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羊は太らせてから。

中国発案のAIIB(アジアインフラ投資銀行)が国際的な大きな流れとなっています。
従来は日本とアメリカが中心であったADB(アジア開発銀行)がその役割をしていました。
このアジア開発銀行は日本とアメリカがほぼ同額の出資を行い、歴代の総裁は日本人という組織です。
銀行でありますから、アジアの開発案件にお金を融資して、利息をつけて返してもらう。という組織です。


このADBの融資は審査が難しくて、なかなか通らないのですが、その代わりADBが認めた案件は全て返済が行われています。


さてこのADBのお金の貸し先のトップは中国です。
アメリカと日本が、中国にお金を貸しているのがADBの実態です。
しかしこの稟議はなかなかきびしくて、中国としてはもっと自由になる金融の仕組みが欲しかったのは当然でありましょう。
それがAIIBです。


世界のみなさ~ん、これまで規則規則で厳しかったADBに変わって、私が新しい投資銀行を作りますよ~。というのがAIIBです。
AIIBに参加表明している多くの国はお金を貸してもらう側です。
ADBの厳しい審査よりゆるくお金を貸してくれるのなら一応手をあげておこうか。ということでしょう。
しかし中華からお金を借りることのおそろしさはわかっていないようです。
見た目の利率は安いかもしれませんが、開発工事の受注はすべて中華で請け負うのが条件かもしれませんね~。
ミャンマーやアフリカなどインフラ工事を中華に発注して、地場産業を根こそぎ中華に奪われたケースがありますので、ビジネスモデルはこれを基本としているのではないでしょうか。


さて問題はイギリスの動きです。
イギリス国際資本がこの中華主導のAIIBにお金を出すということです。
巷ではイギリスとアメリカの距離が空いてきたと言われています。
日本とアメリカが世界から孤立すると心配する人もいるようです。


国際情勢、特に金融情勢は表だけの動きでは裏の動きはわからないものであると思います。
第一次大戦や第二次大戦の時のユダヤ金融資本は、戦っている両方にお金を貸しておりました。
どちらが勝っても儲かる仕組みがないと彼らは戦争をしないといっていいかもしれません。


アメリカとイギリスの結びつきは私達が考えているよりも深いと思います。
したたか度合いでは世界トップであるイギリスが、盟友アメリカと距離をおいて、中華に近づくような行動をとるということは、実態はその逆であるかもしれません。


一年前にイングランド銀行が人民元で決済できるようにしたことともその布石であるように思います。
羊は丸々と太らせてから刈り取れ。
このAIIBはその羊を囲い込む仕上げの仕組みに思えるのは、私の妄想であります。


もし中華が周辺のアジアのために、という動機でAIIBを立ち上げるなら表面は損しているようでも結果的にアジアに中華が救われることになるのではないかと思います。
しかし更なる儲け話に欲をかいているのであれば、策士策に溺れるで、欲をかいた分を根こそぎ牛耳られるかもしれません。うむ。


近代の日本史の考察は本当に役に立つように思います。



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日本人からの伝言。振り子の教訓。真ん中の道。




二千数百年前にインドにいらっしゃったゴータマ・ブッダの教えとは、もう何万経の教えとして日本に伝わってきましたが、しかし本当のブッダの教えとはとてもシンプルなものであったと思います。


おそらくそれは「どんな時でも自分の良心をただひとつの行動の羅針盤にしなさい」ということであったのではないでしょうか。
これは「中道」とも呼ばれます。
右にも偏らず、左にも偏らず、常に自分の良心を羅針盤として真ん中を歩むように心がけなさい。ということです。


「中道」とは、この世界が陰と陽の振り子の法則で成り立っていることと深い関係があるように思います。



もし人生に輪廻転生というものがあるのであれば、偏りすぎた前の人生の宿題をもう一度トライし、今度こそは中道を選んで歩いて行きたいという振り子の法則のひとつの表れなのかもしれません。


日本の今の民族についても同様です。
侵略戦争を起こさず、侵略戦争に巻き込まれず、平和を維持することは、国家にとって中道を歩み続けると似ています。


ハンドルの右は、侵略戦争を起こすの道であります。
かつての日本人が自分たちの我欲に縛られて、もっともっとと欲しくなる人間のサガの道でした。
多くの民衆が自分たちの感情に扇動された道でした。
私達日本人はその課題は解決昇華することができたのでしょうか。


ハンドルの左は、侵略戦争を起こされる道であります。
残念なことではありますが、戸締まりが不十分であれば強盗に入られても仕方がない世界であります。
大切な子供を守るために、常に国家の平和にとって最悪のケースを想定して、平和のうちから備えをしておくことが大切です。


かつて日本人の多くは、お花畑の侵略主義でした。
なにせ相手が大国であっても戦争に敗けたことがないわけですから、どんどん拡大していくべきだと、幼稚な感情に流されていました。


その後アメリカとの戦争に敗けて国が滅亡する一歩手前まで何もかも破壊されました。
戦後のお花畑の人たちは、もう軍備は持つな、戸締まりさえしてはならない。と運動を繰り広げています。
単純に極端に右に振れていた振り子が、反動で極端に左に振れ戻っただけです。
自分の直情的な感情に支配されているお花畑の脳であることには何も変わりはないように思えます。


ブッダは人間がお花畑脳のままであれば、人間はただただ直情的な感情に支配されて、右と左の振り子を永遠に振れ続けるだけだとおっしゃっていたのだろうと思います。


現代日本において、戸締まり軍備さえも反対する人たちは、自分たちこそが子供たちの世代を危機においやっていることに気づいていません。
70年前に「満蒙こそ日本の生命線」といって大陸進出を絶賛していた人たちと同じ、感情に操られている人の目のように思います。


国家の命運とは、やはり「聡明な国民」が多いか、「お花畑の国民」が多いかのバランスで決まっていくということでありましょう。
日本の近代史はとてもわかりやすい教訓の歴史でもあります。



つづく



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日本人からの伝言。破滅の扉を開けたのは誰か。暴走した軍部?それとも。

鉄道事故をきっかけとした満州事変の延長線上で、満州国が建国されました。
関東軍としては張作霖の二の舞いがゴメンです。
いくら関東軍が後押ししても、最後に日本を裏切る行為をされては元も子もありません。
したがって今回は満州という国にして独立させ、日本人が事実上の政府の決定権を持つことで、万が一満州皇帝が日本に対して反乱の意志をもったとしても、日本には逆らえないような国家体制としました。
議会もありましたが政党の結成も認められない状態でした。


国際連盟は満州の建国は認めませんでした。
日本の従来の満州権益は認めるから、満州を独立国として承認するのであれば、もっと日本の影響を少なくするべきだ。という意見でした。


満州の従来の権益は認められているのですから、日本が飲めない条件ではありません。
「もう充分だろ。それ以上欲をかくなよ」
ということであります。


また昭和天皇も国際連盟と同じ意見でありました。
というより昭和天皇の視点は常に、国際的に日本はどうみられているか。きちんと信義を果たす国と見られているか。に尽きます。
陰陽の因子の法則の視点からすると「表面的には自国に不利なことであっても、対外的な信義を貫く姿勢」こそが、本当にその国の繁栄をささえる「運」の因子となるわけです。


清は漢民族の国ではありませんでした。
北方の女真族が大中華を支配した国でした。
しかしその清は滅亡しました。
そして清の皇帝の末裔はふたたび自分たちの出自である北方の満州に戻り、そして満州国と建国することは問題ではありません。


もし満州の人々が、治安維持を日本の関東軍に委託するのであれば、それはお受けすればいい。
しかし委託された職務以上は、決して彼らの政権に干渉するべきではない。というのが昭和天皇のお考えでした。


もし日本人がここで「満州国傀儡権力」を手放すことができれば、破滅の地獄への道から引き返すことができたことでしょう。
帝都が焼け野原になり、二つの都市が蒸発することはなかったかもしれません。
しかし多くの日本人は「一つ欲しくなれば、もう一つ欲しくなる」という悲しい人間のサガに取り込まれておりました。


満州事変は直接的には関東軍の暴走でありますが、それを支えたのは国民の世論でした。
当時「大阪朝日」という新聞が国内にありました。
満州事変を非難したために国民の間で不買運動が起こり、経営の機器に陥ります。
背に腹は代えられず、大阪朝日経営者は路線を変更して「満州事変支持」に切換え、経営難を乗り切ったのでした。



当時の朝日新聞記者の手記です。経営陣も現場の記者もいつの間にか迎合していたことがわかります。。
==========
その頃の大阪朝日新聞社内の空気は関東軍にたいして批判的であるように私には思えました。ところが、それがいつのまにか弱まっていった。社の方針が変ったのかどうか、私たち下っ端にはわかりませんでしたが、この時分から新聞の時流への妥協が始まったのだと思います。
当時、一口に軍部といっても、強硬論は関東軍だけで、東京の陸軍省や参謀本部では、ともかくも事変不拡大方針でした。財界は事変勃発後、かなり長い期間、関東軍にたいして批判的でした。(略)そういう情勢を考えると、かりに大阪朝日新聞が『満州事変反対』の論陣を張ったとした場合、かならずしめ孤立無援ではなかったのではないか。ところが、それをやらなかった。
http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=2912
==========


昭和天皇は日本の大陸での覇権拡大に反対であったのはお話したとおりでありますが、政府も財界も国内の軍部主導部も反対であったということは、非常に興味深いです。


日本が破滅の扉を開いていった根底には、感情的に扇動されやすい私達民衆の世論があったということです。



その民衆の世論に押され、日本は三番目の破滅の扉を開けます。
それは「熱河作戦」と呼ばれます。
あまり有名ではない小さな事件ですが、日本が引き返すことのできない大きなターニングポイントでした。



つづく



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日本人からの伝言。易姓革命。

中国には「易姓革命」という言葉があります。
中華とは世界の中心という意味ですが、この中華を治めるには天から許可を得た王朝だけが行えるというものです。
そしてその王朝が徳を使い果たして天から見放されると、その王朝は滅亡して新しい王朝が勃興するという考えです。


これは陰と陽の振り子の考え方と共通点があります。
その王朝がその国民、国土に与えたものと奪ったものの相殺が、プラスであれば存続する因子が働きますし、マイナスであれば滅亡の因子が働きます。
王朝の徳が尽きるとは、奪ったものの反動で、自らが滅んでいくということになります。
歴史家からみると、あたかも天から運を見放されたように見えることでありましょう。


さて王朝が滅亡すると、しばらく混乱の時期が続き、また新しい王朝がこの中華に誕生します。
この中華を治める王朝は、権力闘争という無数のトーナメントを勝ち抜いて来た一族が勝ち取ります。
一番重要な才覚は「したたかさ」でありましょう。
「したたかさ」とは生き延びるためには手段を選ばない生命力です。
「したたかさ」とは自分の腹のうちは決して外に見せることなく、相手を自分に信頼させる才能のことです。
「したたかさ」とは人を裏切ることも悪事に手をそめることもいといませんが、表面では善行の徳のある縁起ができる才能のことです。


ちなみに「したたかさ」の正反対は「お花畑脳」です。
幼稚な視点のまま自分の命も家族の命も危険にさらしていることを理解しません。
もし過酷な生存競争が彼らの社会に復活したならば、残念ながら真っ先に淘汰されてしまう人たちです。


さて数百年に一度開かれる「全中華杯したたかさ選手権」に勝ち残った一族が、中華王朝を開くことができます。
そして国民、国土、周辺属国に与えたものと奪ったもののバランスがとれている限りは、その王朝は存続し、バランスが崩れ借金で首がまわらなくなったときに、その王朝は自滅に向かいます。


「したたかさ選手権優勝者」とは「徳のあるもの」でしょうか。それとも「魔物に魅入られたもの」なのでしょうか。


それを判断する指針を2千数百年前に、この中華の地で老子先生が残してくれています。


もし徳のあるものが世の中を治めているのであれば、社会の規則がなくても、自分たちの道徳感で平和な社会が気づけていることでしょう。
しかしもし徳のないものが世の中を治めているのであれば、社会の規則はどんどん厳しくなり、厳しい規則と連動して盗賊が増えていくことでしょう。


もし街中に、「規則を守ろう」「道徳を守ろう」というスローガンが多ければ多いほど、その為政者は徳がないことの目印となります。
徳がないのに大きな国土を治められているということは、その一族は魔物に魂を売った人たちであるかもしれません。
魔物とは人のネガティブな集合意識のことです。
自分より持っている人を妬み、人を支配したいと思い、誰よりも多くを得たいと願う我欲の集合意識のことです。



さて関東軍は満州を制定し、傀儡国家を建国することに成功しました。
いつの間にか彼らは「全中華したたかさ決定選手権」に参加していたのでした。
約300年続いた清王朝が滅亡し、中華地域は内乱混乱の時代でした。
そうそうこの清王朝の滅亡のきっかけを作ったのは日本軍でしたね。
ですから日本軍は選手権の出場権を与えられたのでしょう。



しかし満州に駐留していた関東軍は、「徳」の面でも「したたかさ」の面でも3流でした。
とにかく国益のためと銘打って、暗殺や鉄道事故偽装でどんどん軍事侵略していく人間たちに「徳」も「信義」もありません。
また、国際社会を丸め込む度量もなく、単純に軍事的に勝利をおさめれば正義と考える単純細胞さは「お花畑脳」といえます。
現代の日本人で「お花畑」とは左翼の別名でありますが、当時の日本では「お花畑」とは右翼の別名であったようです。


権益を得れば得るほど、それを手放したくないという恐怖感から、もっともっと勝ち取りたくなる人間の執着のサガです。
中華の魔物がいるとするのであれば、関東軍の日本人は本当に格好の獲物であったことでしょう。


関東軍1万強の軍勢が、23万の軍勢に対して、わずか5ヶ月で日本の3倍の面積の満州を制圧しました。
当時の日本人は、自分たちの民族の強さを喜び誇りに思ったことでしょう。
そして中華の魔物も極上の獲物がどんどん罠の奥深く侵入してくることを喜んだことでしょう。
関東軍が全滅するだけではものたりません。
関東軍の背後にある、日本という極上の獲物を狙っているように思えるのは私の妄想でありましょう。


この当時の関東軍の暴走について昭和天皇はこのように残しております。
==========
「自分は国際信義を重んじ、世界の恒久平和の為に努力している。それがわが国運の発展をもたらし、国民に真の幸福を約束するものと信じている。しかるに軍の出先は、自分の命令もきかず、無謀にも事件を拡大し、武力をもって中華民国を圧倒せんとするのは、いかにも残念である。ひいては列強の干渉を招き、国と国民を破滅に陥れることになっては真にあいすまぬ」
(1932年7月)
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-g.html
==========



つづく



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日本人からの伝言。昭和天皇が御決心されたこと。

もし私達の乗っている船が氷山に向かって一直線であったらどうでしょう。
外は濃霧です。
しかし私達には高精度なコンパスがあり、このまま進むと氷山に真正面からぶつかることは明らかです。
私はこの船の安全責任者でありますから、船長に舵を取るように進言します。
しかし船長は口をモゴモゴ反論するだけで、一向に進路を変える気配はありません。
このままでは8千万人の船の乗員がみな海の藻屑となってしまいます。


この船の安全責任者である私は、船長を強く叱責します。
なぜ進路を変えないのか。
お前は乗客全員を藻屑とするつもりなのか。
普段は温厚な私でありますが、8千万人の命がかかっているとなると話は別です。
自分の生命エネルギーの発露のように、彼を正すべく強く叱責します。


するとどうでしょう。
彼は進路を変更したでしょうか。
いいえ、彼は船長を辞任しました。
安全責任者のあなたの言うとおりに舵を切ることのできない私には船長の資格はありません。
そうして彼は辞職したあと憔悴死しました。



安全責任者の私はどうしたら良いでしょう。
船が自滅に向かって一直線に進んでいるのはあきらかです。
普通に指示するだけでは、船長は舵を切りません。
彼の行動はあたかも何かに縛られているようです。


普通に指示しただけでは動かないのであれば、強く叱責します。
すると彼は辞任して憔悴死してしまいます。
でもこの船は自滅に向かって一直線です。
次の船長が指示を素直に聞いてくれることを祈るだけです。



これが約90年前に日本に起きたことでした。
ロシアと繋がりを持ち始めていた満州馬賊のリーダである張作霖を対日本帝国陸軍が暗殺しました。
満州の権益を守るためでした。
昭和天皇は陸軍が暗殺の首謀者であることを明らかにして国際社会に発表するように首相に命じました。


しかし結局陸軍は自分たちは暗殺に関与していないと昭和天皇に上奏します。
そして首相も同様に、この暗殺事件はうやむやに葬りたいという内容を上奏します。
それを聞いた昭和天皇はきびしく首相を叱責し、言い訳しようとする首相の言葉をさえぎって、もう首相の話を聞くのは嫌だと断ります。


普段温厚な昭和天皇が非常にめずらしく激昂した様子でありました。
田中首相は畏れ多く顔面が蒼白になったであろうと私は想像いたします。
5日後、田中首相は総辞職します。
その後彼は人前に出ることもなく塞ぎがちであったとされます。
そして辞職から3ヶ月後に持病の狭心症で他界します。


==========
「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へることに決心した」『昭和天皇独白録』(文藝春秋、1995年(平成7年))
==========


日本という船の安全責任者たる昭和天皇は、この事件を契機に、もう自分は船長には口出しをしないと決心したのでありました。


こうして日本人は第一の破滅の扉を開けました。
満州の権益を守るために、その土地の要人を暗殺して、そして事件をうやむやにすることに成功しました。


私が魔物であれば、獲物がまんまと罠にひっかかったことに狂喜乱舞したことでありましょう。
第一の破滅の扉をクリアした日本人は、第二の破滅の扉を開けます。
満州帝国の建国でした。



つづく



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日本人からの伝言。第一の破滅の扉。

時代は昭和天皇の御世に移りました。
そして日本人が破滅の道を歩んだ第一の扉についてお話します。
当時昭和初期の満州は日本の生命線と言われておりました。
元々は大陸の野心など持っていなかった日本人でありましたが、もうすっかり様変わりしてしまったようです。
ロシアが力づくで清から奪った南満州鉄道の権益を、戦争によって日本が受け取りました。協力者であったユダヤ系国際資本の申し出を断り独り占めしました。


今や日本は、どうやってこの南満州鉄道の権益を守るか。ということに執着のエネルギーを注いでいました。
広大な満州の土地において、鉄道は単なる線です。
この広大な面を支配していたのは、満州馬賊のリーダーであった張作霖でした。
日本の満州地域の治安軍隊であった関東軍は、この張作霖を傀儡として実質この満州を支配下に置こうと考えていました。
それはこの鉄道を守るためには当然のことでした。



しかし満州馬賊のリーダーは関東軍が考えるよりはるかにしたたかでした。
彼は満州だけでなく、中国全土を支配化におけると考えていました。
そのため当時強力だった日本軍と手を組んでいたのでした。
張作霖が中国全土への野心を現実のものとするため、次に彼はロシアに近づきます。
しかしそれが日本の関東軍に知られてしまい、彼は暗殺されてしまいます。


これは朝鮮半島の閔妃事件と共通点があります。
閔妃暗殺事件は当時の本国明治政府の知らないところで起きました。
当時の明治政府の方針は「朝鮮半島から距離を置け」でしたから。
ロシアに近づいた閔妃に対して、政敵の大院君と、ロシア脅威論であった在朝鮮の日本人によるクーデーターでした。
彼らは「国益を守るためには用心暗殺もやむなし」という理屈でした。


結局閔妃を暗殺したのは朝鮮志士であったことが、わかり閔妃事件に関わった日本人は証拠不十分で不起訴になりました。


この裁判が正しかった、実行犯は朝鮮人だったのか、日本人だったのか、いまだに両国で賛否両論があります。
史実としては日本人関係者は無罪でありましたが、ただ貸借対照表においては、日本はマイナスの借金を積んでしまったように思います。


なぜなら
① 国益のためなら外国要人を暗殺してもやむなし
② 本国は静観主義であっても、現場が暴走して国際問題を引き起こす
という二つの要素が日本を直接的に破滅に向かわせることとなるからです。
この二つの目は閔妃事件ではっきりと負の因子として刻まれてしまったように私には思えるのです。


もし私が大陸の魔物であるとするならば、
人々の欲望と暴力を増長増殖させ、無念さを無常のごちそうとして食する魔物であるとするならば、
日本人たちが大陸の内部に入りこみ、自分たちの①と②という執着に自分たちを縛りつけている過程を、舌なめずりしながらみていたことでしょう。


さて関東軍が張作霖を暗殺したことは国際問題となりました。
昭和天皇はこの事件は非常に重要であるとお感じになったようです。
これが破滅への地獄の扉であることを、お感じになっていたように思います。
天皇とは国の危難を、ご自身の危難として本能的に知ることができるのではないかと私は信じています。
二千数百年続く、国を守る神官家系の代々の遺伝子かもしれません。


昭和天皇はすぐに事件の究明を総理大臣に指示しました。
そしてその調査結果を公平に国際社会に公表することが必要でありました。
それは日本の信用を大きく損なうことでありましたが、日本が破滅の地獄の扉をくぐらないただ一つの方法でありました。






つづく



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日本人からの伝言。日本人が朝鮮半島に与えたもの。

昭和の時代のお話に移る前に朝鮮半島のことだけ一つお話します。
日露戦争で日本がロシアに勝利したあと、朝鮮は日本の属国となります。
日清戦争にしろ、日露戦争にしろ朝鮮半島が戦争の火薬庫でありました。
この地域が不安定だとこの先また紛争が起こる可能性があります。
日本と欧米諸国はそのように思いました。


ポーツマス条約で、仲介にたったアメリカのルーズベルト大統領は「自立できない国家はそれしか無い」と朝鮮が日本の保護国になることを認めました。
明治政府は朝鮮を保護国にすることには相当慎重であり、イギリスにおけるエジプトの保護国化などを参考とし、とにかく国際社会のルールに沿った形での併合を受け入れることにしました。



朝鮮併合をした35年間で日本が朝鮮に与えたものです。

1)社会基盤の整備
・道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発
・治水事業による耕地拡大と農業の近代化
・大規模な植林(6億本)
・1920・30年代GDP平均成長率4%
(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増
・日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達
・耕作地の拡大(246万町から449万町まで)
・米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増
・農産物、工業製品の輸出の急増
(内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)
・人口が1300万人から2600万人に増加
・平均寿命が24歳から56歳に

2)教育・医療の近代化と普及
・小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設
・ハングルの整備と普及
・西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備

3)近代的社会制度の導入
・罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
・残虐刑を廃止
・行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定
・家長の権限を制限
・地方の行政長や議員の選挙による選出

4)近代的経済法制の導入
・私有財産の保障(所有権制度の整備)
・土地測量と地籍の確定
・近代的企業制度と商法の確立
・通貨制度の整備
・度量衡の統一

5)封建的諸制度、因習の廃止・禁止
・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止
(身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
奴婢の解放 (人口の30%)
両班の特権廃止
女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
・因習の廃止
人身売買の禁止
宦官(睾丸の腐割)の禁止
纏足の禁止
少女を妓生とすることを禁止
呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)



http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/143.html#id_471d1420より



これらに対して、日本が朝鮮から奪ったもの、あるいは朝鮮が日本に与えたものの記録はほとんど残っていません。
もし朝鮮が日本の植民地であるならば、資源なり農産物なり労働力なりが大量に日本に輸出されているはずですが、その記録は私は見たことはありません。
ネットのウワサ話レベルでは「日帝が植民地支配をして半島から富を収奪した」という意見は散見いたしますが、ではどの時期に何が朝鮮半島から日本に収奪されたか具体的な資料は見たことがありません。


太平洋戦争末期では、朝鮮半島の人々も強制的に軍需施設で働かされた事実はあります。ただしそれはもう日本人の男性はみな戦地に駆り出されていたからでした。日本人と台湾人の男性には、赤紙と呼ばれる軍隊の召集令状が届きましたが、朝鮮人だけは例外でした。
自ら兵隊に志願した朝鮮人は大勢おりましたが、兵隊に強制的に駆り出された人はほとんどおりませんでした。彼らは逆に守られていたといえます。



さてここの述べたいのは、日本と朝鮮の貸借対照表です。
経済的にも、安全保障的にも、文化的にも、感情的にも、「日本が朝鮮に与えたもの」と、「日本が朝鮮から奪ったもの」はどちらが多かったか。ということです。
日本のネット右翼と呼ばれる人たちは、日本が与えたものが多いと主張します。
戦後の生まれの韓国人の多くは、日本が奪ったものが多いと主張します。
それぞれにはそれぞれの言い分があることでしょう。


しかし国家と民族の貸借対照表は公正であり厳密であるということです。
ここからは私の妄想でありますが、重大な仮説であります。








戦後日本は戦勝国によって、分断統治される予定でした。
しかしその案はいつの間にか消えてしまいました。
分断統治が消えたのにはいろいろな案があり、決定的な理由がはっきりしないまま、いつの間にか立ち消えになってしまいました。


しかしそれと引き換えに朝鮮半島が半分に分断されてしまいました。
膨大な数の人々の犠牲とともに。


貸借対照表の発動とは本当に厳密であり残酷であると思います。
日本が朝鮮に与えたのか、日本が朝鮮から奪ったのか、プロパガンダではない本当の現実だけが貸借対照表に記録されます。


朝鮮の人たちは日本人として振る舞い、日本人として満州事変や日中戦争や太平洋戦争を戦いました。(しかし強制徴兵はありませんでした)
日本が敗けた瞬間に、自分たちは日本人ではない。自分たちは力づくで占領されたのだ。自分たちは戦勝国の側に人間だと主張しました。


日本人は太平洋戦争に敗け、もう国が亡くなる一歩手前でしたので、朝鮮の人たちの主張に反論するどころではありませんでした。
彼らの当時の主張に無抵抗であったのです。
このときに貸借対照表の反動の振り子が発動したと私は妄想しております。
日本人に振りかかるはずの、「分断統治」の因子を、なんと朝鮮の人たちが自分たちで引き取ったのです。


もし朝鮮の人たちが日本から与えられたものに感謝していたのなら、話は変わっていたでしょう。
もし朝鮮の人たちが自分たちも日本とともに戦争に参加した敗戦国であると認めたならば、話は変わっていたでしょう。
日本の分断統治の因子は、日本が引き取らねばならなかったかもしれません。


もし誰かが、ある人から恩を受け、しかしその人が失脚するやいなや、その人を裏切り罵倒するならば、それは貸借対照表上、膨大なマイナス借金となることでしょう。
その膨大な借金に相当する何かを失うように、その人の運として逆風が吹くこととなります。
とくに裏切られた方が、戦わず無抵抗であった時に、その反動振り子はもっとも強く発動することでしょう。


以上は私の妄想であります。
このシリーズでは、私は日本国民が無欲から欲深に変質しその貸借対照の反動として日本が滅びる一歩手前まで突き進んだと書いております。
しかし周辺国に与えていたものも膨大にありました。
その与えていたものは、やはり厳密に公正にプラスとして記帳されていたことでしょう。


日本が分断統治される因子が他の地域に移転したのも、日本人が与え続けていた行為が、最後の最後に自分たちを救った。そのように私は妄想しております。
念のため付け加えますが、日本統治分断が立ち消えになった事象と、朝鮮戦争が勃発して朝鮮半島が分断された事象には、直接には表面上は全く因果関係はありません。私の脳内の貸借対照表の妄想の世界の仮説のみです。

つづく



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Le Message d’un japonais



下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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日本人からの伝言。貸借対照表。

近代日本がなぜ侵略戦争と呼ばれる一連の戦争に踏み込んでいったのか。この一連の記事はその考察仮説のこころみです。
しかしここで述べられていることは、単純な極東島国の近代の歴史の鎮魂歌だけではありません。
歴史には必ず陰と陽の法則の振り子が作用しつづけています。
しかしこの振り子は周期が数十年から数百年という長いものであり、またいくつもの要素が複雑に絡み合っているため、後世の人々は簡単には振り子の構造を見抜くことができません。


しかし近代日本の歴史はこの陰と陽の振り子の作用の現れとして、非常に典型的でわかりやすい題材です。
もし縁があるなら他の国々の方々も、自国が平和で繁栄を続けるために、この陰と陽の振り子の作用の視点で、自国の外交政策、経済政策、安全保障政策を決定していて欲しいと思います。


たとえば中国共産党の幹部の方々がこの記事を読む可能性はゼロでありましょう。しかしもしその機会がありましたら、次の8項目のプラスとマイナスの相殺がどうであったか、試算する価値が充分あると思います。


① 共産党政府が他国に与えたもの
② 共産党政府が他国から奪ったもの
③ 共産党政府が自治区とよばれる地域に与えたもの
④ 共産党政府が自治区とよばれる地域から奪ったもの
⑤ 共産党政府が95%の共産党員以外の国民に与えたもの
⑥ 共産党政府が95%の共産党員以外の国民から奪ったもの
⑦ 共産党政府が5%の共産党員に与えたもの
⑧ 共産党政府が5%の共産党員から奪ったもの


それぞれのプラスとマイナスの相殺された「貯金」または「負債」が共産党政府の生き延びる「運」となります。
プラス貯金の場合は、中国の方々の努力により国が長く平和に発展するように追い風が吹くことでしょう。
マイナス負債の場合は、国を立てなおそうという憂国の勇気ある方々が現れたとしても、物事は裏目裏目に進んで、国が破滅する方向に進んでいくことでしょう。


国を安定して生きながらえさせるには、表面の損得だけで政治を決定してはいけません。
上記の視点で、国が内外に「与えたもの」と「奪った」ものの貸借対照表を常に頭にいれなくてはいけないのです。
この「貸借対照表」は単に金銭だけではありません。人の想いの貸借対照表です。
「感謝の気持ち」なのか「恨みの気持ち」なのか。


十億を超えるの人たちが、共産党政府に「感謝」をもっているプラスと、「恨み」を抱いているマイナスの相殺が、共産党政府の最後の一手の「運」となります。
近代日本の歴史はそれを私達に教えています。


そしてもし共産党政府幹部が日本の近代史から学ぶのであれば、アメリカ系の国際金融資本についてもいろいろ教訓があることでしょう。
少なくとも戦前の日本は彼らを実力以上に甘くみていました。
共産党幹部がもしかつての日本の政治家たちのように彼らを甘くみていたならば、そしてもし共産党の貸借対照表がマイナスであったなら、ほころびはそこから来る可能性が高いかもしれません。というのが、歴史から私達が学べることであります。



またこの記事がフランス語でも読めるのであれば、ヨーロッパの方は何名かはこの記事に目をするかもしれません。


ヨーロッパにおいても陰と陽の振り子の作用は重要であります。
私は日本史はいろいろ研究いたしましたが、世界史は初心者です。
ですから陰と陽の作用がヨーロッパ歴史にどのように作用しているかは、できないのであります。が、一つ言えることは、ヨーロッパとアフリカの関係は、陰と陽の作用としてとても興味深いと思います。



一昨日の2015年3月20日は、ヨーロッパにおいて
①皆既日食(太陽が月に隠れる)
②スーパームーン(月が地球にもっとも近くなる)
③春分の日(陰と陽の振り子の真ん中)
という3大天文イベントが重なった日でありました。


非常に珍しい天文現象でありますが、いくつも無数にある歴史の振り子のうちのいくつかは、一昨日を起点として、陰と陽が逆転し始めたかもしれません。根拠のない妄想でありますが。



どんな国家であっても、どんな民族であっても、どんな個人一人一人であっても、「自分が他人に与えたもの」「自分が他人から奪ったもの」金銭だけでなく、感謝や恨みという思いの貸借対照表を心に刻まなければならない時代になりつつあるのかもしれません。


賢者は歴史に学ぶ。
愚者は体験に学ぶ。


一人でも多くの方が日本の近代の歴史から、陰と陽の振り子の厳格さを学んで欲しいと思います。
といってもまだ振り子の半分しかお話しておりません。
これから昭和の日本は、振り子の揺り返しによって、破滅の道に道に進んでいくことになります。



つづく



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日本人からの伝言。明治の終わり。そして昭和の始まり。

ここで明治天皇までのお話は終わりです。
江戸時代の後期、欧米列強によって、日本は他の多くのアジアの国々と同じように植民地になるところでした。
フランスの後押しを受けた幕府軍とイギリスの後押しを受けた天皇軍による内乱で国が分裂する一歩手前でありました。
しかし奇跡的に日本は独立をたもったまま一つの国として開国することができました。
その後、極東の島国小国は眠れる獅子と呼ばれる清と戦争をし、まさかの勝利、その後世界の大国であったロシアと戦争し、やはりまさかの勝利を得、世界の大国へと昇りつめていきます。


明治天皇は自分が与えられた「神職として日本を守る」御役目は果たしきったことであろうと、私は考えております。
日本が他国の植民地になることが回避でき、二千数百年の国体が維持されたのは、日本を守ろうとした多くの日本人の命がけも当然ありますが、それでも要所要所に奇跡的な幸運があったことも大きい理由であったと思います。


日本人以外の人にはピンと来ないことでしょう。
日本人は大自然を神様として畏れ感謝を置いてきました。
それによって大きな災厄を回避するという古代からの知恵でありました。
日本人にとって国土の大自然とは神々そのものでした。
数千年に渡る、日本人のその畏敬と感謝の想いの蓄積が、陰のプラスの因子として、最後の最後の一手で日本人に幸運の守りとなったのです。
私はそのように妄想しております。


その当時の日本人にとって大自然とは日本の国土でありますが、今は世界が小さくなっています。
私達が認識する大自然とは地球そのものであります。
私達人間が、地球の大自然を畏敬し感謝を置くことで、最後の最後の一手で地球の大自然の精霊たちが人間を守ってくれるのではないでしょうか。
地球のあちこちに残されている原始自然崇拝の人間の感じ方はそのように共通しています。
しかし人間が自然への畏敬を忘れ、感謝を忘れる限りは、表面上の自然からの富の収奪と同時に、負の滅びの因子が同時に生成されていることを忘れてはいけないと思います。


人がたとえキリスト教徒であってもユダヤ教徒であってもイスラム教徒であっても仏教徒であっても共産主義唯物論であっても、陰と陽の法則は全ての文明全ての民族全ての個人に均等に働いています。


人間が与えた時、与えられるという因子もその人の周囲に生成されます。
人間が奪った時、奪われるという因子おその人の周囲に生成されます。
人間とは努力で自分の人生を創りだす能力がある生物ですが、最後のひと押しで幸運が働くか、不運が働くかは、それまでの陰と陽の貯金と借金の因子の相
殺であるのです。


どんな宗教でも共通して述べられているのは、表の誰からもうらやむ富や名声に心を奪われてはならない、裏の誰にも知られない行為として人に誠意を尽くしなさい。ということの本質は、この陰と陽の因子の法則からの知恵であります。
本人と家族と自分の民族と国家が安泰に幸せに暮らすためには、表の欲はつつしみ裏の徳を積めというのは、人類の知恵の科学であります。



明治天皇は日本自然崇拝文化の最高神官として御役目を全うしました。百人以上の先代たちの誓いのとおり日本を守り切りました。
しかし人間とは悲しいサガです。
日本人たちは逆に守られていたことで、欲深さを増長させてしまいました。
謙虚さを失ってしまいました。
明治天皇の度重なる警鐘にも関わらず、進出した大陸で欲深さと傲慢さを培養していくこととなります。
これは魔物にとって何よりのご馳走でありました。
魔物とは破滅の因子という古来からの無数の人間の想念の集合体のことです。
集団心理学の概念としての意味であり、オカルトの意味ではありません。


明治天皇のあとに即位した大正天皇の御世は15年と短いものでした。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは日本のことわざです。
貧しく国を興した先人たちの苦労を日本人は忘れていたのでしょうか。
民主化運動や社会運動が活発になった時期でありました。
それらの運動は近代化として避けられないことではあったでしょうが、それとともに古来から大切にしていたものを軽んじていた風潮があったのかもしれません。


第一世界大戦が勃発し、日本は日英同盟を理由にイギリス側につき戦勝国となりました。これにより国際連盟の常任理事国となり、世界の五大国の一員となりました。


この絵に描いたような立身出世物語でありますが、見かけの富や名声や地位があがるほどに、裏の破滅の因子も同じ分量だけ生成されているのであります。


天災は忘れたことにやってくる。これも日本のことわざです。
帝都東京に大地震が発生し、10万人を超える大災害となりました。


その復興途中に大正天皇は崩御され、25歳の昭和天皇が即位されます。
若くして「国を守る第124代最高神官」として即位された昭和天皇は、増長し栄華を極めている日本の破滅の因子と格闘されることとなります。



つづく



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日本人からの伝言。赤い魔物。

歴史には「if」はないと言います。
しかしそれでも、もし日本が南満州鉄道の権益をアメリカのユダヤ国際金融資本と共同管理をしていたら。と思います。
もし共同管理をしていたならば、太平洋戦争はおそらく起きなかったであろうと思います。
日本の首都が焼け野原になり二つの都市が蒸発することはなかったろうと思います。


現実的には満州の利権について、ユダヤ国際金融資本のグループが、ロシアや中国から守ってくれることとなったであろうからです。
実際的には日本は彼らを敵に回したため、日本はどんどん孤立化していくことに突き進んでいきましたから。
ユダヤのモーゼ翁の言葉を信じるならば、ロシア帝国と、ヨーロッパの(英国を除く)各王室の分解の次の標的は日本の皇室であったということです。
実際に日本も破壊し日本に来てみて、初めて皇室は破壊するべき対象ではなかったと述懐しておられます。
もし早くからユダヤの国際金融資本グループと友好的な経済活動を行っていれば、日本は彼らの標的にならずにすんだかもしれません。


ここでいう「友好的な経済活動」とは彼らにみかじめ料を支払うということでもあります。
ユダヤのグループにもいろいろな層にわかれておりますが、国際金融資本グループが信じるものは「お金」であります。
自分の利益や儲けをけずって、みかじめ料を支払うことが、彼らとの有効活動を築く一番必要な第一歩であろうと私は思います。


彼らにみかじめ料を支払うことについては、賛否があることでありましょう。
しかし私は国民の命の安全がお金で買えるうちは、買うべきであると思います。これが現実世界を生き延びる知恵であろうと思います。
家族の命を守りたくてもお金で買えないケースもあるわけですから、お金で買えるうちは、それがお金の一番大切な使いどころであると思います。


ただ当時の日本人に、南満州鉄道の共同管理をユダヤ国際金融資本と行うことは不可能であったと思います。
それはやはり2万5千名の死者を出し、莫大な借金までして勝った戦争の唯一の戦利品を、なぜ半分出さなければならないのか。というのは納得できないものでしたでしょうし、何より、彼らを敵にまわすことの恐ろしさを、ほとんどの日本人は知りませんでしたから。



ただ国際ユダヤの陰謀論は私の脳内の妄想であったといたしましても、陰陽の視点からは、やはり日本は南満州鉄道の権益は手放すことが、国の存続には大切であったと思います。


陰陽とは「奪ったものは同価値のものが奪われる」「与えたものは同価値のものが与えられる」という物理現象です。
満州鉄道の権益とは、もともとロシアが清を脅して認めさせたものでありましたが、それを今度は日本が力づくで手にいれたものです。そしてアメリカの国際金融資本グループからすると、日本が裏切って独り占めしたように思いが刻まれております。


日本は表面の国益の観点では南満州鉄道の権益を手に入れたのは大きなプラスでありました。しかしそれと同等のマイナスの因子も生成していたのでありました。
たとえユダヤ陰謀論が発動しなくても、他の国から奪われる因子は着々と育っていたのでした。
もし他の国から奪われることがなければ、日本の国内から腐って日本自身が自滅する因子になったかもしれません。


もし老子先生の教えからこの歴史を観るのであれば、陰陽の視点からこの歴史を観るのであれば、日本は戦争で勝っても得たものは周囲に分配するべきでありました。
しかし実際はそんなことは不可能でありますから、結局は戦争はするべきではなかったのです。


明治天皇がお感じになったように、この清とロシアの戦争は、勝っても敗けても日本が破滅する戦争でした。
敗ければ表から日本が破滅します。
勝てば裏から日本の破滅因子が増長します。



その証拠にもう日本人は満州の権益を手放せなくなっています。
もともとは朝鮮半島も遼東半島も満州も手に入れようとはおもっていませんでした。
それまでの幸運の貯金と勤勉な国民性で、戦争に勝ったために、日本は欲深に変質していきました。


もし私が魔物であれば、日本が欲深に変質していくことは、もうまたとないご馳走であったことでしょう。
その魔物は中国大陸に古来から住んでいる赤い魔物かもしれません。
数千年の長き間、人々が富と権力をめぐって多くの失望と無念さと血を流すことを餌としていた魔物がいたかもしれません。
その魔物とは人々の欲深の想念の集合体ともいえるかもしれません。


無欲であった日本人もこの魔物に感染すると欲深に変質していくさま、本当にご馳走であったことでしょう。
一度魔物に感染すると、与えられれば与えられるほど際限なく欲深になっていきます。
古代から数限りない国家や人間が自滅したパターンです。
豚は限界までまるまる太らせてから刈り取るのが一番美味しいです。
大陸に進出した日本人は次々と魔物に感染していったのごとくでありました。
こうして日本人は執着という縄で自分自身を縛りながら、負の因子を太らせていくこととなります。


ほとんどの日本人が欲深に変質していくなか、時の天皇だけが警鐘を鳴らし続けていました。
昭和天皇は侵略戦争の戦争責任を問われることとなりますが、本当は日本を魔物から守ろうとされていたのに、皮肉なことであります。



つづく



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日本人からの伝言。裏切った日本人。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
昔の賢人はそのような言葉を残してくれました。


日本人にとってどうして日本が侵略戦争と呼ばれる戦争を拡大していったのか。この歴史こそが私達が学ぶ大いなる教訓であります。
私達日本人は戦後の教育で、軍部暴走し国民を戦争に巻き込んだと習います。天皇が戦争を指導したと教える教育者もいます。
しかしそれはあまりにも単純な歴史観です。
戦勝国であったアメリカが指導したとおりの歴史観であり、こんな浅い見方では、日本が再び戦争に巻き込まれる可能性があるかもしれません。



また近代開国した日本が急速に発展してその反動で国が失くなる寸前まで破壊されることになった背景は、日本だけでなく、欧州やその他の国々の人々にも得難い教訓となると思います。


アメリカを拠点とする国際金融資本のグループは日露戦争で日本に莫大な戦費を融通し、そしてその賭けに勝ちました。
極東の小国の日本がまさかのロシアに勝ったのです。
調度よい頃合いを見て、ロシアに調停を持ちかけ、賠償金をとらない代わりに、南満州鉄道の権益を日本に譲るように調整しました。
このポーツマス条約締結のあと、アメリカ国際金融資本はこの南満州鉄道を日本と共同管理する覚書を締結しました。



しかしこの直後明治政府はこの契約をなかったものにしました。
やはり2万5千人以上の戦死者を出し莫大な借金までして勝ったこの戦争の数少ない戦利品を、半分アメリカ国際金融資本に渡すことは勿体無いと思ったのでした。


これは明治政府の判断ではなく当時の日本国民の大多数の総意でありました。
あれだけ国民が犠牲になったにも関わらず、1円の賠償金ももらえず、南満州鉄道の権益しか得られないとは何事だ。と東京日比谷で大暴動が起きたくらいでした。
もし更にこの鉄道の権益の半分をアメリカに譲ったとなるとその暴動は日本中に拡散する可能性がありました。



なぜ日本がアメリカと戦争をすることになったか。
その遠因はその36年前のこの南満州鉄道の契約反故にあったと私は考えています。
アメリカ国際金融資本からは、それまで贔屓にしていた日本は裏切り者と烙印をおされたことでしょう。
「日本には必ず後悔させてやる」契約を反故にされたアメリカのユダヤ系鉄道王ハリマンはこう叫んだそうです。
このハリマンは時のルーズベルト大統領の名代であったとも言われます。
ルーズベルト大統領も日本に対して大きく失望したとあります。
日本は信用ができない国であると、ルーズベルト家代々の家訓になったことでしょう。
その後このルーズベルト家から二人目の大統領が選ばれます。第32代アメリカ大統領フランクリンルーズベルトです。
彼がアメリカと日本の戦争を開始させた張本人の一人です。


ルーズベルトと同時代の共和党の政治家であったHamilton Fish著「The other side of the coin 」
第31代アメリカ大統領であったHerbert Hoover著「Freedom Betrayed: Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath」
ルーズベルトの身内(娘婿)のCurtis B. DAll著「FDR, my exploited father-in-law」
上記のアメリカ人の(しかもルーズベルトのごくごく側にいた人間の)独白を読むと、当時ルーズベルトは非戦主義であったアメリカ国民をいかに戦争に引き釣りだそうとして苦労したかが描かれています。


私達日本人は大日本帝国の軍隊が突然真珠湾に攻撃を仕掛けたために太平洋戦争は始まったと習います。
しかしそこに至るまでに、ルーズベルトと彼らのグループはいかに開戦を行う用意周到の準備をしていたかはほとんど知られていません。


しかしたとえルーズベルトたちの挑発があったとしてもそれにまんまとのっかったのは愚かな日本国民であるといえます。悲しい話しですが。
日本国民は、それまでの日清日露満州事変の成功体験から、彼らの挑発にのって母国を滅ぼす道に一直線に進んでいくことになってしまいました。



さて、ではなぜフランクリン・ルーズベルトや彼のグループが日本を戦争に誘導させたかったのか、いろいろな論があります。
ただ彼は元々日本に対する蔑視発言が多い政治家であることが知られていました。

==========
ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者による、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」などと語り、「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」
( Christopher G. Thorne (1979). Allies of a kind: the United States, Britain, and the war against Japan, 1941-1945. Oxford University Press. pp. 158-159,167-168. ISBN 0195201736.)
==========


このように徹底的に日本民族を嫌っていた背景には「日本人は信用できない」というルーズベルト家の家訓があったのかもしれません。



つづく



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日本人からの伝言。消えたフグ計画。

太平洋戦争のころの日本人は、もう日清日露満州事変の成功体験で慢心しておりましたから、「とにかく命がけで一かバチか突っ込めば必ず勝つ」という幼稚な精神論にかぶれておりました。
「常に最悪を想定して用心する」という能力が欠如していたのが、軍部だけでなく世論の大半でありました。


これは現代にも同様で、人類が今試されている課題の大きな一つがこの「常に最悪を想定して用心する」というであろうと思います。
日本は非常に自然災害の多い地域です。
自然災害はいつ来るかもしれない、と最悪を想定している期間や地域には最悪の天災は起きないものです。
我々の先祖は、日常の中でこのように言っておりました。
「備えあれば憂いなし」
「天災は忘れた頃にやってくる」


また現代の日本には「お花畑脳」と呼ばれる人たちがいます。
日本は防衛の軍備を全て放棄すれば他国からの侵略は絶対にない。と信じている人たちです。
国の戸締まりをするから泥棒が入るので、国の戸締まりをしなければ泥棒が入らないという人たちです。
平和すぎる環境で育つとこのように生き延びる力のない羊が育つという例であるように思います。
彼らは「常に最悪を想定して用心する」という能力が虚勢されたまま育ちました。



さて当時の明治政府はのちの日本軍や現代のお花畑脳と異なり「最悪を想定し備えること」が国を破滅から守ることであることを知っていました。
日本の国中がどれほど団結し、しかも幸運の神風が吹いたとしても、あの大国ロシアに戦争に勝てるわけはないと分析していました。
したがって明治政府の方針は、戦争を開始したあと、アメリカに仲裁に入ってもらうように根回しをしていたのでした。



当時のアメリカとイギリスは日本に肩入れする理由がありました。
とくに国際資本と呼ばれるグループは日本に肩入れしたのでした。
モーゼ氏によると、ユダヤ人を守るためにロシア帝国を潰す必要があり、西からは社会運動を起こし、東からは日本に戦争を仕掛けさせたとあります。信ぴょう性はわかりませんが。


またアメリカの国際資本グループは、満州の権益を手に入れることを欲しておりました。
ヨーロッパ各国に対して、アメリカの中国大陸進出は出遅れておりましたから。


時の第26代ルーズベルト大統領は明治政府の使者を快く迎えました。そしてロシアとの戦争に必要な膨大な資金を貸し、そして日本海軍と日本陸軍がまさかの1勝ずつを果たしたタイミングで、ロシアに対し調停を申し出たのでした。


ニコライ2世は、もう足元が「血の日曜日」などと呼ばれる社会主義の革命運動でくずれかけておりましたから、正直極東の島国と戦争をしている余裕はなかったことでしょう。


ロシアはアメリカの調停を受け日露戦争は終了しました。
アメリカの国際金融資本グループからの膨大な借金ですが、日本政府はコツコツと返済し続けて、約100年後の1996年に完済したのでした。



http://blog-imgs-56.fc2.com/a/q/u/aquacompass/blog_import_51aac31e32db1.jpg



日本は今回はロシアから賠償金をもらうことはできませんでした。
アメリカとイギリスの応援でかろうじて「敗けなかった」戦争でしたから。
日本が得たのはロシアの南満州鉄道の権益でした。
そしてこの満州鉄道の権益はアメリカと共同管理とすることになりました。
これがアメリカの国際金融資本が日本を助けた最大の理由でありましたから。


一説によると満州地域にユダヤの国を作ろうとしていたという計画があったとされます。フグ計画と呼ばれています。
世界どこにいっても虐げられ差別されるユダヤ民族が、この新しい満州という場所に安住の土地を築こうという計画があったとしてもそれはあり得るかもしれません。


しかしそのフグ計画は実行されることはありませんでした。



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日本人からの伝言。みなはらからとおもふよに。

1904年に日本はロシアと戦争を始めます。
日本では日露戦争と言われます。
ただ欧州では英露戦争と呼ばれることもあるようです。
この戦争で日本がロシアに勝てたのは、日本の後ろに英米2大国がいたからでした。




日本海軍は一かバチかの大博打のT字戦法で世界最強のバルチック艦隊に勝ちました。
これは相手の船隊の前を一列で横切るという手法で、横切る体制を作る前に無防備になるという弱点があります。
しかし日本海軍はこの賭けに勝ちました。日本という国に運がの貯金が残っていて、ロシアという国に運の貯金が枯渇しだしていたからであろうと私は思います。





難攻不落のロシアの203高地の要塞を奪取するのに、日本陸軍は人海戦術を使い、たった5日で1万2千名の兵士の犠牲と引き換えに勝ちました。


日清戦争の日本の戦死者は1400名程度ですから、その10倍の戦死者がこの要塞攻略のためだけに数日で使われたわけです。



しかし日本がロシアに勝ったのは、日本に莫大な軍事費用を融資し、同時にロシア国内で社会主義運動に火をつけた英米のユダヤ金融資本の見えざる援軍があったことを、多くの日本人は知りませんでした。


日本はロシアに勝ったことで、
「戦争を回避する努力をするのではなく、相手が大国であれでも国のプライドを守るためには戦うこともやむなし」
という安い武士道精神が国民の間に浸透していきます。


また戦略戦術にしても、T字戦法や203高地攻略があたかもそうだったように、「とにかく命を顧みずひたすら突き進むことが、戦争の勝利に繋がる」と、これまた安い武士道精神が日本国民の成功体験となります。



そもそも日露戦争は満州と朝鮮半島の取り合いでありました。
ロシアが日本を低く見ていたため、日本は堪忍袋の緒が切れたと大国ロシアに戦争を仕掛けることになりました。


日本は清に勝ったことで、次に遼東半島や朝鮮半島、満州の権益についてロシアと張り合うことになるのです。
富を得ることで人間が欲深になる典型の破滅路線を日本は歩きだしていました。


そして日本はロシアに勝つことで「たとえ相手が大国であってもプライドを傷つけられたら叩くしかない」「死に物狂いで戦えば必ず勝つ。命を賭けること以上の戦法はない」というこれまた破滅の因子を増やしていくのでした。



明治天皇は最後までロシアとの戦争は反対でした。
皇太子が暗殺されかけた時は、もう日本本土がロシアに潰されるかもしれない。という未曾有の危機であったから、迅速に行動し、奇跡的に無難に収めたのでありました。


しかし今回の戦争もまた日清戦争のように国を守るという大義がありません。
遼東半島も朝鮮半島も満州ももともと日本のものではありませんでした。


当時の憲法では明治天皇には拒否権がありませんでした。
内閣や国会が決定したことを許可することしかできません。
立憲君主制でしたから。


日露戦争開始の詔を発布したと同時に、明治天皇は自分のお気持ちを歌にして詠み上げました。


よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ


どの国とも同じ母から生まれた兄弟であると思っているのに、なぜ戦争が起きてしまうのだろうか。


13年前のようにもしニコライ2世と直接会話をすることができたなら、きっと間違いなくこの戦争も回避することができたであろう。しかしお互い声をかけることができないまま、両国が戦争を開始してしまう、人間のサガを悲しくお感じになっていたのではないでしょうか。


日本はロシアとの戦争に敗ければ当然亡国の危機に直面することになりますが、戦争に勝てば勝ったで、亡国の負の因子を蓄積することになります。



(参考)
大日本国帝国憲法

「第37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」
全ての法律は議会の承認可決によって施行されるという立憲君主制であることを述べています。
明治政府は君主が法律を作ることができる専制君主制ではありませんでした。


輔弼 第55条2 「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」
天皇が国務に関与する場合は、必ず国務大臣(内閣)の賛成が必要であるということです。イギリスの憲法とは異なり、大日本国帝国憲法では天皇の拒否権については一切述べられていませんので、事実上内閣の方針を天皇がひっくり返すことはできませんでした。(ひっくり返す手続きの方法が存在していなかったということ)



第4条に「統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
いくら天皇といえどもこの憲法に沿わない行動は無効であるということ。法律を決めるのは議会だし、国務行為は必ず内閣の賛成が必要だし、天皇はそれらに文句を言ってもいいけど、議会で決定された法律や政府決定をひっくり返す手段は与えません。という内容です。



つづく



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Le Japon profond pour les nuls



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日本人からの伝言。あるユダヤ翁の遺言。

1979年に発刊された本です。
あまりの人気に20年後の1999年に復刊されました。
現在でも一部のマニアに人気が高く、高値で中古本市場で売買されています。

その本とは「日本人に謝りたい(あるユダヤ人の懺悔)」です。
著者はモルデカイ・モーゼ。
1907年ウクライナに生まれました。
レーニン死後ドイツに亡命しましたが、独ソ不可侵条約締結にあたり上海に亡命。その後アメリカに亡命し、ルーズベルトの極東政策のブレーンとなります。



この本はいわゆる「ユダヤ陰謀論」のカテゴリーに属されます。
ただちまたの陰謀論と異なり著者が実在の日本に深くかかわるユダヤ人であったということです。
またこの本は日本で出版され他の国では読むことができないうえ、この本そのものが絶版になっています。
日本でもこの本のことを知っている人はごくわずかなマニアだけですから、まして欧州の人たちがこの本を存在を知ることはほとんどないでしょう。


この本によるとモーゼたちGHQは日本の国体(皇室制度や日本の家族制度)を破壊することを目的としていましたが、終戦後日本に来て、日本にこそユダヤ民族が長年求めてきた国家と家族のありかたがあったと愕然とします。そして自分たちが第二次大戦を通してそれらを破壊しようとしていたことを深く懺悔する。という主旨となります。


この内容は日本人のナショナリズムを気持よくくすぐりますから、一部の日本人の間では今でも高く評価され中古本市場でも人気がいまだにあるのがわかります。


日本の皇室は古代イスラエルと深い関係があると私は想像しておりますから、モーゼが皇室や神道にねづいた日本の文化を知れば知るほど、そこには共感できるものはあったのかもしれません。


さて今回モーゼ氏の本を取り上げたのはそこではなく、日露戦争の背景とユダヤの関わりについて、です。



多くの日本人にとってユダヤ人もキリスト教徒の欧米人も大きな違いはありません。どちらも「外人」という西洋人であります。
ですから欧州社会におけるユダヤ人差別については、実感のない世界の話であります。


二千年以上どこからも侵略を受けず万世一系の国家を世界で唯一持続させた日本民族と、二千年以上とどまる地を持たずどの地域でも迫害と差別を受け続けたユダヤ民族は、お互い陰と陽の関係に思えます。


モーゼによるとどの地域においても迫害を受けるユダヤ民族たちは、自分たちを守るために遠大な計画を立てたとあります。
それは「国家(王政)」という概念を破壊することでありました。
国家における王家への忠誠心というものを破壊しなければ、自分たちの安全を確保することができないと考えたのです。


人々が血統と伝統を重んじる限り自分たちはどこにいっても迫害されつづけます。
だから社会に血統と伝統を捨てさせ、社会が新しい秩序で統合された時に、始めて自分たちが差別と迫害を受けない世界ができるのであると考えました。


共産主義とは国家の血統と伝統を破壊するために、ユダヤ人が作り出した「虚構論理」であるとモーゼは述べています。


そして第一次大戦とはヨーロッパにおける王政国家の破壊が目的であったと述べています。
(ちなみに太平洋戦争は唯一残った極東の血統と伝統(日本の皇室)を破壊することとであったと述べています。)


第二次大戦後の冷戦と呼ばれる資本主義と共産主義の対立の構図も、国際連盟や国際連合という国際社会の枠組みも、ユダヤ民族が迫害と差別を受けないために計画されたものだと述べられております。


所詮、一ユダヤ人の書いたたった一冊の書物でありますから、どこまで信ぴょう性があるかどうかは議論の分かれるところでありましょう。


ただ一つ参考にするべき点は、国家間の戦争や紛争の背景には、表面的な争いとは異なる次元の、隠された背景がある可能性がある。ということです。


たとえばロシア帝国が滅亡しました。
しかしそれはモーゼの言うように、長い長い年月、迫害されていた知恵を持つ民族が、自分たちが生き残るために、時間をかけてその帝国を滅亡させた可能性があるのかもしれません。


ロシア帝国を東側から攻めたのは極東の小国日本でありましたが、その日本に巨額の軍事資金を融資したのは、アメリカのユダヤ金融資本でありました。


また日本がロシアと開戦するのと時期を同じくして、ロシア帝国を足元から破壊していった社会運動もまた、共産主義というユダヤ人が作り出した虚構の論理でありました。


その後このロシア帝国の後には、強大な世界で最大の共産主義国家が樹立されることになります。
ただ、これらのユダヤの陰謀が真実であったとしても、デマや空想であったとしても、国家が滅びるのはやはりそれまで蓄積した負の因子が、たまりにたまった結果であると言えます。


もしプラスの因子が残っていれば、国の内外から国を救うようにいろいろな力が働くものであります。本来国家は生き延びようと努力するものでありますから。


しかし滅ぼゆく国はすでにプラスの貯金因子が尽きているわけですから、国の指導者の決定がどうしても裏目裏目にでてしまうとか、ラスプーチンのように国を滅ぼす人材が国の中枢についてしまうとか、ロシアで起きた社会運動のように国家をささえるはずの国民自身の手によって、国家が破壊されるようなことが起きていきます。



日露戦争に勝った日本もまた負の貯金を積んでいくことになります。他の多くの王国や帝国のように、滅亡一歩手前になるほど。
そしてその大日本帝国の滅亡までの過程は「侵略戦争」と呼ばれています。
今私がお話している物語であります。



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。ニコライ二世。

今日は下弦の半月ですね。
今日から新月までの1週間は次の一ヶ月をかたちづくる期間であると言われておりますから、特に感情的に暴走しないよう、静かに感謝の気持ちをもって日々を過ごして行きたいと思います。
自宅近くの氏神神社にも御参りに行きたいと思います。
(桃さんへ、上記は翻訳は不要です。今日明日この記事を読まれる方への文章でありますから)


さてこの記事を書いている時点では、韓国の大統領は朴槿恵氏であります。
中国とアメリカという2大国にはさまれた女性リーダーという点では、かつての閔妃と共通点があるように思われます。
「女性の権力者」という点だけでなく、外交方針も似ています。
朴槿恵氏は、今後衰退していく(と思っている?)アメリカから、これから強大に繁栄していく(と思っている?)中国へと事大先を変えて行こうとしているように見えます。
かつての閔妃は、日本、清、ロシアとその時点での「強い国」に事大先を次々と変えていきましたから。


人の人生にはそれぞれの独自の課題があります。
その課題を解決して卒業しない限り、同じような課題が人生に繰り返されます。
転校しても転職しても離婚しても再婚しても、相手が変わっても自分はいつも似たような悩み問題に直面するのはこのためです。


国には国の課題があり、朝鮮には朝鮮の課題があります。
閔妃の事大に解決できなかった課題は、また後年似た環境でその課題が試されることになるわけです。
朴槿恵氏は閔妃外交課題だけでなく、他にもいろいろ朝鮮歴史の中で先送りされた民族の課題を抱えているように見受けられておりますが、ここはそれを述べる場所ではありませんので、話は先に進みます。


時代は少し戻ります。まだ日清戦争の前の時代です。
ロシアは極東までのシベリア鉄道を敷設することを決定しその起工式に皇太子を出席させます。
このとき皇太子は見聞を広めるために、ウィーン→ギリシャ→エジプト→インド→シンガポール→香港→上海・広東→日本とほぼ1年かけて訪れることになりました。


最終地の日本は他の数日滞在の寄港地とは異なり、特に一ヶ月かけて、鹿児島から青森までめぐることになっていました。
日本は日清戦争前の極東の小国の時期でありましたから、国中の緊張たるや現代の私達の想像を超えるようです。


鹿児島、長崎を経て神戸港に停泊しているのは、6000~8500tという巨大戦艦が7隻でした。
先導しているのは日本の最新軍艦ですがわずか1600tです。
もしこの7隻の軍艦が攻撃を行えば、神戸も大阪も東京も簡単に火の海になることでしょう。


軍事的にも工業的にも経済的にも日本が遠く及ばない大国の皇太子が、強大な軍事力を背景に国内を1ヶ月かけて旅行するのです。そしてその途中で皇太子は警備にあたっていた日本人に切りつけられ大怪我を負います。


この日本人警備員が皇太子を襲った原因は種々説がありますが、あまりにも緊張したため突発的に襲いかかったのではないかと思います。特に国粋主義的な思想もなく事件の計画性もなく、逆に精神的に問題があったようです。発狂の経歴ありとされています。


ただ本人の動機はともかく、皇太子が日本人に襲われたことで日本は一気に窮地に立たされます。
このまま戦争となり、日本が火の海になったり、北海道など国土の割譲を求められてもおかしくない外交問題となりました。
ロシアが攻めてくる。と日本中がパニックになりました。


皇太子が襲われると聞くと明治天皇はすぐに東京から京都に向かいました。そして皇太子に謝罪を行いました。
日本開国最大の危機でありましたが、明治天皇のこの迅速な行動により、この事件は無事におさまりました。


息子が襲われて激怒した皇帝でありましたが、明治天皇が迅速な謝意を示したという皇太子からの電報により、外交上の問題とせず、賠償金も要求しないことを決定しました。


私はかねてより、明治天皇も昭和天皇も、日本の国家の危機を、自分の危機として本能的に察知することができるのではないかと感じておりました。
二千数百年続く国体の歴史の重みとは、私達常人の理解を超えるところがあるのかもしれません。
天皇とは国土や大自然に畏怖と感謝を置くという神事により、国家の平和と繁栄を維持することが仕事である神官の家系でありましたから。


明治天皇の迅速な判断と行動により日本の危機は回避されました。
当時の多くの日本人たちが誠意をもっておもてなしをしたことにより、皇太子が日本人に対して良い印象をもっていたことも日本を救ったといえるでしょう。


しかし皇太子は日本の文化は贔屓であっても、国家としての日本は極東の小国として軽んじていたようです。
それは皇太子が即位したのちの皇帝としての言動であきらかになります。


清に勝った日本が勝ち取った遼東半島を、力づくで返上させたり(遼東半島を手放したことは、本当は負の因子を累積させないという点で日本にはプラスであったと思うのですが)、満州と朝鮮半島の進出を行います。


このとき皇帝は「日本とは戦争にならない。なぜならば予が望まないからだ」といいます。
これはどんなに外交圧力をかけても日本から戦争を仕掛けることはありえない。という意味です。
また「もし日本との交渉で譲歩することがあったとしてもそれは皇帝の恩寵であることを日本人に感銘させなければならない」とも述べています。


皇帝であるニコライ二世は、今まで自分たちの家系が蓄積しちえた負の因子が限界を越えて破滅の反動として発動し始めていることを感じることはできませんでした。
日本との戦争を始めますが、何と予想外に敗けてしまいます。
ラスプーチンという怪僧に国家権力を喰われ、社会運動という革命によって国の根底が崩れていきます。
これらが同時にロシア帝国に起きたということは、蓄積されていた負の因子が一気に発動したと私は思います。


国家が滅びるときというのは、このようにそれまでの繁栄の陰に隠されていた負の因子が一気に同時多発的に噴出するものであります。



おひさま、ありがとうございます。


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