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安売りすることと与えることの考察。後編。


 与えるということにも強さが必要なんだ。このシリーズの結論であります。なんだそうだったのか。知らなかったよ。

 安売りをすること。もしそれが自分の甘えや弱さから来るのであれば、それは結局自分も相手も不幸になってしまう。

 与えること。これも短期的な視点で相手を甘やかしてしまう結果になるのなら、それもまた相手も自分も不幸になってしまうことです。



優しさと弱さは別のもの。正反対。

 これは優しさと強さは同じ事象のウラオモテであることを示しています。陰と陽。優しさと強さ。

 一見、優しさは弱さと混同されることがあります。自分が弱いだけなのに、自分は優しいと勘違いしてしまう。
 自分が自分に対して厳しくできないこと。相手に対してきちんとNOと言えないこと。この弱さを、自分が優しいからだ。と勘違いしてしまうこと。そういうこともあるかもしれません。



ハングリーさを失いつつある日本人たち。

 特に現代の日本社会はその傾向があるかもしれません。
 残念ながら日本人の生命力(ハングリーさ)は周囲の国々から比べるとかなり見劣りがするように思います。
 何でも与えられる環境で、人(我が子含む)にも厳しくできず、自分にも厳しくなれず。

 現在日本社会が蓄積されている因子を観察すると、日本人のハングリーさ(生命力の強さ)を試される逆境を自ら招きつつあるように思います。もし「強い優しさ」を持つ日本人の割合が増えれば、逆境の因子は薄まります。しかし「弱さを優しさと勘違いする人」の割合が、増えれば増えるほど、引き寄せている逆境はより厳しいものとなります。

 「自分の弱さが相手への優しさである」と勘違いしている人は、「無防備が日本の平和の道である」と勘違いしている人と同じ色に思えます。



母性が商売繁盛の基本である。ただし。

 母は強し。
 そして本当の母性(男女年齢を問わず)とは強さと厳しさという土台があってのことである。
 商売の成功には母性が必須条件であると思いますが、それは相応した強さと厳しさという覚悟も要求されることであります。

 なるほど〜。このシリーズ終わり。



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安売りすることと与えることの考察。中編。


 「与える」ということは人の最も大きな喜びの本質であります。
 生命の本質は自分と他者の区別はありません。から人に与えるという行為の本質は自分に与えるということ。そのものであります。

 ただしこの「与える」は、残念ながら相手を不幸にしてしまうケースがあります。それは相手の甘えと依存を醸造してしまう場合です。


私達は自分が思う以上のしたたかな生命力をもつ。

 人の生命力とは無限の可能性を持ちます。私達の生命力というのは、本来私達が思っているより、もっとしたたかで強いものであります。

 ただしその生命力を発揮させるには、スイッチが必要であります。そのスイッチとは「逆境」と呼ばれます。
 しかし人は、考えられるありとあらゆる逆境に耐えられる力をもっております。本来は。
 逆境こそが、私達の生命力をパワーアップさせてくれる鍵であります。

 そして私達がこの人生から離れる時、振り返って本当にこの人生は良い人生だった。と思える美しさ。その美しさとは、逆境をスイッチとして、自分の生命力が光った時期。これであります。
 そう、人生を振り返り、その時、自分の生命力が光り始めて入るのを改めて客観的に観た時、ああ、なんてキレイな光であるか。そのように感動することであろうと思います。

 生きている時は、逆境とは避けるべき不幸であると思っておりました。もちろん自分や家族が不幸にならないように注意深く生きることは大切です。
 でもそれでも避けきれず直面しなければならない逆境。しかしその逆境こそ、自分の人生が、本来の生命力を取り戻し、光始めたのでありました。

 本当に、生きている人生の舞台。オモテで見えることと、ウラの因子は真逆であります。
 私達は自分の人生を俯瞰する時に、改めてそれを発見することであろうと思います。



過保護は相手の生命力を奪う最強の環境。

 「与える」こと。これが行き過ぎると「過保護」になります。「過保護」は相手の生命力を衰えさせるもっとも効果的な方法です。

 小学校によっては「悪平等」の教育が行われているところがあるかもしれません。子供たちに競争させることは悪だという思想です。その「悪平等」は子供たちに「負ける免疫」「挫折の免疫」を得る機会を奪います。

 挫折の免疫がない子供たちが学校を卒業をして社会に出る。社会は甘くありません。
 「悪平等」「過保護」で、生命力が退化した子供にとって、いきなり厳しい社会に飛び込まさせることは、本当に気の毒です。



「与える」ことは、大切であります。ただしそれは「相手の依存心」を育てないバランスが必要であります。
「与える」のも母性ですが、「与えない」ことも母性であります。



 昨日の「安売りをすること」が必ずしもお客さんのためにならないということ。
 本日の「与えること」が必ずしも相手のためにならないということ。



明日に続きます。



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安売りすることと与えることの考察。前編。


 先日読者の方からご質問を頂きました。ご自宅の敷地を駐車場に貸している。与えるの視点からは、また更に値引きするべきであろうか。という内容でありました。

 これについて私は相場を調べて、相場以上には値下げはするべきではない。とお答えいたしました。きちんと駐車場を整備して店子に貸しているのであれば、それ相応の対価を頂くのが、結果的にお互いのためであると思ったからです。

 今回の読者の方とは直接関係ありませんが、値付けの方法については、私も常に思い悩むことであります。今回が値付けに関するメモをここに書き置きたいと思います。



値段とはプロ意識の証明書。

 自分で値段をつけるというのは難しいことであります。私も自分で会社を作って自分のサービスに値段をつけるときに、本当にこの値段で良いのか。と悩みました。

 「値段」というのは、自分はこれだけのプロである。という証明書であります。高い値段をつけるというのは勇気が必要なことです。
 それは自分に対して「プロ意識」がどこまでストイックか。という、自分自身に対する挑戦であるからです。ふうむ。

 「プロ意識の薄い人」「自分に甘い人」は高い値段を自分自身につけることができません。

 安い値段というのは、一見お客さんのためになるように見えます。しかしそれは「プロ意識の薄さと自分に対する甘さ」から来ている。そういうこともあるかもあるかもしれません。

 自分自身の「プロ意識の薄さと甘え」からの安い値段。これは不幸の始まりです。
 お客さんは、相手の自信のなさや甘えは空気で感じます。値段安いけれど、本当に大丈夫かな。という疑心を持つことでしょう。
 あるいは売り手の弱みに漬け込んで、さらに値引きを迫るかもしれません。買ったあとも「これも無料でやってよ」というタダ働きを要求するかもしれません。

 プロ意識の薄い甘えた人が、自分の仕事に安い値段をつける。高い値段をつけるほどには自分がストイックではないから。
 その安い値段。多くのお客はその自信のなさを見抜いて疑心を抱きます。なぜこんなに安いのに売れないんだろう。そういうことになります。

 あるいは自信のなさにつけこまれて、あれもこれもタダでやれ。そのように強い値引き交渉を受けるでしょう。
 おかしいな。自分の夢を仕事にしているはずなのに、何でタダ働きばかりなのだろう。

 「安い値段」は、往々にしてそのような不幸を招きます。なぜならその安い値段とは「自分はプロ意識は自信がない。そこまでストイックになれていない」という態度のあらわれであるからです。



プロとは自分に厳しくあるということ。

 自分の仕事にプロ意識を持つ人は、あえて自分の仕事の値段は高くします。そしてそれは自分自身へのストイックさとの戦いの宣言であります。
 ビジネスによっては、その値段のせいで最初はなかなかお客さんがつかないこともあるでしょう。しかしここが勝負の場所であります。大きな岩は転がりだすときが一番抵抗が大きいのです。

 もちろんどんなにプロフェッショナルな仕事であっても、市場のニーズから離れていれば、失敗に終わります。
 自分のビジネスに対する警告は、自分の生活の中でさまざまな経路で自分に伝えられます。謙虚であること。常に「自分は間違っていないだろうか」というニュートラルなアンテナは感度高くしておく必要があります。
 常に「最悪を想定する」ことは必要です。

 それでも自分の仕事に対するプロ意識とストイックさは常に最上のものを求め続ける必要があります。



戦略的な「低価格」ならこれもプロの仕事。

 世の中には「低価格」を武器に成功しているビジネスがあります。しかしそれは、それで「プロフェッショナル」なのでありました。

 まず「低価格」で供給できるには、次の2つの要素が必要です。
・従来に対して低価格で提供できるコロンブスのアイデア
・低価格と引き換えにお客さんにNOと言える強さ

 安売りで成功しているビジネスは、逆に無理なお客の要望に対してはきちんと「NO」と言えています。謙虚でありながらも「NO」と言えるのはプロの意識が高い証拠です。

 また安売りの場合もきちんとその理由があります。物流が画期的なのか、仕入れ方法が画期的なのか、製造方法が画期的なのか、販売方法が画期的なのか。いずれにせよ、どこかにコロンブスの卵という逆転の発想があります。
これがなくて、ただ弱い人にタダ働きさせて「低価格」を実現する。というのは、不幸の因子を積むだけであります。



つづく



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質素倹約について考察する。その6。


 今回の記事は、質素倹約について考える。にまた戻ります。ただいま〜。
 前回貯金とは、誰かに与えること。という視点の仮説を考えてみました。その誰かとは未来の自分も含みます。

 貯金は自分のものと思って貯めると重いです。執着も生まれることでしょう。重さとは執着の度合いの表現です。
 少なくともこの世を離れる時には、潔く全部置いていくものであります。貯金とか財産は。

 だから貯金は貯めた時点で、自分の手を離れたと考えるのが良い。そういう仮説です。
 困っている人に、母性の気持ちから分け与えるもの。それが貯金であります。その困っている人とは、将来老後の自分かもしれませんし、私の死後のヨメからもしれませんし、子供たちや縁者かもしれませんし、災害で困っている人達かもしれません。



貯めたいときは逆に与える。

 陰と陽の科学では、オモテに見えることとウラの因子は真逆であります。
 もし私達がお金を貯めようとした時、「これは与えるお金だ」と定義して貯めると、陰と陽のバランスが最初からとられていることになります。という仮説です。

 お金は欲しい欲しいという人からは去っていきます。
 自分のことより人に与えたい。そういう人のもとに集まっていきます。
 これは陰と陽の因子の考察からは当然であります。お金が去る因子というものがあります。お金が集まるという因子もあります。

 人は自分が望む因子を蓄積していくことで、自分の人生を自分の手で創っていくことができます。



 表面の出来事と、ウラで蓄積される因子は真逆なので、私達は人生に振り回されることが多い。そういう印象を持ちます。なぜ人生は自分のままにならないの?それは自分が望むのとは逆の人生の因子を蓄積しているからであります。



貧乏神が出て行く因子。

 私も小さい会社の経営者でありますから、資金繰りはいつも大きな悩みであります。自営業の方々の多くは同じ悩みを持っていることでありましょう。

 資金が足りない時、もうこのお金がないと会社が潰れてしまう。そのような切羽詰まった心理状態では、お金は更に去ってしまいます。貧乏神の心理状態であります。

 しかし全てを手放してゼロの状態。もう失うものは何もない。そういう心境の時は、そういって腹をくくった時は、貧乏神の因子が消滅するのでした。



失うものが何もない。人生で一番強い思い。

 これはお金に限らず、幸運と呼ばれるもの全般に通じることでしょう。全てを手放してゼロの状態。もう失うものは何もない。
 もちろん実際は今の生活でしょうが、ここで述べているのは心の中の覚悟です。全て手放すという腹のくくりによって、貧乏神の因子が消滅し、プラスの因子の蓄積が始まるのであります。

 オモテに見えることと、ウラの因子は真逆であります。
 手放す覚悟、ゼロの腹くくりによって、集まってくる、与えられる因子がゆっくり蓄積されるのでありました。



つづく



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質素倹約について考察する。その5。

この世を離れる時に(おそらく)思うこと。

 多くの私達は贅沢な暮らしに憧れます。楽をして贅沢に暮らせないか。そのように願います。
 しかし自分がこの人生を終えて、振り返って見た時、贅沢だった生活は幻でありました。なにわのことも夢のまた夢。

 そして自分の人生で本当に宝であるのは、人から「ありがとう」と喜ばれたことでありました。あの世の世界であっても、人から喜ばれたこと。これは質量をもつ実態なのであります。

 ということは本当かどうかはわかりません。死後の世界というのもあるのかどうかもわかりません。
 死んだら無になる。という人もおります。本当のことはわかりません。

 私も見えない世界のことは全くわかりません。ただ自分が何十年も生きてきた経験を、そのまま演繹するならば、きっとこの世を離れる時にそう思うだろう。そのように感じます。
 あんなに羨ましかった贅沢なことは浮世の夢。そして自分が忘れていたことでも、人から「ありがとう」と思われていたこと。人に与えてあげたこと。これこそが、本当に珠玉の宝でありました。そのように思います。



節約倹約の本質とは実は人に与えること?

 毎月月末にヨメと「質素節約会議」をすることにいたしました。そういう行為をしてみて改めて思います。来月倹約するお金の額。来月使えるお金の額。それらを決めていきます。
 節約というと「本当は欲しいものがあったのに。我慢する。」そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし節約の本質は違います。

 節約の本質とは「人に分けてあげる」であります。
 親は自分が満足に食べなくても、小さな我が子に食事を分け与えます。これが母性であり父性であり、親の心であります。
 その親は「自分が我慢して」とは思いません。子供が喜ぶのなら、子供が喜ぶ顔を見ることができるのなら、それがもう最大の喜びであります。



 「節約倹約」とは、自分の欲望を抑圧して禁欲してお金を残すことではありません。我慢することではありません。
 「節約倹約」とは、人に与えることであります。



 今の生活を質素にして、将来に備えて貯金する。老後の暮らしのために貯金する。
 その場合、今の私達は、将来の自分に「お金を与えている」ということになります。
 特に、平均寿命から推定すると、ヨメは私より10年は長生きすることでしょう。今の生活を質素倹約して貯金するとは、未来のヨメに与えている。ということになります。

 その貯金は我々の老後のために使われるとは限りません。もし親族や親しい人が本当に危機になった時に少しは援助ができるかもしれません。あるいは災害があった地域への支援に少しはお役に立てるかもしれません。

 この貯金は、将来誰を助けるかわかりませんが、誰かを助ける。このことは確実です。



 つまり私達は今の生活の中で、いろいろ工夫して、お金を少しずつでも貯金する。それは未来の誰かに与えている行為なのであります。最近の私の発見でありました。

 自分の欲望を抑圧する倹約ならば長くは続かないでしょう。心の底では「贅沢がしたいのに、お金がなくて叶わない」そのように思っていると、節約倹約はなかなか難しいかもしれません。

 しかし誰だって、人が喜ぶ顔を見ると喜んで与えたくなります。
 私達の日々の生活の質素倹約というのも本質は同じであります。

 貯金をするというのは、未来の誰か、本当に助けを必要としている誰かに与える行為なのであります。



ケチケチでも執着すると重い。

 人によってはケチケチ生活をして、大金貯金が趣味の人もいるかもしれません。人は信じられない。信用できるのはお金だけだ。
 しかし残念ながら、こういう人も、最後は後悔の思いを見出すことでしょう。
 なぜなら、貯金したお金は、自分のものであって、自分のものではないからです。

 ケチケチ生活。これは人に与えるためのケチケチなら良いです。
 しかし自分の貯金に執着するためのケチケチであるならば辛いことです。なぜなら溜め込んだ貯金は、いずれは手放さなければならないからです。少なくとも死んだあの世には、持っていけません。



貯金の時点(与えた時点)で、それは自分のものであって自分のものではない。

 自分の貯金は、自分のものであって、自分のものではありません。
 大切に運用する。騙されて失わないように最大限の誠意をもって管理する義務はあります。私達は自分たちの貯金に対して、そのような義務があります。
 しかしその貯金は、すでに自分の手を離れたものでもあります。自分や親族や縁者を守るための貯金であります。
 この貯金は、老後の自分たちの生活を守るかもしれません。私が死んだあとのヨメの生活を守るかもしれません。あるいはその他。困窮する親族縁者に少しでも援助ができるように。そのように使われるかもしれません。

 貯金とは貯めた時点で与えたと同じである。のかもしれません。未来の自分に与えた。未来の親族縁者に与えた。
 だからこそ知恵をしぼってやりくりして、節約倹約する行為は「与える行為」なのであります。



つづく



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質素倹約について考察する。その4。


私達にはお金を大切に守る義務がある。

 毎日の労働で「どうもありがとう」という気持ちで貰える給料。これは本当に貴重なものです。これは自分と家族を守ります。ですから 私達もこのお金は大切に守らなければなりません。

 ただし、大切に守るといっても、執着するのとは違います。
 またこのお金を元手に、一攫千金を狙いにいくのももっと違います。

 世の中には詐欺話も多いです。いつも最悪を想定して、大切なお金を失わないようにする注意が必要です。
 またタンス預金は災害があった時に無くなってしまう可能性が大きいです。大切なお金は利息が低くても、きちんと銀行に預けるなどの配慮は必要かと思います。



そのうえで執着しないこと。

 ただ自分が最善を尽くして注意しても、大切な虎の子を失うことも、人生においては起きうるでしょう。そういう場合は「仕方ない」とすっぱり諦めることも大切であろうと思います。

 もともとあの世にはもっていけないものです。お金とはいつかは手放すものです。最大限の注意を払っても、失うものはもう「仕方ない」ことであります。

 本来お金に執着しないことは大切でありますが、その大前提が、最大限の注意をもって「守る」という行為があったればこそ。であります。実は「執着しない」という想いは「最大限大切にする」という行為とペアなのでありました。
 人生の達人とは、最終的には生に執着しない心境でありましょう。ただしそれは、この社会の一員を生ききった行動を通してのみ、自然と生まれるものであります。これと同じであります。



因子は消えることがないから。

 もともとあの虎の子貯金の本質は、社会からの「どうもありがとう」という気持ちが具現化したものでありました。その具現化したお金という表面的な形が、消えたとしても、その因子は消えることはありません。
 それは陰陽の科学であります。陰と陽は同時に生成される。片方は目に見える事象として、片方は目に見えない因子として。
 社会に対して労働する。社会に与える。その労働という表面事象は同時に、今度は自分が社会から与えられる。守られるという因子を生み出します。これが給料の本質であります。

 このため私達の労働の対価の給料が、自分や家族を守ってくれる。「労働と給料」これに対して、そのような見方ができます。
 そしてこの見方がユニークな点は、表面のお金の執着。この見方も変えてくれることであります。

 たとえ表面上のお金が消えたとしても、「どうもありがとう」という因子は消えずに残っております。したがって、その因子は「お金」という目に見える形ではありませんが、「幸運」という目に見えない形で、自分や家族を守ってくれます。

 自分が社会に労働という形であたえ、相手から「どうもありがとう」とう気持ちを受け取ったならば、それはその因子を使い切るまでは、残るのでありました。

 ただし自分が不注意で甘くて虎の子を失った場合。この場合は「どうもありがとう」の因子も大部分は消えてしまいます。私達は生きている限りは、生活の中の些細な警告に注意を払う義務があります。
 周囲の人が注意してくれていたのに、自分でもちょっとおかしいかなと思っていたのに。そういう中で、自分の甘さで失ったもの。それは帳尻があってしまいます。相手からの「どうもありがとう」因子も、自分の油断と甘さで帳消しになってしまいます。



つづく



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質素倹約について考察する。その3。

今月も働いてくれてありがとう。

 わたしのまるぞう株式会社も毎月の給料日。社員のみなさんに給料が支払われます。
 Aさん、今月もありがとうございました。Bさん、今月もありがとう。
 その「どうもありがとう」という気持ちが、給料=お金という形で、Aさんとその家族。Bさんとその家族を守ります。

 うちの会社の毎月の売上げ。これも「まるぞう株式会社さん、ありがとう。」というお客さまの気持ちが、お金という形になって、我々の口座に振り込まれます。お客さまのその気持ちが、うちの会社を守ります。

 みなさんが、社会から貰う給料。これは社会からみなさんに「今月もどうもありがとう。助かりました。」という気持ちであります。
 この社会からの「ありがとう」という気持ちが、みなさんとみなさんの家族を守ります。

 そのお金で、安全な清潔な場所を住まいとすることができます。そのお金で、健康的な食事を摂ることができます。そのお金で、親しい人と思い出を共有することができます。



世の中には恨みがまとわりついたお金もある。

 しかしこの社会の仕組み。正反対のこともあります。相手から感謝されずに、逆に恨みの感情をつけたまま、お金を受け取ることもできます。

 畜生。騙された。そういう恨みの感情で。しかし世の中は騙された方が悪い。世の中そういう面もあります。不承不承、心の中で泣きながら、お金を払うこともあります。そうして稼いだお金。そうして受け取った恨みの感情であります。



 相手から感謝される「どうもありがとう」という感情。これはその人を守ります。しかし「畜生。騙された。」そういう恨みの感情。これはその人を損なって行きます。



 真面目な庶民ほど尊い。陰日向無く、見かけの損得に関係なく、自分の仕事で、自分や家族を地道に養える人。これが一番尊い。なぜならば、その人が稼ぐお金は、社会から「どうもありがとう」という、感謝の気持ちのお金だからです。
 お金の金額は決して多くはないかもしれませんが、どうもありがとう純度が高い給料でありますから。
 その感謝の気持ちは、御本人と家族を守ります。

 逆に「悔しい」感情がべったりこびりついているお金。銀行通帳のゼロの数は多いかもしれません。しかしそんなお金は、本人とその家族をゆっくりゆっくり蝕んでいきます。



お金を支払った人の感情。それはお金についてくる。

 多くの人はお金には色がないといいます。良いお金も悪いお金も同じだといいます。しかし本当は違います。お金に色があります。感謝の色のお金もあれば、恨みの色のお金もある。
 恨みの色の大金を稼いでいる人は、観えていないゆえに。。。恐ろしいことです。

 株で稼ぐのはどうでしょう。
 自分が応援したい会社に、その応援の気持ちとしてその会社の株を買うことは良いことです。儲からないかもしれないけれど、10年20年スパンで持ち続ける。そういう応援の心の株は良いことです。
 その会社の事業が成功した時、配当として報われます。
 「うちの会社を応援してくれてどうもありがとう。おかげさまで成功することができました。」
 そのように感謝の気持ちが、配当というお金で配られます。そのお金は良いお金です。あなたや家族子孫を守ることでしょう。



 しかし株を短期で売買して儲けを出す。このお金は怖いお金です。株の売買は、まず証券会社が手数料を取ります。そして残ったお金を半分個。負けた人から巻き上げて、買った人に渡す。そういう仕組です。

 株で儲けた人のお金。それはどこから来るのでしょう。だれかが「あなた、どうもありがとう」そういってくれるのですか?ちがいます。負けた人達の「畜生」というお金。その負けた人達のお金を巻き上げて、証券会社が手数料を取った残りを、一部の勝った人に配るのです。

 株の短期相場で勝負する人。その人の大半は、お金を巻き上げられます。畜生あの時売って、あの時買ってりゃ。その後悔と恨みの気持ち。大切な財産をつぎ込んで溶かしてしまった。家族の恨み。そういうった負の因子がついたお金を、みんなで我先に奪い取ろうとする世界。怖い怖い。



なぜ宝くじを当てた人は不幸になるのか。

 宝くじで大金を得た人。そのあと不幸になる人が圧倒的に多い。そのような調査があります。
 宝くじの賞金。もしお金の色が観えるなら、それは魑魅魍魎の因子の塊であることでしょう。楽して儲けたい。楽して儲けたい。俺が欲しかったそのお金。お前が持っているのか。羨ましい。恨めしい。
 そういう魑魅魍魎の因子。それが何億円分も凝縮されて、本人の口座に振り込まれるのです。

 何十万円かのありがとう。という気持ちの、毎月の給料のお金とは、同じお金であって、同じものではありません。



犯罪で奪ったお金にまとわりつく負の因子。

 株相場でも宝くじでも、私は好みませんが合法です。一番怖いのは犯罪を犯して得たお金です。
 悪銭身にづかず。これはそのとおりでありましょう。犯罪を犯して得たお金。これは本人または家族を大きく傷つけることでしょう。お金としては普通にものを買うことができます。しかし彼がそのお金と同時にしまいこんでしまった負の因子。

 場合によっては彼の命の危機にもなるかもしれません。本能的に、身を守るために彼はそのお金を手放すことも多いでしょう。無駄遣い。散財して、なるべく身体から離したい。それが彼の無意識の生存本能なのかもしれません。
 悪銭身につかず。それは彼が自分を守るための結果でありました。

 ただそのお金を手放したからといって、彼の負の因子が昇華されるわけではありません。少なくとも最低でも社会において正当な裁きを受けなければ。逃げ得のうちは、彼はその負の因子からは逃げられません。



 世の中には、せっかく稼いだ大金を、無駄遣いして生きているように見える人がたまにおります。その人は、ひょっとしたら、そのお金にまとわりついた負の因子を、本能的に払い除けたい。そのように感じているのかもしれません。

 「今月もどうもありがとう。」正当な仕事で汗をかいて稼いだ給料。それは尊いお金です。御本人と家族を守ります。



つづく



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質素倹約について考察する。その2。

抑圧すればリバウンドが起きる。

 質素倹約とは食事のダイエットに似ているかもしれません。
 江戸時代の観相(人相を観る人)の大家、南北先生も「素食と少食が開運の極意」とおっしゃっていることにも通じます。

 しかしダイエットといって、無理に食事の制限を行うと、リバウンドといってその跳ね返りが起きてしまいます。
 なぜリバウンドが起きるのか。いろいろなパターンがあるでしょうが、私が思うのは、それは本人の心の乾きが満たされていないから。そのようなこともあると思います。

 身体が必要とする以上に高いカロリーの食事を摂りたくなる理由。それはその時だけ、心の乾きが一瞬癒されたように脳が感じるから。
 しかし、抑圧我慢をすればするほど、心の乾きは「満たされない〜」と叫び、そしてそれがある一定以上を超えた時に、リバウンドが起きる。陰陽の振り子のように。そういうケースもあることでしょう。

 従って、ダイエットに大切なことは、自分の中の心の乾きにじっと向き合う。自分が満たされていないものの正体を、意識下に押さえてあったその正体を、静かに見つめる。そういうことかもしれません。



人生で本当に必要なものはとても少ない。

 質素倹約もダイエットに似ています。買いたいものを我慢する。そういう我慢であれば、それはどこかに歪を持ちます。
 本当はあれも欲しい、これも欲しい。でもお金を貯めるために倹約倹約。そういう我慢。そういう我慢の蓄積は、ある一定基準を超えるとリバウンドします。

・毎日温かいお風呂に入れること。
・毎晩清潔な布団で眠れること。
・親しい人達と「美味しいね」と感謝して御飯を食べられること。

 私が人生で幸せと感じる3つの要素です。個人的な主観です。そしてこの3つ以上の贅沢は、あれば嬉しいですが、なくても全く構いません。

 もちろん清潔な身だしなみは必要です。周囲の人が不愉快に思わないように。現代日本社会においては、身だしなみの清潔さにきちんとお金を払うことも必要です。
 たとえば高い革靴じゃなくても、毎朝履く前には磨く。ワイシャツはきちんとアイロンをかけておく。帰宅後スーツをハンガーにかけるときは、起毛ブラシをかける。ビジネスマンなら必要な服装のエチケットであります。
 しかしそれ以上の贅沢は、なくても全然構わない。


物欲が薄くなってきている現代日本人。

 今日本経済はデフレだといいます。日銀がいくらお金を刷っても、個人消費が全然上がりません。もちろんそれは消費増税や、今後の年金不安など、財政政策での理由もあることでしょう。
 ただ私が感じるのは、日本人全体が、物欲が枯れてきた。ということです。「給料が安いので欲しいものを我慢している」という面はもちろんあるでしょうが、「そもそもそこまで欲しいものがない」という空気。それが日本社会を静かに覆っているように思います。
 人に見栄をはって、人と張り合って、高価なものを手に入れたい。そのような欲求が枯れてきた。そのように思うのです。


 かつて、多くの日本人は「ステータス」と呼ばれるものを購入して手に入れることが人生の喜びでありました。しかし今は、「自分の人生で余計なものを削ぎ落とす」「自分一人が独占するのではなく、人と共有する。人に与える。」こういう行為が自分の人生の喜びである。
 そんな日本は世界に先駆けてそういう時代に入った。そのように思います。



 さて明日は、質素倹約が出来ないもう一つのパターンを考察してみたいと思います。
 それは、厄落としのために、無駄遣いせざるを得ないパターン。溜め込むと寿命が縮まる。全然羨ましくないお金持ちについて。



つづく



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質素倹約について考察する。その1。

質素倹約こそが、人生幸せの土台である。

 お恥ずかしいことに我が家にはほとんど貯金がないのです。老後に備えて貯金をする必要がる。遅まきながら、私はヨメに任せていた家計簿を一緒に見るようにしました。

 月1回、給料日直後の週末は、二人で次月の予算を組みます。
 なかなか家ではお互い忙しいので、その時は、朝から近所のファストフードの店で100円コーヒーを飲みながら、頭を突き合わせることにしました。

 私は生来ケチな性分でありますが、経営者として社会でいろいろな経験をしていくと、やはり、日頃の生活で、質素であることが重要である。いかに固定費を抑えて生活できるかが重要である。そのように思います。

 老子先生は、質素倹約が幸運の鍵であると仰っておりますが、誠にその通りであると思います。


本当の幸せはお金はかからない。(個人の感想です)

 私の個人的な幸福感でありますが、毎日温かいお風呂にはいれて、清潔な布団で眠ることができて、時々は、親しい人と「美味しいね」と感謝して食事をすることができる。もうこれだけで、私の人生は幸せであります。

 そしてそれ以外のお金は、なくても良い。とさえ思っております。

 だって、私は自分一人では美味しいものを食べても、ちっとも楽しくはありません。それは人によるでしょうが。やはり他の人の「美味しいね」と言う顔が最高のご馳走であります。

 でありますから、週末など私が一人暮らしとなる日は、トマトソースを大量に作っておき、数日はそのソースで暮らします。キャベツの千切りや、豆腐や納豆など。単価が安くて身体に良いもの。そのような食事が私の身体に合っております。



軽量化こそ最大の「正義」という設計者マインド。

 私が工学部出身であることは先日ちらっとお話いたしました。自動車にしろ飛行機にしろロケットにしろ、いかに軽量化するかが、もう本当にそれが設計の一番の要であります。

 アメリカ人などの考えは、大きなエンジンにすればいい。たくさんエンジンを増やせばいい。そのような考えですが、そうなると全体重量も増えてしまいます。

 日本人は、コンパクトが得意。というか軽量化という職人ワザが得意であります。

 もうね。何百トンもの総重量でも部品を1グラム単位で削っていく。その知恵が創造性なのです。
 日本の軽自動車のように、衝突安全基準を確保しながら、しかし車重を軽くする。など本当に日本人の職人技術の真骨頂であります。(話すとまた長くなるのでやめておきます。)



設計者の創造とは。時間とお金の制約あったればこそ。

 自動車でも飛行機でもロケットでも。とにかく「軽量化」が最も重要であります。軽量でさえあれば、燃費も良くなるし、操縦性も高まります。良いことづくめです。

 しかし各部品からその1グラム1グラムを削るのは、本当に至難のワザなのです。もちろん高価な材料を惜しげもなく投入すれば、それなりに軽量化になりますが、予算も大きな縛りであります。そうそう使えるワザではありません。

 設計者の仕事とは、開発期間と予算という2大縛りの中で、どれだけ性能の良いものを創り出すか。という仕事であります。

 そしてこれこそが「創造」の典型パターンであります。本当の「創造」とは、厳しい制約の中で、どれほど「生み出せるか」「生き残れるか」なのであります。



根源の創造爆発を考えてみる。

 はるかはるか昔の太古。宇宙に時間も空間もなかった時代。根源の爆発によってこの宇宙が誕生したと言われます。
 この宇宙に「創造の連鎖」が生まれた瞬間でありました。

 私達生き物はみなその「創造の連鎖」を体現しています。限られた厳しい環境の中で、「如何に生き抜くか」「如何に自分の彩り遺伝子を次世代に残すか」。弱肉強食、生存競争と呼ばれる世界ではありますが、それが「創造の連鎖」であります。



主婦の家事の倹約の中に宇宙創造が凝縮されている。

 私達の社会の営みもすべて「創造の連鎖」であります。家事育児もまた、時間と予算の戦いであります。一日にやらなければならない仕事は山ほどある。使える予算も限界がある。
 時間とお金をやりくりする。やりくりやりくり。この毎日のやりくりこそ「宇宙の創造」そのものであります。



 話は飛んでいるように思われるかもしれませんが、私には同じに思えます。マクロ(極大)とミクロ(極小)は同じです。
 宇宙は大小さまざまの同じパターンの、無限の組み合わせで成り立っています。フラクタル。

 主婦の毎日のやりくりの中に宇宙の「創造」のエッセンスが凝縮しています。



 だからこそ。であります。節約=創造。なのであります。
 質素倹約な生活=軽量な人生=宇宙の創造の知恵の集大成。



一人ひとりが芸術家。自分が生きた人生という芸術作品。

 多くの人は贅沢な生活に憧れます。しかし宇宙の創造の視点では、贅沢な生活などは一瞬であります。
 しかし自分の生活の制限の中で、やりくりしながら、自分が生き抜く。家族を養う。これはもう「宇宙の創造そのもの」であります。

 寿命が来てこの世界を去る時、誰しも自分の人生という芸術作品を俯瞰して観ることになるでしょう。
 創造性に富んでいればいるほど、その芸術作品はキラキラ輝いています。
 その芸術作品(自分が生きてきた人生)は、人から褒められるかどうかは関係ありません。自分自身が納得できたかどうか。もうそれだけであります。

 自分の人生で贅沢できた瞬間などは、全然美しくなかったことがわかります。
 それよりはやりくりしながら頑張っていた生活。もうこれこそが、本当に美しい造形であることを知ります。
 そして自分が我慢しても、誰かを喜ばせた。自分は質素倹約した分、誰かを喜ばせた。もうその部分は、本当に、七色黄金に輝いております。

 生きていた時は本当に大変だったけど、頑張って生きて良かったわ〜。と心から満足できる瞬間であります。



つづく



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さかさ言葉。

 いつの頃からか、私は自分の心に浮かぶことと正反対の言葉を口に出すようになっておりました。さかさ言葉。


 「今度これ買おうと思うんだけどさ」
 友人がそのような話題をふってきます。なにそれ、ダサいよ。高いよ。そんなもの買うなら○○にしときなよ。
 私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
 「それいいじゃん。よく見つけたね。」
 「へへへ〜」



 「今度ここに旅行しようと思うんだけどさ」
 友人がそのような話題をふってきます。なにそれ。わざわざこの時期そんなところに行く。遠いじゃん。つまんないよ。そんなとこ行くぐらいなら○○に行けばいいじゃん。
 私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「そこいいじゃん。確か○○が美味しんだよね。」
「そうなんだよ。へへへ〜」



 「まるぞう社長の指示が甘いからこんなことになるんです。なぜ事前にきちんと伝えてくれないんですか。」
 トラブル案件です。部下が私に苦情です。いやいやちゃんと言ったから。それはあなたが理解してなかったんでしょ。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
 「う〜む。すみません。確かにきちんと伝わってなかったかもしれない。今度からはもうちょっと丁寧に伝えるようにするよ。すみません。」
 「はい。」



なぜ私は人から信用されないのか。

 いつの頃からでしょうか。私は自分の心が思うこととは正反対180度逆の言葉を口にするようにしました。
 それは意識して180度逆の言葉を口にするようにしている。ということです。

 私はいつも口で失敗していました。それは何でもかんでも口を挟んで、自分の意見を通そうとしていたからでした。
 それはきっと自分の中に、満たされないものがたくさんたくさん詰まっていたからだと思います。もうその満たされない思いが爆発しそうで、自分の中で抑えきれなかった。そういう衝動でありました。



 小さいながらも会社の経営の真似事の立場。その立場の中で私は自分の信用のなさという壁にぶち当たっていました。
 私は人から信用されるという能力において、絶望的に欠落していたのでありました。
 小さい会社でありますから、社長=営業マンです。しかし人から信用されない私の人間性。これではとてもお客さんからうちの商品を買ってもらうことはできません。
 それどころか社員やパートナーの人達に仕事を依頼することもできません。

 会社の業績がジリ貧になっていく。お客さんからのクレームが山積みになっていく。どうしたら私は信用される人間になれるのだろう。
 そんな状況の中、私はだんだん「自分の心と180度逆のことを言う」というようになっていったのでした。



反射的な言葉を一旦止める。そしてさかさ言葉を口にする。

 不思議なことです。相手の言葉から反射的に浮かぶ私の言葉は一度止める。そしてその言葉と180度逆の言葉を発する。そういうサイクルを通して、私はだんだんと人から信用を得られる。そういう役割ができるようになってきたのでした。
 できるならこのことを、もう10年前、20年前の自分に教えて上げたいです。
 あんたは、思ったことをそのまま口にするから駄目なんだ。一呼吸おいて、180度正反対のことを言ってごらん。と。

 180度正反対のことを言おう。そうなって来ると自然と私は寡黙になって行きました。
 以前の自分は本当に良く喋っていました。それは自分の中の満たされない思いで爆発しそうな身体でありましたから。常に人に喋りかけていました。
 しかし心の中の言葉を一呼吸置く。正反対の言葉を発する。そうなると私から話をすることも激減していきました。
相手の言葉に対して「へえ、そうなんですか」「いいですねえ」「おもしろそうです」そのような肯定の言葉の他は、静かに沈黙している。
 気がつくと自分自身がそのような人間になっていました。ふうむ。



 これは全ての人にお勧めしているわけではありません。
 心の中に浮かんだことを、相手にきちんと伝えることが重要な人もたくさんおります。自分の心を抑圧して正反対の言葉を言え。という意味ではありません。
 人にはそれぞれ人生の季節があります。上着を脱いだ方が良い夏の季節の人もおります。防寒具を着込んだ方が良い冬の季節の人もおります。



自我の満たされない反射言葉の正反対の言葉。

 私が心に浮かんだことの正反対の言葉。さかさ言葉。これを口にするようになって、改めて思います。
私が口にしてた言葉。これの大半は口にしなくても良いことでした。だって正反対の言葉を言った方が、信頼されるようになるのだから。
 満たされない自分。自分を認めて認めて。私の言葉はそういう言葉でした。だから正反対の言葉が重要なのでした。
「私を認めて」という言葉のさかさ言葉。「あなたを認める」。ふうむ。



 さかさ言葉とは、私の自我のさかさ言葉でありました。私の心の奥の本当の心の言葉でありました。
 私の心の奥の自分は、自分と他者との区別がありません。
 相手を批判したいのは、私の表層の自我でありました。相手を批判して結局は自我を認めて。という衝動にしか過ぎませんでした。
 しかし心の奥の自分は、他者との区別がありません。他者を肯定する時、それは私自身を肯定することでありました。



 ヨメが美容院で髪型を変えて来ました。
 私の表面の自我は反射します。「なんだその髪型。なんでそんな髪型に○千円もかかるんだよ。勿体ない。」
 しかし私は、自分の脊髄反射を抑えます。自分の満たされない自我の反射とは正反対の言葉を発します。
 「なんかモダンな感じだね。よい美容師さんじゃない?わざわざ行った甲斐があったね。」

 そのさかさ言葉を言い終わる頃、私は本当にそのヨメの髪型はヨメに似合っているんじゃないかな。と思い出しています。
 こんなに喜ぶ顔をヨメが見せるのであれば、その金額は全然高くないじゃない。そのようにもう思っています。
最初はさかさ言葉と思っていますが、言葉が終わることには、私の心の奥底の本当の言葉である。それに気がつくのでした。
(上記の会話はさかさ言葉のサンプルです。この会話に内容にくいつく方は、逆に旦那さんにさかさ言葉を試してみてはいかがでしょう。)



 表面の自我が反射的に出す言葉。のさかさ言葉こそが、自分の心の奥底の言葉。自分と他者の区別がない心の言葉なのでありました。
 表面自我のさかさまの言葉とは、相手を肯定する言葉でした。相手と心を共有する言葉でした。



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口論議論がなくなる理由。補足。




今日も個人的な私的メモを備忘のために書いて置かせて頂きます。
陰陽の科学(陰陽道)では、プラスの因子とマイナスの因子は、必ず同量同時に生まれると教えてくれます。ですから私たちが人に対する行為も、必ず陰と陽の因子として同時に創られております。

ですからやはり、私が他者にした行為は、必ず同量だけ自分に返ってくる。これが陰陽の科学の一面であります。陰陽の科学とは、文字通り科学の法則でありますが、同時に人生の生き方の知恵でもあります。



宗教によっては、死後天国や地獄に行くという教えもありますし、次回生まれ変わる境遇で帳尻があうという教えもあります。

幸運な人は、生きている期間で、自分が他者に発したマイナスの帳尻を、昇華するチャンスに恵まれるかもしれませんが、不運な人は、自分の人生が終わって、もう取り返しのつかないタイムアウトのあと、自分が他人にしたマイナスの帳尻を合わせられるかもしれません。

ただ死後のことなんて、科学的に解明されていない要素ですので、どう感じるかは、非常に個人的な心の内面の話であります。ひょっとしたら死後の世界の帳尻なんてものはなく、人を傷つけたり泣かせても、この世の中で奪ったもの勝ちなのかもしれません。

ただ私達日本人の感性からは、多くの人は、自分の良心=お天道様だけは、決して騙すことはできない。そのように漠然ではありながら、自分の良心に従って生きようと思っている人が大多数ではないかと思います。




さて、人と口論議論をするときに、一番怖いのは、自分が誤解のまま相手を傷つけたりすることです。自分が知らないうちに、自分がつまらないプライドにひっかかっていたり、過去の傷を他の人に投射したりして、またも他人を攻撃し傷つけることであります。

だから他人と意見が異なっても、その場で論破することはしないということは、ためらわれるようになっていくかもしれません。うむ。そしてそれとは逆に、相手のそのカチンと来る意見こそ、今自分が、誰かに対して道を踏み外そうとしているよ。という警告の可能性を、自分の心の中で充分検証する必要があるそのような仮説も浮かびます。




しかし、この社会で生きていくということは、どうしても理不尽に自分にひどくあたって来る人もいるかもしれません。他の人はうまくやっているのに、私にだけに意地悪くきつくあたってくる人もいるかもしれません。

もしそれが、金銭のからむ契約に関することや、暴力や犯罪行為であるなら、当然折れることなく毅然と対応するべきであります。が、

もしそれが、家族や親しい友人そして同じ職場での人間関係の出来事であるならば、やはりそれは8割は自分に問題があるという警告である。私の人生の経験ではそうでありました。個人的な経験値です。普遍性はないことでありましょうが。

ただし2割については、相手側に問題がある。そういうこともあるでしょう。でもその時でも問題はないのでした。もし私自身が、自分自身に厳しく、相手に対しては謙虚で素直な態度を維持していれば。自分自身が素直な鏡でありますから。



それは陰陽の科学で導き出された結論であります。

もし本当に相手が非道い人であるならば、相手の発した贈り物は、私に届くことなく、ご本人に戻るからであります。鏡であれば。
私が自分自身に厳しく、相手に謙虚で素直であること。素直であるということは、鏡の純度が高いということであります。

相手に仕返ししてやろうと自分の心の中で思い出すと、自分の鏡の純度は一気に曇ります。ですからこの2割の鏡のことは、あまりこういう場所には書かない方がいいかもしれません。

相手を恨み、仕返ししてやりたい。という人ほど、鏡で贈り物を返すことはできにくくなります。自分でその相手からの「敵意」という贈り物を受け取って開けてしまうからです。

大切なのは、自分に厳しく、相手に謙虚で素直なことであることでありますが、そういう人は、もう「相手に仕返ししたい」とは思わないです。



陰陽の科学(陰陽道)は、プラスとマイナスが同じ量だけ同時に生まれることを私達に教えてくれます。その視点で人生自分に起きることを見ると、見えることと見えないことが見事に一致します。



 ありがとうございます。





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口論議論がなくなる理由。後編。



「口論や議論になる時は、相手が正しい」
という仮説の裏には
「自分が正しい場合は、口論や議論にならない」
という事象が観察されます。

自分が正しい場合は、自分の主張を表現することで相手から共感が得られるからでありますが、そうならない場合は、それは自分が間違っている。私個人の経験ではその仮説が正しいと自分自身で自戒しています。

そもそも、私達は自分たちが思っているほどには、人と口論や議論をすることは少ないのであります。昨日はその事象を2つ考察してみました。

事象1:そもそも個人の好みや生き方の信条は、人それぞれ違っているものであるから、とやかく相手に干渉することではない。

事象2:相手が自分を否定するカチンと来る意見は、多分重要な警告が含まれているので、その場では反論せず2日は自分の中で熟成させる。



人が議論や口論をする可能性がる場合は、相手が自分を誤解していて、それを正そうとするケースがあるかもしれません。

「それはだから誤解だって」

「いや、違う、お前は昔からそういう奴だ」

こういうやり取りもあるかもしれません。
ただし私の経験では、人が自分を誤解する場合、その誤解を相手に解くのは期待することはまず出来ないということです。

もちろん事実だけは淡々と説明する必要はあります。何が起こっていたのかという事実は。しかしそれでも相手が自分を誤解しているのであれば、それはもう黙って甘んじて受けるのが一番早道であります。

そもそも人が私を誤解するということは、それまでの付き合いでいろいろ感情的に私に思うところがあったのが土壌としてあるのでした。
今回相手が「誤解している」というのは、単純に相手の不信感が一気に爆発した表面的なきっかけの事実一つに過ぎません。

人が誰かを誤解するというのは、本当はとても根が深い感情的な不信感の蓄積であります。

だから、事実を淡々と説明したのち、それでも相手が自分への誤解や不信感を持ち続けるのであれば、それはもう黙って真正面から受け切るのが、昇華に対する一番早い方法であります。私の経験則上。

事象3:相手が誤解している場合、1度だけ淡々と事実は述べことはあっても、言い訳はしない。相手の不信感は言い訳せず黙って受け切る。



言い訳をしないで黙って受け切るというのは、日本神話のスサノオの態度に似ているように思います。日本人が昔から潔しとしている生き方です。
そもそも誤解を受けて言い訳をしなければならないという点で、もうそれは自分が負けなのです。



私は若い頃は本当に傲慢で人からの信用を得られない人間でありました。
「他の人が言うなら信じられるが、まるぞうが言うことなら同じ内容でも信じられない」
サラリーマン時代は、何人もの上司にそう言われておりました。

大会社のサラリーマンを辞め、自分で小さな会社を経営するに至り、人から信用されないことは、本当に致命的であることが身に染みました。そしてどうやれば、人から信用を受けられるか、生まれて初めて努力しました。そして10年たち、ようやく他の人と同じくらいには、信用を頂けるぐらいにはもって行けるようになったでしょうか。

人から信用を受ける方針として、

1,時間は必ず守る
2,きちんとした服装をする

まず私が全くできていないこの2点を直すようにしました。
時間を守らないというのはもう社会人として言語道断でありますが、かつての私は、遅刻しても当然という意識で仕事していました。
また服装についても高い服である必要はありませんが、人から信用を受けるという服装があるのです。
社外の人と会う時は、紺系のスーツと白系のワイシャツ落ち着いたネクタイ。そして靴だけはきちんと磨く。こんなことだ重要だなんて気がつくのに、随分遠回りしました。
多分忠告してくれた人はいたと思いますが、傲慢な私は、自分の言い訳だけ主張して、聞く耳はもたなかったことでしょう。

3,人の悪口は言わない
4,自分の言い訳はしない

これは自分にとっては、厳しい掟でありますが、自分が人から信用を失う一番の原因が、どうもこの2つであるらしいのです。
会社の資金繰りのため、結局回り回って人から信用されるためには、どうしても必要な条件でありました。

5,関係者に一言、仁義をきる

私はホウレンソウ(報告連絡相談)が全く苦手でありました。しかしそれはやはり私がバカチンであった証拠であります。
最終的にその人が信頼されるかどうかの決めては、きちんと周囲の人に事前に筋を通しておくということでした。

これは最悪事態を想定し事前に備える。という考え方と同じです。関係している人には、手を抜かず、事前に一言。この一言だけという行為が、本当に将来のリスクをぐっと激減させてくれます。

こんなアタリマエのことがわかるのに、私は本当にバカチンの回り道をずっとしてきておりました。

事象4:自分が正しい場合は口論や議論にならない。ためには日頃から自分が信頼される人間になろうとする努力が土台。



さて「議論になる時は自分が間違っている」という仮説について、個人的な人生論の考察をしてきましたが、一つだけ重要なことがあります。

それは、会社の事業ビジネスに関わることと、犯罪や暴力に関係するこについては、これらは必ずしも当てはまらないということです。

ビジネスの契約上では、誤解されたまま黙っていることが美徳とはなりません。
また暴力者や犯罪者相手では、きちんと身を守る努力が何より優先されます。
1,暴力や犯罪に巻き込まれない事前の想定。
2,それでも、そばに暴力や犯罪近づいた場合は、逃げる。距離を置く。
3,それでも、やむを得なく暴力や犯罪に巻き込まれたら、警察や法律の専門家にすぐ相談する。

彼らに対しては、議論や口論の美学は通じません。


事象5:ビジネスや商売の契約についてはきちんとビジネスライクに筋を通すこと。暴力や犯罪については、警察や法律専門家に相談すること。



事象1〜4のような備忘メモがとりあえず残せるということは、私のようなバカチンでありましても、人生の回り道はそれなりに意味があったのかもしれません。やはり人生とは捨てたものではありません。うむ。



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口論議論がなくなる理由。前編。



一昨日書いた記事について、追補考察であります。ただし追補内容につきましては、私の本当に個人的な感じ方であり、多くの人に対する普遍性を持つものではありませんので、ご了承ください。


前回記載したのは
・相手と意見が違った時、「相手が正しい。間違っているのは自分だ。」
という実験についてでありました。


この表現について、「自分を抑える」というように取られて方がいらっしゃったかもしれません。しかし実際はそのようなことはありません。

自分が正しいのに、それを抑えて相手が正しい。と意見を曲げるという意味ではないのです。

誤解を生む表現かもしれませんが、敢えて言うのであれば、「自分が正しい場合は、口論にはならない」ということであります。
自分が思っていること、感じていること、どうあるべきと思うか。これらを相手に伝えると、相手は共感してくれます。

もし、私の意見に共感してもらえることなく、それが「議論や口論」になるのであれば、それは「私が間違っており、相手が正しい」ということであります。



では会話のシミュレーション。とあるファミレスにて。
「お、まるぞう、何頼むの」
「う〜ん。いつものようにトマトのパスタかな。」
「何だいそれ、ここならやはり目玉焼きハンバーグだろ。お前
わかってねーな。」

さてこのようなやりとりの場合、口論に発展するでしょうか。それぞれの好みについてです。人はそれぞれの人生でそれぞれの主役であります。ですからモノの好みや価値判断は人それぞれであります。

ですから私は、個人的には目玉焼きハンバーグは頼まないと思いますが、別に相手に「トマトパスタの素晴らしさ」を説得するつもりもないです。それぞれが好きなものを頼めばいいのです。

現象1:個人の好みや生き方は人それぞれなので、それについて相手を説得することはありません。

多くの大人は、政治と宗教については話題にしないことがエチケットであることを知っています。これらの話題は、人それぞれの生き方の問題であるため、相手に干渉しないことが大切です。
逆に相手がこちらに干渉してきた場合は、多くの大人は「さあ、どうでしょう。」「う〜ん。あまり興味ないかな。」などサラリと受け流すことでしょう。

南の窓から入った風が、そのまま北の窓から出ていくように、部屋の中に何もとどまらせず、引っかかることなく外に出ていきます。



次のシミュレーションです。相手は更につっかかってくる場合もあります。

「おまえ、何パスタなんか頼んでんだよ。ほんとにお前味わかんね〜やつだな。」

人によってはこのように否定から入ることもあるかもしれません。
しかし人から否定される時は、だいたいの場合貴重なメッセージです。とくに心の中でカチンと来るような場合は、「それは重要だよん」というしるしであります。

今までの私の経験では、私というのは非常に傲慢になる性質を持っているので、それを常に補正するようにする必要があります。しかし自分自身の姿というのは、本当に最後までわからないのです。
そこで頼りになるのが、カチンと来る相手からの否定の言葉です。その言葉の底流には、ほとんどの場合、一番自分が認めたくない、しかし一番自分が認めなければならない警告が含まれています。

若い頃の私は、つまらないプライドがありましたので、カチンという相手の言葉の裏に隠された警告を見破ることができませんでした。
しかしさすがにいろいろな失敗経験を積み重ねることで、カチンという相手の言葉には180度真逆の警告が含まれていることを知ったのでした。

そのカチンの警告は、その場すぐには意味がわからないこともあります。ですからその場合は、「う〜む。そうかなあ。」という返事だけしておき反論することはありません。2日ほどは熟成する期間が必要です。

その期間の中で、その警告の意味がわかることもあります。でありますから、その場で反論することはなくなりました。

現象2:相手が自分を否定しカチンと来る言葉は、貴重な警告なのでその場では反論することはありません。警告の内容を理解するには2日ほどその警告を熟成する必要があります。



ちなみに「味がわかんね〜やつだな」と言われた時の私の気持ちとしては、「自分は人並みの舌しかないので、そう思われても当然かもね。でも今日はパスタの気分だからな〜」と思うかもしれませんし、「そんなに目玉焼きハンバーグが美味しいというのなら、騙された気持ちでトライしてみようかな。食べてみようかな」と思うかもしれません。
あるいは2日のうちに、相手は「俺のこともっと興味をもって褒めてよ」という意味だったのかもしれないな〜。と思い至るかもしれません。

いずれにせよ、個人を否定されることはあるでしょうが、特に相手に反論することはないです。この現象に関しても反論は何の意味を持たないからです。


あと3つほどの現象があるのですが、つづきは明日考察してみたいと思います。



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真逆が真理とするならば。



多分私個人にとって大切なことと思われるが、すぐに忘れてしまうであろうための、私的備忘メモです。


陰陽の科学とは、ご存知のように「陰と陽は同時に出現する。片方は表面事象として。片方は潜在因子として。」という宇宙の波動の性質が基本となっております。

私達が日常の生活で表面に見えることの正反対の因子が裏側の世界で同時に同量だけ生まれているということです。うむ。

だから「成功する」という表面の事象の裏には、それと同時に「衰退する」という因子が同量だけ生まれているわけです。

従って先祖代々の大金持ちの家系の家訓は「質素倹約」が全世界共通しているのも、彼らがこの「陰陽の科学(陰陽道)」を経験的に知っていたからであろうと思います。

成功するのと同量だけ、自分が「受け取らないまたは手放す」ことを意識的にすることで、衰退の因子を昇華している。という意味になります。

そう。「陰陽の科学(陰陽道)」を経験で知っている人は賢者と呼ばれてしかるべきです。世の中には無名の賢者で溢れています。
謙虚で物腰の柔らかな人は、高い確率でこの「無名の賢者」であろうと思います。うむ。


その「無名の賢者」は、日の当たらない一見貧乏くじのような仕事こそ、自分のマイナスの因子を昇華できる機会であることを、感覚的に知っているのでした。

そういう環境において、直接人から賞賛されることはなくても、人に誠意を持って対応することが、そのままマイナス因子の昇華またはプラス因子の蓄積になっていることを、感覚で知っております。

日本には「お天道様が見ている」「お陰様で」という美しい日本語がありますが、この言葉を使っている人の多くは、感覚的に「陰陽道」を体得している「無名の賢者」なのでありましょう。

ただ暴力行為は犯罪行為については、想定し、注意深く避け、自分や家族を守ることは一番大切なことです。そういう暴力や犯罪を受けながら耐え忍ぶことは、マイナス因子の昇華ではありません。



であれば、私が考えることも全部「陰と陽」正反対が正しい。ということでもあります。
毎日仕事でも家庭でもいろいろな人と意見を戦わせます。どんな時でも私は自分自身が正しいと思います。従って、相手を論破することは当然と思っておりました。

しかし「陰と陽」では全てが逆であります。うむ。
私の思う「正論」こそが「間違い」なのかもしれません。相手の「正論」こそが正しいのかもしれません。



相手と意見が違った時、「相手が正しい。間違っているのは自分だ。」そのように考える実験をしてみました。

その結果、その仮説は正しかったのでした。つまり「相手と意見が違った時は、間違っているのはいつも自分の方だ」のは人生の真理なのでした。
それは仕事上でも家庭でもそうでした。うむ。それは50年以上生きて初めて知った真理でした。



 ありがとうございます。





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一滴。


 先日ある業界の会合で初老の男性と話しをする機会がありました。彼はいろいろなベンチャー企業の面倒を見てきたと言います。私も小さなIT会社の経営者であることを知って、話しが盛り上がります。

 彼曰く、とにかくベンチャー企業は生き残るのは大変だ。10社以上見てるけど、生き残るのはほんの1社か2社だ。

 そうなのです。起業の成功率とはそのぐらいの確率であると統計でも言われています。うちの会社も何度も倒産の危機に直面していました。もちろん今だって全然安泰ではありません。

 ただ以前と違ってわかったことは、会社の売り上げと自分の謙虚さは比例しているということでした。これは私にとって本当に大きな発見でありました。その私自身の発見からうちの会社は変わったと言えます。

 もちろんこれはどの会社でも当てはまるという法則ではないでしょう。それぞれの企業にはそれぞれの課題がありますから。しかしうちのように小さな会社は「社長の魂の課題解決度合い」=「会社の売り上げ伸び度合い」という相関があるように思います。



 その初老の男性は尋ねます。まるぞう会社はどのくらいの売り上げ成長を目指しているのですか?

 もちろんベンチャーの代表であれば、自社のビジネスモデルはこうこうこうです。ですから弊社の売り上げはこのような成長を遂げます。こうなります。そのように理路整然とうとうとうと説明できるはずです。彼は私にその説明を期待したようです。そういうのが好きそうな方でしたから。しかし私はうむ〜。と黙りこくってしまいました。



 会社の売り上げが伸びるというのは、その会社の内なる因子の成熟度合いの結果であります。負の因子を昇華すること。正の因子を積むこと。その結果が自然と売り上げを呼び寄せる如きです。
 しかしもし「売り上げ至上主義」をとってしまうと、短期的に負の因子を増やして売り上げも増やす危険性があります。これはサラ金に借金して一瞬だけ景気が良くなるようなものです。


 ですから重要なことは、まず、会社の代表が負の因子を昇華し正の因子を蓄積すること。その次に組織として全員の負の因子を昇華し正の因子を蓄積すること。これが企業活動となります。
 社員とは同じ因子を持った人達が引き合って集まるわけですから、代表がその因子を掃除することが、まず重要であります。代表の個人的な因子の掃除で、その組織全体の因子の大部分が掃除できてしまったりすることでしょう。似たものの縁ある人達の集団ですから。


 では私には、会社の売り上げを大きく伸ばすためには、どれだけ昇華しなければならない因子があるのか。ふうむ。私は相当業が深いので、まだまだであるようです。たとえばそれは海の真砂(まさご)のようにも思えます。



 毎日毎日、私が昇華解決しなければならない因子は、順番に列を成してやってきます。それは「厄介な問題」「面倒くさい問題」というお面を付けて私の前に現れます。ですからそれが私の課題であることを知ることは簡単です。「厄介な問題」「面倒くさい問題」というお面は簡単に見分けられますから。


 たぶんきっとおそらく、負の因子の昇華の継続作業は誰にとっても忍耐のいる地道な作業であることでしょう。やってもやっても一向に自分の生活が好転しないように感じられる期間がずっと続きますから。
 しかしそれはある一定の昇華量を閾値(しきいち)として、自分の生活に変化をもたらすという事象であります。水を一滴一滴貯めて、ある日突然コップから水がこぼれだすような事象であります。





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