写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

誰だっけ?

2012年03月31日 | 生活・ニュース

 月に1度、コレステロールの薬をもらうため、近くの病院へ出かけている。昨日の午後、いつものように出かけた。待合室に座って週刊誌を読んでいると「Rさん、中に入ってお待ちください」と看護師に呼ばれ、診察室のドアのすぐ前にある椅子に座って待った。診察室の中から、先生と患者さんとの会話がよく聞こえる。

 野太く低音の患者と先生が何やら世間話をしている。「あなたのところは定年は何歳かね?」「65まで働こうと思ったら働けるんよ」と言っている声が聞こえた。ドアが開いて60前の女性が出てきて、私と目があった。その瞬間「あっ、Rさん。わたしっ、分かる? 『和白』にいたK美。覚えてる?」と笑顔で話しかけてきた。

 2、3秒時間はかかったが、すぐに思い出した。現役時代、一番お世話になった駅前のスタンドバーにいた女性である。ママと2人のこじんまりとしたスタンドバーで、酒に弱い私のことを良く分っていてくれて、何も言わなくても水割りは薄く作ってくれる店であった。定年になってからというもの、足を運ぶ機会は激減し、十数年ぶりの出会いであった。間もなく店をたたんだことは伝え聞いていた。

 彼女が会計を終えて病院を出たとき、聞きたいことがあって私も後について出た。「あのママは今どうしているの?」「ママはねぇ、3年前に亡くなったの。店をやめて旦那の里の四国へ行った後、ガンになってね」と、亡くなるまでの話をしてくれた。気さくで気風のいい九州出身のママであった。

 一通りママの話が終わった後、当の本人・K美の話に移った。58歳だという。毎日パートで食品加工の仕事に頑張っている。主人は調理人。「まだまだ頑張ってもらわんと……」と笑い飛ばす。スタンドにいたころも太い声だった。カラオケでデュエットしても、男同士で歌っているような声の持ち主であったが、それは今も変わっていない。「いつか、私の家に寄ってください。コーヒーならいつでもごちそうしますから」といって別れた。

 時は流れ久しぶりに、懐かしい人と出会ったが、その場所はスタンドバーではなく、町の病院の待合室。カウンター越しのふざけた話ではなく、ごく真面目な話をしたが、飲み屋のお姉さんだった女性と真昼間に出会って話すのは、どうもいつもと勝手が違う。


春の味覚

2012年03月27日 | 季節・自然・植物

 1か月も前に、奥さんから宿題が出されていた。家の西側に、15年前に30本くらいカイヅカを植えていた。高さが2m以上に育って以来、2、3度刈り込みをしたことはあるが、今また背が高くなったばかりか高さも不揃いとなり、外からの見栄えがよくない。これをきれいに刈り込めとのお達しである。

 何とかかんとか言って先延ばしにしていたが、天気の良い日、ハシゴとノコギリを持ち出して一気に刈り込んでいった。切り落として放置していた枝が枯れたころを見計らって裏庭に集めた。昨年末に買った中型のストーブを設置している。買ってきた薪を古いナタを持ち出し、細かく割って新聞紙で焚きつけた。「いいぞ、いいぞ」うまく薪が燃え始めた。

 こんなことをするのは何十年ぶりか。子供のころ、五右衛門風呂を沸かしていた頃のことが蘇みがえった。焚きつけの腕は未だ衰えていない。火の勢いが良くなったころカイヅカの枝を投入した。油分が多いのだろう、パチパチと大きな音を出しながらよく燃える。「家の中に暖炉があれば楽しいだろうな~」と言いながらしばらく炎と戯れていたとき「イモを焼いてみましょうよ」と奥さんが言う。アルミ箔に包んだイモを3個持ち出し、ストーブの上端にある調理棚に収めた。

 春まだ浅い日に、秋の味覚の「焼きイモ」だ。まあ、春にイモを食べてはいけない決まりもなかろう。待つこと15分、焼きイモの香りが辺りに漂い始めた。その時、隣家の奥さんが垣根越しにクレソンを両手いっぱいに持ってきてくれた。「かき揚げにするとおいしいですよ」と調理法まで教えてくれる。もらったクレソンのお返しに、焼きあがった熱々のイモを1個お裾分けした。

 「あっ、ツクシが出ている!」庭の隅で、奥さんがツクシを見つけて摘み始めた。丈は短いが片手いっぱいのツクシを採った。袴をむしるのは私の仕事。その日の夕食は、言われた通りにクレソンとエビのかき揚げとツクシの佃煮。労の割には量の少ないツクシの佃煮である。「ツクシ足りない 私が悪い」は都はるみの「大阪しぐれ」。労の割には益の少ない仕事ぶりが得意であったころを思い出しながら、春の味覚をほろ苦いビールと共に味わった。 


休眠打破

2012年03月23日 | 季節・自然・植物

 この冬は例年になく寒かったせいで、梅の開花は2週間も遅れていると報じられていた。夕方久しぶりにいつもの散歩道を歩いていると、紅白の梅が今が盛りと家々の塀の上から枝を伸ばし楽しませてくれる。やっと春になったことを実感しながら快い散歩をした。

 ワシントンのポトマック河畔では、100年前に日本から贈った桜が今満開だという。ワシントンの春は日本より一足早いようだ。日本でも桜が咲く本格的な春はすぐそこまで来ている。桜が開花する日を、人間の感覚で正確に言い当てることは難しいが、もの言わぬ桜は誰から指示されることなく自分で判断し、毎年ほぼ同じ時期に咲き始める。

 暖冬だったから早く開花し、寒かったからと言って遅く開花するというわけではない。夏に翌春咲く花芽を形成し、寒くなるといったん「休眠」に入る。休眠した花芽は一定期間冬の低温にさらされると再び眠りから覚め、成長をはじめる。これを「休眠打破」と呼び、1年のうちで最も寒い1月から2月ころに起こる。1日の平均気温が3~9℃程度の日が2週間ほど続くと休眠から目覚めるといわれ、休眠打破の後、気温の上昇とともに成長し開花する。低温の期間がないと春先の気温が高くても開花は遅れるという。

 桜が休眠をから目を覚ますきっかけは、春めいた暖かさではなく、1、2月の厳しい冬の寒さであることを知った。そういえば、朝早く起きなければいけないようなとき、階下から優しい声を何度かけられても聞こえはしない。ぬくぬくと厚い布団の中で丸くなって春眠をむさぼっているとき、ぱっと掛け布団をはぎ取られたひにゃあ、寒くて一瞬の内に目が覚めて飛び起きる。いやいや、これは休眠打破とは言わないか。

 「休眠打破」とは、何ごとも次への飛躍を期すときには、じっと耐えて力を蓄える時が要り、厳しい環境の中にいる間にこそ、その時の準備をしておかなければ大きな事は成しえない、ということと理解した。2週間後に計画している同好会の花見の席での蘊蓄が一つ増えた。毎日あたかも休眠しているようなこのごろの私、気合を入れ直して休眠打破ならぬ、現状打破してみよう。
    (早くも咲き始めた我が家の「サクランボ」の花)


横書きを縦書きに

2012年03月21日 | パソコン

 先日、「青空文庫」といい、著作権が消滅した文学作品をインターネット上で収集・公開しているサイトがあることを知った。言ってみれば、家にいて好きな本が読める電子図書館である。蔵書としては、主として明治から昭和初期の作品が1万点もある。

 試しにこの図書館をのぞいてみた。作者別・作品別にたくさんの本が公開されている。芥川龍之介の項を開けてみると、長編・短編を含めて何と336作品もが公開されている。作品名は聞いたことがあるが、読んだことのない「鼻」を読んでみることにした。

 パソコンの画面で読み進めていたが、どうもしっくりこない。ハタと気が付いた。小説を横書きの文字列で読んでいることに違和感がある。とは言いながら、今書いているこのブログは、過去何年も特に違和感ないまま横書きで書いてきた。読むときだって、何ら問題意識も持つことはなかった。それなのに、小説を横書きで読むのは大変読みづらく感じる。

 小説のように文が長いとそう感じるのか、はたまた小説は縦書きでないといけないという先入観がそう感じさせるのか。こんな問題を解決するため、青空文庫の本を縦書きで読むことが出来ないかと調べてみると、あったあった。今の世の中、奇特な人はいるものだ。どこの誰だか知らないが、一瞬で横書きを縦書きに変換してくれるソフトを無料で提供してくれている人がいる。

 青空文庫にある横書きの本のURLをコピーして、このソフトに貼り付けた瞬間、普通の単行本のような縦書きの本に早変わりする。こうして読むと、気持ちよく快調に読み進めることが出来た。「うん、これでお悩み解決」と思ったが、一つ疑問が残った。なぜ、青空文庫は作品を初めから縦書きで公開してくれないのだろうかと。

 今日まで、パソコンで色々な資料を横書きで書いてきたが、エッセイなどの文学作品だけはプリントするときには縦書きに書き直してきた。そうしてみるとこのブログ、タイトルだけは「写真エッセイ」と大見得をきってはいるが、横書きで済ませているところを見ると、私の心の中では文学の範疇に入れていないということになるのか。なんとなく納得できるところが少し悲しい。


庭木異変

2012年03月20日 | 季節・自然・植物

 13年前、転勤先から今住んでいる自宅へ帰って来たとき、枝垂れ梅の幼い木を持って帰り東向きの中庭に植えておいた。それ以来4、5年間は春になっても花を咲かせることなく、S字型の悩ましげな細い幹を見せて立っているだけであった。

 数年前から、やっとというか、いやいやというか、わずかに4、5輪花をつけるようになった。「この梅の木は、花を付けない種類なのかなぁ」などと、毎年皮肉をいいながら過ごしていた。ところが今年、何に驚いたのか、悪口を言われっぱなしであったこの枝垂れ梅が、今まで見たことのないほどのたくさんの蕾を付けた。

 2月の末、固いつぼみの数を数えてみた。「2、4、6、8……」、指をさしながら追ってみると、ざっと150個くらいはあった。「おーい、今年は梅で花見が出来るぞ~」、すぐに奥さんに伝えた。それから1ヶ月が経った今日、デジカメを持って庭に出た。東向きのため1日中陽が当たるわけでもない一隅で、初めて多くの花を咲かせている。さすがに枝垂れ梅だ。枝垂れた先が地面に着いているところにまで花を付けている。

 2か所腰を折り、最上部から細く長い枝を垂らせている姿は、あたかも笠をかぶって日本舞踊を踊っている藤娘のように見えなくもない。固い蕾だったものが、ひとつ残らず咲いている。13年ぶりの快挙であった。

 かたや庭の南に植えてある紅白の花水木。毎年、羨ましがられるほどの花を咲かせて楽しませてくれる自慢の木であるが、今年はつぼみの数は今までにないほど激減している。こちらは淋しい5月になりそうだ。殊のほか寒かったこの冬のせいにしては、我が家の枝垂れ梅と花水木の明暗はどう説明すればいいのだろうか。

 まあ、花水木は今年は小休止ということにしても、あきらめかけていた枝垂れ梅が13年目にしてやっと花開いた。待てば海路の日和あり? 何ごとも、優しい眼差しでじっと見守るということの大切さを、枝垂れ梅から学んでいる。それにしても13年とは少し長すぎないか……