音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

忌明けでひと区切り

2022-02-28 08:48:17 | ひとりごと
昨日、母の四十九日法要が終わり、やっとひと区切りした気持ちでいます。
久し振りに早朝散歩をすると、小川沿いの白梅は満開、紅梅も7分咲きでした。
春らしい景色と太陽が上る眩しい陽射しを受けて心を軽くして帰ってきました。

母の思い出アルバムを兄夫婦始め、孫夫婦、曾孫たちにわちゃわちゃと
楽しく見てもらった事は何より嬉しいひと時でした。
母の喜寿、米寿、卒寿などのお祝い時に皆で書いた色紙も綺麗に飾ってもらって
義姉の優しさと心配りに感謝の気持ちを伝えました。

一人っ子だった母は家族皆が幸せでいることを何より願っている筈です。
コロナ禍の中なので、十分に気を気をつけながらでしたが、
退院した兄も含めて、思い出話で賑やかに過ごせたことは何よりの供養だと思います。
4月には百か日法要がありますが、別名「卒哭忌」と言う話を和尚さんがされていました。

あらためて、一人ひとりの看取り時も、最期の時も全て異なり、
一人の人の生と別れることについて多くを学ぶ機会になりました。
偶然とはいえ、折りしも母の命日は父と同じ日になり、昨日の四十九日法要は
一年前に母が脳梗塞で緊急入院したその日でした。
病院や施設ではコロナ禍で会えないことの辛さを感じておられる多くの人の気持ちに
共感できます。
会う前にPCR検査をして陰性であれば面会は出来るということをせめてもの
望みとしてお伝えしてきましたが・・、叶うことはありませんでした。

在宅介護に対する家族への支援も少しずつですが、丁寧で柔軟な体制が整えられる
様になっていると感じています。
何よりお互いに理解し合える話し合いの時間を持つことは在宅介護の敷居を
低くする要因だと思っています。

母への看取りの毎日を安心とともに充実させていただけたのは本当に有難く、
昨日も義姉とともに感謝の気持ちを共有していました。

自宅で「自分らしい死」を迎えるために・・

2022-02-24 20:29:21 | ひとりごと
母の最期を自宅で看取った体験を通して、私の想いと重なるネット記事の特集を
見つけましたので、以下簡略した内容をご紹介します。

東京の「やまと診療所」における在宅医療の看取りに関する特集です。

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2020.03.15 #終末期医療  
自宅で「自分らしい死」を迎えるために大切な「ただ1つのこと」
~やまと診療所のPAが示す看取りの未来~
根岸 康雄:ノンフィクションライター

2035年前後のピーク時には、年間死者数が170万人以上に及ぶ。
年間の死者数がいまよりも30万人以上増えるのだ。
国はこれ以上の病床の増加は抑える方針だ。
・・・これまで死に場所の8割は病院だったが、これからは自宅での看取りが加速するのだ。

これまでの在宅医療は、クリニック等の病院の医師が在宅の診療を兼ねるという形が
一般的だった。 だが近年、病院を持たずに在宅医療だけに特化する医療機関が増えた。
24時間、365日、より多くの患者に質の高い在宅医療を提供するなら、
在宅に特化した医療機関の規模が大きくなのは必然と、やまと診療所の安井佑院長は言う。
在宅医療機関の急成長は、在宅での看取りがより一般化した証でもある。
在宅医療とは何か。自宅で死ぬとどんな状態になるのか。
自宅で死ぬことにどんな意味があるのか。・・・

いま亡くなっていく高齢者は、高度経済成長の日本を支えた人たちで、
最期を迎えても生か死か、白か黒かの戦いを強いられる。
本人も家族も医療者もつらい。90才の人が病院のベッドで管だらけになり、
「死んじゃいけない!」と言われる医療現場を目にしてきた安井氏にとって、
「我々の社会に必要なのは『見送りの医療』なんじゃないか」・・・

「皆さん、それぞれ自分の人生を自分らしく生きてきたわけで。
発病してその病気が治らないとなった時、自分らしさが見えなくなってしまう。
どんな最期を過ごしたいか。それを患者さん本人の意思で、見つけてもらう。
我々はそのお手伝いをします。自分らしさは、自分の生きてきた歴史の中にあるわけで」
ずっと暮らしきた家で、残りの時間を生きて旅立つのが最も自然ではないか ・・・

「子や孫や医療者、介護者、地域の人が、旅立った人から温かいメッセージを受け取れる。
温かい多死社会って悪いことじゃない。
多死社会が温かければ、社会全体を温かくすることができます。
我々が実現したいビジョンはまさにそれです」 ・・・

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母が施設から自宅へ帰ってきてから、聴覚的な環境が大きく変化したことになります。
馴染みの仏壇のある座敷の部屋で、リンや木魚の音色、好きな音楽、
日々のニュース、家族を始め、看護や介護で関わって下さる人たちの声かけ、
日常生活における様々な音に包まれた空間は母らしい居場所だったことでしょう。

施設ではずっと見られなかった‘母の穏やかな表情’を自宅で見ることができ、
義姉と私はそれだけでも良かったと共感し合いました。
コロナ禍では十分気をつけながらになりますが、誰とでも会えます。
曾孫たちの声や雰囲気は、ほぼ一年振りくらいに感じとったことでしょう。

96年の人生を生きてきた母の歴史を振り返りながら作った‘思い出のアルバム’には
母らしさが溢れており、昨日皆で一緒に見ながら温かい気持ちになっています。

‘思い出’に包まれて・・

2022-02-20 07:04:14 | ひとりごと
母が自宅へ帰る二日前に脳梗塞で入院していた兄が退院しました。
会話は変わりなくできたので、スマホで報告や相談をしてきました。
ただ、やはり喪主として見送ることが出来なかったことは心残りだったことと察しています。

今日は六七日法要の日ですが、コロナ感染者の現状から遠路の帰省を見合わて欲しいと
連絡がありました。来週の四十九日法要には帰る予定でいます。
菩提寺から預かってきた写経を書くことで気持ちを届けることにしました。

感謝の思い出のアルバムも仕上がってきました。
母は綺麗好きで、几帳面で、お洒落で、音楽を好み、じっと見守るタイプの人でした。
私が迷ったり失敗したりした時にも何も言わずに見守ってもらいました。
そんな雰囲気が写真からもうかがえます。
母の大きな愛に支えられてきたことに気付かされ、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

4年余り前に91才の母と二人で長島温泉へ旅行をしましたが、
「貴女が実家から離れてずっと遠くに行った折々には何も思わなかったけれど、
最近はつくづく近くに居て欲しいと思うようになったのよ、年取ったからかしら」と。
兄は二人いますが、心の距離は誰よりも近くにいるつもりでしたが・・。
それからは週二日の電話での長話を心がけました。
「この前、コンビニで〇〇ちゃんに会ったのよ。声かけたらびっくりした感じだったけど、
喜んでもらえて話したよ」
その通り、中高の親友からの今年の年賀状には
「去年、コンビニでお母さんから声をかけてもらってとても嬉しかったわ」と。
一年前まではしっかりしていました・・。

来週にはこのアルバムをお供え出来るように、楽しみながら仕上げたいと思っています。






在宅医療を選択するまで

2022-02-10 08:18:23 | ひとりごと
母を実家で看取ることを決めるまでには揺れ動く自分の気持ちもあって
かなりの時間を要し、多くの資料を参考にしました。
施設における母の担当医師とケアマネージャーとの話し合い。
実家で5年前から母と一緒に住んでいる兄夫婦との話し合い。

10年近く前に義母が認知症を患っている時に在宅ケアは正直無理だと思いました。
昼夜関係なく行動する母を私達夫婦が二人で交替しても難しいと感じていました。
物盗られ妄想があり、排泄ケアも夜に何度もあり、デイサービスを利用しても
日々の家での介護で心身ともに疲れている状態でした。

母が脳梗塞で入院した時は寝たきりで右半身麻痺、発語は無し、
食事も不自由だと聞いていました。
脳梗塞後に初めて会った時は複雑な気持ちになりました。
私の顔を認識した喜びの表情が見えて、左の手で握り返して返事が出来たことと
帰りに「またね」と声を発したことに喜びさえ感じました。
リハビリをしたら話せるようになるかも・・。
動く左手で文字盤を使って会話が出来るようになるかも・・。

コロナ禍もあって中々会えなくなっているなかで、
会うたびに状態が悪くなっていました。
退院して住宅型有料老人ホームへ行くことになっても面会は難しく
会えない月もあったり、短い時間しか会えないまま半年以上の月日が経ってしまいました。

会えない辛さが積み重なっていくうちに、在宅医療や在宅看取りに想いが募っていきました。
在宅でなら、いつでも母の傍にいられ、お世話も少しは出来、面会不可能だった孫や曾孫にも会える。
実家で無理なら私の地域で一緒に暮らすことも考えて家族と話し合いました。

地域の在宅医療に関する資料は「在宅療養支援診療所」でネットで地域毎に調べられます。
24時間訪問看護可能、往診診察可能、何時も訪問可能な体制。年間の看取り人数の把握、等。
後に年間の看取り人数の把握は重要だと分かりました。
経験が看取りに対するチーム力になっていると感じました。

実際に在宅医療を経験して思うことは、現在在宅で出来ないことは
専門的で大がかりな検査と手術だけの様に感じています。
母は脳梗塞後で寝たきり、介護度は最高の5(Ⅴ)で訪問診療、看護、介護など
介護保険と医療保険を利用しながら、診察から介護ケアプランまで
ケアマネージャーさんに日々のプランを家族とともに丁寧に作ってもらいました。
これなら家族も一緒に参加しながら母を見守れるという内容に安堵しました。
「緊急の場合だと思う時は遠慮なく、いつでも連絡してください」と看護師さんに言われ、
不安だった私たち家族の心の負担を随分軽くしてもらいました。

思い出アルバム用の写真と一緒に色々と整理していると、2006年に作成された
‘「おかえりなさい」プロジェクト事務局’作成の
『あなたの家にかえろう』改訂版の冊子(28ページ)が見つかりました。
‘あなたもわたしも仕事が終われば家へ帰る。
それと同じように人生という仕事が終わる時は家へ帰ろう’、と表紙に書いてあります。
もう15年余前の冊子が新鮮に見えました。
実際に体験したことで内容がしっくり入ってきます。

「自分で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる」
を理念に2013年に開業した‘やまと診療所’は現在1200名以上の方々の、
ご自宅での生活に関わりながら、自問自答されています。
入院の目的が「病気の治療」に偏りすぎていないだろうか。
「自宅での生活を続ける」ための入院の形はないだろうか。・・・

「人生の最終段階における医療・ケアの決定的プロセスに関するガイドライン」を
厚生労働省が2018年3月に作成しました。
それまで使用していた「終末期医療」という言葉を
「人生の最終段階における医療」という表現に改めました。
そのガイドラインの内容は、
・本人にとって何が最善なのかを話し合うこと。
・適切な情報の提供と説明がなされること。
・医療・ケア行為の開始・不開始、医療・ケア内容の変更、医療・ケア行為の中止等は
 医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきであること。

どんなケアも治療も丁寧に繰り返し話し合うことで家族内の理解が共有され、
不安が解消されることに繋がり、精神的な健康が保たれます。
一人の「人生」を見送る時に家族の心に寄り添う医療とケアの重要性を感じました。
それは‘人間同士としての関わり合い’が基礎になるのではと思っています。
一時は看取ってもらえる医者に会えないのではと思ってしまうほど山あり谷ありでしたが、
最期の看取り時に優しくも心強く家族を支えていただいた
チームの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

そして最期の看取りまでの間、兄が脳梗塞で入院している間、お義姉さんと二人で
スクラムを組んで乗り切れたことは喜ばしく、誇りに思っています。
いつも話し合いながら、理解しあいながら支え合ってきました。
お互いに感謝し合う言葉の繰り返しが未だに続いています。




想像以上・・‘感謝の思い出アルバム’作り

2022-02-09 07:44:56 | ひとりごと
1月30日と2月1日にも掲載しましたが、あらためて・・
グリーフとは死別などによる深い悲しみや悲痛を意味する言葉(グリーフgrief)です。
その悲しみに寄り添うケアとしてグリーフケアがあります。
遺族の複雑で深刻な心の状態を理解して寄り添うことで回復のサポートをする取り組みです。
喪中とは近親者が亡くなったご遺族が故人の冥福を祈り、喪に服す期間のことになり、
故人の死を偲ぶために設けられる期間とされています。

母を偲ぶ想いを込めて、感謝の思い出アルバムを作っていると穏やかな気持ちになります。
ただ、96年間の長い人生をまとめるのは簡単ではなく、
四十九日法要には間に合わないかもしれません・・。
想像以上に多くの写真があり、母の若いころの白黒写真や私の記憶が無い写真などから
順に整理を始めました。7年前には父の思い出アルバムを作ったことを思い出しながら・・。
96才の回想用年表を見ながら、母が過ごしてきた日本の歴史との関わりも分かってきます。

一年余り前、父の七回忌に25人の身内が集った時には、95才近くになっていても
元気でしっかりしていた母がお土産や料理などの全般を仕切っていました。
「一人っ子の私だったのに、こんなに多くの身内が集まってもらえて幸せだこと」。
その後、全員の集合写真を母へ送った時には本当に嬉しそうでした。

白黒の写真はかなり小さいサイズが多く、コピー機で拡大しないと分からない程です。
実家の家の移り変わりも楽しめました。
飼っていた犬の種類や父が乗っていた愛車なども同様です。
既に記憶が薄くなっていた時期にも様々な想いが甦ります。

中には幼い頃から一軒空けたお隣りさんとして今でもお付き合いのある
美容師だった同級生との写真があります。
仲良く子供会で一緒に撮った写真、母の行きつけの美容院だったこともあり
私の着付けもしてもらうなど、懐かしい写真ばかりです。
そんな幼友達は母が入院した時に心配して涙を流しながら、「もう会えないの?・・」と。
在宅で看取ることを決めて自宅へ帰った時には、母の顔を見ながら大きな声で
「おばちゃん、帰ってこれて良かったね。また会えて嬉しいよ。」と。
私が遠くに住んでいるので、高齢な父母だけの生活の時にはいつも気にかけてもらって
本当に感謝しかありません。

感謝のアルバムを作っていると、自分自身の生前整理にも繋がっていることに気付きます。
断捨離とまではいかないですが、気持ちがすっきりしていくことを感じながら、
母への感謝のアルバム作りを、好きなBGMをかけながら楽しみたいと思っています

在宅医療の現状

2022-02-05 10:22:01 | 研究関連
日本の高齢化は、団塊世代が75才以上になる2025年にピークを迎え、
在宅医療を受ける人が現在の1.5倍の100万人を超えると言われています。(厚労省の推計)
今後は医療費の抑制を考えながら、在宅医療を増やす政策になるようです。

歴史から実態をみてみると、1972年の老人福祉法が改正された翌年から
70才以上(寝たきりなどの場合は65才以上)という高齢者の医療費の無料化が始まりました。
70才以上の受診率は1.8倍に増えたと言われています。
その無料化が実施された3年後の1976年に、病院で亡くなる人が在宅より多くなりました。
医療費無料は10年継続されたということになります。

その後、増え続ける医療費を抑制するために、1983年から医療費を有料にしました。
2005年~2017年の間に在宅医療を受けている患者さんは3倍になり、
65才以上の人口の割合を示す高齢化率は、1970年で7.1%、1994年は14%超え、
2005年には20%超え、2020年は28.7%です。
高齢化率は増加していますが、日本の総人口は2008年から減少に転じています。

自宅で最期を迎えたいと思っている人は7割近くいると言われており、
約70年前の1950年頃は8割以上が自宅で最期を迎えていました。
1976年に病院で亡くなる人が在宅より多くなり、その後30年以上続いてきました。
ただ、その傾向も2005年をピークに病院で亡くなる人の減少が続いています。
それに伴い、行政の在宅医療を支える支援制度は充実してきており、
今後も在宅で亡くなる人が増えると考えられます。

ただ、在宅医療を支えてきた家族形態の変化がどのように影響するのかを考える時に、
在宅医療に関する複雑な制度及び臨機応変な対応を求められることをふまえて、
訪問看護師、包括支援センター及びケアマネージャーの役割が大変重要になってきます。

理想とされる在宅医療を支える制度として最近注目されているのが
「人生会議」=ACP(Advance Care Planning)です。*「人生会議」の名称は2018年11月に決定
本人及び家族と医療関係者とケア関係者の話し合いを繰り返して意思を確認することです。
最期まで「自分らしく」生きるために、このACP制度を誰もが活用できるような社会に
なることを心より希望しています。
参照:「地域ですすめるACP」https://www.zenhokan.or.jp/acp/

在宅医療の現状は以下の図書を参考にしました。
特に、母は脳梗塞で昨年入院した3月に経鼻経管栄養(鼻管栄養)の措置をして、
4月中旬にそのまま在宅型有料老人ホームへ入所しました。
コロナ禍で会うことも難しい中で、僅かに会えた時には目を閉じていることが多くなり、
家族が感じられる反応が少なくなっていく母の最期を在宅で看取ることを考え始めた時に
石飛幸三医師の図書には随分励まされ、背中を押してもらいました。

<参考図書>
 〇在宅死のすすめ方~痛くない、後悔しない最期~.㈱世界文化ブックス.2021/11/25

 〇在宅医療の真実.小豆畑丈夫.㈱光文社.2021/5/30

 〇「在宅死」という選択~納得できる最期のために~.中村明澄.大和書房.2021/4/1

 〇「平穏死」のすすめ~口から食べられなくなったらどうしますか~.石飛幸三.講談社.
  2010/2/9

認知症高齢者に関する音楽療法研究

2022-02-04 07:58:33 | 研究関連
昨年の12月に、提出前の2021年度の卒論がパソコンへ届きました。
認知症高齢者への音楽療法と回想療法の効果に関する研究内容です。
年度始まりに、認知症と音楽療法に関する研究を学生がしたいと申し出ているという
ご連絡を医学研究科の教授からいただき、音楽療法士として少し関わらせていただきました。

音楽療法士として20年余り認知症を患っておられる皆様と関わってきた中で、
高齢者とひとくくりには出来ない、欧米の研究などとは比較出来ない、
日本ならではの高齢者の社会があることを実感してきました。

それは修士時代の『「思い出深い音楽」に関する高齢者の自伝的記憶研究』に
まとめましたが、更に昨年度の追加研究によって高齢者特有の「ポジティブ効果」研究が
2010年頃から始まっていることに着目しています。

届いた卒論の対象者を軽度認知症(MCI)とアルツハイマー型認知症(AD)に限定すると
年齢は71才~88才までの範囲になっています。
日本では75才以上を後期高齢者としていますが、私が研究として年齢を分ける時には
日本の歴史を考慮して終戦前後の年齢を軸とします。
80才の人は終戦時に4才ですので、その当時の日本及び住んでいた地域社会の記憶はあります。
78才の人は終戦時に2才ですので、個人差はありますが記憶としては定かではないと考えられます。

戦前と戦後の日本においては教育制度、男女平等、家族制度及び形態、結婚年齢、音楽の存在など
異なることが余りにも多く、認知症を患っても記憶に残ると言われている10才代から青年期までの
社会や地域、家族との関係性が重要になってきます。
対象者の半分以上は終戦の記憶があり、研究者はその意識を持ってインタビュー及び質問事項を
準備する必要があると考えています。

高齢者へ提供する音楽に関しても同様に戦前と戦後では大きく異なり、
研究として提示する曲目を選択することも大変難しくなります。
今回は継続される研究とは異なった一過性とはいえ、音楽を媒介することにより、
会話がスムーズになり言葉が増えた結果が統計分析で示されていました

お一人おひとりに向き合う時の楽曲提供とグループとして関わる音楽利用の場合においても
個人的な回想年表を作成して、人生全般に寄り添うことが大切になります。

認知症の中でも人数が最も多いアルツハイマー型認知症においては、現在確立された
効果的な治療法は無く、認知症を患っておられる患者さんへ非薬物療法として
音楽療法を研究として取り入れていただいた事は素直に嬉しく思いました







家族への‘心のケア’に感謝

2022-02-01 07:47:17 | ひとりごと
グリーフケアとは悲しみの中にある人をサポートすることです。
死別などによる深い悲しみgrief(グリーフ)をケアcare(世話)することと言われています。
葬儀やお別れ会などはグリーフケアの一つになります。
大切な人を亡くした悲しみから立ち直る鍵は、グリーフワークにありますが、
私自身は気持ちを整理しながらのアルバム作りがその時間になっていると思います。

悲しみ、絶望感、不安、自責の念、などのいわゆる‘心の症状’は別れる前の
この半年間に多くを体験し過ぎて、看取り後はある意味安堵感があり、心穏やかに
写真の整理をして感謝のアルバム作りが出来ています。
睡眠障害、動悸、疲労感、などの‘身体症状’なども同様です。
山あり谷ありのこの半年間に身体症状も出てきましたが、
自宅の看取りまでの経過の山場では、胸全体にガラスの破片が突き刺さるような
痛みを長く感じるようになり、いわゆる肋間神経痛を患っていました。

そんな中でしたが、家族に寄り添って暖かい言葉かけをしていただいたことに
どれほど心が軽くなったのかを思い返しています。
初めて母の部屋へ来られた訪問看護師さんは、「明るく暖かい部屋で、
音楽も聞こえ、お花も写真も飾ってあってお母様はお幸せですね。」と
看取りをされた医師は母の状態を看ながら、「痰も褥瘡も気になってくると思いますが、
程ほどに付き合っていきましょう」と、少し神経質になっている家族に対してゆったりと
優しい声かけをされました。家族は緊張していた肩の力を抜くことが出来ました。

一番多くの関わりを持っていただいた介護福祉士さんやヘルパーさんは
いつも母への挨拶の声かけから始まり、体温、皮膚の具合、尿の量、などを母に
伝えてくださいました。対象者は‘母である’ことをいつも心がけておられる姿に
家族と同じ気持ちを共有していただいている想いでした。
母だけではなく、家族への心のサポートが大切なことを実感しました。

「本当にご自宅へ帰られて良かったですね」
「お母様の表情が穏やかにみえます」
「何かあればご遠慮なくいつでもご連絡くださいね」

曜日も時間を問わず、何かある度に何度も駆けつけて下さったケアマネージャーさんには
頭が下がりました。「私の仕事ですから・・」と言われましたが、私が素直に心のままに
涙することを可能にしてくださった人でした。感謝の気持ちでいっぱいです。

母への看取りに際し、家族の気持ちは共有されており、それだけでも心強かったことは
言うまでもありませんが、関わっていただいた多くの人からの声かけの内容も
家族ですぐに共有していました。いわゆる‘報連相’の日々でした。
一人で関わらなかったことは心の負担が少なく、家族でその都度話し合うことで
多くの判断をそれぞれ微調整できたことは本当に良かったと思っています。

色々と整理をしていると、この8年半の間に92才から100才までの老親4人を
見送ってきたことに気付きました。思い出はいっぱいです・・・