写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

天橋立

2020年10月31日 | 旅・スポット・行事

 城崎温泉に向かう途中、宮津湾にある「天橋立」を初めて訪れてみた。ご存知の通り、陸奥の「松島」・安芸の「宮島」とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつである。

 平日であるにもかかわらず、さすがに観光客が大勢来ている。車を止めると、係員がリフトに乗って展望台へ行くように勧めてくれる。言われた通りリフトに乗ると、たちまち標高が131mの「天橋立ビューランド」というところにたどり着いた。

 そこから眺める天橋立は、天気も幸いして、青い海と青い空とが一体となり、そこに横たわる美しい緑の松並木は、まさに天へと昇る龍の姿である。そのため、天橋立ビューランドは「飛龍観」とも呼ばれているという。

 幅が約20~170m・全長約3.6kmの砂洲に約5000本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が、天に架かる橋のように見えることから「天橋立」の名が付いたという。

 
日本三景・天橋立といえば有名なのが「股のぞき」である。並べられている石造りの股のぞき用の台に上がり、老若男女・観光客は皆、笑いながらも、まずは股のぞきをやっている。龍が降臨する姿を望むことが出来るというが、股のぞきの格好をすると目まいがして足元が不安定となり、そんな景色を見る余裕はなかった。

 さすがに日本三景である。日本海を背景とした雄大な眺めの中で、手塩にかけた天然の池泉庭園を見ているように感じた。日本人ならぜひ1度は見ておきたい飛龍の絶景を、この年になって初めて訪れてみた。
 

 

 

 


天空の城

2020年10月30日 | 旅・スポット・行事

 車で岩国から城崎へ向かうルートは、山陽道を走るか山陰道を走るかの何れしかない。往きは山陽道を走ることにし、ちょっと赤穂市に立ち寄ったあと姫路に1泊する。翌朝8時に出発し、一般道を使ってまずは天橋立を目指した。

 真っ直ぐに北に伸びる国道312号線を130km走ると天橋立に着く。姫路から75kmくらいの、河沿いの田舎道を走っているとき、奥さんが「何かしら、あの山の上に要塞のようなものが見えるわ」と言って、窓の左上の方を指差す。

 ちょっとした広場に車を止めて見上げると、確かに幅広く石垣が築かれているように見えた。地図で確認すると「朝木市」である。図らずも、かの有名な竹田城のふもとであった。

 竹田城跡は、標高353mの古城山の山頂に築かれた山城で、山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城」とも呼ばれている。東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇る城跡である。

 「日本100名城」に選定されており、しばしば秋の良く晴れた朝にふもとを流れる円山川から濃い霧が発生する。この朝霧が竹田城跡を取り囲み、まるで雲海に浮かぶように見える姿から「天空の城」と呼ばれるようになった。

 車で出かけた時には、目的地を決めるとひたすらそこを目指して高速道路をひた走ることが多かったが、今回は、基本的に一般道路を走ってみることにしていた。その結果、思いがけない景色に出会えることができた。 

 竹田城の築城に関しては詳しいことは解明されていないようであるが、関ケ原の戦いの後、幕府の方針で廃城となったが、以来
約400年を経てもなお、石垣がほぼそのままの状態で残っている。

 図らずも「天空の城」を、俯瞰することは出来なかったが、ふもとからしっかりと仰ぎ見ることは出来た。

 

 

 

 

 

 


城の崎にて

2020年10月29日 | 生活・ニュース

 志賀直哉は、「城の崎にて」という5千字程度のごく短編の小説を30歳の時に書いている。1913年、東京に滞在していた直哉は「出来事」という小説を書き上げた晩に、里見弴と一緒に素人相撲を見に行くが、その帰り道に、山手線の電車にはねられ重傷を負い入院する。その養生のために城崎温泉に3週間滞在した。その時、蜂・鼠・イモリという3つの小動物の死を目撃する。

 事故に際した自らの体験から、徹底した観察力で生と死の意味を考えて書いたものが「城の崎にて」で結実する。簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている。

 城崎温泉といえば、平安時代以前から知られる温泉で、7つある外湯めぐりを主とした温泉である。筆頭とされる「一の湯」は、江戸時代中期の漢方医が泉質を絶賛し、「日本一」の意味を込めて後に「一の湯」と命名したものだという。

 そんな城崎温泉には、結婚したばかりの40年も前に、1度車で出かけたことがある。このたびGoToトラベルを使って、車で再び出かけてみた。宿は温泉街から少し離れたところしか取れなかったが、念願の外湯「一の湯」には行ってみた。

 しっとりとして、肌に優しいお湯であった。旅から帰った翌日、書棚に「城崎にて」の文庫本があることを思い出して再読してみた。小説の中ほどに「ある午前、日本海の見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。『一の湯』の前から小川は往来の真ん中をゆるやかに流れ、円山川へ入る」と温泉街の風景を描写している。

 結局この短編小説の中で、直哉が事故後もこうして元気に歩いていることに対して感謝しなければ済まないと書き、結論付けていることといえば「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」と書いている。
 

 蜂・鼠・イモリの死を目撃することにより、生と死は、何でもないほんの些細な出来事で決まるものだという人生観に至ったということだろうか。そうであればとっくの昔に私はそういう心境に至っているが、直哉と私の差はそんなものではない筈である。

 


線香占い

2020年10月23日 | 生活・ニュース

 忙しいわけではないが、毎日は仏前で手を合わせてはいない。仏壇の花瓶に挿した花が、しおれかけたのを見て慌てて水を替える。先祖に対し、私は少し失礼をしているかもしれない。毎日拝んでいる人を知っているが、本当に頭が下がる。

 時々仏前に座り、線香を立てて先祖に近況の報告をする。火災予防のため、線香は半分に折って立てる。お坊さんがしていることを見習ってやっているが、この時私がこだわっていることがある。

 まず、1本の線香の端を左手で水平に持つ。そして、真半分だと思うところを、右手の親指の爪で折る。2本になった線香の背丈を比べるが、全く同じ長さということはまずない。調子の悪いときには、1センチ以上も異なっている。そんな日は言動を慎み、なるべくおとなしくしている。

 ところが今朝のことである。いつものように仏前で線香を折った。なんと2本の線香が寸分たがわず、まったく同じ長さになっている。「おっ、今日はいいことありそうだ」。仏様に、いつにも増してやや長く近況報告をし、最後に「何かいいことありますように」と言って頭を下げる。

 仏様にお願い事? この際、神様でも仏様でも頼みを聞いていただけるものならと思い、素直な気持ちに自分を変えている。常日頃、占い、迷信を全く信じることなく、科学的に生きていると自負している私が、唯一信じかけている「線香占い」である。(2020.10.23 毎日新聞「男の気持ち」掲載)


外敵対策

2020年10月22日 | 季節・自然・植物

 夏に日本本土で発生したアサギマダラの個体の多くは、秋になると南西諸島や台湾まで長距離を飛んで南下することが知られている。あんな小さな体で、よくも移動できるものであると感心するばかりである。
 
 このアサギマダラは、何故フジバカマの花にしか寄ってこないのか。疑問に思って調べてみた。

 アサギマダラの幼虫が食べる草は、ガガイモ科のキジョラン、カモメズルなどで、アルカロイドを含む有毒植物として知られているものである。幼虫時代に有毒物質を体内に蓄積させ、成虫になっても体内に蓄積され続けるので鳥などの捕食者に忌避される。

 成虫したアサギマダラが好むフジバカマを含むヒヨドリバナ属も、アルカロイドを含む有毒植物で、特に雄はフジバカマの花蜜からアルカロイドを取り込んで天敵から身を守るばかりでなく毒物を代謝し、性フェロモンとして分泌する。

 アサギマダラは幼虫・サナギ・成虫とどれも鮮やかな体色をしているが、これは毒を持っていることを敵に知らせる警戒色と考えられているという。

 こんな小さな生き物でも、生まれながら生き抜く術を備えている。自らの体内に他者にとっては有毒なものを蓄えて、自分の身を守っているとは驚くばかりである。

 そういえばマムシのような毒蛇なども同じ類である。そうか、生きとし生きるものみな、外敵からわが身を守る術を生まれ持って備えていることを再認識した。

 翻って見る私はどうか。体力も知力も他人より特に優れたというところもない。かくなる上は、外敵に狙われないように、笑顔を忘れず、他人には優しくをモットーに生きていくしかないようだ。そういえば現役時代「○○ちゃん」と、ちゃん呼ばわりされていたことを思い出しているが、これも外敵対策の結果だったのかもしれない。