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ささやかなデザート。

朝食は英語で breakfast と言います。
fast(断食)を break(破る)と習いました。ふうむ。


一日一食で若返るというお医者さんの本がベストセラーになりましたが、若返りに必要なものは「空腹感」であると思います。


以前NHKスペシャルで若返り遺伝子(サーチュイン遺伝子)について放映していましたが、その遺伝子の起動要素が「空腹感」ではないかと言われています。



ただ空腹感を体験するために食事の回数を制限することは賛否両論があります。人の体質に関係しますので、一概に減らせばいいとはいえないと思います。



私のような凡人はやはり普通の御飯が自分の身体にあっているようです。
ときどきトンカツを食べたくなることとも、カレーを食べたくなることも、それは身体が欲していることだろうと思います。


ただゆるやか血糖の観点では、自分が料理する範囲では、砂糖と小麦粉はできるだけ控えるという配慮はしますし、外食であっても野菜やサラダを先に食べて御飯は控えめにするということはすることでしょう。



普通の食生活を送っていても適度な空腹感を毎日体験する方法は、「寝る前に食事をしない」ことであるかと思います。
これがかなり重要ではないかと思います。
夜9時以降は食べ物を口にしないだけで、いろいろな抗酸化食物を摂取するに匹敵する効果があるかもしれません。


ダイエットであろうが、血糖値制限であろうが、抗酸化アンチエイジングであろうが、夜9時以降の食事制限で、寝ている間に適度な「空腹感」を身体に体験させることは、とても大切なことのように思います。



ただ食事制限とは心の飢餓感と関係することも多いでしょうから、その場合は無理に何かを我慢することは逆効果であるかもしれません。リバウンドで夜中にドカ食いする危険性がありますから。


夜9時すぎに食べたくなったら、まず何はともあれ今の時期ですとお湯を飲んだりしています。
蒸留水を温めなおすのですが、物足りない時は微粉玄米をお湯に溶かして飲んでおります。
あとようやく最近とどいたココナツオイルもやさしい甘さでありますから、大さじ1杯程度なら9時すぎの寝る前のささやかなデザートとし良いかもしれませんね。



おまけ

夜9時前のデザートとしては焼き芋も良いと思っています。
電子レンジで簡単に作れるのでお手軽です。サツマイモは財布にも優しいですしね。

①お芋を洗ったあと濡れたまま新聞紙にくるむ
②電子レンジ強で2~5分(お芋の大きければ長め)
③電子レンジ弱(温めなおし)で10分

料理の魔法の温度70度を10分保つのがコツだそうです。
この70度はお肉でもお野菜であっても素材の味を引き立てる魔法の温度であるのですが、焼き芋においても然りでした。



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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まずうま!作戦。ライ麦全粒蒸しパン。

炊飯器というのは便利なものですね。
私の子供の頃は実家には炊飯器はなく、母はお鍋でご飯を炊いていました。
私は結婚してからも炊飯器は買うことなく、ヨメはお鍋でご飯を炊いていました。
お鍋でご飯が炊けることを教えると、驚いておりましたが、お鍋で炊いた方が美味しいので、我が家ではずっとお鍋炊きご飯です。


ヨメが義父の介護で実家に戻ることにすると行った時に、私が要望したのは、炊飯器を買うことと、洗濯機の乾燥機の修理をすることでした。
朝御飯と夕御飯をお鍋で炊くことと、朝洗濯物を干して夕方取り込むことは、長期的に行うことは無理だからです。


早速炊飯器を購入して使うと、あまりにも便利なので子供たちはびっくりしていました。
夜御米を研いでタイマーをセットすると朝には御飯が炊きあがるのです。
朝出かける前に御米を研いでタイマーをセットすると夕方には御飯が炊きあがるのです。
しかも早炊きだと30分かかりません。うむ~。



さて我々だけの暮らしになり、私はゆるやか血糖値食を試したいと思い、子供たちはダイエットをやりたいという共同目標を進めることにしました。
まず我々の大敵は「間食」であります。
とにかくナントナク口寂しいので食べてしまうのですね~。
この習慣を修正する必要があります。



ヨメはパンやらクッキーやらいつも作っていたので、間食できていましたが、ヨメが家を離れてからまもなくこれらの「間食」の在庫がつきてしまいました。私はこのまま「間食兵糧攻め」もいいな。と思っていましたが、子供たちは自分でパンやらクッキーやら買ったり作り始めています。むむ~。ダメだよ~。(笑)


とにかくダイエットというのは精神的に自分が無理をしているとなると反動でバカ食いしてしまうのです。
だから「間食」を買うことをきつく命じてもあまり効果はないと考えました。
「間食」とは飢餓感とも関係しますから、強く禁止すればするほど反動で欲しくなる危険性がありますから。


そこで私が考えたのが、まずうま!間食作戦です。


①うますぎず
口寂しいから食べるけど、食べ続けるほどには美味しくない。


②まずすぎず
しかし、こんなの食べられないから、自分でおやつを買うとか作る、ほどではない。



ということで考えたのがライ麦全粒蒸しパンでした。
ライ麦全粒粉は栄養的にも血糖値的にも小麦よりずっと健康的です。
しかもライ麦はドイツパンに代表されるようにどっしりとしていますから、日本人好みのパンにするには腕が必要です。ということは普通に作ると美味しいパンにはなりづらいということです。(ドイツの人ゴメンなさい。私はライ麦パン好きです)
今回は「うますぎない」が目的ですから、そういう意味でもライ麦は良い素材と言えます。ふむ。



便利な炊飯器は簡単に蒸しパンが作れるのですね。
基本的には小麦粉と水または牛乳とベーキングパウダーをいれて「早炊き」にするだけです。


私は「ライ麦全粒粉」というものを購入しました。
ドイツパンを作るのに良さそうです。
http://www.tomizawa.co.jp/shop/g/g00324401/
原材料を見ると「ライ麦、小麦」になっています。
1kg500円ぐらいです。1回200gなので原材料100円くらいです。
全粒粉でありますから、本来は無農薬を使いたいところであります。
ただ今回は主食ではなく間食断食の暫定措置であることと、輸入品であっても厚生省の残留農薬ポジティブリスト基準には合格しているということで、良しと判断しました。この辺は自己判断とiいうことで。主食で常食するのであれば考慮は必要かもしれません。



まずうまのバランスの試行錯誤でありますが、とりあえずのレシピです。

・ライ麦全粒粉:200g
・豆乳:250ml
・水:150ml
 (豆乳と水ではなく牛乳だけなら250mlで良さそうでした。粘り気の問題)
・塩:小さじ1/2~1
・ベーキングパウダー(アルミフリー):小さじ1

上記が基本です。
これだけだと「まずっ」となる可能性があるので「おいし」要素として

・粉チーズ:大さじ1
・くるみ:20~30g包丁で砕いたもの
・オリーブオイル:大さじ1

を加えてみました。
バナナ1本をみじん切りにして加えてもおいしかったです。




炊飯器に材料を入れて、



撹拌したあとお鍋を「トントン」とテーブルにたたいて空気を抜いて「早炊き」セット。



できあがりです。見た目は変わってないようですが、



ひっくりかえすとこのように、おいしそうです。



最初子供たちは「こんなにまずいものは食べたことない」といってましたが、少しずつおいしい成分を加えていくと、だんだん食べるようになりました。



家に帰ると蒸しパンがきれいに切られて小瓶にいれられていました。
今までヨメがクッキーをいれていた瓶です。



おいしく作るのは簡単です。
小麦の割合を増やせばいいのです。
砂糖を増やせばいいのです。
でもそれだとおいしすぎて、どうしてもバクバク食べてしまいます。


食べ続けられない微妙なまずさを求めて試行錯誤がまだ必要なようです。





ちなみにキャベツについての補足情報です。



これが念願のキャベツスライサー。Amazonでの評価が高いだけあって使いやすいです。スライスの時のキャベツの方向はこうです。それ以外だとキャベツの細切れがあちこちに飛び散ります。



キャベツ半玉のスライスです。スプーンは大きさを比較するためのものです。
千切りしたものは水にはさらしません。今日は冷蔵庫にあったセロリとレタスを少しブレンドしています。
これが我が家だと1日~1日半でなくなります。



外側の葉は水に数分さらして農薬を流します。念願のほたての野菜洗浄を買ったのでそれを使っています。



芯と葉を切り分けて、



ジップロックに保存します。加熱する料理に使います。パスタソースとか鍋とかスープとか中華炒めなどなど万能です。彩りも良くなります。



これが一汁一菜です。
十六穀米はお赤飯のようです。
今日の味噌汁はキャベツとジャガイモともずくです。煮干しも多めに。
お肉が欲しいときは、豚コマをいれて豚汁風にしても美味しいです。
このように味噌汁は具をたくさんいれ、お替わりがたくさんできるようにかなり多めに作ります。


家族がいるときはみんなの好きなものを作りますが、私一人の時は一汁一菜で充分です。




おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。勝って負ける。

清は日本と戦ってまさかの敗北をしました。
この戦争に敗けて清は多くのものを失いました。


■領土

それまで眠れる獅子と欧州から言われていた清ですが、日本に敗けたことをきっけに半植民地可が進み、結果的に清王朝は滅ぶこととなります。


かつて中国大陸全土を支配した清は、このように領土を分割されていきます。




清王朝は近代化という時代に乗ることができず、滅亡していくのは時代の大きな流れであったことでしょう。これまた清王朝が積み上げてきた「滅亡の因子」が発動した結果といえまず。


ただ日本がその引き金を引く立場であったのでしょうか。と思います。
清は尊大で無礼であったかもしれませんが、それが自らの滅亡を招いていったのです。どちらにしろ時間の問題の時期でした。
滅びる国に対してその時期をあえて早めるために、自国の兵を多数犠牲にして、また相手国からの永い恨みを買うようなことをする必要はありませんでした。


もし老子先生が当時の日本の指導者にアドバイスするならば、「防衛はしっかり固めながらも、干渉しないで距離を置け」であったと思います。


日清戦争のこの勝ち方が、結局太平洋戦争で日本が破滅寸前になった理由であり、戦後70年たっても中国から恨まれている陰の因子であると、私は考えております。



■賠償金

この戦争で日本が清から得た賠償金は日本の国家予算の4倍という超高額でした。
私個人の陰陽の考え方ですが、お金というのは本当にその人の人生の因子をあらわしていると思います。
多くの人はお金はあればあるほどいい。たくさんあるほど幸せになると思っています。
しかしもし人から恨まれて得たお金であれば、それはその人の破滅の因子がそれだけ蓄積されているという目安となります。
人からの恨みが強ければ強いほど、その金額が高額であれば高額であるほど、その巨万の富の裏側に同時に蓄積される陰の因子は恐ろしいです。


果たして清はそれほどの賠償を支払うほどの悪事を日本にしたでしょうか。
最新鋭の軍艦を見せびらかしにきて、水兵が調子にのって暴動をおこしました。
属国の朝鮮に治安維持で派兵して、そのまま駐留すると宣言しました。


日本のメンツをつぶしたのは事実ですが、それが国家予算4倍の金額に匹敵するかどうかは、今度は日本自身が証明することとなります。


与えたものは与えられる。
奪ったものは奪われる。


巨万の富を一夜にして得た多くの人は人生が狂います。
人からの恨みのお金であればなおさらであろうと私個人は思います。
奪ったものは失う恐怖でその人を縛るからです。


日本は清とのメンツの戦いに幸運にも勝ち、領土と権益と賠償金という莫大な富を得ることに味をしめました。
この領土と権益と賠償金を失う恐怖に日本は自分自身をどんどんがんじがらめに縛っていきます。多くの国民が命をおとし、帝都が焦土化し、二つの都市が蒸発するまで。



■プライド

日清戦争で日本が中国から奪った最大のものは「プライド」でした。
中国人にとって何よりも大切なものであると言われています。
老子先生の末裔であるにも関わらず残念なことです。


もし必要以上に日本が清からプライドを奪ったのであれば、それは振り子のように日本の破滅の因子として残ることでしょう。
奪ったものはいずれ奪われることになりますから。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。戦争の避け方。戦争の勝ち方。


老子先生の教えによると、真の指導者は戦争を起こさずに回避させることとあります。
これは単純に無抵抗お花畑平和主義を推奨しているのではなく、戦争になったら自分たちが勝てる確率はおそらくないだろう。あるいは勝っても得られるものはないだろう。と相手に常に思わせるようにしておくということも含まれるのであると思います。


誰だって自分よりはるかに強い相手にはなかなか喧嘩を売らないものです。
これは単に腕力があるという意味だけじゃなく、こいつに喧嘩を仕掛けたなら国際的に周囲から非難されてボコボコにされるだろう。という外交関係を日頃から構築しておく意味もあるでしょう。
また相手が逃げ道がないように追い詰めるということをしない。という交渉方法の意味もあるでしょう。相手のプライドはつぶさずギリギリのところは立てておくことが、最終的には自分の身を守るというのは大人の交渉術です。


日清戦争においても明治政府は清に戦争を布告するには思慮が浅かったといえます。
明治政府は再三朝鮮に「改革をして富国強兵を行う」国策を推奨しておりましたが、朝鮮政府からするとありがためいわくなお節介と受け取っていたようです。


もし清が日本のメンツを潰していたとしても、そんなものは犬にでも喰わせておけばいいと老子先生ならおっしゃったかもしれません。
長崎事件以降十年の間、日本は海軍の予算を増やし続けていました。
軍事力が劣っているから清軍にあのような暴挙を起こさせたわけですから。
戦争を起こさせないための手法としては良し。しかし軍備増強したがために、自分のメンツを守るために、かつて潰されたプライドを復活させるために、自らその刃を相手に使用することは愚か。と老子先生に喝破されることでしょう。


戦争とは葬式を行うことであります。
戦いに勝った国は喪に服すべきであるのです。本来は。
老子先生はやむなく開戦となった場合であっても、運良く戦争に勝てたとしても、それは自国の破滅の因子を生成していることにならないのか。ということを国の指導者はよくよく慎重にならなければならないということです。




戦争とは勝てば勝つほどその国の自滅の因子を生成する可能性がとてもとても高いのです。
陰陽の法則という観点ではそうなります。
戦勝パレードをする戦争の勝ち方は望ましくない。本来は敵と味方の犠牲者に喪に服すべきということなのでしょうが、この考え方は今の人類にはまだ早すぎるのでしょうか。二千数百年前のアドバイスでありますが、私達は追いつけていないのでしょうか。
もうそろそろ追いつけて良い時節ではないでしょうか。という希望がこのシリーズの記事の本当の目的であります。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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日本人からの伝言。朝鮮に対する明治政府の姿勢。

このシリーズをお読みになっているスイスのジャーナリストさんから下記ご質問を頂きました。


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まるぞうさん、こんにちは。2月10日の記事まで読みました。日清戦争についてのあなたの仮説と説明は非常に興味深く、面白いです。ところで質問があります。私の知る限りのあらゆる戦争においては、心理的または戦略的な原因の他、経済的な動機も必ずあります。
つまり、威信をかけたメンツ、国家主義、隣り合う地域の対立、緩衝地帯の必要性にかられて、という説明だけでは不十分ではないかと思うのです。そこには他の目的もあったのではないかと。たとえば国土の拡大、通商路の安全確保、資源の領得、他国における安価な労働力の確保、または他国にとっては新製品であろう産業物の独占販売をその地でする、等。または単に、多くの軍需産業や工業による利益を、征服した国で起こし自国の利益を図ろうといったような。日清戦争についてはどうなのでしょうか?
私が想像するのは、日本には当時やはり社会経済を牛耳っていた集団があり、彼らには戦争を起こしたい動機が同時にあり、祖国の情勢のはずみに乗って起こった、というようなこともあったのではないかと。まるぞうさんのご意見を伺いたく思います。
==========


私の拙文をお読み頂いて、(そしてフランス語に訳してくださっている彼のパートナーさんにも)御礼を申し上げます。


ご質問にお答えする前に、下記サイトをご紹介いたします。
「気ままに歴史資料集」
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/index.htm


このサイトは明治時代の日本の外交についての1次資料をひたすらまとめてサイトにアップされております。
私達が歴史や社会を考察するうえで必要なことは、孫引きひ孫引きではなくできるだけ1次ソースにあたるということです。これはジャーナリストの方には釈迦に説法でありましょう。(これはフランス語では何と訳すのかな~)


この方は明治時代の政府の公式資料や記録、当時の新聞記事など現在手に入るできるだけ客観的な事実を記録された資料を集められております。
私も膨大なサイトを毎日観ておりますがこれほど整理された1次資料をまとめたサイトは他にありません。
このサイトのおかげで多くの人達が、国会図書館に足を運び膨大な資料のページをめくることから助かっていることでしょう。




■国防の意味




朝鮮半島の安定は日本の国防に重要な意味がありました。
古い話になります。700年以上前のことです。
元寇といって当時の中国が日本に攻めてきたことがありました。
日本が外国から軍事侵攻を受けたのは二千数百年の歴史の中で最初で最後です。
この時はちょうど偶然大きな台風により元の海軍の船が一掃されて助かりました。
この台風のことを日本人は「神の風(カミカゼ)」と呼びました。
自然崇拝であった日本人が、日本最大の国難を救った台風を神さまによる国防と考えたのでした。
この元寇の時に日本に攻めてきたのは朝鮮の兵士でありました。
つまり中国が朝鮮半島を支配下に治めているということは、朝鮮の兵を使って日本に侵攻している可能性がある。というのが日本人のトラウマでありました。
(欧州の人には信じられないでしょうが、極東の島国では最初で最後の外国からの軍事侵攻でありましたから)


したがって日本は朝鮮の清の属国化をできるだけ排除し、独立した一つの国にするべきと考えていたようです。


とにかく当時の状況では朝鮮に内乱があるたびに清軍が鎮圧に来ておりましたから、日本としてはそのような状況は廃したいと考えておりました。



■独立支援

明治政府は朝鮮を一つの独立させることが目的でありました。
ただ朝鮮を属国にするとか植民地にするという意識は当時はほとんどなかったようです。
これは欧州の方の歴史感からすると信じられないかもしれません。


日清戦争の終結の直前に朝鮮公使であった井上馨が、外務大臣陸奥宗光に戦後の朝鮮半島の処遇においてどうすべきかという意見を述べた機密文書があります。
驚くことに、朝鮮半島から清軍を排除したのちは、自ら国を守れるように富国強兵政策を行わせるべき。と書かれております。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/062/resi076.html


とにかく明治政府が朝鮮に対しての姿勢は、一貫して誠実さと粘り強さでした。
日本が開国して西洋に並ぶ国を目指しているのだから、朝鮮も一緒に東アジアの強国になろうという姿勢だったのです。欧州の方の視点ではそれは「お人好し」と映ることでしょう。私もそう感じるのは無理はないと思います。世の中にはそんな「お人好し」は存在するはずはないのだから、その「お人好し」の裏にある本当の打算を教えてくれというかもしれません。


それは悪魔の証明であるかもしれません。「ない」ことを証明することはできないからです。
「ある」ことは証明できます。しかし「ない」ことは証明できないという意味です。



明治維新後(1876年)からの明治政府の朝鮮への外交の記録は根気よく朝鮮に対して開国の交渉をしてたことを示しています。
==========
日本側は繰り返し繰り返し何度も何度も話し合いを進め、朝鮮側に配慮して文章を変更したりしている。
これがまた半端な数ではないのである。当時の史料を見ると、書き直しにつぐ書き直し、案件につぐ案件、印章も作り直したり、どの文章がいつの書契なのかよく分からないような量と手数の多さなのである。書記官たちは同じような文章をいったい何度書かされたのか、実に同情にたえない。
しかし日本側のそのような譲歩にもかかわらず、朝鮮側は断固受け取り拒否なのである。なんと明治元年から7年経っても!。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
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日本の測量船が朝鮮から砲撃を受けた江華島事件(1875年)の時もそうでした。
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先に述べたように、「まさに朝鮮側から日本に対して破約と絶交を突きつけた形」の上に、更に朝鮮側から武力行使をしてしまったのである。普通ならば戦争であろう
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi014.html
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しかしその時の明治政府が朝鮮に特命大使を送ったときの発令文書にもただ朝鮮と和交を結べという指示だったことが残っています。
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雲揚艦砲撃への問責というよりも、ひたすらに和交を結ぶことただ一点であり、たとえ暴挙を受けても適当に防御して退くという、なんとも不思議な方針である。
この行儀の良さは何なのだろう。「武力で威嚇して国交を迫った」などと言われているのとは逆の姿ではないか。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi015.html
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もし日本が朝鮮を属国として占領する下心があったならばこの砲撃事件を口実に攻め込めるはずでしょうが、日本はそこでも誠意をもって交渉せよ。という判断でした。
またこの時に締結された日朝修好条規もまた両政府の交渉記録を見ても最大限公平であったように読めます。明治政府が力を背景に朝鮮に不利な条件を押し付けた記録はありません。
==========
さて、このように条約の締結に至るまでの種々の史料をそろえて眺めると、何と日本側の対応は柔軟であることだろうか、と思う。三條實美太政大臣の訓条と内諭そのままに和交一筋であることがよく伺えるのである。
 これでもまだ「条約を武力で強制した」となどと言う者があるとすると、そもそも条約とは何ぞや、ということになろう。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi017.html
==========





また1882年の壬午事変もそうでした。この朝鮮の内乱で朝鮮人暴徒が日本公使館の17人を殺害しました。もし日本に朝鮮への下心があるのであればやはりこの事変を口実に朝鮮の権益割譲などを要求したかもしれませんが、残っている政府の資料は正反対の記述でありました。
この事変についての明治政府から朝鮮在留の花房公使への訓示です。
=========
「朝鮮の暴徒のしたことは極めて惨たらしく、我が国の人命、施設、体面を損なわせたことは少なくなく、そして朝鮮政府はその鎮圧に怠慢であり、日朝交際の友好を重んじなかったことはすでに罪を問うに値することである。しかし新たに外交を開くにあたってはいろいろと物議を呼び、ひいては内乱を醸成するにまで至ることは日本や中国などの東方各国が均しく経験するところである。朝鮮もまたそれを免れられなかった事情であった時は、今度の事変もまたこれを万国公法と友好の精神とに照らし合わせ、適切に朝鮮政府に対しては、その非を責めるに相当の謝罪と賠償をもってするべきで、未だこれにより直ちに軍事行動による朝鮮国の蹂躙という極端な処分に至るべきでない。」
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi032.html
==========



また日清戦争の発端になった東学党の乱(1894年)で朝鮮半島で日本と清が軍隊を駐留し一触即発となっている時期においても、日本政府が朝鮮に対して働きかけているのは、ひたすら自国の改革を行うべきであるというメッセージがひたすら送り続けられています。もし属国や植民地にしようとしている相手国に「人材の登用」「財政整理と経済復興」「治安維持」「教育」など手取り足取りアドバイスをするでしょうか。
==========
その間、日本政府が朝鮮に対して行ってきた様々な援助のみならず、勧告、警告含めての提言はもう何度も繰り返されて来たのであるが、陸奥の言うように「朝鮮の如き国柄が果して善く満足なる改革を為し遂ぐべきや否やを疑」わざるを得ないものであった。
しかし今度、行き掛かり上大兵を派したことにより、朝鮮政府に対して大なる圧力となっている今こそ、改革の実を挙げる千歳一遇のチャンスと捉えたということであろう。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/60mt.html
==========



この時海外は日本と清をどのように見ていたのでしょうか。
英国外務大臣が日本在留英国公使にあてた機密文章です。
==========
清国は朝鮮におけるその地位及び主権、貢礼の事について最も恋々としている。貴下は日本政府へ、以下のことを内密に示すべし。即ち、

清国はこれ等の点よりも、恐らくは寧ろ実際的に緊要の事項を容易に譲歩するだろう。故に女王陛下の政府(英国政府)は、日本が以上の数点を談判第一の条件としないことを望む。否、熱心に勧告するものである。
そしてこれらの問題を双方が提起しないことを望む。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi060.html
==========


とにかく清は朝鮮が属国のままでさえあるのなら、他の条件はすべてのむであろうから、とにかく日本政府には朝鮮に対して独立をあおらないように伝えてほしい。


つまり日本が朝鮮を属国や植民地にするつもりは毛頭なかったことは、当時の欧州の国々も理解していました。ただ独立を焚き付けないで欲しい。ということでした。
海外の外交資料をみても、日清戦争前の明治政府が朝鮮半島に野心をもっていると疑う内容のものは(あの英国をもってしても)見当たりません。


これらの状況証拠から、少なくとも日清戦争を行う前の日本は、朝鮮に対して過剰なお節介ともいえる「独立して富国強兵を行い東アジアの一員として一緒に繁栄しよう」という建前が当時の日本人の本音であるという資料しか見当たりません。もっと探せば朝鮮を属国や植民地にしようという下心が見つかる可能性はゼロではありませんが、私も相当な時間をかけて調べましたので見つかる可能性は低いと思われます。



■貿易と産業

強国が弱国に対して経済利益を搾取するには以下の3つのパターンが考えられます。
① 弱国の資源を搾取する。
② 弱国を輸出市場として利用する。
③ 弱国の人間を労働力として搾取する。


当時の朝鮮について上記①~③のポテンシャルはどうだったのでしょうか。
日本が触手を伸ばすような産業利益上のメリットは当時の朝鮮には存在していたのでしょうか。


明治政府が外務省担当者がソウルに派遣された時の記録が残っています。


首都ソウルの街並みについて
==========
京城は大河の上流にあり、王城城壁は山の中腹に渡っているが、その地は狭隘であり、人家が密集している。およそ3万戸以上はあろう。(略)
汚水が路の中央に溜まり、牛馬の糞がうずたかく積もり牛骨が散乱している。しかし誰も掃除する者がない。夏であるから一層臭気を覚える。
その他の道は、4、5メートル余り。凸凹を修繕するということがない。道路端の溝梁はない。人家が道に出っ張っているのと、引っ込んでいるのとが並んでいて、頗る不整である。

王宮は壮大である。しかし庭には青草が生い茂っている。かつて掃除をしたことがないようだ。(略)

普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも満ちて煩わしく、耐えられない位である。雨が降る日だけ臭気が治まった。
ここでは蚊および蚤はまれであった。しかし、浅間艦から士官3人が連絡のために仁川から来たときに民家に宿泊したが、夥しい蚊と蚤のために、ついに一睡も出来なかったと言う。

日本人のためにこのように浴房を設け、数箇所の便所を作ってあるが、これは京城近傍では奇なる風景だと言う。

http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
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食事について
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食事は1日2回で、たいてい10種類から17、8種に至る。三尺四方ばかりの有脚盆にうずたかく盛り上げて、倒れ落ちるのを恐れるばかりである。
牛豚鶏魚の肉、草餅、羮汁など、みな、器、皿に堆積する。しかし臭味がひどく箸を下す者が少ない。
ただ桃李、林檎、瓜などは臭味がないので食べられる。沙果・・林檎に似て頗る大であるが美味ではない。マクワウリ、葡萄、西瓜、梨の類が多い。
水煮の卵、牛肉、豚肉、鶏肉、麺、カラスミ、乾し魚を削ったもの、或いは日本人のためにと焼き魚も出した。蜜を湯で溶いてミル(海草)と煮餅をあえたものなど。それらが、1人に対して実に10人分程もある驚くべき量であった。

炎熱の時節でもあり、その異様の臭いに堪えきれず、胃腸も慣れないこともあって食傷を恐れて箸を下す者が稀であった。
なお、庶民のものは不潔で食べるべからずと言う。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
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農業林業について
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山々は、花崗岩質の土砂多く所々斑に青草が生えている。また、老松が疎らに立っている。禿山が多いからその風景の情が乏しいものに感じられる。
(略)
釜山、江華府、京城、それぞれの山が草木が繁るのに不適のようである。禿山が多く、遠望すれば黄赤色が斑々としてその観は美ならず。
家屋の建築には松材以外に無い。
草木が少ないということは、それを愛玩して植える人もないということである。
京城に花戸というものがない。人が植えた花木というものが無い。

土地は痩せていないようである。丘陵は雑木ばかりであり、開墾をしたこともあるが村民が懶惰(なまけもの)だからついにそれも止めたと言う。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
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資源について
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薪柴も乏しい。家屋の床下に竈を設けてそれを燃やし、温暖にしてその上に座して冬の寒を防ぐので、そのために極めて多量の燃料を必要とし、山々はそれがために禿山となっている。ゆえに薪柴は貴重品である。
石炭は、修信使がかつて我が国の汽船に乗ったときに初めてそれを見たと言う。後に帰国してから山中に石炭を見たという。しかし掘る方法を知らないと言うので、後に(理事官-宮本小一が)石炭抗を掘る方法を書記して朝鮮国に送るを約束した。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
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病気について
==========
日本人に病人が多くなってきた。これは気候が不順なことと食料の粗末なことに原因があると思う。
帰国する頃には、京城に行った者は半数が病人である。重症の下痢の者が多い。中の一人(金子鉄蔵)が医官の治療の甲斐なく死亡した。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
==========



これらの外務省担当者たちのソウル視察でありますが、半数が病気になり一人が下痢で死亡というすさまじい旅だったようです。しかし貧しいながらも朝鮮の人たちが国賓として最大限にもてなしていたことが読み取れます。


明治政府の指導者たちが朝鮮から何かを収奪しようと計画はしませんでした。特産物もなく農産物も地下資源も朝鮮は他国に輸出に値するものはなかったと記録から読み取れます。
あの清であっても朝鮮からはほとんど収奪するものはありませんでした。
朝鮮の語源は「朝貢(みつぎもの)鮮なし(すくなし)」という意味だと言われています。



また朝鮮の市場ですが、物々交換が主流であり一般民衆は貨幣は使用していませんでした。
==========
黒田清隆と井上馨曰く。
「要するに上下貧困、いたるところに寂寞たる部落あるのみ」
「彼と強いて貿易せんと欲するも貨幣ある無く、産物、一の貴重すべきなければ、至急繁盛の市を開く時にあらず」
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi023.html
==========


日本が産物を朝鮮に輸出して富を収奪することも無理な話だったようです。
そもそも彼らは貨幣経済ではありませんでしたから。



では朝鮮人を日本に連れてきて働かせるということはどうでしょうか。
日清戦争の前のこの時点では朝鮮南部の人間が季節労働者として日本で出稼ぎに来ていたとありますが、奴隷のように強制的に連行して労働をさせたという文献はありません。
日清戦争のこの時代よりあとの1919年と1925年、1934年に朝鮮人が日本に渡航や移入することを制限したり禁止する措置がとられますが、密航してくる朝鮮人が増加しています。日本での仕事は社会の最下層のものしか従事することはできませんでしたが、それでも本国朝鮮にいるよりマシな暮しであった人たちが大半でした。
日本政府は彼らを強制的に連れてきたとは正反対の、禁止しても禁止しても日本に密航してくる朝鮮人たちの記録しか残っておりません。



以上、現存する政府機関の記録、機密文書を考察する限り、日本が朝鮮に対して野心をもっていたとはどうしても読み取れません。


当時日本は非常に貧しかったのですが、お隣の朝鮮も輪をかけて貧しかったのです。
そして日本はその朝鮮に対して、とにかく独立して、国内制度を近代的に改革し、教育制度を起こし、貨幣経済を民衆に行き渡らせ、富国強兵をめざしましょう。というお節介だったのです。
これは明治政府だけでなく国民全般の意見でした。ふうむ。


明治政府は国防上の理由から朝鮮を清の属国状態から脱したいと考えていました。
そのために朝鮮を日本の属国にするのではなく、自分自身を守ることのできる一つの独立した国とすること。そしてその上で日本と友好を結ぶということ。膨大な政府資料には一貫してその気概がブレていないのです。


注)本記事をフランス語に訳される三月の桃さんへ。
このシリーズはなるべくモノの流れのエッセンスだけをまとめたいと考えて記事を書いておりましたが、今回はソースの根拠が重要でありますので、非常に膨大に長い内容となっております。
このためまずはこの長文を日本語のままお見せいただいて、口頭で良いので内容の概略をお伝えください。その上で訳されるかどうかご判断ください。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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日本人からの伝言。万が一戦争に勝ったとしても。

今週末は下弦から新月に向かう期間ですね。
話は変わりますが今朝は近所の氏神神社に御参りしました。
自分たちの住んでいる地域に、大きな厄災が発生していないことは本当にありがたいことです。
読者のみなさまがたも今週末は散歩がてら近所の氏神神社に御参りしてはいかがでしょうか。
ここから本論です。前段は欧州の方の翻訳は特に必要はありません。



清軍が朝鮮から3日以内に撤退しなければ、日本軍が駆逐するとし日本は清との戦争に入りました。
国力も軍事力も大きな差がある清に対して小日本が戦争を仕掛けてくるとは、当時の清の指導者らは考えていなかったようです。



清の実質リーダであった袁世凱はこのように述べておりましたから。
「日本は東方の一狭小国である。既に亜細亜の一部に在りながら、小を以って大に事(つか)えることを思っていない。それであるから中国から事毎に罪を問わんと欲して久しい。」


日清戦争は日本に対する見下した態度に対して日本のプライドが発火点を超えたという戦争でありました。まことに幼いことです。



老子先生の言葉では、戦争をするのは愚かな指導者であるとあります。真の指導者とは戦争を起こさせない指導者であります。
確かに清は先の二つの朝鮮事変や長崎事件で、日本を完全に見下しておりました。
しかし高慢な人間たちには、高慢にさせておけば良いのです。
プライドを傷つけられたと闘いを挑むのは、高慢な人間と同じように愚かであろうと思います。


与えた行為は与えられる因子を同時に発生させ、
奪った行為は奪われる因子を同時に発生させます。
個人でも然り、家系でも然り、民族でも然り、国家でも然り。


国家が繁栄の因子をもつか、衰退の因子をもつか。
それらは国家が他の国家に対する行為により、同時に陰陽対になる因子が生成されています。
高慢な国家は、高慢なままにさせておけば良いのです。
逆に謙遜する国家には、たとえ吹けば飛ぶような弱小国家でるならなおさら、相手に不遜にならないように注意深く尊重しなければなりません。



日本はプライドを傷つけた清に戦争を挑み、世界が驚くことに清に勝ってしまいました。
この勝利が同時に日本衰退の因子を生成しています。


この日清戦争のパターンはその後50年間繰り返され、日本はその間、衰退の因子を蓄積させて行きます。
そのパターンとは以下です。


1,戦争の動機が「日本のプライドをないがしろにされた」ということです。
自国の領土や領民が侵略されたという国家の存亡にかかわるような理由ではありませんでした。


2,戦地は常に国外でした。
日本の内地本土は無傷のままの戦争を続けていました。


3,日本は50年間、最後の一戦(アメリカとの太平洋戦争)以外は勝ち続けました。そして勝つたびに日本は領土と権益を拡大し事実上独り占めしていきました。


この3つの戦争の勝ちパターンは本当に恐ろしいことです。
表面上は日本がどんどん国の勢いを拡大していく日本人にとって喜ばしいことに見えますが、これらの3つの行為に相応する正反対の因子を蓄積しておりますから。



老子先生の教えを読み解くのであれば、戦争は回避しなければなりません。つまらないプライドは捨て置けば良いのです。


しかし自国領土と自国民が侵害された場合は、家族(=国民)を守ることは必要です。本当は侵略させないようにあらゆる手段工作を講じておくが真の指導者であるのですが。
だから他国の領土で戦争を仕掛けにいくことは、自ら滅びの因子を生み出しているという愚かなことです。


老子先生は、どうしても戦争をするなら、葬式の儀式にのっとって行うべきだといいます。たとえ勝っても喜ぶことなく、両国の死者のために喪に服すべきと言います。
まさにそのとおりです。


奪った行為は奪われる因子を同時に作り、
与えた行為は与えられる因子を同時に作ります。


もし戦争に勝つことがあったら、相手の領民にいかに与えるかということが重要です。
戦争に勝ったものは決して奪ってはならないのです。陰陽の視点では。


日本は清のプライドを奪いました。
奪った者は奪われる。
日清戦争から100年以上たちますが、日本と中国の間ではお互いのプライドを奪い合うという因子は昇華されず、未だに振り子のように両国を行き来しています。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。前兆。

当時の朝鮮王朝の閔妃の状況は現在の韓国の朴槿恵大統領と非常に類似点があります。
歴史を学ぶことでその国の未来をいろいろ想定することができますから、もし機会があればこの考察もしてみたいです。



■甲午農民戦争 1894年
当時朝鮮王朝の閔妃は甲申政変で清国の助けを借りてしまったばかりに、国内の政治は清に牛耳られてしまい、そのツケは国民の生活の重圧となっていました。
各地で騒動が起きていましたが、東学党という新興宗教団体が武力蜂起したことで、その争いが朝鮮全体への内乱に広がりました。
私達昭和世代は「東学党の乱」と習いました。


これを鎮圧するめに閔妃は清国に援軍を要請しますが、日本も公使館や在留邦人を守るためとして軍隊を朝鮮に派遣します。先の二つの朝鮮事変で日本人が虐殺されたからです。
当時の政情不安定な朝鮮は現在の中東シリア付近と似ているかもしれません。


この東学党の乱は清軍によって鎮圧されました。
日本は先に清と結んだ天津条約に基づき、両国はすみやかに撤兵しましょうと清に伝えますが、清は撤退するのは日本軍のみ、我々は駐留を続ける。と回答してきました。


自分たちが撤兵すればまた政情不安定な朝鮮はいつ反乱が起きるかわからない。朝鮮は自分たちの属国なのだから宗主国が治安を維持するのは当然だという考えだったのでしょう。それより小日本は我々の関係に首を突っ込むことなくさっさと自分の国に帰れ。ということであったのでしょう。


朝鮮政府は、清も日本も両国とも軍を撤退して欲しいと申し入れます。このため日本は清に対して「三日以内に朝鮮から撤退すること」「朝鮮を属国支配から解放すること」という条件をつきつけます。そして「清軍が撤退しな場合は、日本軍が清軍を駆逐する」という最後通牒でありました。


当然清は日本の要求は呑めませんし、まさか日本が国力も軍事力も圧倒的な大国清に歯向かって来ることはないと思っていませんでしたが、何と日本は清に対して宣戦布告をしてきました。


これが日本がこの50年後に国が亡くなる一歩手前までの破滅寸前の体験をする始まりでした。
身を滅ぼす破滅の最初の一歩は「見た目の吉報」から始まります。


義のない戦争に勝ってしまうことこそ、身を滅ぼす前兆であるといえるでしょう。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。3つの事件(事変)。

■1868年 明治維新
200年以上続いた幕府の鎖国政策も、アメリカのペリーの来航により日本は将軍を政治の中心にした江戸幕府体制から、天皇を政治の中心にした明治政府へと転換しました。
この革命が無血開城で行われたことは、特筆すべきであるのは先に述べたとおりです。


それまで国の平安を祈念することが主な役割であった皇室が政治の中心に置かれたのは約1000年ぶりではないでしょうか。それほどの国難であったともいえます。
ただし明治政府が建てたのはドイツをお手本とした立憲君主国でした。
これは国の方針は議会が決定する。君主はそれを承認する。という国の形でした。
つまり君主(天皇)は国の方針を決定することも命令する権利も持っていませんでした。
国の象徴として存在するということであったのです。


企業にたとえるならば、取締役会や株主総会には出席することはできますが、発言することはできず、ただ決定事項を書いた議事録に「承認」のサインをするだけの存在が、明治政府移行侵略戦争までの天皇の役割でありました。


話は戻ります。



■1875年 江華島事件
日本国旗を掲げて朝鮮の漢江の河口で朝鮮側の大砲で砲撃された事件。
この事件の和解を機に両国で近代的な修好条約が締結されます。


朝鮮も日本も基本的に基本外交は鎖国をしておりましたが、日本と朝鮮の間は国交は開かれておりました。
しかし日本はアメリカと通商条約を結びました。
かたや朝鮮はアメリカを始め西洋諸国は排除するという鎖国の方針です。
もしアメリカと朝鮮に外交上問題が発生した場合は、条約上日本はアメリカ側につくこととなります。
また国際的視野で時代を俯瞰すると、もう鎖国が貫けるような時代ではありません。
この二つの理由により、明治政府は朝鮮に対して開国することをを強く薦めておりました。


今回日本と朝鮮の間で近代国家としての修好条約が締結されたことで、朝鮮の中の開国派が勢力を広げるきっかけとなったと言われます。


明治政府に残されている記録文書を見ても、まだこのころは朝鮮を支配下におくという帝国主義的な意見は見られません。鎖国仲間だった朝鮮に対して、もう時代が変わったから、おたくも開国しないと大変なことになるよ。力づくで開国させられるくらいなら、自ら開国交渉をして近代的な国家に移行した方がいいよ。というおせっかいともいえる心配が主だったようです。
(参考文献 http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi018.html)



■1882年 壬午事変
朝鮮王族の中で「鎖国を続け清の属国にとどまるべき(守旧派)」と「開国して近代化をめざすべき(開明派)」が対立していましたが、とうとう守旧派がクーデターが起こしました。
この反乱は朝鮮に滞在していた日本人にも向けられ、日本公使館に勤務していた17名が朝鮮人兇徒によって殺害されました。


このクーデターにより、清の軍隊によって鎮圧されこれ以降朝鮮の内政と外交は事実上清が握ることとなります。一方日本政府は公使館員を守るということで朝鮮に軍隊を駐留させることになります。


日本は勢力を伸ばし始めておりましたから、東アジアで清といずれ衝突するのは不可避であったかもしれません。
しかし衝突した場合であっても、それは信義に基づいたものでなければなりません。
日本は自重することができたでしょうか。それとも。。。



■1884年 甲申政変
清の属国化が進んだ朝鮮において、開国派がクーデターを起こします。
しかし清の軍隊により再び鎮圧されます。
日本は朝鮮の開国を推していましたので、このクーデターは清と日本の代理戦争の一面も持ち始めていたようにも思われます。
この時日本公使館に逃げ込まなかった一般日本人の婦女子30名は清兵に虐殺された記録が残っています。
この頃から日本人の意識において清に対する感情的な敵愾心が芽生え初めていたように思われます。
ISISもそうですが、自国民が残虐な殺され方をされる。特に兵士ではない一般の婦女子が対象である場合は、その傾向が強くなります。


開国派のクーデターの首謀者は上海で暗殺され、首謀者の一族は幼児も含めて非常に残酷な殺され方をしました。
この処刑方法もかなり日本の知識人にはショックで、清と朝鮮からは距離を置くべきである。朝鮮の独立と開国については日本は深入りするべきではない。という論調が起き始めます。
当初朝鮮開国を支持していた福沢諭吉の「脱亜論」などです。
100年以上たった今からみてもこの意見は正しいと私は思います。




■1886年 長崎事件
清の軍艦四隻が長崎に入港します。
特に主力艦であった「定遠」「 鎮遠」は東洋最強でした。
このとき500人の清兵が街に繰り出し、金品強奪や市民への乱暴を働いていると警察に通報が入ります。警察は鎮圧しようとしますが市街戦となり80名以上が死傷する大事件となりました。
この事件に関して清からの謝罪がなかったことが、日本国民は不満を持つこととなります。
一方清の李鴻章は日本に軍事力を誇示することが目的であったのに自国の兵が殺傷された不満も残ります。(軍事力においても朝鮮半島の勢力においても国力GDPにおいても清が日本を圧倒していたにも関わらず)


もうお互いは朝鮮とは関係なく日本と清は両国のメンツをかけてぶつかりあう寸前でありました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。メンツの相克再び。

日本がなぜのちに侵略戦争と呼ばれる戦争を拡大していったのか。
その原因は明治維新直後の日清戦争にあるというのが私の仮説であります。
ではなぜ日本は日清戦争を行ったのか。


さまざまな人がその原因を述べておりますが、もっとも多いのがロシアの脅威にそなえて朝鮮半島を緩衝帯として独立させるためである。ということでした。
このシリーズもその仮定で話を進めておりました。ふむ。


しかしやはり書いていて疑問がわきます。
ロシアが朝鮮に触手を延ばしているのであればわかります。
しかしよくよく考えれば、朝鮮が清の属国である限りはロシアの南下は問題ないはずです。
なぜならロシアが朝鮮半島に南下するのであれば、まずロシアと清が戦うことになりますから。
たとえばインドシナ半島はフランス敗れて清は手放すこととなりました。
同じように朝鮮半島をめぐってロシアと衝突することになるでしょう。
だからロシアの脅威に対抗するために日本が朝鮮半島に進出して清と戦ったのは、おかしいと感じました。


当時の日本と清の関係を調べるために少しお時間を頂きました。
このため途中で「近況」という身内話をいれたり一回お休みも頂きましたが、やはり詳しく調査すると日本が清と戦ったのは「ロシアの脅威に備える」ためでもなければ「朝鮮半島を独立させるため」でもなかった。というのが結論を得ました。


この点に関しては日清戦争の原因を「ロシアの脅威から備える帝国主義」と述べた部分については訂正します。m(_ _)m
原因は昨日書きましたように、日本と清のメンツの対立でした。


日清戦争は重要です。
なぜならこの戦争に勝ってしまったため、日本は本当に本格的に帝国主義の路線を進みだしてしまうからです。そしてその結果振り子の揺り返しで日本は壊滅一歩手前まで破壊されます。
自国も他国も大勢の人の人生を犠牲にすることになったのは本当に愚かなことでありました。
私達はその愚かさを「天皇の軍部の暴走が原因」と習いました。
本当でしょうか?


その侵略戦争の原因は「日清戦争」にありました。
日本と清のメンツの衝突です。
そしてその振り子はいまだに振れています。
日本政府と中国共産党の関係は冷えていると言われています。
これは日清戦争からのお互いのメンツの衝突が昇華されていないからです。


欧米の方にはあまり直接関係のない話かもしれませんが、日清戦争の日本と清の当時の関係はとても示唆的です。歴史は繰り返すといいますが、似たような関係が今も揺り返しで繰り返されていることがわかります。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといいます。
多くの日本人が忘れている日清戦争の時の両国のメンツの張り合いは、やはり日本人に再度認識されるべきと思います。


本来なら1~2週間かけて記載するべき密度の話でありますが、今回は欧米の方向けのダイジェスト版というコンセプトですから、できるだけ簡単にまとめます。



つづく



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日本人からの伝言。メンツの衝突。

1868年に明治維新で日本は帝国となるべく国をスタートさせました。
1894年に眠れる獅子である清との戦争に勝利し、1904年に西洋の大国であったロシアにも辛勝しました。
たった30年ほどで富国強兵をものすごい勢いで進めていったのです。


さてまず清との戦争の原因はなんであったのか。
お互いのメンツの衝突であったといえます。
清は約300年続いた世界の中心(中華)でありました。
日本は外側の野蛮国であったというのが清の認識でした。
しかし日本はもう西洋なみの帝国を目指しており清と対等であると考えていました。


日本は明治維新以前の江戸時代では鎖国を行っており、朝鮮との国交も事実上途絶えておりましたし、清とは正式な国交もなく、民間レベルで限定された貿易があっただけでした。
しかしここで日本が開国をしたことで、今まで距離をおいていた隣国どうしがぐっと近い距離になったという大変化がありました。


ここでどちらの国が上なのか。という衝突が起こるのは時間の問題であるといえました。
日本は清と同等であると考え、清は日本は格下であると考えておりました。
朝鮮半島を舞台に日本と清の衝突が起きたのでした。



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。振り子の周期はどう決まる?

欧米の方々はかつていた「帝国主義」についてどのような感想を抱いておられるのかはわかりません。
当時の国際社会はまさに「帝国主義」であり、アジアやアフリカや北米、中南米、オセアニアなどとにかくヨーロッパ以外の地域に進出して植民地にすることが国力である時代でありました。
植民地にされたある原住民たちは産業を搾取され、ある原住民たちは豊かな土地から追い出され、ある原住民たちは奴隷として異国に運ばれ、ある原住民たちは自分たちの宗教や言葉や文化を奪われました。
当時は地球全体がそういう時代であったと私は認識しています。


明治維新後の日本も自国を守るためという目的で、西洋列強の帝国主義のメンバーになろうと必死の努力をしました。
日本人の異文化の吸収力の高さが幸いして(災いして?)日本は国際社会でめきめき頭角をあらわし、第一次大戦のあとの国際連盟では有色人種国で唯一の常任理事国でもありました。


しかし「力こそ正義」という「帝国主義」は元来日本人の本性には合っていませんでした。それは私の個人の見解ですが。


「与えたものは与えられる」「奪ったものは奪われる」この世界には陰陽の原則から成り立っています。天網恢恢疎にして漏らさず。
日本は「与える」ことで周囲から「与えられる」国であることが元々の性であります。(戦後の日本はこの本来の性質に随分戻ることができたと思います)


日本が帝国主義の真似をして「奪った」ものは、やはり「奪われる」ことになりました。首都の十万人の一般市民が一晩で黒焦げになり、二つの都市が一瞬で蒸発し、日本そのものが4つに分割され皇室という二千数百年続いた歴史最古の国体(自然崇拝の文化と皇室)が解体される一歩手前まで、日本という国が破壊されることになりました。


でもちょっと待てよ。という人もいらっしゃるかもしれません。
日本が帝国主義に傾いてその因果応報で国が滅亡する寸前になったというのであれば、そもそも帝国主義を行っていた西洋の国はどうなるの~?
イギリスは?アメリカは?フランスは?まあ確かにスペインが内戦で国力が没落したのは南米の植民地化の振り子の反動といえなくはないけど、アメリカなんて世界の頂点で「力こそ正義」でやりたい放題じゃないの~?


陰陽の振り子の周期については個々それぞれ千差万別であろうと思います。
国家民族の振り子は早ければ数十年の周期でしょうが、長ければ千年単位であることもあるでしょう。


陰陽の周期については下記傾向があると私個人は感じております。

① 常に奪うことと与えることの相殺がされている。
つまり借金をどんどん増やしていっても、同等に善徳も稼いでいるのであれば総合的な返済は増えていかないということです。
悪にも強いが善にも強いという人は、積んだ悪事がそのまま借金になるわけではありません。

② 執着が強いほど借金返済がおそくなる。
奪うということは強い執着から生まれます。
その執着が強ければ強いほど「奪われる」という借金返済は発生しづらくなります。ただし借金の免除がされるわけではありません。運気が弱まった時にドンと一括返済となりますから、悲惨です。

陰陽の周期は短い方が本人は幸せであるかもしれません。間違いが大きくなる前に引き返すことができるということですから。



アメリカの例についていえば、「力こそ正義」と君臨しておりますが、奪うものだけでなく与えるものの影響も強いのだと思います。私達が恩恵を受けているインターネットなど世界中の人が享受している「便利さ」の多くはアメリカ発です。


そして異論はあるかもしれませんが、住んでいる人たちはできるだけ「公平であろう」と努力しているように思えます。もちろん例外の人たちもたくさんいるでしょうが。
しかしアメリカ国民の多くが国内や国外の「公平であろう」という姿勢を捨てることになると、相殺バランスは崩れて国家没落の引き金が引かれてしまうかもしれません。


陰陽振り子反動による国家没落とは本当に大きな流れでありますので、一度反動が発動してしまうと、振り切り終わるまで止めることができないのです。と私は考えております。



つづく



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日本人からの伝言。陰と陽の仮説。

老子の第73章にこういう言葉があります。

天の網は粗いようにみえて、しかし決して洩らすことはない。

簡単に言うと良い行いをした人には良い報いが戻り、悪い行いをした人には悪い報いが戻る。という意味です。そしてその法則には決して例外がないということです。


これは世界中の宗教に死後の天国と地獄の記述があることと本質的に同じことでしょう。
しかし老子は天国と地獄について述べたりしませんでした。
彼はもっと理論的に述べています。
もし彼が現代に生まれていたら、哲人ではなく科学者や数学者であったかもしれません。少なくとも思考は科学者のように論理的です。


私が理解するところの老子の理論は以下です。
この世界は陰と陽でできています。
この現実に陰が発生した瞬間に正反対の陽の因子が発生します。
ただこの因子が現実の世界の事象として現れるにはタイムラグがあります。
これはあたかも振り子のようです。
陰に振れた振り子は必ず陽に振れます。しかしそれには周期というタイムラグがあります。


これを人の行為にたとえると次のようになります。
ある人が陰の行為をなすとします。
そうすると同時にその本人に陽の因子があらわれています。
しかしその因子が現実の事象としてあらわれるにはタイムラグがあります。


もう少し具体的に噛み砕くと次のようになります。
人に「与える」行為をした人には、同時に人から「与えられる」因子が発生しています。
ある時期ある縁が重なるとその「与えられる」という因子は、実際にその人に何かが与えられるという現実の事象になります。


人から「奪う」行為をした人は、同時に人から「奪われる」因子が発生しています。その人の周囲に磁場のようにその因子が存在してるかのようです。
そしてある時期ある縁が重なるとその「奪われる」という因子は、実際にその人が大切にしている何かが奪われるという現実の事象になります。


この世界で振り子と重力の法則から逃れるものは何一つないのと同じで、この陰と陽の振り子の法則から逃れられる人は一人もいません。と老子は言っています。これは個人でもそうですし、民族や国家という集団の視点でも正しいと言っています。


現実の私達はさまざまな軸での陰と陽の行為を創っています。
人に与える行為もあれば、人から奪う行為も玉石混交混ざっています。
私達が自分の周囲に発生させている因子もまた常に陰と陽が打ち消し合って日々変化していることでしょう。


ただ与える行為が多い人は、与えられるという因子の貯金を積んでいるということですし、奪う行為が多い人は、奪われる因子の借金を増やしていると言えます。これは民族でも国家でも同じです。


ただ世の中には勝ち逃げと見える人もいます。
人を苦しめ人を傷つけ、しかし糾弾されることもなく、良い暮しをしながら一生を終える人もいます。
これでは陰陽の法則はやはりなかったように思えます。


しかし老子はそういう場合でも決して天の網は勝ち逃げすることはできない。と述べています。ふうむ。


そういう場合はきっと死後天の報いを受けるということになるのでしょう。
しかし死後の世界の話ですから、誰も証明することはできません。
やはりこれは量子物理学の科学者の仮説のようです。
素粒子の存在を確認することは人間にはできません。
しかし素粒子があると仮説するとさまざまな事象に都合が良いので、その結果から素粒子があると考えられているのと同じです。


この世界は陰と陽の交互の振動から成り立っています。
陰が出現した瞬間に陽の因子も出現しタイムラグでこの世の事象となります。
陽が出現した瞬間に陰の因子も出現しタイムラグでこの世の事象となります。
この陰と陽の様相は真実であるから、もし勝ち逃げの人生があったとしたら、それは死後天によって利子のついた借金の返済がせまられることになる、あるいはそれと等価の現象が本人に起こるであろう。
もしひたむきな誠意が報われない人生があったとしたら死後天によって貯金に利子がついて与えられることになる、あるいはそれに等価の現象が本人に起こるであろう。
そのように科学者であれば、陰陽の帳尻について仮説することでしょう。


個人の人生については陰陽のバランスの帳尻が死後の話に及ぶので仮説どまりです。ただ民族や国家の振り子については歴史を研究することで私達はその陰と陽を研究することができます。


その民族と国家の陰と陽の振り子の周期は、短いもので数十年。長いもので千年単位となります。
与える行為を行う民族は同時に与えられる因子を生じ蓄積させ、奪う行為を行う民族は同時に奪われる因子を生じ蓄積させます。


つづく



おひさま、ありがとうございます。


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日本人からの伝言。帝国主義のエッセンス。

明治政府は西洋列強の国の体制を全力で吸収していました。
日本人の柔らかな吸収力が全力で発揮された時代であったといえるかもしれません。
生活様式も、国家体制も、法律もみな西洋式に変更されました。
しかし国民からも大きな抵抗もなく、国中が好奇心をもって西洋化という目新しい文化を取り入れたといえます。


しかし文化の根幹であった先祖信仰や自然崇拝は何も変わることはありませんでした。
また日本語の言葉も文字の残りました。それどころか西洋の新しい概念を取り入れて、従来自分たちが使っていた漢字で新しい言葉をどんどん作り出していきました。
現在の中国人はほとんど気づいていませんが、彼らが使っている用語の7割は明治時代日本人が作った和製漢語であるという説もあります。
https://www.youtube.com/watch?v=IMUBw9Q52p0


新しい文化に接したときに、ものすごい勢いで吸収しながら、いつの間にか自分の独自の文化に昇華させて外の国に逆輸出してしまう柔軟性と創造性は、私が特に日本が大好きなところであります。
この記事は日本びいきによる日本びいきのための記事なのでご了承ください。



さて世界は帝国主義時代でした。
西洋諸国がそれ以外のアジア、アフリカ、オセアニア、南米の国々への植民地競争をしていた時代でした。
彼らがこんな極東まではるばる来たのは、この日本もまた植民地にするためだろう。うかうかしていたら他の国々のようにあっという間に日本も彼らの植民地になってしまう。そのように当時の明治政府は考えました。


植民地にされないためには、自分たちも彼らと同等の帝国にならなければならない。
そういって「富国強兵」を合言葉に日本を帝国とするべく、これまたものすごい勢いで帝国主義のエッセンス吸収していきます。


当時の日本がもっともおそれたのはロシアでした。
このままだと朝鮮はすぐにロシアの植民地になってしまうことでしょう。
日本人が学んだ帝国主義では、脅威の国と自国の間には緩衝地域を設けること。というのがあります。
つまりロシアの脅威から日本を守るためには、朝鮮半島を緩衝地域とする必要がありました。
この発想は当時の帝国主義の国防の観点では正しいのですが、ゆくゆく日本が滅ぶ一歩手前になる原因となります。



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