写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

未開花率

2009年04月29日 | 季節・自然・植物
 楽しみにしていた花水木も盛りのときを終え、色あせてきた。今年は例年に比べ10日から2週間も早く開花した。一昔前は、連休の直前に満開になっていたものが。

 もうひとつ、今年の花水木には特徴的なことがあった。庭に紅2本白1本の花水木があるが、紅い1本は全部のつぼみが開いた。残る紅1本と白のつぼみは半分近くがくるっと丸まった半開きの状態で、全開に至らないまま終わりそうである。

 天候も申し分なかった今年の春なのに、どうしてこんなに未開花の状態で終わろうとしているのか。今や悪いことの全てが政治のせいにされているが、これはそうでもないようだ。

 これと同じようなことが人間社会でも起きている。先日、2008年の生涯未婚率というものが発表された。

 生涯未婚率とは「45~49歳」と「50~54歳」の未婚率の平均値から、「50歳時」の未婚率を算出したもので、50歳で未婚の人は将来的にも結婚する予定がないと考えられることからこれを生涯未婚率と定義している。

 50年前には男が1.5%女が2.5%、10年前は男が9%女が5%だったものが、2008年では男16.0%女7.3%となり、男の方の伸び?が著しい。

 これは現在日本が抱えている少子化問題の直接的な原因にもなっているが、結婚をしないという根本原因は果たして何なのか。結婚をしないと書いたが、結婚したくても出来ないという厳しい現実もあるのだろう。

 咲くものは咲き終わろうとしている花水木の花の中で、生涯半開きのままで終わろうとしている愛くるしい形の花を眺めながら、ふと連休にも帰ってこない遠くにいる三十路で独身の息子のことが気になった。
  (写真は、半開きのまま終わろうとする「花水木」)

コシアブラ

2009年04月28日 | 季節・自然・植物
 市街地から少し入った山里に住んでいる友から、タラの芽と生まれて初めて見る珍しい山菜をもらった。その名はコシアブラだと教えてくれた。

 「タラやウド同様、山や丘、林道脇など、伐採された日当たりのよい明るい斜面に多く育ち、春先に伸びる独特の香りを持つ新芽が食用となる。

 それほど大きく伸びていない芽を摘み取り、元のほうにあるハカマの部分を除いたものを調理する。強い苦味があるため、それを和らげる天ぷらにすると食べやすい。

 コシアブラの木は、幹を傷つけると樹脂液が出てくる。これを漉(こ)して塗料に使ったので漉し油(コシアブラ)という」と書いてある。

 タラの芽やフキノトウは毎年誰かにもらったりスーパーで買ったりして食べているが、コシアブラというものは聞くのも見るのも食べることも初めての山菜であった。

 夕食時、お勧め通りの天ぷらにした。フキノトウに比べてやや苦みが強いか。春にしては暑い日だったこともあってか、「おいしい、おいしい」と缶ビールを飲みながら、もらったものすべてを奥さんと二人でたいらげた。

 こんな山菜が採れるところに住んでいる友がうらやましい。案外我が家の裏山でも採れるのかもしれないが、何分その知識がない。

 食材をといえばすぐにスーパーに向かうだけではなく、先人の知識をよく学んで、自然に向かって山菜採りの技術も習得したい。

 自然いっぱいの田舎に住んでいながら、都会のど真ん中に住んでいるような毎日の生活ぶりを大いに反省もする。

 それにしても、大木からあんなに柔らかく美味しい芽が出てくるとは。その夜、風呂上りに体重計に乗ってみた。コシアブラをたくさん食べたせいだろうか、腰回りにアブラがついていた。
  (写真は、友から頂いた「コシアブラとタラの芽」)

復元力

2009年04月27日 | 季節・自然・植物
 昨年末に奥さんが白い花をつけたシクラメンを買ってきてくれた。天に向かって勢いよく咲いていた花は終わり、斑の入った葉だけが密度高く伸びている。

 花が終わると関心は薄れ、水遣りも時に忘れるようになっていた。そんな繰り返しの中、数日間水遣りをしなかった上、家を空けて旅行に出かけた。

 帰ってみると出窓に置いたシクラメンの葉は、全て鉢の縁に寄りかかりぐったりしていた。

 本来なら張りのある茎も萎びて軟らかくなっている。「こりゃあまずい」。あわててたっぷりの水をやった。

 こんなことは今まで数回あったが、その都度健気に蘇ってくれていた。その復元力に感心していたが、どれほどの勢いで復元するのか調べてみることにした。

 ぐったりとした葉の中で一番萎びている茎の葉を選び、鉢を置いている台から葉先までの高さを計り、その経時変化を観察してみた。

 計測開始の朝10時には、台から10cmまでに垂れていたものが、夕方5時にはもう13.5cmと持ち直している。翌朝8時には18cmまでになりここで落ちついた。

 たった1日で元の状態に戻った。私の想像していたものよりも遥かに早い復元力に驚く。この数字を目で見えるように簡単なグラフにしてみた。

 パソコンでこのブログを打ち込みながら鉢を振り返ると、どの茎も勢いを増して「ちゃんと水をくれよ」と言わんばかりに立ち上がっているように見えた。

 その時、外を小学生が高い声を上げながら学校に行くのが聞こえた。以前、「花には水を 子どもには愛を」というコマーシャルがあった。それを思い出しながらシクラメンの勢いづいた葉越に、愛情を一杯受けたような子どもたちを見送った。
  (写真は、水を得て復元する様子の「グラフ」)

先斗町

2009年04月24日 | 旅・スポット・行事
 昭和39年、オリンピックが東京で開催された年、テレビからこんな唄が流れていた。
   
 ♪ 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 
      雪に変りはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ ♪

 ご存じ和田弘とマヒナスターズ・松尾和子がテンポよく歌った「お座敷小唄」である。

 先斗町と言われても、テンポはいいがピンとこない歌詞であった。以来何十年かが経ち、歌われていたこの花町を一度は歩いてみたいと思っていた。

 このたびの京都旅行で、私にとって禁断のこの町を昼前の時間帯に散策してみることにした。

 通りの入り口に立札が立っている。「京名所 先斗町 この地はもと鴨川の洲であったが、江戸時代初期に護岸工事のため埋め立て石垣を築き町屋が出来た。その後三条から四条までの南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ち並び、俗に先斗町と呼ぶようになった。1712年に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子を置くことを許され爾来花柳の街として繁盛、現在に至っている」と書いてある。

 道幅わずか3mばかりの狭い石畳の道路を挟んで、茶屋やバーが軒を連ねている。時計を見ると11時半、昼前とあってまだ営業している店は数軒のみ。

 準備中の店の開いている入口から中をを見ると、鴨川を挟んだ対岸の景色が明るく額の中の絵のように見える。

 そばを誰かが追い越して行った。いい香りがプーンとする。眼で追うと、初夏らしい白い着物に赤い帯。日本髪を結った女がひとり、内またの早足で歩いて行った。

 残念ながら顔を見ることができなかったが、その後ろ姿からは紛れもない京美人であったと信じている。

 先斗町、誰かがポンと札束を出してくれないことには始まらない粋な通りだ。まあ、どこで飲んでも「酒に変わりはないじゃなし……」か。
(写真は、ふと追い越して行った先斗町の「京美人」)

新幹線の窓

2009年04月23日 | 旅・スポット・行事
 久しぶりに新幹線に乗った。N700系という最新型の車両だった。最大の特徴は空気ばねを使った車体傾斜システムで、カーブでも高速で走ることが出来る。

 昔の車両に比べると内部は随分変わってきている。トイレ・洗面所は広く、自動扉にウオシュレットもある。窓側の足元には100Vのコンセントがついていて無料で使用できる。
 
 今年からは東海道区間に限って、無線LANを使ってのインターネット接続のサービスも開始されたという。

 車両の外観や性能面だけでなく、サービス面でも現代の乗客にマッチしたものがいろいろ工夫されていることが分かった。

 その一方、乗客として致命的とも思える大きな不満があった。N700系の窓は従来の車両と比べるとはなはだ小さいことである。

 その小ささといったら、まるで飛行機の窓程度の大きさで、通路側に座ると窓側に座った人の頭が邪魔になって外の景色はほとんど見えない。

 これでは、旅の楽しさは半減どころか全減だ。乗っている間は本を読むか眠るくらいしかすることがない。いやいや、コンセントを取り付けているのは、パソコンかゲームでもおやりなさいということかもしれない。

 窓が小さくなった理由は、座席の幅を従来よりも広くするために、車体の外壁をその分薄くしたが、車体の強度を上げるためにやむを得ず小さくしたという。発想が「構造・強度」という作る側にあって、「旅を楽しんでもらう」というお客の側の観点が抜けていないか。

 この車両の寿命は乗客からの罷免要求があって、あまり長生きは出来ないように思える。JRの車両設計陣も、もう少し旅人のニーズを考えて欲しい。

 外の景色を見るという旅の大きな楽しみよりも、たった5分の時間短縮をすることの方がJRとしては魅力的であったのだろう。
  (写真は、まるで飛行機の中のような「小さな窓」)