写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

夫婦円満

2006年10月31日 | 生活・ニュース
 夫婦円満の秘訣は、いかに上手に妻の尻に敷かれるかだという。「全国亭主関白協会」が、家庭内のイザコザを平和裏に解決する技と心を紹介している。

 熟年離婚多発の危機に面した日本も、亭主が変われば変わるという。まず妻を天皇と位置づけ、夫は「勝たない」「勝てない」「勝ちたくない」の「非勝3原則」を守らなければならない。

そのためには以下の「愛の3原則」を実行せよという。
  1.「ありがとう」を素早く言う。
  2.「ごめんなさい」を恐れずに言う。
  3.「愛してる」を照れずに言う。

 これさえ守れば、家庭内のイザコザは解決し、夫婦円満の毎日を送ることが出来るという。

 この記事を読んで、自分自身のことを振り返ってみた。妻に何か頼みごとをしても、毎日おいしい食事を作ってくれても、洗濯物がちゃんと引き出しに入っていても、「ありがとう」と目を見て言ったことはあまりない。

 たとえ自分が間違っていたときも、言い出しにくい浪費がばれたときでも、素直に「ごめんなさい」と言って頭を下げたこともない。

 「愛してる」なんて言葉は、完全に私の辞書の中からなくなって久しい。思い起こしてみても、わが人生で1度も言ってみたことのない言葉かもしれない。

 こんなことでよくもまあ、熟年離婚に至らなかったと、ただただ感心しているばかりである。

 こうしてみると、夫婦円満の秘訣はあながち「全国亭主関白協会」が言っていることが全てでもなさそうだ。

 では私は何をしてきたのか。「私の愛の原則」は何だったのか? 空を見つめ、じっと考えてみるが、これといって思い当たるものは何もない。
 
 しいて言えば、口数少なく、何を言われても素直に従い、反論なんてしたこともなく、相手が間違っていても笑って済ませ、感謝の気持ちだけはいつも持って接してきたことか。

 おっと、これは奥さんが私にしてくれていたことであることに今気がついた。「長い間ごめんなさい」と言っても、今となってはもう手遅れか……?

 こうしてみると、夫婦円満の秘訣である「愛の3原則」とは、私にとってはまさに修行に近いような気がする。が、頑張ってみるか。
   (写真は、夫婦円満の象徴「夫婦湯飲み」)

ダメージ加工

2006年10月30日 | 生活・ニュース
 はきこなしたようなスニーカーや、くたくたの革バッグが、最近若者たちの定番になっているという。

 中古品だったり、使い古したわけではなく、薬品を使って色あせた風合いを出す「ダメージ加工」を施した新品である。 

 先駆けは、90年代にジーパンなどが「ビンテージ(年代物)」と呼ばれ、若者たちの間でブームになったのが始まりである。

 新品なのに、わざとくたくたにする発想は、個性的なファッションにしたいということもあろうが、体になじむ感覚を好むということからのようだ。

 最近では、若者だけでなく中年の男性にも広がりつつあるという。若者でも中年でもないが、私もこのビンテージ風のジーパンを2本も持っている。

 と言っても、ダメージ加工したものを買ってきたわけではない。着古したため、お尻やひざ小僧のところがすだれ状に破れてしまい、ビンテージ風になったものである。

 昔であれば、このような状態のものを着て、町に出かけるなんてことは、みすぼらしくて考えられないことであったが、今では平気の平左でやっている。

 流行のファッションと思い、むしろ誇らしげに闊歩している。しかし、正直なことをいえば、長く身に着けていたものは、体になじみ捨てがたいというのがやはり本音である。

 しかし、新品のときから過剰なダメージ加工してまで着古したようにすることもあるまいとも思う。何と言っても、もったいないという気持ちが先に立つ。

 そんなにビンテージな物が好きなのであれば、ものはものでもビンテージな「者」をもう少し大切にしてほしいとも思う。

 長年、四苦八苦して生きてきたおじいさん・おばあさんたちは、何十年間も既に十分ダメージ加工されて、中身も外観もすっかりビンテージになっている。

 その各人の個性的なダメージは、誰が見ても人にやさしくなじみ易いビンテージだ。それに近づきつつあるおじさんは、この頃心底そう思っている。
 (写真は、ダメージ加工された「ジーパン」)

銀杏

2006年10月29日 | 生活・ニュース
 前夜、時折強い風が吹き、庭の落ち葉がカサカサという音を鳴らしていた。翌日も、同じように風の吹く日だった。
 
 ハートリーをつれて妻と3人で錦帯橋の奥にある紅葉谷公園に出かけた。車を止めて外に出ると、異臭が漂っている。

 この辺りにはいつも数匹の猫がたむろしている。そのせいだろうと思いながら、公園のほうに歩いていると、植え込みの中で人が這いつくばっているのが見えた。

 公園の管理人かと思いながら傍に寄ってみると、年配の男が何やら拾ってはポリ袋に入れている。手元を見ると、ゴム手袋をしている。落ちている銀杏を集めていた。

 「あっ、銀杏ですね」と声を掛けると、人懐っこい笑顔を返してくる。そうしている最中でも、ちょっとした風が吹くと、ぱらぱらと音を立てて銀杏が辺りに落ちてきた。

 見上げると、大きく枝を伸ばした一抱えもあるイチョウの木が立っている。道路の上にも、たくさんの実が落ちているのに気がついた。

 「私たちも拾いましょうよ」と妻が言うが、ゴム手袋も入れるものも持っていない。それを見た男が、ポリ袋を差し出してくれた。

 持っていたタオルを使って、かぶれないように気をつけながら拾っていった。銀杏は、気管を正常に保つ食べ物として、風邪のひき始め、咳が出て止まらない時に良いという。

 ただし食べ過ぎは厳禁で、嘔吐や呼吸困難を起こすことがあるそうだ。一度に食べる量は子供は5粒程まで、大人でも10粒程度までに抑えた方が良いらしい。

 男からそんな話を聞きながら、50個くらいを持ち帰った。水を張ったバケツに2日間入れておいた後、実の中の硬い銀杏を取り出し、丸1日天日で自然乾燥させた。

 早速食べてみることにした。知人から教えてもらっていた方法で調理をした。
 
 銀杏を10個封筒に入れて、2つに折り曲げる。それを電子レンジに入れて80度にセットし、30秒間熱する。

 その間、パンパンと銀杏がはじける音がするが、封筒に入れているので大事には至らない。

 縦に割れ目が入ったところに爪を立てて割ってみると、透明感のある艶々のグリーンの銀杏がこぼれて落ちた。

 冷えた缶ビールを片手にこの銀杏を口に入れたとき、深まった秋の味と香りが、私の喉にポトンと落ちていった。あたかも、イチョウの木からそれが地上に落ちたように。
   (写真は、吉香公園で拾ってきた「銀杏」)

ロードスター2

2006年10月28日 | 車・ペット
 名古屋で仕事をしている独身の次男が、滅多にかけてこない電話をしてきた。「車を買い換えることにした。今乗っている車を30万円でいらないか?」と言う。

 4年前に買ったニッサン・マーチを愛用し、帰省の都度600kmを乗って帰っていたものだ。

 そういえば、奥さんお気に入りの、我が家のセカンドカー・ロードスターは、確か16年ものである。走るには走ってくれるが、何かと不満は多い。

 まず加速がスムーズでなく、ガクンとかかる。車体の前後に大きくはないが凹みがある。プラスチィック製のリアウインドウは曇っていて、後ろが見えにくく危ない。

 助手席側のパワーウインドウが1年前から動かない。1週間前からは運転席側の窓も開かなくなった。

 シートも破れ始めた。雨が降ると窓の上のほうからポタポタと雨漏りがする。ざっとこういった問題を抱えて乗っている。

 大枚30万円出して、次男の車に乗り換えることにした。16年ものに比べると、4年ものはまだまだ新車同然に思える。

 その上、嬉しいサービス品を付けてくれると言う。テレビを見ることもCDを聞くことも、渋滞情報も調べることも出来るという高級なナビだ。

 おまけに、ETCまでついている。これはお買い得だと判断した。次男も、ロードスターを見るに見かねて言ってくれたのかもしれない。

 年末の帰省のときに引き取る約束だ。ロードスターにはハートリーを載せ、オープンにしてよく走ったので名残惜しいが、寄る年波のメンテナンスに、我が家の財政が国と同じように持たなくなってきた。

 あと2ヶ月、最後まで大事に乗ってやろうと思う。問題は、ロードスターを手放したあと、このブログの私のハンドルネームのことだ。

 やっぱり当初から使っていて愛着のある「ロードスター」のままでいくことにするか。「マーチ」では、まあ、ちょっとね~。
(写真は、長年愛用の「16年ものロードスター」)

福祉車両

2006年10月27日 | 生活・ニュース
 先日、広島のデパートに買い物に行ったとき、本屋がある最上階に上がった。エレベーターを降りると目の前にトヨタ自動車の車が10数台並べてある。
 
 単なる車の展示場かと思っていると、どうもそうではないことに気がついた。「このやさしさをすべての車に」と書いてある。

 トヨタのさまざまな福祉車両が展示してある会場であった。高齢者や身体の不自由な人が利用しやすい装備を備えた車両だ。

 助手席が回転する車、助手席が回転し社外へスライドダウンする車、後部座席が回転しスライドダウンする車と、車椅子のまま楽に乗り降りできる車がいろいろあった。

 車を走らせていると、後部のガラス窓に、車椅子のワッペンを貼ったのを見ることがよくある。

 一見、普通の車に見えるが、福祉車両を自家用車として利用している人は増えてきているように感じる。

 普通の乗用車に、身体の不自由な人を乗せたりおろしたりしている場面に出くわすこともあるが、介助する家族の労力は大変そうだ。

 このような福祉車両を使うことができれば、その苦労は大幅に軽減される。しかし、同レベルの車種の価格に比べると、数十万円も高いという。

 労力の大変さに加え、経済的にも大きな負担が上乗せにならないよう、社会福祉の制度は、当然考えてあるに違いない。

 こんな車があれば、身体の不自由な人も家で留守番をすることもなく、家族と一緒に外出が出来、活動範囲も大きく広がる。心の健康にも大いに役立ちそうだ。

 望まれることは、一般車よりむしろ安い価格で買うことができれば、申し分ない。

 ここ数年の間に、風呂やトイレなどの家の構造・車・町の様子など、身体の不自由な人に対するやさしい対応はかなり進んできている。

 これらハードウエアーの対応に負けないよう、今度は人の心の本当のやさしさが求められているように感じながら、その場を離れた。
   (写真は、展示場にあった「福祉車両」)