音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

「歌は世につれ・・」の時代♫

2022-08-26 15:47:34 | 音楽雑記
過ごしやすくなってきた朝晩は、夏の疲れを癒してくれる虫の音が
愛おしく感じられます。

久し振りにピアノ三重奏のコンサートへ出かけてきました
コロナ禍のこともあり、一軒家に近い会場では窓を開け、演奏者も
マスクをしながらでしたが、ライブ感溢れる音は身体全体に響いてきました。
幸せを感じるひと時でした。

6月末に大学で‘高齢者福祉論’の講義をした時の、学生さんの講義レポートを
送付していただきました。
音楽は七か月の胎児からご臨終の際までの生涯を通して関わることが可能なこと、
手続き記憶は認知症を患っていても残存していること、
中でも特に高齢者と音楽の関係について、音楽療法士としての臨床と学術研究、
さらには私自身の体験も含めてお伝えしました。

超高齢者になると認知症を患っている人が増え、臨床研究も数多くあります。
学生さんにとっては祖父母又は曾祖父母にあたる年齢かもしれません。
認知記憶研究のレミニセンスバンプに関しては新鮮な内容として受け取り、
講義レポートにも重要な内容として記述されていました

さらに講義レポートとは別に、「あなたが今大好きな歌、励まされている歌」を
教えて欲しいとお願いしました。勿論、記述は自由です。

その結果、30人近くの学生が一人何曲も書いてあるので130曲近くありましたが、
重複した音楽はたった2曲でした。
♪「Call me」と♪「コインランドリー」でした

正直、私は全く知らない曲でした。
さらに驚いたのは、今流行していると私が認識していた
「Official髭男dism」も「King Gnu」も「米津玄師」も「King & Prince」も
「なにわ男子」も人数の多い幾つかの女性の団体名も書かれていないのです。
7割程は知らない歌手であり、曲名でした。

世の中の変化は流行歌の流れでもあるという意味の
「歌は世につれ 世は歌につれ」という時代はもう終わりを告げたのでしょうか?
個々で楽しむエンタメの世界はもう止められないのかもしれません。

全く知らなかった一曲一曲をゆっくりと味わってみたいと思っています

脳卒中から復帰

2022-08-05 07:22:01 | ひとりごと
母の初盆がひと月早い7月にあって帰省してきました
実家のお仏壇の前にナスやキュウリのお盆飾りがあり、
故郷で過ごした日々が走馬燈のように思い出されました。

少しずつ心は落ち着いてきてきましたが、
何かあると、つい母に連絡しなければ、と思ってハッとすることがあります。
遠路離れていましたが、お互いに連絡だけはこまめにしていましたので、
心の距離は近いと思ってきただけに・・・。

コロナ感染者数が増加してきて、病院や施設での面会が再び制限されることに
なったニュースを聞くと気持ちが重くなります。
脳梗塞になって入院していた時も施設へ移った時も
面会が厳しく制限されたことは本当に辛く、帰路では涙が溢れたことを思い出します。

最近のニュースの中で、出口治明さんの著書が出ることを知りました。
母のことでバタバタしていたこともあり、ここ2年程は出口さんのニュースを
あまり聞かなかったことに気付きました。
立命館アジア太平洋大学(APU)の学長さんであり、常に前向きな言葉や
多分野にわたる著書に励まされていました。

2021年1月9日の朝に倒れ、救急搬送されて脳出血の診断で入院され、
その後のリハビリから学長さんへ復帰されたことが新書に書かれています。
「復活への底力 運命を受入れ、前向きに生きる」講談社現代新書.2022年7月

1月9日の朝に出口さんは御母様の四十九日の法要に出かける時でした。
私事ですが、母が施設から実家へ帰って在宅介護になる二日前に
兄も脳梗塞で入院しました。
私と義姉と姪の二人で母の介護から看取りと葬儀までバタバタでしたが、
四十九日法要に兄は間に合うことが出来ました。

そんな事も重なり、出口さんの復帰への物語に大変興味がありました。
私が著書などで知る限りは、「迷ったらやる」という言葉通り、
迷うことなく前向きにリハビリをされていることと思って読ませていただきました。
 終わりの章の「あらゆる人が生きやすい社会づくりを」では
 ‘身体に障害が出ると肉体的に以前と同じように動けなくなりますが、
 障害者の制約となるのは個人の身体機能だけではありません。
 バリアフリーの不備をはじめ、社会や環境の在り方によってもさまざまな
 「障害」が生みだされてくるのです。・・・社会的な障壁の解消促進に、一人の
 障害を持つ者として挑戦していきたい。’

他にも
 ‘人間は動物なので、病気になって回復しなければ死ぬのが自然です。
 必ずやってくる未来を心配しても仕方がありません。’
 ‘訓練の一つとして歌を歌いました。普段は言葉が出ない重症の失語症患者でも、
 童謡などなら歌える人が多いそうです。・・僕の好きな安全地帯の曲をタブレットで
 検索して、曲に合わせて歌いました・・歌っているときは抑揚やリズム、声を伸ばすこと
 などを含め、自分の思った通りに言葉を出しやすいので、歌を歌うのにはストレス発散や
 自信をつける意図もあったそうです’

右半身の麻痺と失語症に関わる治療から半年のリハビリの経過、
さらに在宅リハビリを経て一年三ヵ月後に学長へと復帰された日々が、
「人生は楽しまなければ損です」の持ち前の精神とともに丁寧に書かれています。
参考文献や資料などもきっちり記載されています

母の初盆に会った兄も少し不自由はある中で、以前からの楽しみを復活させたり、
運動プログラムを日課に入れて元気に暮らしていました。
母の葬儀に喪主として立ち会うことが出来なかったことに無念さはありながら、
「今」を前向きに元気に暮らせていることに感謝あるのみです