脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アマチュアに順応するには自由に生きすぎた

2017-08-30 | Weblog

フェイスブックでいくつかの思い出のジムをあげている。そしてその中でも思い出にのこっているのはジョージと出会ったKalakaua Boxing Clubである。もう何度も書いているのでわかっている人はわかっていると思うのだが、このジムはヒスパニック系の人間とスパーをしたけれど相手にならず、くやしくてくやしくてリングをずっと見ていたらジョージが強くなりたかったら明日また来いと話しかけてきた場所だ。ハワイと言えどアメリカ、そして当時のアメリカは本当に強かったと思う。当時はそこそこ実績ができたらメインランドに渡ってプロになると言うのも何人かいてその当時の代表格だったのがWBCの世界1位まで行った男で、その男は我々よりも頭3つぐらい出ているぐらいうまかった。私よりも1つ下の階級だった男もたいしたトレーニングしていないくせにやたら強かった。結局そいつは強盗でつかまったらしいが、当時強い人間はたくさんいたと思う。踏み込みのはやさがはんぱじゃないのでパンと入って来られて知らぬ間にパンチをたたきこまれる。こいつは手品師かと思ったが、そこには明らかに実力の違いがあった。たいした才能もない、たいした実力も実績もない私は本当にそこでくやしい思いをした。くやしくてくやしくてSon of a bitch的な言葉はおそらく誰よりも言ったであろう。でもその競技人生は楽しかったし本当に自由であった。よく人は俺は自由人だとか言うが、しかし自由と言うのは勝ちとらなくては価値がない。英語のlibertyとかfreeと言うのは、何々から自由とか何々に対しての自由という対象があっての自由だ。自由であろうとすることは様々な弊害があるし、時には拘束しようとする力がはたらくこともあるであろう、でもしかしそういうことに屈せず自信をつらぬいていけるからこそ、そこに本当の自由があると思う。そしてそういう自由を獲得するにはある程度の実力がなければ、ただの井の中の蛙、スポーツを一生懸命やって大学の学位をとると言うように、自分に今できることを一生懸命して、そしてその先の自分を見据えて地道な努力をすることも必要である。そしてその地道な努力があるからこそ自分で好きな生き方を選び取って行くことができるし、生きることができると思っている。若い人に言うが自由って今そこにあるものではなく、その先にあるものだ。そして本当に自分のやりたいことをやりたければ、その将来を見据えて地道な努力をしなければ本当に自分のやりたいことができない。言葉をかえれば今何がしたいのかというよりも今自分には何ができるのかと言うことを問うことがプライオリティであり、その何ができるのかと言う選択肢や実力を広げていくことで好きな生き方ができる、人生の自由度が広がると思う。

私は本当に拘束されることがいやである。群れる奴はアホだと思っているし、仲間と言う言葉はF○○k youだ。たぶんそれは朝鮮半島が長い間大国に支配され翻弄されたと言う歴史的なDNAがあるからだと思っている。

 


 

 


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