音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

グループホームの音楽療法

2023-04-29 06:59:46 | 音楽療法実践
今朝の散歩では5時半前に朝日が昇り、明るい青空を眺める一方で、西の空は
今日のお天気を予報しているかのようにどんよりした灰色の雲が広がっていました。

少し前まではまだ寒さが残り、手を擦りながら春コートを着て歩きましたが、
今日は少し汗ばむほどでした。柿や桜の木の新緑に心弾ませてもらいながら
気分はもう初夏です

今週お訪ねしたグループホームの音楽療法時にスカンポ(イタドリ)を持参して、
皆様と初夏の季節を共有しました。
綺麗に洗ってビニール袋に入れて冷蔵庫の野菜室に保存していたものです。
始めに実際のスカンポを手に取っていただきながらお話を聞いていくと、
「フキかしら?」「何なの?知らないわ」「食べられるの?」など・・。

少しずつ情報をお伝えしながら、カッターで節の所を切って笛遊びをすると、
「私は無理・・」「これで鳴るの?」・・・、実際に鳴らしてみると驚きの声。
職員さん共々一斉に吹き始めますが、中々音が鳴るのは難しいです。
お一人だけ少し音が出て喜ばれていました。
実際にその遊びに参加出来るのは9人定員の中で3人ほどですが、
何がきっかけで表情や行動が変化するか分からないことはいつも心に留めています。

次に丸い穴が見通せるように節と節の間を切って、端を1cm弱ほどの幅で
2,3cm位切り込みを入れて水を浸しておきます。
最後にどんな形になるのかをお楽しみにしていただきながら・・。

その間に伴奏者は「スカンポの咲く頃」の曲をBGMとして弾いています。
雰囲気作りに共感しながら、やっと歌を紹介していきます。
「そんな歌は知らない」「初めて聞く」・・など、この曲はあまりご存知ないことを
知りながらも、「北原白秋さんの歌詞で、山田耕作さんの作曲です」と紹介すると
「へ~、そうなの~」と表情が変わり、前向きな姿勢に変化します。

そんな中で、スカンポの話題時にはずっと下向きで参加されていない人が、次の
「春の小川」で変化されます。メロディが流れると顔が上がり、歌詞を口ずさまれ、
誘導すると視線が歌詞幕に向いてきて最後まで歌われました。
日常の会話を始め、楽器活動も難しいと感じられる人ですが、歌うことは可能です。
職員さんと共有しながら、寄り添っていきます。
懐かしいメロディに個人の記憶が甦ってくる時間でもあります

音楽療法の活動全体への参加は難しいですが、記憶に残っている歌を
歌われる姿に感動しながら進行していきます。
私たちがお訪ねするまではベッドに寝ておられた人も参加されて歌われています。
日々生活をされている皆様の空間に、音楽が流れ、歌や楽器の音色を共有しながら
どのような形でも一緒に参加されるひと時を大切にしたいと思っています

そもそも・・、人間社会における音楽の存在

2023-04-23 07:02:25 | 音楽雑記
面白く、共感する内容が多かった本を紹介しながら、
人間社会における音楽の存在について考えてみたいと思います

『ゴリラからの警告 「人間社会ここがおかしい」』.山際寿一.毎日新聞出版.2018
5年前に出版されていますが、コロナ禍を経た現在においても変わらない内容です。
ページを記していきます。

033~034
泣くのは赤ちゃんの自己主張なのだ。その赤ちゃんを泣きやませようとして、
多くの人びとが共同で働きかけ、食物を持ち寄っていっしょに食べ、子守歌が生まれ
音楽で人々の気持ちを一つにするコミュニケーションが発達した

・・・赤ちゃんは言葉の意味ではなく、音の高さと抑揚を聞いているのである。
ある仮説によれば、それがいつしか大人の間にも普及し、
音楽として用いられるようになったという。
共食と音楽は、言葉が登場する以前から人間に備わった、類人猿には
ほどんど見られない特徴である。
これらのコミュニケーションによって発達したのが、他者を思いやる心の働きだ。
音楽には、お母さんと赤ちゃんのように一体化して、世界を共有させる働きがある
それを人間は言葉によって高めた。自分が体験していないことを言葉によって
他者と分かち合い、多くの人と交流できるようになった。
しかし今、その共感を人間はだんだん失おうとしている。
・・・インターネットや携帯電話で、近くにいる人より見えない場所にいる人を
優先する社会が出現したからだ。

068
現代の私たちは、一日の大半をパソコンやスマホに向かって
文字とつき合いながら過ごしている。
もっと、人と顔を合わせ、話、食べ、遊び、歌うことに使うべきなのではないだろうか。
・・・人々の確かな信頼にもとづく生きた時間をとりもどしたいと切に思う。

075
人間の子どもはまだ乳歯のうちに離乳してしまい、大きな脳を発達させるために
栄養価の高い食物を摂取する。
脳の成長が止む思春期に、今度は身体の成長が加速して男女の差が明確になる。
この二つの危なっかしい時期をどう支えるかというのが、子どもを育てるうえで
最も重要な課題なのだ。
しかも、この二つの時期に人間の子どもは文化の色に染められていく。
離乳期には言葉を話しはじめ、それぞれの民族に固有な衣装を身にまとい、
音楽を聴いて育つ

145
なぜ人間の世界はこんなにも悪意や敵意に満ちているのか。それを軽減して平和で調和ある世界を実現する方法はないのか。その解決のカギは動物たちの暮らしにあると私は思う。・・・
人間は今一度、言葉以前の暮らしに立ち返り、人間の祖先が五感を用いてどんなコミュニケーションを駆使していたか、どんな暮らしを営んでいたかを思い起こしてみる必要がある。

153
かつて感情は理性の働きを助け、行為を発動させるエンジンの役割を果たしていた。今それは、社会の実感をともなわず、自らの身体に忠実に動くように人々を駆り立てている。スポーツに熱狂し、コンサートホールに出かけ、両手を突き上げて踊る姿は、他の人々と心や体を同調させることがどんなに楽しいかを教えてくれる。現代はそういった感情の表出が可能な時代なのだ

スカンポ(イタドリ)

2023-04-19 07:13:52 | ひとりごと


昨日吉野方面へ出かけ、途中の野菜直売所に立ち寄ると旬のタケノコの横に
スカンポが10本ほど並べられていました。値段が書いていないのでお尋ねすると、
地域の人が採って来られたので欲しい人に無料でお分けしているとの事。
まだ若い旬のスカンポだったので喜んでいただて帰りました

スカンポの記事は4月11日のブログに掲載しています

‘故郷’と‘朧月夜’

2023-04-15 19:08:57 | 音楽雑記
日本には素晴らしい四季があり、冬の寒さも夏の暑さも厳しいと感じますが
それだけに待ちわびる初春から新緑への移ろいと秋の穏やかに実る景色は
心豊かにさせてもらいます。

田舎へ帰ると昔からある里山の風景が垣間見られ、ホッとする感があります。
うぐいすの見事な谷渡りの鳴き声が響き渡り、蛙が鳴き始めていることに気付き、
歩いていると小さな集落の中に大きな屋根のお寺さんが目に入ってきます。
街中の騒々しさはなく、田畑を耕す耕運機や木々を伐採している音が働く人の
存在を知らせるように、遠くから聞こえてきます。

高齢者施設で多く歌われている‘故郷’と‘朧月夜’がよく似合う里山の景色です。
2曲とも大正3年に作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一が作っており、
当時の「尋常小学唱歌第6学年用」として歌われてきました。
現在も小学6年生の音楽教科書に掲載されています。
教科書には現代語の意味として、「いかにいます」→「どうしているのだろう」
「たどる」→「行く」、「かわず」→「かえる」などと分かり易く意訳されています。
深い感情が入らない田舎の風景の歌詞で、世代を超えて歌い継がれる曲です。

小さな集落の田舎ではお昼正午に‘野ばら’、夕方5時に‘夕焼け小焼け’の
メロディが公民館のスピーカーから毎日聞こえてきます
お昼前の11時にはお寺の鐘がなり、お昼休みの準備を知らせています。
明治時代までは集落にあるお寺とお宮さんが住民の集いの場所であり、
お寺の鐘の音で時間を共有していたと義父母から聞いています。

時を知らせるメロディですが、年中同じではなく、せめて春夏秋冬の四季に
合わせた曲を聞きたいという想いがあります。
行政や学校などにおいても、季節を感じる穏やかな曲をBGMとして、
時間と音楽の共有が出来ればと願っています

参考図書
『唱歌「ふるさと」の生態学』.高槻成紀.㈱山と渓谷社.2014
「故郷」が描いた風景の変化を保全生態学という切り口で読み解かれています。

季節のスカンポ(イタドリ)で音楽回想

2023-04-11 16:49:05 | 音楽療法実践
春は多くの山菜含む野草や花、木々の成長に出会う季節です
いつもの川沿いを散歩をしているとスカンポがズームされて目に入ってきました。
少し前には気付かなったので、アッと言う間に成長した様です。
昨年は田舎の畑の隅で偶然見つけて、とても驚いたことを思い出しました。

毎年恒例になったスカンポを見つけて、一本だけ採ってきました。
若いスカンポであれば「ポンッ」という気持ちの良い音で割れることが多いです。
早速、笛作り
節の所で切って中の空洞に空気を入れるように吹いてみると鳴りました。
やはり穏やかで深みのある音で、尺八の様です。

少しずつカットしていくと音程が上がっていきます。
今回のは1cm弱で不安定ながら長2度の高さで上がりました。
こんな実験も子ども達や高齢者の世代間交流として楽しめると面白いと思います。

名前も全国で異なっており、奈良ではイタドリ(イッタンドリ)やスカンポ、
和歌山ではゴンパチと言われていた事を教えてもらいました。
実際はかなり古くから食用とされており、ネットでも多くの情報が得られます。
実際に懐石で季節物の前菜として出されたことがあります。

作詞:北原白秋、作曲:山田耕作の『酸模(スカンポ)の咲く頃』という歌があり、
YouTubeでも聞くことができますので、高齢者の人と関わられている人にお薦めします。
回想しながら話される内容は若い年代へ伝承する役割を担います。

実際に私は田舎暮らしの義父母から『酸模の咲く頃』の歌を教えてもらいました
学校帰りに水分補給でしがんでいた事、皆でスカンポ笛を楽しんでいた事、
節と節の間を切って切り込みを入れ水が流れるところで水車のように回して遊んだ事、
山菜として料理したり保存食として食べていた事等、多くの思い出話とともに聞きました。

それ以来、スカンポを見つけると音楽療法の時に実物を持参して話をお聞きしながら、
『酸模の咲く頃』を一緒に歌います。大正14年の歌詞では「小学尋常科」ですが、
現在は「小学一年生」になっています。長い年月を経ても可愛く歌われています。
‘土手のスカンポジャワ更紗 昼はホタルが寝んねする・・・夏が来た来た ドレミファソ~’
歌詞から分かるように初夏の歌です。まだ4月11日ですが・・・。

季節の歌として、川沿いに黄色の菜の花が彩っていれば『朧月夜』を、
桜の花びらがはらはらと散る頃には『港が見える丘』をふと口ずさみます。
季節感溢れる歌はとても多くありますので、日々変化していく旬な移ろいを
歌と共有できます。花や植物だけではなく、鳥や月などの自然も関わってきます。

私が保存している歌や曲では春に関するものが年間を通して最も多くあります。
心豊かな音楽とともに、五感を開放して回想につなげられたらと願います

在宅介護生活に音楽を♪

2023-04-08 07:03:06 | 音楽療法実践
昨日の雨は田舎の畑には恵みとなり、もうすぐ収穫できる
新玉ねぎやエンドウにも有難く、楽しみでしかありません。

日の出が早朝散歩の途中で見られるように出かけましたが、
未だ冷え冷えとした空気で手を擦りながらになりました。
桜の花は殆ど散ってしまっていますが、ハナミズキが咲き始めており、
河川敷には菜の花が一面に咲いて草の緑とのコントラストが見事です

舗装されていないあぜ道沿いにはれんげそうとシロツメクサが
咲いており、♪れんげつもか はなつもか ことしのれんげは
ようさいた~というわらべ歌が浮かんできました。
幼子が喜びそうなタンポポの綿毛もあちらこちらに・・。
散歩を終える頃に見事な八重桜を愛でることができ、造幣局の桜を思い出しました

散歩していると不意を突いたようにふっと口ずさむメロディがあります。
どうしてこのメロディなのかは自分でも分からないことが多いです。
春らしい訳でもなく、特に好きだった訳でもなく・・・、不思議です。

寝たきりの母の在宅介護を少しだけ経験した中では季節の花を飾ったり、
音楽をCDで流したり、仏間だったのでおりんや木魚を鳴らしていました。
廊下伝いの隣りの部屋にピアノがありましたので、ドアを開けて
時々聞こえるように弾いていました。聴覚は最期まで残ることを信じて・・

先日のホームコンサートではダイニング&リビングの部屋でしたが、
ライブ演奏では普段の生活感を感じることもなく、音色が溢れる空間に
なりました。一般のコンサート会場へ足を運べない人や在宅介護生活を
されている人にも好きな音楽の生演奏のひと時があって欲しいと願います。
瞬間に消えてしまう音楽ですが、その空間を共有した幸せな感覚は
心に長く残り、穏やかな生活につながると思います。

音楽は活力と同時に癒される時空間を作ります。
在宅と等しいグループホームやデイサービスなどの音楽療法にも
今年度は様々な楽器演奏のライブを取り入れていけたらと考えています

桜散る春休み

2023-04-03 07:01:18 | ひとりごと
桜の季節の春休みを楽しみに子ども達と田舎へ帰ってきました。
田舎を楽しみたいと言いながら元気いっぱいです。
ウグイスの谷渡りが響き渡る中で、近くの山に咲いている桜は満開

貸し切り状態の児童公園で一塁往復だけの野球を楽しんでいると
吉野行きの特急桜ライナーの電車が僅かに見えて子どもたちは大喜び!
吉野の桜は山全体に咲き誇り、街の桜並木とは異なった趣があります。

例年の寒さなら泊まることは遠慮してもらうところですが、
今年は暖かく(朝晩は冷え込みましたが)、日中は汗だくでした。
‘疲れを知らない子どもの様に・・・’、という歌詞がピッタリです。
地元の野菜直売所へ寄ると初タケノコが並べてあり、迷わず買って
皆で旬の若竹煮を味わいました。季節ものは心が弾みます。

三日間賑やかに過ごしていたからか、帰る日には毎年訪れるツバメが巣作りに
玄関先の軒下まで飛んできていました。
飛び立つまでの間、今年も暫く楽しめそうです。

静かな田舎を後にして、昨日は図書館への返却と最後の花見を兼ねて佐保川沿いに
皆でまた集いました。川に下りてみると、風で散った花びらが花筏となって流れ、
歩道の花びらの絨毯を歩くと柔らかく優しい感覚が足に伝わります。
桜散る頃の歌のメロディが浮かんできます

坂本龍一さんが亡くなられたニュースが入ってきました。
芸術家らしく、自然界の音に耳を傾けられ、その邪魔にならないように
音楽との協調を大切に曲作りをされていたように記憶しています。

自然界の音楽に目を閉じて身を委ねている時間はいつも心豊かに癒されます。
五感を開放しながらの早朝散歩に静かで穏やかな活力をもらいます