まるぞう備忘録

無題のドキュメント

多重層。三つ目の啓示。

2013-11-15 10:18:51 | 多重層

たまたま昨日の朝「聖イッサ伝」のサイトを見つけました。

その内容は大変興味深いものでした。

今回の「多重層」シリーズで、自分なりにユダヤ民族像、イエス・キリスト像などを紡いでいたのでたが、

この「聖イッサ伝」は、それでも私の中に残る疑問の答えを示唆してくれるものでした。

「聖イッサ伝」はチベットに保管されていたため、キリストの死後教会による編纂という汚染を免れた貴重な資料であります。

魔王の子ではない、光の子の方のイエス・キリストの幼年時代や、仏教やゾロアスター教との関係が述べられています。



この宇宙は光と陰が2本の螺旋のようにお互い絡みながら紡いでいく壮大な織物であります。

私たち人間一人一人は自らの中に光と陰を持ち、生きている短い時間に光の糸を紡ぐ挑戦をしています。

光だけでは紡げません。陰との対比があって光を紡ぐことができます。

もちろんこの現実界で陰に堕ちてしまえば、光を紡ぐ(=良心の具現化)ことから遠ざかります。



一つ目の啓示として人類の自我にこの光と陰の仕組みが開示されました。

陰としての我欲に溺れた人生では死後後悔しますよ。

私たちは光を紡ぐ挑戦に生まれてきました。

表面人生だけの、損得や勝ち負けやご利益にまどわされてはいけません。

なぜ善悪があるのか、なぜ光と陰があるのか。その知恵が一つ目の啓示です。

ここ数千年の人類の歴史ではゾロアスターによって明かされました。



二つ目の啓示は善悪を越えた母性です。

この世界が光と陰の絡み合いで成立していることを知ることは大切でありました。

しかし自我が自分の環境を光と陰に区別することは新たなる魔の隙間を生みました。

私が光である。相手は闇である。その対立自身が自分を闇に引きずります。

非常に巧妙な悪魔の誘惑であります。

ですから相手を闇と非難するのではなく、闇ごと愛して受け入れなさい。

という光の母性が二つ目の啓示です。

これは釈尊からイエスへと続く太陽(母性)のメッセンジャーによってもたらされました。

聖イッサ伝に残るイエスと仏教の繋がりはとても興味深いです。

一つ目のゾロアスターの啓示のあと、光の母性を伝えた釈尊は、アーナンダに看取られ天寿を全うしました。

しかしイエスは人々の悪魔を抱き参らせるために、ユダを残し十字架にかかりました。

この釈尊とイエスの対比も示唆的です。

その後の人類の魂の進化の方向を決めました。

無実の罪と迫害という雛形が、人類の手によって置かれました。



三つ目の啓示は、教祖や預言者の言葉ではなく、一人一人の中にいる良心の声に従うべきである。という啓示です。

これは今私たちに試されています。

いくら神の声を伝えるメッセンジャーが遣わされても、彼の死後しばらくすると、人々は自分の内なる良心の声ではなく、

編集され追記され解説された手垢のついた言葉を崇拝することになるからです。

従ってこの三つ目の啓示の時代は、特定個人の預言者や救世主や教祖があらわれることはありません。

私たち一人一人の心の中に現れ始めているのが、この今のステージであります。



つづく


PS,
昨日の記事は私の手違いで公開保留のまま保存されていました。
先ほどアップいたしましたので、こちらも合わせてご覧下さい。。





おひさま、ありがとうございます。

多重層。聖イッサ伝。

2013-11-14 10:18:37 | 多重層

黒眼黒髪のイエスの幼少時代の記録は聖書には残っていません。

しかし聖書には書かれていない黒眼黒髪イエスの一生の伝記がチベットで発見されました。

ニコラス・ノートビッチというロシアのジャーナリストによってです。

百年以上も前の1887年のことです。

この内容は「知られざるイエス・キリスト伝」として発刊され当時物議をかましました。

http://ngomisumaru.blog19.fc2.com/blog-entry-949.html

しかしイエスがペルシャで当時のゾロアスター教の僧侶の会話は興味深いです。

──────────
17 「永遠の霊は、いのちあるものすべての魂です。あなたがたはそれを、悪の霊と善の霊とに分けるという、大きな罪を犯しました。神が、善なるものの外にいるはずはないのに。

18 「子が悔い改めるなら、すべてのあやまちを許す家庭の父と同じように、神がどうして、悔い改めた子どもに、善くないことをするでしょう。

19 「悪の霊は、地上の神の子たちを、まっすぐな道からそらしてしまう、不正な輩の心の中に住むものです。
──────────

善悪二元論がもたらした弊害に光をあてることが、イエスのメッセージです。

善と悪を分ける心に悪が芽生え始める。と。



以下に一部翻訳を掲載します。

長文であるため本日は前半部分の抜粋です。

(http://yusan.sakura.ne.jp/library/issa/ より)



まずイエスが誕生する前のイスラエルの話。

──────────
7 パロに二人の息子があった。弟の名をモッサといい、イスラエル人の学者が彼にさまざまな学問を教えた。

8 イスラエルの民はエジプトのモッサを愛した。彼の善良な人柄と、苦しみを持つものに見せる憐れみのゆえに。

9 耐え難い苦しみに耐えながら、イスラエルの民は神を捨てず、人の作ったエジプト人の神々信仰に走ることもないのを見て、

10 モッサは彼らの萎えていく力を、それでも絶望に追いやることのない、彼らの目に見えない神を信じた。

11 イスラエル人の教師は、モッサの高い志に訴え、同じ神を信じるものの利益になるよう、彼の父パ口と、イスラエルの民との間を取りなしてくれるよう依頼した。

12 王子モッサは父のもとに行き、彼ら不幸な人々の運命を改善してほしいと願った。だがパ口は王子に対して怒り、奴隷たちに加えられる苦しみは、かえって倍増しただけだった。

13 やがて怖ろしい災厄がエジプトを襲った。若きも老いも、弱者も強者も、多くが突然のぺストによって倒されたのである。パ口はエジプトの神々の恨みを買ったと考えた。

14 ところが王子モッサは父に告げた。干渉しているのは奴隷たちの神であり、彼らの神が、苦しめられた民を助けようとして、エジプト人を懲らしめているのだ、と。

15 パ口は彼の子モッサに、ユダヤ族の奴隷を連れて町を出るようにと命じた。首都を遥かに遠く離れたどこかに町を作り、奴隷とともに住むように、と。

16 そこでモッサは奴隷たちに告げた。彼らの神、イスラエルの神の名において、彼らは自由になった。彼らとともに彼も町を出て、更にエジプトの地を離れよう、と。

17 モッサはこうしてイスラエルの民を、彼らが多くの罪のために失った先祖の地へ導いた。彼は民に律法を与え、見えない彼らの創造主、無限の慈愛の神に向かって絶えず折れと命じた。

──────────



イスラエル王国の崩壊について。

──────────
1 イスラエルの富の輝きは、全地に広がり、近隣の諸国はイスラエルを羨んだ。

2 至高の神が、常にイスラエルの勝利の軍隊の先頭に立っていたので、異教徒もあえて彼らを攻めようとはしなかった。

3 だが不幸なことに、人は必ずしも自らに忠実ではあり得ない。神に対するイスラエル人の忠誠も長くは続かなかった。

4 イスラエルの民はまず、神に与えられたすべての恵みを忘れることから始め、神の名に頼らず魔術師、魔法使いらの保護を求めはじめた。

5 王と民の指導者は、モッサが民のために書き与えた律法に替え、彼らの作った法を民に押しつけた。神の宮と信仰のつとめとは放棄され、人々は快楽に身をゆだね、かつての純粋さを失った。

6 エジンプト出立から数世紀が過ぎて、神は再び彼らの上に懲らしめを下そうと決意した。

7 異邦人らがイスラエルの地に侵入を始め、国を荒らし、村々を廃墟にし、民を捕囚として遠く連れ去った。
──────────


イエスの誕生とインドへの旅立ち。

──────────
1 慈愛に満ちた裁き主が、いま人の姿を取って、世に現われようとする時が来た。

2 完全な無為と至福にあった天の永遠の霊が目を覚まし、時を定めず永遠なるものから分かれて地を目指した。

3 人の姿を取ってなお、神であることを示す道、永遠の至福に至る道を明かすため、

4 また、人がいかにして道徳の純粋を獲得し、世俗の煩いから魂を切り離して、至福不変の天国に至る資格を得るかを、身をもって示そうとして。

5 その後やがて、イスラエルの地に不思議な子が生まれ、この幼な子の口を通して、神みずからが肉体のはかなさ、魂の気高さを語った。

6 ここに新たに生を受けた幼な子の貧しい両親は、生まれは高名な信心の家系に属していたが、昔の地上の栄華はいま念頭になく、ひたすら創造主の名を崇め、不運の中にも神に感謝を棒げていた。それが、神により彼らが選ばれた理由でもあった。

7 真理の道をそれることのない彼らに報いるため、神はこの家族の初子を祝福した。神は選びのものとしてこ子を立て、罪に堕ちた人々を助け、悩める人々を癒やすため、この子を世に送った。

8 イッサと名づけられた神の子は、早くから、唯一にして不可分の神について語りはじめた。

9 全地の人々が、イッサのことばを聞きに来た。彼らは、あどけないこの子の口から出る説教に驚いた。イスラエルのすべての民が、この子に永速の霊が宿っていることを認めた。

10 イッサが十三歳、イスラエル人の妻を迎える年になったとき、

11 生活の資を得るため、両親がつましい商いをしていた彼らの家は、金持ちや高い身分の人々の集会の場になった。彼らはみな、若いイッサを自分の婿にしたがっていた。全能の神の名による教化の説教は、すでにイッサを有名にしていたから。

12 イッサがひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人たちとともにシンドに向けて出発するときが来た。

l3 神のことばにおける完成を日指し、大いなるブッダの法を学ぶために。
──────────



つづく





おひさま、ありがとうございます。


多重層。ハルマゲドン。

2013-11-13 10:14:55 | 多重層

ユダヤ民族とヤハウェの関係は、預言者あるいは救世主を必ず挟んだ関係でした。

彼らの言葉は多くの人の羅針盤となり助けとなりました。

しかし知恵深い魔物はその関係性の隙をつきました。

人々が神の声を自分の内側に聞こうとするのではなく、過去の預言者の言葉に依存するようにすり替えたのです。

過去の言葉というものは、知恵深い者々が長い時間を経て、預言者の言葉を真逆に書き換えることが可能です。

そして悪魔は人の支配欲や権力欲につけこみました。

人が自分の言うとおりに動くということは自我の快感であります。

人の自由を奪って思い通りに動かすのは自我の快感であります。

何百年かけて巧妙に都合良く編集された過去の預言者の言葉(=聖書)を絶対視する社会の仕組みを悪魔が作り上げました。

黒眼黒髪のイエスは、聖職者の強制する戒律こそが人々を神から遠ざける。と言いました。

このためイエスを信仰する人々はユダヤ教の戒律がいけないのであって、イエスの言葉(聖書)を新しい戒律として生き始めました。

これは後世の共産主義と同じパターンです。

一部の資産家に富が集中する社会は革命で変革しなくてはならない。

そのように革命を起こした人物とその子孫に資産が集中する社会が生まれました。

貧富の差は改善されるどころか進んで行ったのです。

これが悪魔の手口であります。

中世以降には聖書の解釈がどんどん拡大され、魔女裁判や中南米やアフリカの奴隷制度という残酷な行為が神の名の元で行われました。

神の声に従えといって、悪魔の声に人々を従わせたのです。



二人のイエスの時代から二千年たった今、私たちは新しいステージに立っています。

前回悪魔は、神の声を私たちの外に聴けと誘導する作戦を取りました。

多くの人類はその罠にはまりました。

ですから自分の外に神の声を求めることはもうなくなります。

なぜならそれは容易に巧妙に悪魔の声にすり替わるからです。

このため今回私たちに与えられた挑戦とは自分の内側(=良心)に神の声を聴くということです。

無言の自然に神の声を聴くということです。

幸いここ日本にはその土壌が何千年と長きにわたり育まれています。



これからはもう個別の預言者は出現しません。

その手法はもう使えないからです。

預言者は私たち一人一人となる時代が築かれつつあります。

もちろん悪魔もそうはさせじと必死であります。

私たちが何とかして外の声に依存させようとさせます。

私たちがけなげに生きることをやめさせようとします。

世の中理不尽なことばかりだよね。

自分は貧乏くじばっかりひいて最低の人生だよね。

こんなつまらない人生はないほうがマシだよね。

そのようにつぶやき、外に依存させようととします。

自分の力で生きるのを諦めさせようとします。

人間が自分の責任で自分の神様の声(良心)に耳を傾けるのを阻止しています。



今回のステージ(ハルマゲドン)は、私たち一人一人の心の中で起こっているのです。



つづく




おひさま、ありがとうございます。

多重層。再対決。

2013-11-12 10:47:04 | 多重層

ゾロアスターは謎に包まれた人物です。

彼が生きた時代も定かではありません。数百年もの諸説があります。

文献は残っているようなのですが、今の時代もう誰も解読できかません。

そんな状況でどうやって知ったのかはわかりませんが、

19世紀のパリの魔術師、エリファス・レヴィはゾロアスターについてこう述べています。

当時、陰と陽の二人のゾロアスターが存在した。と。

一人はアフラ・マズダの子供で真の太陽信仰。

一人はアンラ・マンユの子供で偽の太陽信仰(牛頭黒魔術)。

この時の陰陽(善悪)の闘いは壮絶であったと思います。

その闘いは雛形として現代に至るまで様々なところに転写していると思われます。

この時は、アンラ・マンユの偽太陽信仰は闘いに破れ、人々の深層深く隠れたようです。




それから何百年(何千年?)たったあと、それぞれの系譜を引き継ぐ二人の人物が誕生しました。

のちにイエス・キリストと呼ばれる二人です。

悪魔72柱と契約したイスラエル国王ソロモンの家系から、魔王の子イエス・キリスト。

ゾロアスター教(太陽)系譜のユダヤ教から黒髪黒眼のイエス・キリスト。

前回の二人のゾロアスターの闘いで残された課題を抱えての再対決でありました。

太陽の子供の今回の挑戦は、闘わず赦し受け入れることでした。

前回の壮絶な闘いで、唯一残された課題でありました。

闇の子供の今回の挑戦は、人間の自我に巧妙につけ込む知恵でした。

人々が神に近づけば近づこうとするほどハマる落とし穴でした。



黒髪黒眼のイエス・キリストは自分の命と引き換えに「赦し」という人類の共通意識に溶け込みました。

おかげさまでこれを読んでいるあなたの心の中にも、これを書いている私の心の中にも、イエス・キリストの赦しの心があります。

しかし一方で、闇の知恵も私たちに巧妙に入り込んできました。

自分の心の中や自然に偏在する「真の神性」を信じることなく、

特定の個人(イエス・キリストなど!!)を崇拝する宗教を、多くの人類の心に蔓延させていきました。



つづく





多重層。陰対陰。

2013-11-10 10:59:31 | 多重層

ユダヤに関する善と悪、陰と陽はとても複雑です。

何重にも層になっていて一筋縄ではいきません。

しかし見かけはどんなに入り組んだ糸であっても、

最終的には母性(太陽であり個々の良心)に戻る旅なのです。


参考動画
http://youtu.be/RPqvctYizkA


ユダヤ人同士の新たな宗教戦争が生じつつある。


2011年9月に撮られたこの映像では超正当ユダヤ教徒が過度に自由主義者だという理由で隣人を攻撃する。


彼らにとってイスラエル建国はユダヤ民族にとって大災難である。


エルサレム、メア・シュアリム地区、べイト・シェメシュに住む正統ユダヤ教徒の大部分はこの地区の出身だ。


彼らの指導者は自宅に書いた。「シオニズムはユダヤ民族のホロコーストである。ユダヤ教徒はシオニストではない。シオニストはユダヤ教徒ではなく人種差別者だ。」


原理主義者は彼らの動機を聖書から得る。彼らはなトレイ・カルタ(聖地の番人)と名乗る。


彼らは私に2週間の自宅待機を命じました。警察は私を逮捕したとき、「デモをやめるか、お前が我々のお祝いをするか選べ。お前が首謀者だとわかっている。」と言いました。


イスラエル国家は私達正統ユダヤ教徒を脅かし圧力をかけようとします。私達はパレスチナ人と同様、占領地で暮らしているのです。


しかし諦めてはいけません。抗議を続けねばなりません。諦める権利はありません。


根本的にはこれはよいことです。我々と不信心者の間に断絶がおこるたびに、それはよいことです。





シオニストはナチスよりひどい。


彼らにとって隣に住む自由主義者のユダヤ人はユダヤ教徒とみなすべきではない。


そしてイスラエル国家は聖地を汚す裏切り国家にすぎない。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。悪魔の手口。

2013-11-09 13:19:49 | 多重層

「光あるところに影がある。。。」

私のような昭和子供世代の男性には懐かしいフレーズです。

自らの神性を求めてスサノオの放浪を続ける、

ユダヤという民族の旅もまたこの言葉通りです。

神性という光に近づけば近づくほど、魔の闇の力も強くなります。

神性からのメッセージが真に近づけば近づくほど、

巧妙な知恵が人々を光から遠ざけます。

光に向かって歩いているつもりでも、

いつのまにか自我の執着でがんじがらめにされます。



この光と影のスサノオの魂のらせん旅は、人類全員共通でありますが、

ユダヤと呼ばれた人々が人類の雛形として体験しています。

日本民族:陽(母性)の雛形

ユダヤ民族:陰(スサノオ)の雛形



ユダヤの歴史では人々が神性に近づけば近づくほど、

悪魔が神の名前を語り巧妙に入れ替えることが繰り返し起こってきました。

しかし日本ではそのようなことは起きてきませんでした。

神性とは自然や生活やご先祖さまや自分の良心に遍在しているものでした。

それら遍在する神性を貶める悪魔は日本には数千年おりませんでした。

ここに日本とユダヤの陰陽の対比があります。

もちろん日本にも妖怪や魔物はいたことでしょう。

しかし日本人の神性や霊性を貶める役割の存在ではありませんでした。

別の次元の世界として住み分けができていた精霊たちでした。

近代になってようやく日本にも悪魔が攻撃矛先を向けてきました。

日本が世界の人々の神性や霊性の覚醒になり始めたからです。

日本が日露戦争に勝って西洋の倫理観(悪魔ユダヤ)に影響を与え始めました。

アジアの植民地(人間の権力欲による民族支配)が崩れるきっかけです。

そもそも日本の持つ「無邪気な母性」が本当に危険であったからです。

何千年もかけて人を神性や母性から遠ざけてきたのに、

神性や母性に目覚めた人物は迫害して抹殺する社会(西洋)を築いてきたのに、

日本がそれを台無しにすることになります。このままだと。



私はずっと不思議でした。

なぜ日本が第二次世界大戦に巻き込まれたのか。

そこにはルーズベルトやスターリンの背後の

国際資本ユダヤや国際共産ユダヤの強い意志を感じます。

日本の霊性を潰すためには、

日本に戦争を仕掛けさせて潰すことが最も効果的です。

数十年かけて準備がなされていたようです。

外交官や軍部のエリートたちが彼らにとりこまれました。

日本が開戦にいたった経緯、戦線を拡大していった経緯、

それらの記録を調べて行くと、

ずるずると日本が敗戦に引きづられていったことがわかります。

戦国時代に一度悪魔の侵略がありましたがその時は防ぐことができました。

当時は日本は辺境の島国でありました。

しかし日露戦争後は、事情が異なります。

本気で日本の霊性を潰しにかかりました。

今でも多くの世界に人は、日本軍がナチスと同様と思っています。

昭和天皇が侵略戦争を指揮したと思っています。

日本人の中にもそう思って天皇制を廃止すべきという人もいます。

これが牛頭悪魔の巧妙な手口です。

光に近いものを闇にすり替えて、闇を光に見せかける手口です。



ユダヤ民族を世界中の差別の対象とするようにすり替えました。

(天皇や日の丸を戦犯として封じようとするのと同じ臭い。)

もう二度とナタン・イエスのような人物が出ないように。

ヤハウェに最も近かった民族を、

神から最も遠い卑しい民族というレッテル貼りに成功しました。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。二人のイエス。

2013-11-08 10:03:44 | 多重層

イエス・キリストとは個人名ではなく称号のようなものです。

イエス(Yehoshua)はイザヤ(yesh-ah-yaw)と語源は同じ「ヤハウェの救い」です。

「伊勢」もまた同じ語源でとも考えられます。



キリストもまた救世主であるという意味です。



さて今から2000年ほど前にこの地に二人の子供が生まれました。

生まれた時の名前はそれぞれ別であったでしょうが、

後世になって二人とも「イエス・キリスト」と呼ばれたという共通点があります。

現代の私たちはイエスが二人いたということは信じられない話でありますが、

中世頃までは知る人ぞ知る知る開示された内容だったようです。












一人のイエスは裕福な家庭に生まれています。

誕生時に三賢人が祝福に訪れています。

もう一人のイエスは貧しい羊飼いの家庭に生まれています。

ひっそりと馬小屋で誕生しました。




裕福イエスは魔王の子供でした。

幼少の頃から不思議な魔術を使っていました。

──────────
5歳のイエスが、河原で泥をこねて12の雀を作りながら遊んでいると、父ヨセフから安息日には物を創ってはならないと注意され、イエスが手を拍って雀に「行ってしまえ」と叫ぶと、雀は羽をひろげて鳴きながら飛んでいきます。イエスの噂を聞いた律法学者アンナスの息子がやってきて、イエスがせき止めておいた水を流してしまいます。イエスは怒り、「愚かなる者よ。この穴と水がお前に何の不正をなしたというのか。みよ、今やお前は木のように枯れる」と言うと、アンナスは本当に枯れてしまいます。イエスが走ってきた子供と肩がぶつかると、イエスは怒り「お前はもう道を歩けない」と言うと、その子は本当に死んでしまいます。枯れた子供と死んだ子供の両親はヨセフに抗議を申し立てます。

父ヨセフは「どうしてあんなことをするんだ。あの人達も困るし、それに私達を憎んで迫害しているぞ」と叱ると、イエスは「こうしたお言葉があなたのものでないことは解っています。でもあなたのために黙っていましょう。しかしあの人達は罰を受けるのです」と返事をすると、苦情を言い立てた人は全員盲目になってしまいます。さすがにヨセフは怒り、イエスの耳を引張り叱りますが、イエスは「あなたはものを探してもみつけないのがいいのです。あなたはほんとうに賢からぬ振る舞いをした。私があなたのものだということが解らないのですか。私を悲しませないで下さい」と父をなじります。
(トマスによる外伝より)
──────────



地味だった方のイエスは幼少期の逸話はほとんど残っていません。

両親に愛情深く育てられ、生来の求道精神からユダヤ教のラビになりました。

地味イエスは母性の人でありました。

彼が属したパリサイ派の元となるゾロアスター教に母性を見ました。

アフラ・マズダは宇宙の最高神とされています。

父親のような厳しい面もあれば、

母親のような慈しみの面もあります。

また善悪を超えた存在の面もあります。

それぞれ感応する人間の次元が感じることです。

地味イエスは探求の中で、神の中の母性を確信します。

彼がの言葉は「母なる神の声」であります。

これは従来のパリサイ派のラビたちの教えとは180°異なっていました。



つづく




おひさま、ありがとうございます。

多重層。あなたは柔らかいでしょうか?。

2013-11-07 10:17:15 | 多重層

ユダヤ教パリサイ派の人たちが陥った罠とは

彼らの信仰深さゆえの真面目さでありました。

彼らはこう考えました。



我らのユダヤ民族は、

古来からヤハウェと共にいた神との契約の民族でした。

にも関わらずイスラエル王国の滅亡にいたり、

民族はとらえられたりバラバラになってしまいました。

これは我らの預言者を通して得られた戒律を守らなかったからです。

ですから我々ユダヤ民族が生き延び繁栄し、

再びヤハウェの元に戻るためには、

戒律は厳重に守らなければなりません。

特にゾロアスター教との邂逅で開示された真実。

神と悪魔との闘い。

悪魔と戦ってヤハウェの天国に参るためには、

厳格に戒律を守らなければならない。

そのパリサイ派の「硬さ」に知恵深き悪魔がつけこみました。



自らの魂の神性を維持するために、自らを律することは重要です。

しかし他人を律することはとても難しいです。

ほんの隙間でも悪魔が入り込みやすいからです。

他人を支配することは自我欲では快感です。

まして神の名の元に他人を縛ることはとてつもない快感です。

誰も自分にさからえません。自分が他人を支配できます。

この戒律による支配欲に悪魔がつけこみました。



たとえば私たちのまわりでも、

人を「規則でしょ」や「常識でしょ」で、縛るのが好きな人はいます。

彼らは他人のため、社会のため、と思っておりますが、

それにかこつけて他人を縛ったりいうことをきかせるのが好きなだけ。

ということも多々あります。

ではその境界はどこにあるのでしょうか。

それは「柔らかさ」です。

もし他人のため、社会のためという動機であるならば

その人の空気には「柔らかさ」が残っています。

しかし人を支配したい人には「柔らかさ」がありません。

人のため、社会のため、神のため、と名目はあったとしても

「硬さ」しかない人は、支配欲という我欲に溺れた人です。



私たちが常に気をつけなければならない点です。

◯◯さんは「硬い」人だなあ。とか、

◯◯さんは、支配欲の人だなあ。など、

私たちは他人の評価は得意です。

しかし重要なのは自分が他人に今どうであるか、だけです。

自分は人に対して柔らかさを保てているでしょうか。

柔らかさ=良心 です。



さて戒律主義という悪魔の罠に陥ってしまったパリサイ派から

「柔らかさ」のメッセンジャーがあらわれました。

その人は後世、イエス・キリストと呼ばれます。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。知恵深き悪魔。

2013-11-05 10:26:52 | 多重層

もし知恵深き悪魔であったらば、

次はどのような一手を打ちましょうか。

ユダヤ人が素朴なヤハウェ信仰を信じている時代であれば

彼等の生活の不満心に火をつければ良かったです。

こんなに貧しい土地でいいのだろうか?

こんなに貧しい遊牧生活でいいのだろうか?

約束のカナンの土地なのになぜこんなに貧しいの?

隣のエジプトに出稼ぎに行けば裕福な生活ができるよ。

エジプトの神様は拝んだぶんだけ富を与えてくれるよ。

生贄を捧げた分だけ富を与えてくれるよ。

そのような誘惑で堕とすことができました。



では今回はどうでしょう。

彼らはゾロアスター教を通してカラクリを知ってしまいました。

この人生という魂の旅が、

悪の誘惑に打ち勝って善に戻るための旅であることを。

私たち悪魔が彼等を善から遠ざけるために裏で働いていることを。

そして彼らが私たちの誘惑に堕ちて悪を積み上げると

死後自らの後悔という業火に包まれることを。

彼らは知ってしまいました。

自分たちの魂は永遠であることを。

短い人生なら奪ったもの勝ちであります。

逃げ切ったものが勝ちであります。

しかし魂が永遠であるのなら、死後自らの裁きがあるのなら、

今生という短い期間は善をなす必要も当然です。

ワレヨシの我欲に溺れることなく謙虚に質素に生活の中で善をなす。

彼らユダヤ人はそれにとうとう気づいてしまいました。

パリサイ派というユダヤ人たちが気づいてしまいました。

そして彼らの教えがユダヤ人たちの中急速に広まっています。

これは何とかしなければいけないです。

彼らが自らの神性に気づかないようにしなければいけません。

彼らが神性から遠ざかるよう我欲に火をつけなければいけません。

どうする?

どうする?



そのように悪魔は熟考したことでしょう。

そして知恵深き悪魔はある作戦を思いつきました。

それは神への回帰を強く望む人ほどハマる罠でした。



「内なる神の声」を「外なる預言の声」に、

さりげな~く、さりげな~く、置き換えることでありました。

アブラハムもモーゼもイザヤもみな預言者でした。

ヤハウェの言葉を伝えるメッセンジャーでした。

本当はユダヤ人は全員が預言者でありますが、それは秘密とされました。

ごく限られた預言者だけがヤハウェの声を伝えることとします。

しかし預言者はもう過去の人たちばかりです。

だから聖職者(ラビ)の解釈が絶対なのです。

悪魔たちはそのようにパリサイ派の教えを巧妙に書き換えました。

ラビ(聖職者)たちの、

「自分は神に仕えたい」

「人々を神の道へと導きたい」

という願望が巧妙にすり替えられました。

人々が神のメッセンジャーとしてラビたちを崇めました。

聖職者であるがゆえの我欲に悪魔は目をつけました。

ラビたちは自らも気づかないうちに自分の神性から堕ちていきました。



真面目な人ほどキマリが好きです。

自分がキマリを守るのが好きです。

他人をキマリに守らせるのはもっと好きです。

神様にの名の元に、人々にキマリを守らせるのは至福の快感です。



日曜は安息日とモーゼの十戒に伝えられておる。

だから絶対に働いてはならぬ。

何?裁縫をした?いかんいかん絶対いかん。

それは神にそむく行為であるぞよ。

何なに?針を一針、衣にさしただけ?

う~む。これはどうするかのお。

よしそれでは二針以上縫った場合を労働とみなす。

一針ならば神様もお許しになることであろう。

しかし二針以上は絶対にならん。それは神を冒涜する行為じゃ。



真面目な人ほどキマリが好きです。

神様を熱く求める人ほど神様に関するキマリが好きです。

そして人にそれを強制することはもっと好きです。

今回知恵深い悪魔はその隙間をつきました。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。邂逅。

2013-11-04 11:32:31 | 多重層

ユダヤの人たちが長い間共にあったヤハウェ信仰ですが

イスラエル王国が滅亡した時に大きな転換を迎えました。

一つの流れは東の果てのエデンの国に戻りました。

この日本に戻ったユダヤ人たちは、

ヤハウェを信仰していましたが、

ユダヤ教徒では有りませんでした。

ユダヤ教が誕生したのは彼らがイスラエルを脱した後です。

さてイスラエルにいたころ、そしてその以前、

ヤハウェは厳しい父なる神でありました。

しかし日本の土地に上陸すると、

ヤハウェは母なる愛情の神になりました。

彼らはヤハウェの鏡を神宝として上陸しました。

その鏡の裏には古代ヘブライ文字でヤハウェの言葉が書いてあります。

「私はありてあるものである。」

しかし日本ではその鏡は八咫の鏡と呼ばれ、

母なる太陽神「天照太御神」として祭られるようになりました。



大いなる神様には、

愛情深い母なる面(次元)もあれば、

厳しい父なる面(次元)もあります。

どちらを感じるかというのはこちらの人間側の問題です。

放浪のスサノオであったユダヤ人たちは、

ずっとヤハウェを厳しい父と感じていました。

しかし母性のふるさとに戻り安住したときに、

そのヤハウェが母なる太陽神になったのです。

とても興味深いことであります。



ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダも同様です。

愛情深い母なる一面(次元)と、

悪を成敗する厳しい一面(次元)があります。

もしゾロアスター教が日本に戻ることがあれば、

アフラ・マズダは太陽神として祭られたでしょう。

「ラ」とは太陽神を意味します。

しかしイスラエルに残ったユダヤ人にとっては

アフラ・マズダは厳しい父なる神ヤハウェと映りました。



さて私たちが知るユダヤ教は、

ほとんどがその骨格をゾロアスター教から移管しました。

最高神が全知全能の光の神であること。

この世が善なる神と悪魔との闘いであること。

死後善なる魂は天国に行き悪なる魂は地獄に行くこと。

これらの思想はユダヤ教だけでなく、

キリスト教やイスラム教にも引き継がれ、

世界でもっともメジャーの宗教観になっています。

ただもとのヤハウェ信仰にはありませんでした。



さて、自らの神性に気づけるか戻れるか、というのが

古代からのユダヤ人たち(スサノオ)の課題でありました。

人(他民族)より神性を気づきやすいことの引き換えに

逆境や誘惑が多いという旅であります。

今回のイスラエル王国の滅亡で

ユダヤ人たちは一つの壁に突き当たりました。

民族の神性が何人もの預言者を輩出して、

彼らに警告を与え続けたのにこの結果です。

ワレヨシの欲のために御蔭信仰(偶像崇拝)に精をだし、

王国の繁栄を魔物との契約をしてしまいました。

そのため風紀も道徳も乱れ、

結局それらの因果により王国は消滅しました。

単なる預言では救えなかったのです。

もうこれで何度目でしょう。

やはり神性から離れた自我に対して自覚させるには

真理を教義として理解させることが必要です。

無垢な子供であれば純粋に神様を信じます。

しかし欲にまみれた大人であれば理屈が必要なのです。

なぜこの世に善と悪があるのか。

なぜ善を行わなければならないのか。

なぜ悪の誘惑に堕ちてはいけないのか。

この真理がユダヤ人たちに開示されました。



ヤハウェは私たちの中にある善なる心なのです。

ゾロアスター教を触媒として思い出した人たちがいました。

彼らを歴史家はパリサイ派と呼びます。

一方旧来のままヤハウェは豪華な神殿にいると唱えた人も残っています。

神殿関係の既得権益を持つ彼らはサドカイ派と呼ばれます。

権威主義であったサドカイ派は間もなく衰退し、

パリサイ派が唱えるヤハウェ信仰がユダヤ教となりました。

ユダヤ人たちが神性への回帰に近づいた瞬間でもありました。



しかし神に近づけば近づくほど、

悪魔の誘惑が巧妙になる旅でもあります。



つづく




おひさま、ありがとうございます。

多重層。ゾロアスター教。

2013-11-03 11:35:40 | 多重層

ゾロアスター教はその起源はよくわかっていません。

5千年前に出来たという説もありますが、

3千年前ごろという説もあります。

これだけ差があるということは、もうよくわかっていないということです。

そもそも当時の経典らしいものは残っているのですが、

ペルシャ語の方言が強く、誰も読めないのです。

ですから現存するゾロアスター教の教えから推測するしかありません。



ゾロアスター教で特徴的なのはその宇宙観です。

宇宙は時間のない状態(ズルワーン)でした。

気が遠くなるような退屈のあと、

ズルワーンは「時間(=この宇宙)」を生み出しました。

それは光と闇(陽と陰)の交互の振動でありました。

光の創造神をアフラ・マズダーと呼び、

闇の創造神をアンリ・マンユと呼びます。

この光と闇(陽と陰)の交互振動こそがこの宇宙(=時間)の実態です。



人間の魂もまた光(善)と闇(悪)の交互振動です。

人は死後、三日三晩かけて自分の人生を振り返ります。

自分の「言葉」「想い」「行動」について振り返ります。

そしてその善悪に見合った世界に引かれていきます。

善を生き切った人は「天国」と呼ばれる世界へ。

善を隠して誤魔化して生きた人は「地獄」という後悔の世界へ。

従って死後「後悔の世界」へ引き寄せられないためには、

生きている間の「生き方」が重要であります。

それも日常生活の善の実践が重要であると説きます。

どこかに修行にこもることではありません。

日常の生活(労働)の中の善(三徳)が重要なのです。

「善き言葉」「善き想い」「善き行動」



またゾロアスター教の儀式の中で最も重要とされているのが、

「感謝の儀式(ジャシャン)」です。

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ゾロアスター教の儀式のなかで最も重要とされるのがジャシャンの儀式である。これは、「感謝の儀式」とも呼ばれ、物質的ないし精神的世界に平和と秩序をもたらすものと考えられている。ゾロアスター教徒は、この儀式に参加することによって生きていることの感謝の意を表し、儀式のなかでも感謝の念を捧げる。
(Wikipedia「ゾロアスター教」より)
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ゾロアスター教は拝火教と呼ばれるように、

寺院では聖火をお祭りしています。

聖火は各自の中にある善(命の光)を思い出させます。

この世界にはいろいろ苦しいことがたくさんあります。

この世界には誘惑もたくさんあります。

しかし苦しさや誘惑という闇に流されるのではなく、

そこに自分の意志で善という炎を点火させます。

自分の善なる意志により、

闇の逆境や誘惑がまばゆい炎へと点火されるのです。

祭壇の聖なる炎は人に生まれてきた意味を思い出させます。



さてバビロンから解放されたユダヤ人たちは、

当時ペルシャの国教であったこのゾロアスター教に触れます。

そして自分たちが先祖代々伝え守ってきたヤハウェへの信仰と、

このゾロアスター教が彼等の中で融合していったのでした。

ヤハウェがアフラ・マズダであることを思い出したのでありました。

ユダヤ教と呼ばれる宗教の誕生でした。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。ありてあるもの。

2013-11-02 13:11:32 | 多重層

当時のユダヤの人たちにとって、

ヤハウェとはどういう神だったのでしょうか。

ユダヤの先祖たちはエデンの園を出て、

自らの神性を発見する旅に挑戦している人たちでした。

自らの神性に気づきやすい性質(遺伝子)を持つと同時に、

自らの神性を見失いやすい境遇を与えられる人たちでした。

見失いやすい境遇とは、

放浪や流浪などの厳しい環境であり、

富や権力やふしだらな生活に溺れる誘惑でありました

これらの落差は他の民族よりもはるかに大きいのが彼等の契約でした。

人類進化の雛形となる陰陽の二組の古い遺伝子のうちの

陰の役割といえる存在であります。

ちなみにもう片割れの陽の役割の古い遺伝子民族は、

人類発祥の小さな島国で、母性を維持しています。

陰のスサノオと陽の天照太御神の関係であります。



ユダヤの人たちには自らの内なる神性を、

感じる人が多かったのではないかと思います。

彼らが感じた神性を「ヤハウェ」と呼びました。

ヤハウェとは自らの内側にあるものであり、

大地全体に空全体にあるものでした。

それはありてあるものでした。

その点では日本の神道と似ていますね。



ヤハウェはおかげを与える神ではありませんでした。

ヤハウェが約束したとされるイスラエルのカナンも

不作が続いたりと決して豊かとは言えません。

お隣のエジプトの方がずっと豊かです。

彼らの神様は御利益を与えてくれる神様です。

でもうちのヤハウェは御利益はありません。

それどころか厳しいことばかりです。

しかし御利益がないのが本当の神様です。

どんなに厳しい環境であっても、誘惑であっても、

自分の神性(思い遣りと道徳)を守り切ることができるか。

この旅を一緒に行っているのが各自のヤハウェであります。

ヤハウェが厳格であるとするならば、

それは彼らがユダヤの人たちの良心が、

自分たちを律しているということであります。



厳しい状態であればあるほど、

忘れかけていた神性を思い出す出来事がおこります。

そして神性を思い出せば思い出すほど、

ワレヨシが発露する逆境と誘惑がおこります。

このらせんが、ユダヤ民族の歴史であります。



イスラエル帝国のソロモン王の時に、

ユダヤ民族の大多数は自分たちのヤハウェから最も離れました

ソロモン王は72柱の悪魔を操り、

イスラエル帝国は短い栄華を誇り滅びました。



このあと彼らがヤハウェに回帰するために、

大きな二つの流れに分かれて行きます。

まだ自分たちの内なるヤハウェの声を聴ける人たちは

母なる極東のエデンの土地に戻りました

自らの神性により太陽の土地に呼ばれ帰郷しました。



もう一つの流れはイスラエルに留まる流れでした。

この厳しい土地で自らの神性を思い出そうとする試みでした。

バビロンに囚われたユダヤ人たちです。

この時彼らの中にいた(第二)イザヤは、

必ず私たちはイスラエルに戻ることができる。

と預言しつづけています。

そして捕囚されて約50年後のことです。

預言どおり彼らはイスラエルに戻ることができました。

彼らを征服したバビロンが滅んだからです。

バビロンを滅ぼしたのはペルシャという国です。

ペルシャ=ゾロアスター教 です。

彼らの「ヤハウェ信仰」が「ユダヤ教」へと変わる

歴史的大事件でした。



つづく





おひさま、ありがとうございます。

多重層。神武伝説。

2013-11-01 11:03:58 | 多重層

旧約聖書に残っているモーゼの出エジプト記は

年代的に謎が多いです。

この出エジプト記はイスラム伝承にも残っています。

エジプトからイスラエルのカナンまでは、

そう遠い距離ではないのに、

なぜ何十年もかかっても辿り着かなかったのか。

モーゼはイスラエルのカナンではなく、

極東のカナンを目指したのであろうと思います。

当時の旅程では中東から日本までは、

およそ10年ぐらいで辿り着けたようです。

モーゼはヤハウェの啓示を受けて、

十戒を刻んだ石板を極東のエデンまで運んだのでしょう。

しかし残念ながら

イスラエルのカナンには帰り着くことはありませんでした。

モーゼが埋葬されたという石川県の能登半島のそばには

今でもカナン(加南)と呼ばれる豊かな平野があります。



さて代わりにモーゼが託したのがヨシュアでした。

彼はモーゼの遺言どおりイスラエルのカナンに戻った

と、旧約聖書に記録が残っています。

ユダヤ民族がカナンを留守にした数百年の間、

他の民族がカナンに暮らしていたのです。

ヨシュアたちは彼らを武力で制圧し、

再び約束の地カナンに戻って来たのです。



当時ユダヤ民族は12の支族から成り立っていました。

ヨシュアを祖とするエフライム族もその一つです。

エフライム族やガド族など北イスラエル王国を形成していた

10の支族はアッシリアに攻め込まれたあと、

歴史の表舞台から忽然と消えてしまいます。

「失われた10支族」と呼ばれています。



されこのエフライム族ですが、

彼らの出自は日本の神話と奇妙な一致点があります。



ヤコブ(ニニギノミコト)は、

イスラエル民族(天孫民族)の父祖とされています。

ヤコブ(ニニギノミコト)は美女ラケル(コノハナサクヤヒメ)に

恋して彼女を妻にしようとします。

彼女の父は姉レア(イワナガヒメ)も妻にしてやってくれと頼みますが、

ヤコブ(ニニギノミコト)は姉レア(イワナガヒメ)を遠ざけます。

ヤコブ(ニニギノミコト)は妻ラケル(コノハナサクヤヒメ)との間に

ヨセフ(ホオリノミコト=山幸彦)を授かりますが、

彼は兄達(ホテリノミコト=海幸彦)に苛められ、

エジプトに奴隷として売られてしまいます。 

その後、彼はエジプトの宰相の地位まで上りつめ権力を持ち、

兄達が凶作に苦しみエジプトに来た時に、兄達を赦します。

ヨセフ(ホオリノミコト=山幸彦)は、

エジプトの祭司(海神)の娘(トヨタマヒメ)を妻にし、

その間にエフライム(ウガヤフキアエズ)を授かります。 

エフライム(ウガヤフキアエズ)には4人の息子が生まれ、

2番目と3番目の子は早死にし、4番目の息子として

ヨシュア(イワレヒコノミコト=神武天皇)が生まれます。

ヨシュア(神武天皇)はイスラエル民族(ヤマト民族)を率いて、

カナンの地を征服(東征)しました。 



つづく





おひさま、ありがとうございます。