写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

崖っぷち

2008年05月31日 | 季節・自然・植物
 終末期に入った帯状疱疹ではあるが、まだ少しわき腹あたりに鈍痛を感じる。薬が切れたので今津にある病院へ行った。

 その帰り、交差点で信号待ちしていたら、「チチチチッ」と複数の賑やかな叫び声が頭の上から聞こえてきた。

 角の肉屋に張り出した赤いテントがある。その中にツバメの巣があり、親が持って帰った餌に向かって、5羽の子供が大きな黄色いくちばしを競うように開けている。

 信号は青に変わったが、しばらくこれを観察してみることにした。親は早いときで30秒、遅いときには2~3分ごとに餌を持って帰ってくる。

 その都度、5羽の子供たちは大きな声を出して自分の口をアピールしている。どんな順番で餌をもらっているのだろうかと気になった。

 親がいない間、4羽は黄色のくちばしをきりりと結んで、巣の中でおとなしく外を向いて座って待っている。

 問題は左端に陣取った1羽である。巣の上端に脚を乗せて立っていて、しかも皆とは逆に壁のほうを向いていた。

 まだ平衡感覚も未発達なのだろう、何度も後ろ向きで落ちそうになり羽をばたばたとやって、やっともとの状態に戻るということを繰り返している。

 自分に自信があるのか、はたまた単に危なっかしいことが好きな腕白坊主なのか。それを見ている親は、注意など何もしない。

 親はどう見ても忙しすぎる。持ち帰った餌は羽を休めることなく、空中飛翔のまま又餌探しに飛んでいく。これでは教育をする間もなかろう。

 大体、巣の大きさも5羽を育てるには狭すぎる。人の世の少子化の現状から見るとうらやましくも見えるが、ちょっと計画性に欠けてはいないか。

 しばらく口をあけて5羽の様子を見ていた。丼を半分にしたような巣から落ちるでもなく、彼らは近いうちに元気で羽ばたいていくのだろう。

 親ツバメの献身的な子育て風景を見ていたら、何十年前の我が家の子育てを思い出した。そう云えば、あの子達は今どこを飛んでいるのだろう。巣立った後、音信は不通だが……。 

帯状疱疹(ほうしん)

2008年05月30日 | 生活・ニュース
 2週間前、右肩の下に鈍い筋肉痛を感じた。病院にいくと「何か力仕事はしませんでしたか?」と言われ、痛み止めの薬をもらって帰った。

 それから5日が過ぎたころ腋の下まで鈍痛が広がってきた。再び病院へ行って裸になり、丸い椅子に座った途端「あっ、これは帯状疱疹ですね」と診断。前日まで何もなかった右胸に赤い発疹が5ヶ所もできていた。

 ストレスや老化などにより免疫力が低下したときに発症するという。最近は病気になるたびに、原因の中に必ず「老化」が入るようになった。国だけでなく天からの扱いも徐々に厳しくなってきたようだ。

 「疱疹」とは、皮膚に小水疱が群れをなして生じる状態。ウイルスの感染によって起こり、口唇などにできる単純性疱疹や帯状疱疹がある。

 このたびの私の場合は、帯状とまでは到っておらず局所的な疱疹である。現在、飲み薬と塗り薬のお陰で、痛みも疱疹の状態もピーク時の3割程度にまで軽減されてきた。
 
 もうひと辛抱であるが、今このブログをパソコンで書きながら漢字変換をすると、「帯状」は「退場」に、「疱疹」は「方針」へと変換される。

 パソコンから、そろそろ人生の「退場方針」を聞かれているように感じながら、心身両面からの鈍痛にじっと耐えている。
  (写真は、少し大げさな私の「帯状疱疹」状態)

アフォガード

2008年05月29日 | 食事・食べ物・飲み物
 定期健診のため、朝早くから広島に出かけた。病院の前でショッピング街に向かう妻と別れた。

 検査を受けた後は少し疲れを感じる。落ち合ってお昼を済ませた後、ウインドウ・ショッピングをすることもせず、預けていた駐車場に向かっていたとき、お洒落なオープン・カフェの前に出た。

 オープン・カフェとあれば、どうしても寄ってみたくなるのが私の習性。気がつくとテーブルについていた。愛想のいいウエイトレスがメニューを持って直ぐにやって来る。

 コーヒーも飲みたいが冷たいものも欲しい。メニューを捲っているとちょうどいいものを見つけた。「アフォガード」と書いてある。

 「アフォガード」とは、バニラアイスにエスプレッソ・コーヒーをかけて食べるイタリアンドルチェのこと」と書いてある。

 今までもこれを食べたことはあるが、「 アフォガード」と呼ぶものだとは知らなかった。これならコーヒーとアイスを同時に頂くことが出来る。

 イタリア人はいいことを考えついたものだと、今さらながら感心をする。待っていると、程よいエスプレッソとアイスが別々のカップに入れられて出てきた。

 冷たいアイスが、エスプレッソに溶けて苦甘い。う~ん、大人の味だと悦に入る。心なしか検査の疲れもどこへやら。

 ひと心地ついた時、通りの向こう側の店を見ると、私にそっくりな男がこちらをじっと見ている。よく見ると、ウインドウの1部に大きな鏡がはめ込んである。

 その鏡に、私の姿が映っていた。瞬間、背筋を伸ばし、元気そうな姿に自分を修正してみたが、ひいき目に見ても無職の高齢者にしか見えない。

 まあ、その通りだ。座った場所が悪かったが、このカフェ、飲み物もロケイションも私お勧めのカフェ&レストランです。福屋の一筋南の角にある「YONKA NIBUN NO ICHI(よんか にぶんの いち)」です。容姿に自信のあるあなた、いかがですか。
(写真は、オープンカフェから見た「正面の鏡」)

目には目を

2008年05月28日 | 生活・ニュース
 27日、どの新聞を見ても「長崎市長射殺に死刑」の文字が第1面に大きく載せられていた。「民主主義揺るがす」とも指弾している。

 殺害された被害者が1人でも死刑にするのかと、過去の死刑の判断基準から逸脱しているとの指摘があった。

 私は法律には全くの素人であるが、日常生活で他人に何か迷惑をかけたときには、それに匹敵する弁償をすることが最低限の謝罪だと思っている。

 車を傷つければ直してあげる。借りたものを無くしたときには買って返す。怪我をさせたら治るまで責任を持って治療に当たらせることが原則だろう。

 人を殺めた場合はどうだろう。過失であったなら相応の刑に処すが、故意であったなら、殺人者は原則死刑にされても仕方がない。

 2人以上の殺人なら死刑で、1人なら死刑にならないというほうが理解しがたい。人の命というものは数を数える性質のものではなくて、たった1人の命でも地球より重いというではないか。

 私が今書いているようなことは、実は紀元前1800年頃、メソポタミア(現在のイラク)の「ハンムラビ法典」の中にに書かれている。

 よく耳にする「目には目を、歯には歯を」である。「もしある市民が、他の市民の目をつぶすならば、彼の目をつぶさなければならない」「もしある市民が、彼に対等の市民の歯を打ち折るならば、彼の歯を打ち折らなければならない」

 この、「同害復讐」の原則こそ、人類が初めて制定した法なのだという。この原則に従えば、人を殺した者は、奪った命の数に関係なく自分の死をもってその罪を償わなければならないことになる。

 死刑廃止か存続かで今議論されているが、その刑罰の原則は紀元前1800年に明確に示されている。
(写真は、長崎市長射殺に死刑を伝える「毎日新聞」)

クモの子

2008年05月27日 | 季節・自然・植物
 「コラ!」。悪がきどもが5、6人集まって家の陰でなにやら悪いことをしている。通りがかった頑固親父が、それを見つけて大きな声で一喝した。

 その瞬間、悪がきどもはに一斉に立ち上がり、「クモの子を散らす」ように一目散に逃げていった。昔はこんな風景をよく見ていたように思う。

 今朝散歩しているとき、いつも通っている小道ではあるが私の人生で初めてあるものに気がついた。

 茂った葉の間に、直径が3センチ位の黒い塊が20センチばかり離れて2個あった。老眼鏡をずりあげてよく見ると微妙にうごめいている。

 さらに顔を近づけて観察してみると、1ミリ足らずの腹白いクモの子が球状に集まり、各々が小さく動いていた。

 生まれたばかりの子供たちだ。保護者はいない。子を生むと親は死んでしまうのか? とにかく子供だけの集団だ。2,4,6,8,……、ざっと推定するに1学級に200匹というところか。

 いたずら心が湧いてきた。塊に向かって小さく息を吹きかけてみた。するとたちまち、巨大地震に襲われたかのように四方八方にクモの子が散らばっていった。

 それでも直径が5、6センチ位までしか散らばらず、数分間のうちには又もとの小さな黒い塊状に戻る。数回これをやってみた。

 表現として「クモの子を散らすように」とはよく言ってきたが、実際にクモの子が散らばっていくのを見たことはなかった。

 言い得て妙、まさに四方八方、立体的に逃げていく。それにしても子供ばかりが集まって何をしているのだろうか。

 親の責任は?などと、人間社会のようなことを思ってみるが、クモにはクモのやり方があるはずだ。

 何かことあれば、狭い範囲をただ逃げることだけを身に着けて強く生きて行けと教えられたクモの子達と、朝からしばし遊んでみた。

 散っていくクモの子を笑ってばかりはおられない。「三十六計逃げるにしかず」、逃げることも兵法の戦略の一つと言うことをクモの子はよく知っていた。
  (写真は、散らばった後凝集した「クモの子」)