9月28日、長野、岐阜県境にある標高3067mの御嶽山が突然噴火し、火砕流などで登山者らに多くの被害者が出た。
御嶽山といえば、登ったことのない私でも「木曽節」の歌詞で名前だけはよく知っている。
♪ 木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ~ ♪
「御嶽山は噴火の記録も活動もない死火山だと思われていたが、1968年ごろから火山活動の兆候が表れた。1979年にはとうとう噴火し新聞記事に『有史以来初めて』と報じられた。この突然の噴火をきっかけに、休火山や死火山の分類がなくなった。
地質調査の進歩で、数万年に1度噴火する火山もあることが分かり、歴史記録での分類はあまり意味がないとされた。人の歴史など火山にはほんのつかの間のことに過ぎない。御嶽山も近年の知見では、過去1万年に4度の大噴火を起こしていたことが分かっている」と新聞記事に書いてある。
ここ100年ばかりで、人類は急速に近代化を果たしてきた。古来、遠くから美しく眺めるだけであった月にまで行って帰ってきた。何でも科学的に分かるようになり、一般市民は、お上からの指示に従いさえすれば、身の安全は保てると思って生きてきたように思う。
東日本大地震に伴う大津波や、広島市の大雨による土砂災害の被害は、過去にもあったことが後世に的確に伝承されていなかったことから、大被害をもたらした。今を生きる我々は、遠い過去のことは学ぶこともなく、知らずに過ごしている。
このたびの御嶽山の突然の噴火は、現在の科学の限界を超えて起きた現象であろうが、大噴火という現象は遠い過去にも起きている。「何万年に一度」と聞くと、今日や明日のことではないと思いがちであるが、今日であるかもしれない。自然に対して恐れおののくことを軽んじてはいないだろうか。それとも起きることすべて、運命論でかたずけるしかないのだろうか。