音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

弦楽器の‘ゆらぎ’の音楽

2023-06-17 20:04:47 | ひとりごと
本来は法事や記念行事などの集まりで利用されているそうですが、
20数名ほどで満員になる位の部屋で、弦楽四重奏を聞く機会がありました

弦楽器4本の生の音だけが降り注ぐ空間は、個人的には大好きで心地よいです。
今のオーディオ機器は想像以上に性能が良くなり、自宅でも一人で集中して
聞く時には利用していますが、ライブの音には叶わないと感じています。

目を閉じて聞いていると、自分の居場所がどこか分からなくなり、別世界へ
誘ってもらえます。4本の弦楽器の掛け合いやハーモニーで作り出す音楽の空間は
タイムトラベルしながら、異次元の場所にいる感覚です

弦楽器が奏でる‘ゆらぎ’の音は、‘f分の1のゆらぎ’とどのような関係性があるのか
分かりませんが、私にとっては早朝散歩の時に心地良いと感じる‘そよ風’や‘鳥の声’、
‘川のせせらぎ’と同じように癒されます。
幸せだと実感できる「時・空間」に居られるだけで、元気倍増です。

演奏会後は、長年親しく交流してきた友人とコロナ禍以来のおしゃべりタイムで
心置きなく情報交換することができました。
4年振り位の年月が経ってしまっており、お互いに話が尽きません。
久し振りなので、お互いの生活や家族の変化が思っていた以上にあり、改めて
コロナ禍の3年半は個人的にも長く、隔離のような生活だったことを嚙み締めました。

音楽療法は本来交流することが必須です。その中で、どのような音楽をどのように
利用するのかを考えます。直に交流することが出来なければ、生演奏と同じような
感覚を持つことはできないと考えています。
‘その場の、その時だけの音楽による交流’と言えるでしょう。

今月は主に大学4回生の学生さん達との‘一期一会のひと時’を楽しみにしながら、
大切な時間を充実していただけるようにしっかり準備したいと思っています。
そんな気持ちも新たに、より一層持たせてもらえた弦楽四重奏のひと時でした。

誰もが感じられる‘ゆらぎ’を精神的な健康に利用していただけたらと思いながら

心軽やかになる‘早朝散歩’

2023-06-13 06:49:38 | ひとりごと
梅雨らしい日が続く中で、久し振りに雨上がりの早朝散歩ができました。
朝陽こそ見られませんが、雨後のしっとりとした土の感触が心地良いです。

散歩道の小川沿いに少し桃色がかった美味しそうな梅の実が連なっており、
大きな畑には枇杷の実がたわわに実り、いくつかは落ちてしまっています。
枇杷の実を見ると、‘ゆりかご’の歌詞(枇杷の実が揺れるよ~)が浮かびます

鬱そうと茂っていた河川敷の草が綺麗に刈られており、川で泳ぐカルガモ達も
よく見えるようになりました。
松の木の黄緑色の松ぼっくりも新鮮であり、色とりどりの花が足取りを軽くします。
ジューンブライドの季節でしょうか・・、ウエディングドレスのラインに似た
カラーの花が凛とした姿で咲いており、足が止まります。本当に美しいこと。

濃い紫や淡い紫の紫陽花は満開で、グラジオラスやタチアオイや可愛い小花も
沢山咲いており、目にも心にも優しい散歩になりました。
多くの畑には夏野菜のキューリ、カボチャ、トウモロコシ、ナスも成長し始めて、
それぞれの色合いが豊かです。
田舎の畑仕事を少しだけお手伝いしている内に、存じあげない人の畑とはいえ、
野菜の成長も楽しみになっています。

今月は京都の大学においてゲストスピーカーとして「高齢者福祉論」の講義を
させていただきます。昨年に続いてになりますが、受講する学生さんには
初めてお目にかかることになりますので、心待ちにしながら資料の準備に
取り掛かっています。

大阪の社会福祉専門学校で8年間、「音楽ケア」の講義をさせていただきましたが
学生さんから学ぶことも沢山あり、相互交流の時間を楽しみに通っていました。
そんな懐かしい感覚を思い出させてもらえる時間をいただき、本当に感謝です。

音楽は胎児期からご臨終までの人間の生涯を通して関わりますので、高齢者に
限らず、若い人の人生に関わる音楽の存在にも気付いて欲しいと思います。
日常生活において関わる様々な年齢の人との交流も大切にしながら、中でも
高齢者の皆様との関わりに音楽がどのような役割を持っているのか、について
事例とともにお伝え出来たらと考えています。

清々しい早朝散歩の効能は、朝仕事がはかどることです。
学生さんとの出会いを楽しみにしながら、あれこれと準備をしています

認知症の人の‘音楽’による記憶

2023-06-11 06:38:26 | 音楽療法実践
認知症対応型グループホームの音楽療法を実践してきて20年近くになります。
グループホームだけではなく、認知症の人の対応フロアがある特養も同様です

認知症の人を対象にした音楽療法がかなり多く実施されており、研究に関しても
多くの関連学会はじめ、研究会においても発表されています。
その中でも、記憶に関連することが多く、あらためて認知症の人の‘音楽’による
記憶を考えています。

認知症を患うと、近年の記憶が失われていく症状が伴うと言われていますが、
昔の記憶は残っていることが多いという研究結果は多くあり、理論化されています。
実際に認知症の人が地域グループの中にいて、懐かしい音楽を一緒に歌う時に
誰も違和感がなく歌唱されている場合があります。

私の実践の中でも馴染んでこられた楽器を最近でも弾いておられてきたかの様に
いとも容易く弾きこなされる姿に何度お目にかかったかしれません。
身体的記憶及び手続き記憶や非陳述記憶という言い方がされています。
「身体で覚えた記憶」という意味で、楽器だけではなく、水泳や自転車などの
記憶も同様になります。

歌唱に関して言えば、前奏を聞いただけで顔が上がり、表情の変化とともに
口が動き始め、声を出す‘歌唱’につながります。
普段会話をされることが少ない人が、しっかり最後まで歌われると日常に関わっている
職員さんの驚きと喜びの表情を私も共有し、感動のひと時になることがあります。

音楽療法は音楽を媒体にした交流になりますが、あらためて‘音楽’による記憶の
大きさを確認する大切な空間です。終了後の話し合いの時には感動された感想を
いただきます。音楽を利用した双方向の交流があり、同時にその場の雰囲気が
非日常の時間を共有することになります。不思議なひと時でもあります。

認知症を患っていて何かと不安定だった義母も音楽を介した時は、豊かな表情と
共に、会話が流暢になり、伝承する役割を持った人生の先輩の姿でした。
私が初めて聞く歌を口ずさんでいる時があり、義母にとっては大切な青春の
思い出だったに違いありません。

認知症を患っている多くの人が、音楽を通して少しでも豊かで安寧な気持ちで
過ごされることを願ってやみません

今日の図書紹介です。
『記憶と人文学』.三村尚史(みむらたかひろ).小鳥遊(たかなし)書房.2021

迷える‘音楽療法’

2023-06-08 07:07:22 | 音楽療法実践
音楽療法の活動も2000年のコロナ禍に入って難しくなり、
多くの機会が失われてしまう中で、活動を継続してきた音楽療法士も
悩み多き数年になりました。

活動としては多様な音楽を利用しながら交流することがメインですが、
先ず人と交流することが出来ず、中止にせざるを得ないことになりました。
少し経つとオンラインの実践を推奨されましたが、慣れないうえに様々な
準備が必要になることから、致し方ないことですが現場では難しいと判断されました。

ただ、私が訪問している認知症対応型グループホームの音楽療法は
少しの中止だけで再開されることになりました
消毒、検温、マスクの上にフェイスガード、距離を取りながらでした。
重い認知症の症状がある中でも、音楽が流れ、楽器活動や歌唱などで
非日常の雰囲気が行動の変化につながることがあります。

会話が不自由な人が歌うことが出来たり、楽器活動で個性的な音楽性が見られたり、
職員さんと歌唱や懐かしい話などを共有できる喜びがあります。
継続して行かせていただいても、一期一会のひと時であることは認知症の人特有の
緊張感を抱くことになりますが、流れる音楽のお蔭で距離が縮まるように感じます。

認知症を患っている人、難病を患っている人を対象にする時のプランニングに
どれほどの迷いが生じるのか、驚くほど時間がかかるようになりました。
コロナ禍を経過した中で、人に対応する時に私自身の心身の構え方に緊張感が
残っているように感じています。

実践してみると、職員の皆様や関係者の皆様に音楽療法を支えていただき、
私の気持ちと対象者の皆様の反応を共有しながら、その時間が過ぎていきます。
私ひとりではおそらく自省する中で帰宅することになりますが、
音楽療法のひと時を共有して肯定された感覚は、間違いなく次への実践に
繋がっていきます。

ただ、未だ2000年までの音楽療法をする感覚とは異なっており、
実践が終わってからも‘迷える音楽療法’の時間が必要になっています。
そんな中で、私の音楽療法が大好きです、と届いたメールに
背中を押していただいて次のプランニングを考えています

ホタルと能の共演

2023-06-03 05:47:13 | 音楽雑記
奈良県宇陀市の能舞台で「仕舞」「狂言」「能」が披露されました。
梅雨入り前の5月末に開催されたこともあって、お天気に恵まれ
神社と能舞台を始め、周囲の自然豊かな風景も楽しめました。

令和元年は6月に開催し、雨で地域の文化会館で行うことになり、
その後2年間はコロナ禍のために中止となり、令和4年の再開時も6月で
雨だったとの事で、主催者側は初めて5月末の開催に変更されたとのこと。

その決断の甲斐あって、梅雨入り前の晴れた日に能舞台で「ホタルと能」の
共演が叶いました。能の演目「花筐」の途中で舞台の照明が消され、
舞台前の薪だけの灯りの中でホタルが放たれました。
再び「花筐」が演じられ、儚いホタルの灯りとともに別世界へ・・・。

5年振りの能舞台での開催に、関係者の皆様の喜ばれている姿が印象的
でした。自然と共演する演出が舞台と演者と観客の一体感を醸し出し、
全員で感動の気持ちを共有させていただいたように感じました。

能舞台のある神社に響き渡る鼓と笛、地謡、演者の声に圧倒されながら
幽玄な世界へ誘(いざな)ってもらいました。
電気音響のノイズは勿論無く、建築音響による閉鎖的な感覚も無く、
この季節ならではの蛙の鳴き声、ウグイスやホトトギスの声までも包み込んでしまう
能舞台上での人間の声と楽器とホタルの共演はお見事でした。

能舞台のある神社に響き渡る鼓と笛、地謡、演者の声に圧倒されながら
幽玄な世界へ誘(いざな)ってもらいました。
電気音響のノイズは勿論無く、建築音響による閉鎖的な感覚も無く、
この季節ならではの蛙の鳴き声、ウグイスやホトトギスの声までも包み込んでしまう
能舞台上での人間の声と楽器とホタルの共演はお見事でした。

‘ゆらぎの音楽’に包まれて、今なお幸せな余韻に浸っています。