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真ん中の道。嫉妬。


少し前の投稿ですが、インターネット掲示板に、プロ市民を祖母に持つ青年の書き込みがありました。
プロ市民とはお金をもらっている左翼活動家のことです。
このプロ市民祖母は、団塊の世代の人物で以前は小学校の教師を務めていたということです。
もうバリバリのインテリ左翼です。


https://lh4.googleusercontent.com/-8Ychqv6a9YM/TxZjT1Smr4I/AAAAAAAAI84/tC02sPmsKiY/18%25252015%25253A06.jpg


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9 名も無き被検体774号+ 2012/10/13(土) 17:10:00.30 ID:NqPZKLcX0
やっぱプロ市民の目的って金なの?

>>9

前述の通り、プロ市民って人権マフィアの人たちとは厳密に
住む水域というか階層が違うんで(接点は多いにあるが)、
金ではないね。
ようするに体制という、巨大で、旧態依然とした、醜悪で、悪い存在と
戦う自分カコイイって言うカタルシスの中毒患者。

団塊の世代って、全共闘の楽しさの余韻が醒めないまま
歳重ねたから、もう中毒から抜けられない。
俺の婆ちゃんなんかまさにそれなわけだが。
しかも元教師なんであとは推して知るべしwww

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オスプレイ反対にしろ集団的自衛権反対にしろデモをしている団塊左巻きの人たちの動機は、「ようするに体制という、巨大で、旧態依然とした、醜悪で、悪い存在と戦う自分カコイイって言うカタルシスの中毒患者。」という証言です。


非常に興味深いです。
「大切な人を守る」「大切な国を守る」というより「体制に立ち向かう自分に酔う」という動機であるということです。うむ。



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50 名も無き被検体774号+ 2012/10/14(日) 01:38:34.48 ID:4bVQvuE9O
>>
反体制中毒の奴って体制がひっくり返ったらまた反対側になるの?っていつも思うわ

節操のないただの馬鹿なんじゃねーのかと

>>50
彼らは民主主義の平等を声高に主張しつつも一皮剥けば本来権威主義です。
上の存在を引きずり下ろすことに執着しますが、いざ自分が権力の座に
就けば、途端に強権的になります。しかも責任転嫁の天才で、恫喝を得意とします。
しかも恐ろしいことにその矛盾から目を逸らすことに呵責がありません。

例:
尖閣衝突事件のときの千石
福島原発のときの管
前述のいじめの報復を受けた親父の話をしたときの婆ちゃん

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団塊左巻きとは権威主義であるということ。
彼等は自分たちのことを「リベラル」とか「進歩的知識人」と呼んでおりますが、どの人よりも権威に対する執着が強いということです。


「私は権威に反対するインテリ自由人である」という権威を振りかざす人であるということです。そして本人たちはその矛盾に気づいておりません。


権威主義。



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13 名も無き被検体774号+ 2012/10/13(土) 18:39:16.97 ID:6HlrFKqx0
あと、俺の婆ちゃんを例にとって言えば、彼らはそう「平等」が好きではない。
体制という共通の敵を討つ()ために連携しているんだけど、
内ゲバめいた仲間割れはしょっちゅうある。大抵金。

誰かが金を横領したとかって言う話より(あるかもしれないが)、
「活動費用が足りない。誰のせいだ」的な仲間割れを起こして空中分解。

"○○する市民のネットワーク"って奴が長続きせず離合集散を
繰り返すしては新しい団体が次々できるのはそういう理由。

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左翼団体がしょっちゅう仲間割れをするというのは有名な話です。
全員が「権威が嫌いな権威主義」であれば常に仲間割れをするのは当たり前です。
もし「権威が好きな権威主義」であれば権威の名の下に団結するでしょうし、「権威がきらない個人主義」であれば集団を作ることはないからです。



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24 名も無き被検体774号+ 2012/10/13(土) 19:34:17.29 ID:/6LnII2V0
プロ市民は結局何がどうなれば満足なの?

>>24
決して満足しない。
魚が泳いでいないと呼吸できないように、彼らは抗議していないと呼吸できないし
何より生活が成り立たない。
その証拠に、米軍、人権、原発、ジェンダー、と言った本来リンクしない問題に
またがって活動している人間が多いこと多いことw
俺の婆ちゃんとか。
そして彼らが便利に使う言葉が「連帯」なんだよな。

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ここでも興味深いコメントです。
「魚が泳いでいないと呼吸できないように、彼らは抗議していないと呼吸できない」ということです。
どうして左翼政治家がいつも「反対のための反対」しか述べていないのか。
どうして朝日新聞がいつも「反対のための反対」しか述べていないのか。
この理由がこの孫青年によって看破されています。
彼等は体制に抗議しなければ生きていけない生き物であるからです。


何でも反対。


ある意味平和の産物でありますね。
どんなに今の体制をぶったたいても、自分の平和な生活は保証されているからこそ発生する勘違い人間です。
家庭内暴力の子供と発想は似ているかもしれません。
どんなに親に暴力を振るっても、自分の生活する場所をお金は保証されていると思っています。



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57 名も無き被検体774号+ 2012/10/14(日) 02:05:13.21 ID:kDgE1ZaT0
そして彼らはそんな自分達の「生き辛さ」を、「社会(体制)」という、直接自分達に
個別に反論してこない巨大な存在を犯人にする。

あとは婆ちゃんみたいな人間達が近づき、彼らを片っ端から肯定し
生き辛い社会を一緒に批判することにより、彼らに共感という快感を与え、
さらに仲間を増やせば熱狂というもっと気持ちいい快感を覚えられることを教える。
何よりその快感を知っているのは、そして忘れられずに中毒になっているのは
全共闘世代の婆ちゃん達なのだから説得力は極めて高い。

プロ市民の出来上がり。

58 名も無き被検体774号+ 2012/10/14(日) 02:09:34.45 ID:kDgE1ZaT0
俺は学のある人間ではないし、経験則で安直な表現でしか言えないけど、

社会主義って言うのは、金持ちへの嫉妬
そして左翼とかプロ市民って言う人種は、リア充への嫉妬

これで始まっていると思う。

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ここでまた更に非常に興味深い洞察です。
左巻きというのは本質的に「嫉妬」であるということです。


なぜ体制に反対のための反対を行うのか。
それは「嫉妬」に他ならないというのです。


なぜ自分は「権威主義じゃない知識的自由人だよ~」という権威にしがみつくのか。それは「権威」に対する嫉妬であるからです。


同じ日本人どうしなのに、なぜ日本を貶める活動ができるのか、なぜ日本を壊すような活動ができるのか。私達からすると本当に不思議でなりませんでした。
しかしここにその答えが隠されておりました。


それは「嫉妬」でありました。


「嫉妬」とは誰の心にも潜む餓鬼であります。
団塊の進歩的自由人だけでなく、朝日新聞論説委員だけでなく、日教組幹部だけでなく、私の心の中にある餓鬼です。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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真ん中の道。生死の天秤。


日本が戦後、危機に面しているとするならば、それは「日本を守る」と明確な意志を持っている日本人が少なくなっていたことであると思います。
私達は「日本を守る」という思想自体がいけないことだ。というように教育の場やマスコミ報道ですりこまれてきましたから。


特攻隊の時代は不幸な時代でありました。
しかし当時は日本人のほとんどが「日本を守る」という硬い決意を持っていましたし、それがそれぞれ個人の良心の生き方と寄り添っていました。


しかし平和とされている今の時代、皮肉にも「日本を守る」ことがいけないことという風潮が日本全体を覆っています。
そして多くの日本人のこの思考に沿って、未来が創られています。
つまり「日本を守ること」がいけないことであることが「現実」となる未来です。
日本がなくなってしまうという未来であります。
アタリマエと思っていた「平和」がなくなってしまうという未来であります。


人類の一人一人の想念の集合体がタイムラグをおいて現実に創りだされるという未来量子物理学の理論では当然の過程と経過であります。(のようです)


そんな日本人たちの中でも、沈みゆく平和に危機を覚える人たちもおります。
本能的に日本を守ろうとする縁ある方々です。
教育やマスコミの偏向圧力に勝って、自分の意志で「日本を守ろう」と決意した方々でありますから、非常に貴重で心強い魂の持ち主であろうと思います。



戦前の日本は、教育もマスコミも「日本を守ろう」という圧力でした。
ですからほとんどの日本人が「日本を守ろう」と信じていたのは当然であったかもしれません。
戦後、教育とマスコミは正反対の圧力に変わりました。
ここで大半の日本人が「日本を守る」「日本を愛する」と声をあげることはいけないことなんだという思想に変わっていきました。
国民の祝日に日の丸を掲げることでさえいけないことであるかの風潮であるかもしれません。


これが日本人の実力であったと言えます。
未だに朝日新聞を購読して、集団的自衛権容認で国民は徴兵されて日本は戦争にまっしぐらだ。と口角泡を飛ばしている御仁たちは、残念ながら日本人の実力をあらわしているといえます。
民族は連帯責任というルールがありますから、彼等を含めてこれが日本という民族の実力です。
彼等もまた私達の一部であります。



ただこれだけ教育とマスコミが偏向していても「日本を守る」と声をあげる人もまた増えてきているのも事実であります。
これらの貴重な魂の方々も少なからず日本にいらっしゃるということは、まだ日本を守ることができるかもしれない。という希望を与えてくれます。




http://tamutamu2011.kuronowish.com/8.5osupurei.files/image053.jpg


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/42/50e8b0d217dcb89112b4ce0e237469c8.jpg

「日本を守る」「日本を愛する」思想はいけないことだ。という想念が勝つのか。
自分の心に従って「日本を守る」「日本を愛する」ことを決意する。想念が勝つのか。
これらの想念どうしの天秤の駆け引きが現在の日本の状態であるかもしれません。



さて今のような日本の状況においても「日本を守る」と決意した方々は本当に稀有な魂の持ち主ではないかと思います。
洗脳の圧力よりも、自分の心の声を聴く意志が強い御方でありますから。


ただネットをみていても感じることでありますが、反日や売国などの人間に対する憎悪に自分自身が呑まれるケースも少なくないようです。
彼等の「日本を貶めよう」という手口を見るにつけ、それが巧妙であるからこそ、知った時の怒りは充分理解いたします。が。憎悪に自分が呑み込まれては元も子もありません。


やはりいつも自戒するべきは「中道」であります。
大切な子供や大切な国を守る強い強い意志は大切であります。
しかし相手を憎むことは中道から外れることでありましょう。


昨日特攻隊のお話を書かせて頂いた理由でもあります。
大切な家族や国を守るためには、強い意志をもって立ち上がる覚悟はいつでも必要です。
しかし決してそれは相手を憎んで行っているということではないのです。
特攻隊の若者たちは決して米兵を憎んでいたわけではないのです。


・大切な人を守るために立ち上がる意志を持つこと。
・相手を憎んだりしないということ。
この二つが右と左に同時に立たせることができるかどうか。


これが私達縁ある魂が挑戦している「中道」であるのかもしれません。
日本の国を守るというのは斯くの如く難しいことでありますが、この挑戦に、一票投じられる場所に生まれてこれた私達は幸運であったといえましょう。


つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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真ん中の道。自分が生きる。


中道の答えとはなかなか出ないように、この現世(うつしよ)は創られているのであろうと思います。
もしその回答が簡単なものばかりであったら、私達は苦労してわざわざこの世界に生まれて来なかったかもしれません。


私達は誰しもこの世界で生きていくことは大変だなあと感じて毎日働いています。
対人関係だって、お金のやりくりだって、健康状態だって、私達はいつも大変な世界で毎日生きています。
しかしこの現世(うつしよ)という世界はわざと「生きるのに大変」なように創られているとしか思えません。うむ。


私達の魂は、まるで自分自身の中道をどこまで試せるかを知るためにみんな生まれて来ているようにさえ思えます。
だからこの世(私達の肉体や表面自我含む)は、なかなか中道が達成できないように、巧妙に精妙に創られているのかもしれません。



知覧飛行場跡 http://www.city.minamikyushu.lg.jp/contents/html/kankou/osusume01/sanpou2.gif



さて私達が特攻隊の隊員であればどうでしょう。
どういう選択が私の人生の中道なのでありましょうか。
それはとてもとても難しい問題です。
理想の答えなんて本当はないのではないかとさえ思えます。
ただ、自分がその過酷な状況の中で、何が中道であるのか、精一杯悩み突き進む行為であれば、それはどういう選択であっても中道(偏らない道。良心の道。誠意の道。お天道)
である。というのが答えかもしれません。



たとえば私という特攻隊員はこのように考えるかもしれません。


自分が特攻で命を落とさなくても、どちらにしろあと40~50年もすればこの世を去ることでありましょう。
明日散るのか、40~50年後散るのかの違いであり、この世を去るのは同じであります。
そして自分が死んだあとは、二世代か三世代もすれば誰も自分がこの世にいたことさえ知らなくなってしまうことでしょう。
だからこの世で生きているということは、生きた年数の問題ではなく、どのように生きたかという内容だけが大切であるということでしょう。
そしてそれは他人が知りうることではありません。
私自身「だけ」が知っていることになります。
私が「どのように生きたか」ということが。です。


私は明日特攻で散ることになります。
短い人生でありましたが、それが自分自身にとって最上の生き方でしょうか。
ひょっとしたら、脱走して逃げて逃げて、一日でも長く生きた方が、自分を大切にしたということで、最上の生き方なのかもしれません。


もし脱走したと仮定します。
自分の両親はどう思うでしょうか。
両親は生涯脱走兵の親というレッテルを貼られ、肩身のせまい思いをして生きることになるでしょう。
私の年代の若者は、みなお国のために命を落としています。
こんな時代の中、自分だけが命を惜しんで逃げるということは、ワレヨシで脱走するということであります。


私が特攻機に乗って散るということは、それは大切な人を守るという意味です。
大切な人とは両親であり、結婚していれば妻であり、子供たちであります。
自分の命を散らす代わりに、自分の大切な人を守るというのが、私達特攻隊員の置かれた環境であります。


自分の命を自分の手で散らせるということは、自分の良心を守る道なのでしょうか。自分の誠意を尽くす道なのでしょうか。お天道様の道なのでしょうか。


やはり何度考えても、他人を守るために戦うことは、私たちの置かれたこの特攻という状況の中では、「自分を守る」ことであります。たとえ命は散りますが。


自分の命を自分で散らすことになります。
しかしこれはこの世の生き方が苦しくて逃げるために死ぬのではありません。
所詮短い人生であります。
自分の大切な人を守るために、自分の命を散らすことは、自分の命(良心と誠意)を最大限守ったということであります。


明日私が巻き添えにする米兵たちには何も恨みはありません。
できれば巻き込む兵隊は少なく、戦艦のコントロール部にのみ打撃を与えたいです。
これで戦況が少しでも日本有利になれば、戦争が終わる可能性に一票報いることになります。


短い人生でありますが、大切な人を守ることについていささかも後ろめたいことがないという生き方でありましたから、精一杯自分自身が生き切ったと自分自身に胸をはることができることでしょう。


米兵たちには何の恨みもありません。
彼等も大切な両親や家族がいる、自分と同じ若者たちです。
自分の置かれた状況での「中道」とは、きっとこれで良かったのだと思います。


ただできれば、もうこういう環境に置かれるのは、自分たちが最後であって欲しいです。
若者たちがこのような状況に置かれることはもうない世界が来て欲しいです。






http://ameblo.jp/popular2/entry-11816622899.html


きっと特攻隊員の環境になれば、私達はそのように思ったかもしれません。
多くの若者がそうであったように。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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真ん中の道。伝言。


今から約2600年ほど昔、インドにお釈迦様という方がおられたと言います。
日本にもお釈迦様の言葉として何万巻もの経典がありますが、どれも後世の人の解釈本で難しくてよくわかりません。



http://digital.library.upenn.edu/women/davids/psalms/42.gif


お釈迦様が述べたであろう御言葉で深く心に残るものが二つあります。
一つは臨終の際の御言葉で「自灯明」です。
自分の心の中の灯りをたよりに、サイのように突き進め。です。


自分の心の中の灯りとは、
ある人は「良心」と訳すかもしれません。
社会生活の真っ只中の人には「誠意」がぴったり来るかもしれません。
日本人は古来から「お天道さま」という言葉を使っていました。



もしお釈迦様が生きていらっしゃったらこんな質問をしてみたいです。
「もし自分の中の心の灯りと、お釈迦さまの言葉が違っていたら、どちらを正しいとするべきでしょうか。」


「それは決まっています。自分の中の心の灯りです。」


「もし誰かが、お前の考えは間違っている。お釈迦様はこうおっしゃっているむにゃむにゃ。と言ったら、それでも自分の心の灯りを優先すべきでしょうか。」


「もちろん。
誰かが私の言葉と言っているものは、その人の言葉であるからです。
しかしあなたの心の中の灯りこそが、この宇宙の唯一つの羅針盤です。
誰が何と言おうとも、あなた自身の心の灯りを頼りに進みなさい。
だから私は『サイのように』と例えたのです。」


ふうむむ。



お釈迦様の言葉でもう一つ奥が深いと私が感銘しますのは「中道」という言葉です。
この現世(うつしよ)で生きるには、常に偏らないで、常に真ん中を歩くよう努力しなさい。という言葉です。


もう何万巻のお経や仏典もこの「中道」の言葉に集約してしまうかもしれません。
もう何万人何十万人の僧侶たちが、一生をかけて仏典を解釈したり、悟りを得るために苦労してきたのに、それらはあまり意味がなかったかも。


この現世(うつしよ)は、真ん中の道が歩きづらいように、特別に工夫されて創造された芸術的宇宙であります。(と思います)
どんなに真ん中を歩いているようでも、必ず片方に寄って(酔って)生きてしまうようにできているのであります。
その無限に続く螺旋の振り子の世界の中で、どれだけ「中道」で生活できるか、がこの世で「生きる」ことの真相でありますから、だからいつもいつも、自分が「中道」であるかを注意深く見つめて生きていきなさいね。
というのがお釈迦様の「中道」のアドバイスであります。(と思います)


ある時代ある地域ある瞬間は「中道」であっても、次の時代次の地域次の瞬間はそれが、も偏りになっているかもしれません。(だから宗教戦争が絶えません)


じゃあどうすればいつも「中道」であるかわかるのでしょうか?
「だから自分の心の中の灯りだけを唯一つの羅針盤とするのが良いのです。それしかないのです。」



自分の良心がそれを恥じないか?
それが自分の誠意なのか?
お天道さまに恥ずかしくないか?
これらの自分の灯りによって、真ん中を歩き続けるることができるか?
家族や自分を養うために、社会に出ていろいろな人と接する仕事をし続けなければならない。この社会は「中道」を試し「続ける」ことができる奇跡的に計算されるつくした叡智の宇宙であると思います。



さてもし私が太平洋戦争の特攻隊員であったらどうでしょうか。
自分のゼロ戦と自分の命と引き換えに、アメリカ軍の戦艦に打撃を与えるのが自分の仕事と命令されたときに、どうするでしょうか。



http://www.geocities.jp/jkomjkom/Zero-A6M2-2411.jpg




お釈迦様は自灯明とおっしゃる。
どうするのが私の良心なのでしょう。
どうするのが私の生きることの誠意なのでしょう。
どうすることがお天道さまの道なのでしょう。


脱走して逃げまわることが「中道」なのでしょうか。
勇敢に離陸して散ることが「中道」なのでしょうか。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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サバゴ(鯖子)のブイヤベース。その4。




サバゴの頭で出汁をとります。
基本はネギ味噌汁と一緒です。
水と白ワインを半々ぐらい合わせ、常温からじっくりと煮出します。
以前魚屋さんでエビの頭だけ100円で売っていたので冷凍しておきました。
今回のような時にこそ使います。
サバゴの頭とエビの頭で出汁を取ります。





柔らかく沸たら漉します。
最後のぎゅっという一滴に旨味が凝縮されています。





一方圧力鍋ではトマトソースを作ります。
ニンニクを常温のオリーブオイルからじっくり煮だすと、トマト缶詰を入れます





トマトが煮立ったら、出汁スープとサバゴを入れます。
圧力鍋で20分くらい加圧したら放置します。
サバゴは小魚ですからこれですっかり骨まで柔らかいです。
圧力が抜けたころあいで塩コショウで味を整えます。



ブイヤベースとは別にパスタを茹でておいて、今回はスープパスタとして食べます。
今回は甥っ子家族もきて大人数なのですが、パスタだと大量に用意できるので楽ちんですね。





先ほど捕れたばかりの海の恵みです。
では召し上がれ~。



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サバゴ(鯖子)のブイヤベース。その3。


サビキ釣りは魚がたくさん釣れるので子供は本当に喜びますが、料理をする側からすると手間のかかる小魚ばかりという面があります。


もしカタクチイワシなどがサビキで大漁に釣れるのであれば、もうそれは塩に漬け込んでアンチョビとして1年間優雅なパスタ生活ができます。


しかしカタクチイワシ以外の小魚であったらどうしましょうか。
一般的には南蛮漬けにすることが多いようです。
これなら大漁の小魚でも比較的簡単に調理することができます。


今回のサバゴ(鯖子)もまた南蛮漬けで美味しく頂けそうです。

http://blog.goo.ne.jp/admin/completedentry?from=&eid=fdfc99bb8b741cac4dc96a393ad03d6a&p=1&disp=10



ただ今回はいつもとは趣向を変えて、ブイヤベースにしてみることにしました。
ブイヤベースとは、今では高級料理ではありますが、
==========
原型は付近の漁師が、見た目が悪かったり、毒針があって危険などの理由で商品価値のない魚を自家消費するため、大鍋で塩と煮るだけの料理であった。
(Wikipedia「ブイヤベース」より)
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売りに出せない磯魚の料理でありました。
サビキで釣れる魚には持ってこいの料理であります。


http://cdn.calisphere.org/data/13030/bw/kt758005bw/figures/caljsiol_sio1ca175_040_038.gif



日頃スーパーや街の魚屋さんには流通することのない、小さな磯魚を使って野性味あふれるブイヤベースに挑戦してみました。


サバゴは小魚といえども骨は硬そうですから、今回は圧力鍋を使います。
サバの味噌煮缶は骨まで美味しく食べられますものね。
今回は子供向け料理でありますから、小魚ですが骨まで柔らかく食べられるように気をつかいます。




今朝の釣果の魚たちです。約70匹も釣れました。



サバゴは頭を切り落として内蔵を取り出し洗います。



トゲトゲの魚は毒がありますから、キッチンバサミでトゲトゲを切り落としてさばきます。
こういうグロテスクな魚こそ料理すると美味しいです。



ウロコが硬いお魚は包丁を使ってウロコをおとしてさばきます。



こんな感じです。大漁です。


つづく



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サバゴ(鯖子)のブイヤベース。その2。


今回は三浦半島の三崎にまで来ました。
休日の夜明け前ですから、都内からでも高速でそれほど時間はかかりません。


http://tsuri2.ymeco.com/images/misaki.gif



釣り場に入る前に近くの釣えさ屋さんで餌を買います。
サビキの餌ですから冷凍オキアミです。
釣り場堤防の近くにはこういったお店があるのです。
こんな海岸ぞいの田舎で夜明け前に電気がついているのは、新聞配達点か釣り餌屋さんだと思って良いでしょう。


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-13-ee/msk1470/folder/427992/57/6247157/img_6?1317078837



どうですか?イワシ来ていますかねえ。
私達はお店のオヤジさんたちに聞きました。
この地元何十年という釣りのベテランとう風格です。
そう。私達はアンチョビの材料のイワシを釣りに来たのでした。


いいんや。今年はまだイワシはこねえな。
今釣れんのはサバゴだ。


サバゴ?


そう鯖の子供だよ。
サバゴはも山ほど釣れるよ。
もう上から見てて見えるから。そのぐら大軍が来てる。


そうですか。
まだここでもイワシの時期じゃないんですね。
しかしここまで来たのだから釣りに行きましょう。





現地に着くとちょうど日がのぼったばかりです。
もう何組もの家族連れが釣りを始めていました。
続々と釣り客の車が入ってきます。
この場所は、車が止める場所と釣りをする場所が近いので安心です。
堤防のはじには公衆トイレもあります。





釣り餌屋のおじさんたちが言うとおりでした。
3人で釣り糸を1時間ほどたらしたら、70匹ほどの釣果がありました。
ほとんどがサバゴです。
甥っ子は大漁大漁と大喜びです。


このサバゴが新鮮なうちに急いで東京に戻ります。
新鮮なうちにさばいてお昼はこのサバコを頂きましょう。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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サバゴ(鯖子)のブイヤベース。その1。


サビキ釣りという釣りをご存知でしょうか。
小さいお子さんがいるアウトドア派のご家庭なら体験されたおうちもあることでしょう。
海岸の堤防で行う初心者向けの釣りのことです。















※かわいいイラストはこちらからお借りしました。
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2010/hyoshoshiki/sakuhin/sho-chu/A22/sabikituri.html



サビキ釣りは親が子供に体験させる入門としては最適な釣りであります。



① 場所が海岸堤防であること。
釣りをするために山奥に踏み込んだり、釣り船に乗ったりする必要はありません。
近くの堤防で釣り竿をたらすだけで釣りができます。


http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/



② 道具が安価であること。
量販店に行くとサビキ用の釣り竿は1000円くらいです。
仕掛けや餌などを入れても2000~3000円くらいで揃います。


http://tsuri.ymeco.com/images/02.gif



③ 餌が冷凍オキアミであること。
釣りが苦手な方の大きな理由は餌となる虫を釣り針につけるのが苦手であることが多いかもしれません。
サビキ釣りでは、冷凍のオキアミをカゴに入れるだけです。
このオキアミのにおいにつられてたくさんの小魚が寄ってきます。


http://www.point-i.jp/fish/files/sasebo/image/201011/サビキ仕掛%20002.jpg



④ たくさん釣れること。
子供は飽きっぽいものです。
釣れない状態で何時間も釣り竿をたれるのは至難の技でしょう。
しかしサビキ釣りは、だいたい連れます。
小魚ですが数十匹単位で釣果があがります。


http://blog-imgs-19.fc2.com/k/a/j/kajibow/DSC01428.jpg


釣りが子供にとって良い体験であるというのは、魚というのはこのように海に実際生きて泳いでいるものだということが、実感できるからです。
そして私達が食べているお魚というのは、このように生きている魚を釣って命を頂いているんだということを学んでもらうことです。


http://wandaba2.fuyu.gs/himeji/sp/2005/01kirimi/page/a01_Nile.htm


魚とは頭とハラワタがとれて切り身の状態で泳いでいるわけではありません。
釣りという体験は子供たちに「生きる」知恵を学ぶ大切な遊びであると思います。



というわけで先日、甥っ子とともにサビキ釣りに行ってきました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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ネギ味噌汁。その3。



お魚屋さんで生きのいいプリプリしたアジが安売りしてたらお買い時です。



漁師のキム兄直伝のおろし方です。
頭を落とさずハラワタをとらず、両側の身だけおろします。
この方法はイワシでもサバでもサンマでも青魚の刺し身で応用がききます。



はい。3枚におろせました~。



中骨はとげ抜きで抜いておきます。コツがつかめるとそれほど手間ではありません。

ここで身の方はラップをかけて冷蔵庫にしまっておきます。
ここからは本題のネギの味噌汁の作り方です




頭と背骨を切り離します。




頭と背骨に赤黒い血合いが見えますね。
これを取り除きます。
頭の血合いは流水で流しながら両手で頭を開いてキレイにとりのぞきます。
背骨の血合いは竹串2本使ってこそげ落とします。


この血合いを丁寧にとることがアラ汁のたった一つのコツです。
これはどの魚のアラで出汁を取るときも同じです。
ブリ大根を作る時に最も顕著に差が出ます。
ブリのアラの血合いを竹串2本で丁寧とると、本当に上品なブリ大根ができます。
逆にこの血合いを取る作業をいい加減にすると、生臭いブリ大根になってしまいます。




はい洗い終わったキレイなアラです。
赤黒い血合いはどこにもありません。
頭はこのぐらいまで開いて中を掃除します。




そうしたらアラで出汁をとります。
出汁はお湯からでしたっけ?水からでしたっけ?
そうこのブログで何回も言っていますが、出汁は水からじっくり弱火で加熱していくのでしたね。
これは化学の浸透圧の原理です。




血合いは取りましたがやはりアクがでますので、取り除きます。
これは見た目のためです。




頭を箸で触ってみます。ホロホロして崩れやすくなっていたら出汁は完了です。
味噌漉しや金網に頭をいれて、ギュウっと絞ります。
最後の一滴が旨味の凝縮スープです。




背骨にはまだ身がついていますね。
もったいないのでこの身だけは手でほぐれる分はとって出汁に戻します。
骨は出汁にはいらないように注意。


ブリや金目鯛のように大きなお魚は別ですが、今回のアジなどのアラ汁は魚の骨や頭は完全に取り除きます。
魚の骨が入っていると興ざめですからね。



うそっていうほどのネギを投入します。2~3人で長ネギ1本分くらいでしょうか。
そう、具は長ネギだけです。
(中骨からこそいだ身は少し入っていますが)


ネギや玉ねぎは生では辛いですよね。
これは害虫から身を守るために辛さを身につけたのです。
しかし熱を加えると一気に甘くなります。
玉ねぎに熱を加えるのはそういうことです。
ネギは辛味の部分が買われて薬味として使われることが多いです。
しかしこのネギ味噌汁では、クタ~となった甘い長ネギがアジの出汁に合うのです。
ですからすぐに味噌を入れないで5分ほどクツクツ出汁で煮ます。
味見してクタ~っと甘くなっていればOKです。
すき焼の下仁田ネギもクタ~っと甘いから美味しいですよね。




味噌漉しでお味噌を溶きます。
これは味噌の分子を均一に拡散させるためです。
味噌漉しに残った味噌はもったいないので、鍋に戻します。^^;




味噌を入れたら香りが飛ばないようにすぐ火を止める。というのが一般的ですが、今回は少しだけ煮詰めます。
煮詰めた味噌のコクの風味がアジの出汁に合うようです。




冷蔵庫からアジの身を取り出して刺し身にします。
そぎ切りではなく、肉厚を楽しみます。
これがネギ味噌汁の最高の付け合せになります。




ネギ味噌汁で~す。
付け合せのお刺身もよろしければどうぞ。
生姜をすりおろして醤油で召し上がってください。




熱々のご飯にアジの刺し身をのせてご飯と一緒にかきこむと答えられません。
このお刺身と熱々のご飯が、ネギ味噌汁を絶品料理にと引き立ててくれます。


具がネギしかないシンプルな味噌汁でありますが、食べ終わったあとの後味の良さは他に類がありません。
これは丁寧に出汁をとったからがゆえのことですね。



どうぞ召し上がれ~。



おひさま、ありがとうございます。


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ネギ味噌汁。その2。


私の鯵のおろし方の師匠は、漁師のキム兄です。
お時間のある方はこちらの動画をご覧ください。


鯵の刺身ってこうすりゃ超簡単に出来るんです沖造りをキムニー直伝


私は鯵のおろし方は全く間違っていたことが、この動画でよくわかりました。
漁師のさばき方は、簡単でしかも理にかなっていました。



コツ1:頭を落とさない。
一般的な鯵のおろし方では、まず頭を落としましょう。とあります。
私もそうしていました。
しかし頭を落とすと包丁やまな板に血合いが付きます。
これが刺し身に付くと血生臭くなります。
ですから刺し身として3枚におろすときは、頭を落とさないのが鉄則となります。


漁師的にはNGです。



コツ2:ハラワタを洗わない。
一般的には頭を落としたあと、腹に包丁を入れてハラワタを取り出したあと、流水でよく腹を洗いましょう。とあります。
私もそうしていました。
しかし腹を水で洗うと、身が水っぽくなってしまいます。
ですからハラワタを取り出すことなく、身だけを3枚におろす必要があります。


漁師的にはNGです。



コツ3:身は薄切りにしない。
鯵の刺し身は歯ごたえが味のうちです。
薄くそぐようにお造りにしてしまうとせっかくの歯ごたえがなくなってしまいます。


漁師的にはNGです。



今回はネギの味噌汁がメインでありますから、鯵のアラを使います。
しかしアラをとるためにはオマケでお刺身もできてしまいます。
であるなら、オマケであっても美味しいお刺身をとりたいですよね。



このキム兄のおろし方だと鯵の味がとても強いお刺身が造れます。
鯵はイワシとともに庶民の味方です。
旬であれば脂ののったプリプリした鯵がとても安く店頭に並びます。
最近はお店の人におろしてもらう人も多いのですが、鯵に関してはお店に頼まず、この漁師のキム兄のやり方を是非お試しください。



つづく






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ネギ味噌汁。その1。


私がお刺身で一番好きなのは青魚です。
しかし青魚のお刺身はよほど新鮮でないと美味しくないです。
ですから魚屋さんで新鮮なアジやイワシやサンマを見るとうずうずしてきます。
新鮮な青魚の見分け方は、ご存知の方も多いでしょうが「目」です。
目が充血していないお魚は新鮮というしるしです。
しかしお腹がプリプリに肥えている場合は「当たり」です。
もう脂がのっておいし~。こと間違いありません。


しかし私が青魚のお刺身より大好きなのは、そのアラで作ったネギの味噌汁です。
もうこの味噌汁を飲みたいがために、お刺身をこしらえるといっても過言ではないでしょう。


ちなみに私はトンカツ屋さんのキャベツが大好きです。
このキャベツを食べるためにトンカツ屋さんに行くと言っても過言ではありません。
ちなみに私が贔屓にしているトンカツ屋さんは下記の③条件を満たしているトンカツ屋さんです。


① キャベツのお代わりが自由であること。
お代わり自由はお店としては経営が苦しい場合もあるかもしれませんが、この心意気がトンカツファンを惹きつけるのです。


② キャベツがシャキシャキしていること。
いくらお代わり自由であっても、長時間水にさらしてあと乾いているような紙のようなキャベツだと台無しです。
やはり手間はかかりますが、キャベツの千切りは直前に切ったものを軽く水にさらしたのが最高です。
ランチタイムが終わると一度夜まで閉じるようなトンカツ屋さんのキャベツはシャキシャキしている確率は高いです。
ランチタイムにあわせて午前中にキャベツの千切りを仕込むからでしょう。
「美味しいお店は開いている時間が短い」という法則があてはまるケースですね。


③ 店員さんがニコニコキャベツのお代わりを持ってきてくれるお店は「神のトンカツ屋さん」です。



定食が届くとまず私はキャベツをもりもり食べます。
そうして「キャベツのお代わりお願いします」と頼むとニコニコしながら山盛りのキャベツを盛ってくれます。
「ドレッシングはどうしますか?」
「いや、あの、トンカツソースが好きなので結構です」
まあ、ドレッシングまで聞いてくれるなんてありがたや。


トンカツを半分ほど食べると二回目のキャベツもなくなります。
するとお店の人の方から「キャベツいかがですか?」と聞いてくれます。ありがたや。
「あ、はい、お願いします」
「ドレッシングはかけないんですよね」
「あ、はい、すみません」
何とそんなことまで覚えているなんて。
しかも猫の手も借りたいようなランチ真っ盛りの忙しい時間帯です。
しかも3回目に関わらず山盛りのシャキシャキのキャベツです。
もし私がキャベツアーでなければ残しちゃいますよ。
でも残さないで頂くんですけどね。


このお店はこれでトンカツ定食が1000円しないのです。
世の中には本当に神レベルのお店があるのですね。
そしてキャベツの付け合せであるトンカツも絶品です。
一度ここのカツカレーも食べました。
なんとカツカレー用のトンカツなのでした。
トンカツ定食のトンカツより少し薄めで脂が少ないサクサクトンカツが、ピリ辛のカレーにかかって出てきました。



神は細部に宿る。
東京のビジネス街のはずれにあるこの老舗のトンカツ屋さんは、昼間の時間はいつもサラリーマンの行列が絶えることはありません。


ということでネギ味噌汁の話(?)続きます。


つづく






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定年後。童心の恩寵。


高齢者のボケは家族には負担の大きいものです。
しかしボケていく本人に接していくと「自我」とは本当に実体のないうつろう事象でしかないことが見えるかもしれません。


非常に苦労の多かった人生の方が晩年ボケることもあります。
自分の子供の顔も忘れて、自分の叔母さんだと思って話しかけるようなこともあるかもしれません。
実の子供からすると母親が自分の顔を忘れるなんてショックなことでしょう。
しかし苦労の多かった御方の最後の恩寵として、辛かったこと悲しかったことを忘れさせて、自我を童心に戻っている。ということもあるかもしれません。


自分の心の奥の奥の意識(真我)は決してボケることもなければ忘れることもないと考えます。
短い人生の期間で、いったん身にまとった自我を解きほぐせるかが挑戦であります。
人をだますことよりも、だまされたことの方が多かった人生かもしれません。
文句を言われても、自分から文句を言えなかった人生かもしれません。
悔しいこと、辛かったこと、それらを抱えて抱えてじっと耐えて生きてきた人生の御方の場合、最後の恩寵としてその御方の真我が自我の辛かった記憶を消すのかもしれません。


真我は自分の良心でありますから、全てを知っています。
残りの短い命の時間でありますが、表面の自我を「辛い記憶」とともに昇華させてしまったのかもしれません。
死ぬ前に童心に戻れることは幸せなことであります。
自分の今生のチャレンジを成し遂げたということであります。


人生の様々なありとあらゆる辛い体験苦い体験を通して、そして最後の最後に自分の良心に許されて童心に戻ることができたと言えるかもしれません。


人によってはボケることなく、社会の中で童心のまま生きることができる御方もおられることでしょう。
その御方は本当に達人の域であると思います。
おそらくその御方は別なチャレンジをご自分の人生に課しているのでありましょう。


しかしボケてしまっても童心に戻ることができる御方は最後に恩寵を自分自身に与えているということかもしれません。



高齢者のボケといってもこのように平和な方だけとは限りません。
見境なく周囲に攻撃的な罵詈雑言のボケ老人もいらっしゃるかもしれません。
その方もその方なりの最後の恩寵を真我が自分自身に与えているのかもしれません。


長い人生の中でたくさん人を傷つけてきたかもしれません。
たくさん人から力ずくで奪ってきたのかもしれません。
たくさん人を踏みにじってきたのかもしれません。
生き延びるためには仕方なかった。勝つためには仕方なかった。
ダマされる方も悪い。バレなかったんだから問題ない。
そのようにして自分の良心に蓋をしてきました。
しかし人生が終わりになるにつれ、自我が急激に薄くなり始めます。
自分の真我(良心)が急に強くなってきます。
自我の殻が分離しようとして、ボケが始まることもあるかもしれません。
その方が罵詈雑言で腹を立てているのは本当は過去の自分自身に対してなのかもしれません。
介護にあたるご家族はその罵詈雑言の老人に接することは心労の多いことであると思います。
しかしその方が叫んでいるのは周囲の方に対してではなく、過去の自分自身に対してであるかもしれません。
人間にとって一番辛いことは何か。それは「良心の呵責」です。
その「良心の呵責」という最大の辛さで見さかいなく攻撃的にならざるを得ないのかもしれません。


同じように人をゆるせなかったままという方も罵詈雑言のボケになるかもしれません。
人をゆるさないまま憎しみ続けるということも、また自分の真我の視点では良心を隠した行為であるからです。


このようにして罵詈雑言のボケ老人も、痛みを伴いながら自分の自我を必死になって解こうとしているように思えます。
まだ肉体に命がある間は間に合う期間であります。
あと一押しで硬い硬い自我の殻がやぶれる直前であるように思えます。
今まで封印してきた良心の呵責を発露させ、硬い自我を粉砕する直前のあがきであるように思えます。



時々死の病床で黒い影に怯える人の話を聞きます。
周囲の人間には何も見えませんが、本人だけにはその病室に黒い影が自分を迎えにくるのが見えると言います。
人によってはその黒い影は一人や二人ではなく何人もの大勢であることもあるそうです。
共通しているのは本人はその影を心底恐れているということです。


この影の正体は何でしょうか。
死神でしょうか。
私は見えない霊的なことはわかりませんので、推測の域は出ませんが、ひょっとしたら本人の良心の呵責が死神に見えるのかもしれません。


もう死神が見える時期になったらほぼ間に合わないのかもしれません。
自我を解かして真我(童心)を発露させるチャンスは数限りなくあったのに、自分の童心を全て無視して踏みにじってきました。
「もっと所有するため」
「もっと勝つため」
「もっと一目置かれるため」
「ダマされる方が悪い」
「弱いやつが悪い」
「バレないなら問題ない」



罵詈雑言のボケであってもそれはまだ死神が訪れる最後のチャンスを、自分自身の真我(童心)に与えられているということかもしれません。



おひさま、ありがとうございます。


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定年後。脱皮。


私達が生きている意味は人それぞれでありましょう。
しかし多くの人たちが挑戦している課題に「生きているうちに自我を解かす」ということがあるように思います。
この世に生まれてきた課題ベスト1になるぐらいの人気の課題ではないかと思います。


私達はこの世に生まれたての赤ん坊の頃はほとんど自我がありません。
自我は小さな小さな種でありますが、私達の成長とともに質量のある固い自我へと成長していくようです。
そして充分大きくなった固い殻の自我という質量をどれほど手放すことができるか!!がこの人生のチャレンジであります。


所有することがあたかも「大切な意味」があるように錯覚し、
相手に勝つことがあたかも「大切な意味」があるうように錯覚し、
他人から一目おかれることがあたかも「大切な意味」があるように錯覚することろまで
自我を成長させるのは何億年という先人たちの苦労のたまものでありました。
私達はその自我を成長させ認識する遺伝子環境を利用させて頂いているわけです。



「所有すること」「勝つこと」「一目おかれること」これらが人生の一大事になった時点でマラソンの折り返し地点です。
残りの人生でこれらを手放せるかどうかが、本当の自分の生まれてきた意味であります。
そのように自分の課題を決めた魂の方々も多いことでありましょう。



もし肉体の命が終わるゲームセットの時間になっても、自分の想念の中にこれらの自我が残っていたら、さぞかし悔やむこととなるのではないでしょうか。


自分の魂の奥の奥では、自分が挑戦しようとしていた課題は覚えていることでありましょう。
自分の魂の奥の奥とは真我とも言われます。
真我は何とか生きているうちに、自分の自我を捨てるようなきっかけを与えたいと思っていることでしょう。
何とか今回の人生こそは、悔いがないように生きたいですから。もう後悔するのはこりごりですから。ということを覚えているからでありましょう。


普段の恵まれた生活の中でも、自我を薄くしている方はいらっしゃいます。
表面的には所有しているようで、ご本人の心の中では、自分が無一文になっても与える衝動の方が強い方です。
表面的には勝っているようで、ご本人の心の中では、いつでもニコニコ相手に勝ちをゆずることに抵抗がない方です。
表面的には一目置かれているようで、ご本人は自分のプライドよりも相手をたてることの方が大切な方です。
こういう御方は、結果的に社会からいろいろ与えられ恵まれた人生を送ることができるように見えますが、心の中では「所有すること」も「勝つこと」も「一目置かれること」も全く興味がないのです。
これらの自我の殻を手放すことが、真我の喜びである(今生で本当にチャレンジしたかったこと)ということを心の奥底で思い出されている方であります。
そういう方はそういう方で、また別の次の段階のチャレンジをお持ちかもしれません。
この現世の人生とは、望むだけ挑戦しがいのある課題を提供してくれる稀有な時間でありますから。



さて話は戻ります。
私達のような自我がまだカチンカチンに固いまま、もう中高年の折り返しを迎えた人間はどうなるでしょうか。
強制的に自我を手放す事件や境遇に遭遇することとなるようです。
「所有する」ことを強制的にあきらめざるを得ないか、
「勝つこと」を強制的にあきらめざるを得ないか、
「一目置かれること」を強制的にあきらめざるを得ないか。


これらは自我にとっては大きな挫折でありましょう。
しかしこの現世の体験は何が幸いになるかわかりません。
今まで挫折を知らないで、自我が育つだけ育った人の痛みがわからない中高年の方が、これから自我を手放すのに痛い体験が必要かもしれません。
逆に今までの人生で挫折の多かった人の痛みがわかる中高年の方の方が、これから真我が喜ぶ柔らかい生き方に近いかもしれません。


定年になって、いままでの看板や肩書を手放して「無力」「無名」で第二の生活がスタートできる方は立派な方であると思います。
定年になっても、今までの自我の固まりの延長線で生きる人は、自我の視点では満足でしょうが、真我の視点では残念なことです。
残り時間が少ないのに、自我を手放すことに全力で抵抗しています。
このままじゃ「所有すること」「勝つこと」「一目置かれること」という執着を墓場まで持っていくつもりだ~。


人生で最後の恩寵が介護を受ける身体である人もなかにはいらっしゃるのではないでしょうか。
要介護とは残されたご家族には大きな負担です。
国の財政負担としてもどんどん大きくなっていく一方です。
答えのない難しい問題であります。


ただ介護を受ける身になって、自我を手放すことがある面もあるかもしれません。
ボケるということは、固い自我を痛みを伴って力ずくで手放すという面もあるかもしれません。


執着が強すぎて「人をゆるすことができない」「人に謝ることができない」固い固い殻となって脱皮しつつある状態なのかもしれません。
その執着の固まった臭い殻は、周囲の人間には負担であるのは間違いないでしょう。
しかしもう本人にはそれしか選択肢が残っていないのです。
死ぬ前に「生きている期間のうちに」この自我の殻を脱ぎ捨てるには、この方法しかないのです。
ひょっとしたらそういう状況なのかもしれません。


ボケたまま罵詈雑言のご老人もおられるかもしれません。
しかし自我が乖離して、生きているうちに一瞬でも正気に戻り、今まで許せなかった相手を許し、今まで騙し傷つけ自分の良心を閉じ続けた相手に申し訳なかったと思える瞬間を持てるかどうか。
その方の真我が最後の一発逆転にかけて、その方の自我が脱皮をしかけている状態が「ボケ」であるのかもしれません。から。


http://www.kenchikushiblog.com/media/1212/セミの脱皮21.jpg



脱皮がきれいに出来た御方は、目の輝きが幼児と同じである理由でありましょう。
つづく



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定年後。アルツハイマー予防。


医学が発達して高齢者の肉体の健康が維持されるようになると、相対的に認知症の老人の割合が高くなって来ています。
今まで認知症になるような年になるころには、肉体自身の寿命が来ていたのですが、肉体が持つようになったため、認知症が社会問題になって来ているようです。皮肉なものです。



先日NHKスペシャルで放映していた内容によりますと、若い頃からの食生活習慣がアルツハイマー発症に大きな関係があることがわかってきたとのことです。



つまり血糖値が急激に高くなるような食習慣を長期間続けていると、中高年になるとアルツハイマーになりやすいのです。
血糖値が急激にあがる食生活とは、食後にすぐ甘いものを食べるというデザート習慣も当てはまりますが、「ラーメンとライス」「うどんと稲荷寿司」「パスタとパン」のように一食の中に二種類以上の炭水化物を摂取する習慣も良くないようです。


急激に血糖値があがる食事は、脳には「快感」として記憶されます。
ニコチン中毒やアルコール中毒のようなものだと思います。
血糖値中毒になるとなるべく血糖値が急激にあがるような食事(炭水化物の重ね取りや食後の甘いデザートなど)が禁断症状のようになるかもしれません。

==========
炭水化物の重ね食いを続けたり、高脂肪なものなどを食べ過ぎたりする食習慣は、太るだけでなく脳に悪影響を与えます。
アミロイドβがたまり始めるのは早い人で40代から。中年太りを避けることは糖尿病などの生活習慣病予防になるだけでなくアルツハイマー病予防にもつながるんです!
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120926.html
==========


http://blog-imgs-50.fc2.com/k/i/m/kimito39gmailcom/fc2_2013-11-05_18-17-10-090.jpg


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dc-72/tctbx135/folder/1785031/66/67520466/img_1?1354889693

食事のとる順番で血糖値については改善が可能なようです。
糖尿病だけでなく脳を守るために、血糖値については心を配りたいものです。



また歩く速度が認知症発症とも大きな関係があることがわかってきました。
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2012年、米国ボストン・メディカルセンターの研究チームは、「歩くスピード」と「握力」で認知症になりやすいかどうかがわかると発表した。
「2400人を対象とした11年間に及ぶ追跡調査の結果、歩くスピードが遅かった人は、速かった人に比べ認知症の発症リスクが1.5倍も高かったという。同様に、握力の弱い人ほど、認知テストの点数が低かった。11年という長いスパンの調査研究だけに信頼性が高い。歩くスピードや握力が、大脳の総体積に比例するからです。
※週刊ポスト2014年6月13日号
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1093884
==========



認知症にならないためには、若い頃から「血糖値を急激にあげない食生活」を心がけることと、歩く時はなるべく若々しく早歩きを心がけることが有効なようです。


http://img.wonderhowto.com/img/68/61/63487372043791/0/stop-your-sloshing-carry-hot-cup-joe-without-spilling-any-coffee-you.w654.jpg




そしてもう一つ、認知症に大きな相関関係があるとわかってきたことがあります。
==========
フィンランドの研究者が最新の研究で、皮肉屋で人を信用しない人は、認知症になる危険性が高い傾向があることを発見したそうだ。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164754.html
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つづく



おひさま、ありがとうございます。


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定年後。不老の妙薬。


先日数十年ぶりに友人と再開しました。
私も人のことは言えませんが、彼はすっかりおじさんになっていました。
いや、実際の年齢よりずっとずっと老けておりました。
学生時代はかなりのイケメンでナイスガイだったのに、もう外観はすっかり変わってしまいました。
待ち合わせしていたから何とかわかったものの、普通に街であったぐらいでは、彼とは気づくことはなかったかもしれません。


大学を卒業した彼は一流企業に入社してバリバリ働いておりました。
しかし実家の跡を継ぐということで田舎に戻ったのでありました。
彼の実家は地主さんで、地方都市とはいえ駅前に何軒もビルやらマンションやら所有しており、それらの家賃収入だけで家族が裕福な暮らしをしておりました。


もともとおっとりとした性格の彼でしたから、そのまま平穏で裕福な暮らしにひたってもう長いこと大家さん生活をしておりました。


さて数十年ぶりに彼と呑みます。
彼は私に言いました。
彼には悩みがある。
毎日が暇で暇で困っている。
何をしたら良いのだろうか。


子供はすっかり大きくなって学校や部活で遅くならないと帰ってきません。
奥さんは地域活動に精を出してやはり一日中家にいません。


彼は趣味もなく近所付き合いもなく、日がなぼおっとしているようです。
スリムだった体型も、今やポチャポチャお腹で、彼の長期にわたる運動不足の生活を思わせました。
最近小さな農園を借りて野菜を育てている。と彼は言いました。
それでも夕方にはやることなくなっちゃうんだよなあ。



彼が実年齢に比べてずっと老けて見えたのは、ストレスのない生活が大きな理由でありました。
私達庶民は常に思います。
ああ、今日も仕事に行きたくないなあ。
遊んでても収入がある身分になりたいなあ。
身体を動かさなくても一日中ゴロゴロしてられる身分になりたいなあ。



しかしそういう夢の生活は、身体をあっという間に老化させてしまうということを目の当たりにしました。
ストレスがない環境。
美味しい食事とお酒の毎日。
歩かないでも収入が自動的に入ってくる生活。
これらの夢の生活は、身体の細胞を急速に老けさせてしまう猛毒であったと言っても過言ではないかもそれません。



仕事のノルマのストレス。
顧客のクレームのストレス。
資金繰りのストレス。
朝早くから起きなきゃいけないストレス。
何時間も立ちっぱなしの仕事のストレス。
私達のこの辛い辛い毎日の環境こそが、不老の妙薬であるかもしれません。



そして今回のテーマの「定年後」でありますが、健康な身体を維持するためには、定年後もこの不老の妙薬の環境を維持できるか。という点にあると思います。


定年のあとも社会的に適度なストレスを受けられる環境が、実は本人にとって望ましいと私は考えています。
しかも前職の看板や肩書とは無関係な、無名で無力な立場での労働が更に本人の精神の健康に良いと私は考えています。


「社会の中で働く」という事実が、どれほど本人の身体の健康と心の健康と魂の成長のために有効であるか。これを無意識にでも知っている人は、自ら不老の妙薬を自分自身に調合していると言えると思います。



https://www.sej.co.jp/arbeit/recruitment/jobfind-pc/original/images/job/5.png


http://livedoor.blogimg.jp/huckleberryfinn1/imgs/5/8/58ce2d0c.jpg




つづく



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