の村などに潜入した軍の工作員が、住民を監視していました。また沖縄方言も、本土の人には話している内容がわからないことから、方言を話しただけでスパイと見なされて処刑されるという、信じられない理不尽な犠牲となった方がたくさんおられます。私の出身地、久米島では、40人が戦争の犠牲となりましたが、そのうち実に20人までが日本軍によって殺されたのです。それも、米軍の捕虜となっていたからなどの理由だけで、何の罪もない女性や、生後数か月の幼い子どもたちまでも含めて、一家全員が処刑されたのです。
 現在、沖縄の離島での住民の集団自決に、軍の強制があったかどうかで裁判が争われています。当時の沖縄での状況は「軍・官・民が一体となった“共生共死”であった」と言われています。しかし現実は、軍が住民から食料を強奪したり、住民が避難している壕に対し、自分たちの安全のために住民を追い出して軍が居座るなど、共生共死と言いながら、実は共に生きるという発想はなく、住民に死ぬことを強制するばかりだったのが実態なのです。

■安保は必要、でも基地は要らない

 安保条約は日本の安全を守るために必要だ、とみんな言います。でも、安保のためにある米軍基地を引き受けようとは、どの都道府県も言いません。また、沖縄に駐留している米軍の海兵隊部隊8千人を、グアムに移すための費用だけで、実に7千億円が日本から支出されようとしています。一部の人たちは「なぜ沖縄のために、俺たちの税金を7千億もかけなくてはならのか」という言い方をします。じゃあ私達は「お金は一銭もいらんから、あんたのトコに基地を持っていきなさい」と言うんですね。でも、いくらたくさんのお金をもらっても、基地を引き受けてもいいという人は一人もいない。
 アメリカでも同じような格言があります。「軍を持つのは賛成だ。でも自分の家の裏庭に兵舎を作るのはダメだ」。国益だ、国の安全だ、と言いながら、本土からは目に見えない沖縄に圧倒的多数の米軍基地を押し付けておいて、平気でいる。その感性が理解できません。なぜ他人の痛みが感じられないのですか。これが私たちが一番苦労しているところです。そういう人々の意識が、平和を作り出せない原因のひとつとなっているのではないでしょうか。

■「沖縄は基地収入でもっている」の誤解

 沖縄の基地問題で必ず言われることに、「沖縄は、実は基地収入でもっているのだから、本当は基地がなくなると沖縄自身が困るんだ」という見方があります。でも、現実は全く違うんです。確かに1960年代では、外部からの収入の55%は基地収入でした。でも、今はわずか4・6%しかない。沖縄県の全41の市町村のうち、半分の25くらいが基地を抱えていますが、所得の多い順に並べると、一番は基地が全くない、さとうきび畑の収入が占めるのどかな南北大東村です。基地のある町が発展しているかというと、決してそうではないんですね。
 沖縄は全国一の貧乏県で、所得は最下位で全国平均の75%しかないが、失業率は2倍以上でトップです。もし基地が返還されれば、広大な跡地利用での沖縄らしさを生かした産業振興とまちづくりにより、雇用は今より10倍くらい確保できることははっきりしています。今や基地収入よりも、基地があることによる経済的損失の方がはるかに大きいのです。
 費用の面で言うなら、在日米軍に対する日本側の法的根拠のない経費負担、いわゆる“思いやり予算”は、途方もない額に膨らんでいて、こんなに負担している国はほかにありません。世界で米軍が駐留している22か国の全部の駐留経費を合計しても、日本の思いやり予算の方がはるかに大きいくらいです。なおかつ、まだこの上に1兆5千億円もの税金を投じて、沖縄県北部・辺野古地区に、絶滅危惧種のジュゴンが棲む貴重なサンゴの海を埋め立てて、ヘリポート基地を作ろうとしているんです。

■沖縄の平和思想を現実の力として

 みなさんに、沖縄の平和思想について、お伝えしたい事例があります。
 石垣島で、戦時中に不時着した米軍機の米兵捕虜を不当に処刑したとして、関わったとされる日本軍関係者が、戦後になって裁判にかけられるという事件がありました。その中に7人の沖縄出身者がいたのですが、1人を除くと正規の軍人ではなく、農民や17歳の少年らで、事件の2週間前に入隊させられたばかりの人たちだったのです。しかし、第1審の判決では死刑とされてしまいました。
 そこで本土在住の県民組織、沖縄連盟による減刑の嘆願活動が取り組まれました。沖縄連盟の仲原善忠会長は、著名な沖縄郷土史家で、“沖縄の万葉集”と称される『おもろさうし』の研究者として知られていました。『おもろさうし』は、12~17世紀にかけての、人々の暮らしに関わる古歌謡1千530首を集めたものです。仲原氏は、沖縄の伝説や説話142篇を収録した説話集『遺老説伝』も合わせて、計1千672首をつぶさに分析したのですが、これらの記述には「殺す」という言葉が一切出てこなかったんですね。それを根拠として、沖縄の思想では、そのようなむごいことをする意識文化がないことを証明しようとしたのです。
 また、ハワイ大学の研究者ウィリアム・リブラー氏の著書『沖縄の宗教』でも、沖縄と日本本土の文化との違いが示されています。日本では武力を讃え、死ぬことを惜しまない「侍の文化= Warrior's culture」が中心であったが、それに対して沖縄の文化は「非武の文化= absence of militarism(軍国主義が欠落した文化)」であることが説かれています。15世紀の琉球王朝が武器の所持を禁止して以来、沖縄は武力を用いない平和外交の守礼の民の国として、海外にも広く知られていました。これらの主張が裁判でも認められて、最終的には、沖縄出身者全員が死刑を免れる結果となりました。
 「平和思想なんて役に立たない。机上の空論でしかない」という声もよく耳にしますが、沖縄の伝統的な平和思想とその実践は、単なる理念ではなく人々の心を動かし共感させ、実際に7人の人命を救うことになる、現実的な力を持っているのです。

インタビュー・執筆 
編集委員 大門 秀幸


■プロフィール
1925 年、沖縄県久米島生まれ。1945 年、沖縄師範学校在学中に「鉄血勤皇隊」に動員され、沖縄戦で九死に一生を得るが、多くの学友を失う。琉球大学教授として、ジャーナリズムと社会学や沖縄戦の研究を続ける。1990年、沖縄県知事に就任。多くの平和施策の実現や基地問題の解決に取り組む。2001年、参議院議員に社民党から当選。沖縄の声を国政に反映させるべく活躍。2007年、参議院議員引退。現在、大田平和総合研究所を主宰し、講演・執筆活動等に取り組みを続ける。『有事法制は、怖い。沖縄戦が語るその実態』『沖縄差別と平和憲法~日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ』ほか、著書多数。

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