先日、裏山の桜ヶ峠までの1.4kmの登山道を10等分した個所に、山登りする人の目安として自称「1町塚」という道標を掲げておいた。太いマジックインキで、立木やガードレールに「1号目」とか「5号目」などと目立つような個所を選んで書いておいた。
数日たったころ、この道標を見ながら山歩きしているとき、奥さんが「この『号目』という書き方はおかしいのではないかしら」と言う。改めて言われてみればそうである。山歩きをしているときに見る道標では「号目」ではなくて「合目」と書いてある。改めて「合目」と書く理由を調べてみた。
「合」とは、尺貫法における体積の単位である。中国・漢代の長さの標準器であった黄鐘管を満たす水の量の2倍の量に由来するもので、2倍であるので「合」という名称となった。後に升と関連づけられて、その10分の1の量とされるようになった。そこから「合」自体が「10分の1の量」という意味となり、登山道の目安を表す単位が生まれた。麓から頂上までを10合に分けるが、単純に高さや距離で等分しているのではなく、実際に歩いて登る際に要する時間がおおよその基準になっているため、険しい場所や坂の急な場所では1合の長さが短くなっている。
他にもいろいろな説があるようだが、『富士の研究』(全六巻・富士山本宮浅間神社社務所・昭和3年刊)には、次のようなことが書いてあるという。
(1)富士山の形が枡に米を盛った時の形に似ているので、穀物を計る単位「合」を用いた。
(2)梵語の『劫』が『合』に変化した。つまり、富士登山の苦しさを人生の苦難にみたて、その難しさを劫数、すなわち合目で表した。
(3)富士山頂のことを御鉢といい、仏教用語でもおそなえする米を御鉢料と言うところから、米にたとえて「合」で区分した。
(4)昔、夜は行灯を灯しながら登っていたので、その行灯の油が一合燃え尽きる道のりで区切った。
こんなことからであろうか、昔から山の道標としては「合目」が使われている。裏山の道も一応登山道である。それであれば「号目」ではまずかろう。詳しい理由が分からないまま、翌日、「号目」を「合目」に書き直して歩いた。これで名実ともに立派な道標と認知されることを期待したいが、果たして何人の人が「号目」と「合目」の違いに気がついてくれるだろうか。