写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

岐 路

2007年11月30日 | 生活・ニュース
 コレステロールを下げるため、歩数計をつけての散歩はもう25日続けている。雨が降らないので1日も休んでいない。散歩のルートはその日の気分によって色々である。

 今日は小高い丘の上にある団地に登り、我が家と反対側に下って岩徳線の西岩国駅の方に向かって歩いた。

 駅近くで単線の踏切を渡っている時、すぐそばに転轍機(てんてつき)があるのに気がついた。今までに転轍機をじっくりと見たことはない。

 立ち止まってデジカメを構えてそれを眺めてみた。線路が駅の近くでプラットホームを挟むように二つに分かれる。分岐するために転轍機がある。

 電動モーターを遠隔操作することで、列車の進行方向を左に右に自由に変えることが出来るものだ。

 転轍機という分岐する装置を見ていたら、自分の来し方に思いが至った。私の人生には人並みに、何度も岐路はあった。

 生まれこそは選ぶことは出来なかったが、受験校の選択、専攻する学部学科、就職先、結婚相手。この辺りまではすべて自分の意思で決めてきた。

 そのあとは、ほとんどが他力で決まっていった。自分の意思とは関係なく職場が変わり、転勤を繰り返したサラリーマン生活、そして定年退職となった。

 今は、転轍機のようにどちらに進むかというほどの、人生の大きな岐路に立つような出来事はなく、ぺんぺん草の生えた廃線のような単線を毎日トボトボとあるいているばかりだ。

 この単線には、いかんせん転轍機がないばかりか何の変哲もない。それが妙に心地よい。ところで今日の散歩、岐路はなかったが、さて何キロ歩いたことやら……。
  (写真は、西岩国駅構内の「転轍機」)

遭 遇

2007年11月29日 | 生活・ニュース
 昨日の昼前、駅に向かう途中の交差点を右折しようとして車を停めた時、遠くから救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。

 ふと道路の向こうの歩道を見ると、一人の女性が足を投げ出して座り込んでいる。それを数人の通行人が取り巻くようにして立って見ている。

 交通事故だ。間もなく救急車が到着し、ヘルメットをかぶった救急隊員が、小走りに駆け寄って何かを話しかけている。

 応答はちゃんとしているし、言われるままに両手の指を曲げたり伸ばしたりしている。重傷ではなさそうに見え、少しほっとする。

 信号が変わり、私はゆっくりと事故現場のそばを通ってその場から遠ざかった。年末、走り回るのは師ばかりではない。

 何かと気は焦り、人も走るが車も走る。こんな時こそ、あえてゆっくりと走りたい。12月10日からは「年末年始の交通安全運動」が始まる。
  (写真は、事故直後の「けが人と救急隊員」)

落し物

2007年11月28日 | 生活・ニュース
 今日まで、いろいろなものを落としたことがある。あまり高価なものはないが、私にとってかけがいのないものもあった。

 置き忘れたものとは違って、落としたものはどこでそうなったのかが分からないだけに、探して歩くといっても見つけることは難しい。

 最初の貴重な落し物と言えば、遠近両用の眼鏡である。老眼が始まったとき、近くを見るのにそれほど困らない時期、かけたり外したりして持ち歩いている時にどこかに落としてしまった。

 次は腕時計。勤めていた会社で勤続20年の記念品としてもらったものであったが、もらってわずか1週間目くらいのころになくなった。昼休みに運動したときに置忘れたのかもしれないが、とにかくなくしてしまった。

 もう一つは15年前の夏、東京に出てきた友人夫妻と有楽町で会食をした。食事が終って街を歩いていた時、暑くなって長袖のワイシャツをまくって歩いた。

 帰ってみると、袖口を止めていたウエッジウッドのカフスボタンの片方がなくなっている。このカフスボタンは、妻が初めての海外旅行に出かけたときに買ってきてくれたお土産であった。

 密かにデパートに行き、同じ柄のカフスボタンを1個頼もうとしたが、その時はすでに製造が中止となっていて、同じものを手に入れることは出来なかった。今では小物入れの中で、残りの1個が退屈げにごろんと転がっている。

 これまでの人生、それほど多くのものを落としてはいないだけに、落としたものはよく覚えている。

 しかし形のないものは、これまで色々落としてきたように思う。人生の垢、時に覗く飲み屋でのお金、見通しの悪い交差点でのスピード、年金生活に入っての生活レベルなどであるが、自慢にはならないが未だかつて「飛ぶ鳥」や、「いい女」を落としたというようなことはない。

 最近とみに落とそうとしていることはブログの落ちであるが、こればかりは必死になって落とそうとしても、そう簡単に落ちてはくれない。

 落とすことばかり考えてみたが、今話題の女の品格に負けず男の品格だけは落とさないように努力したいと思っている。だが肝心の「品格」ということがよく分かっていない。
  (写真は、片方だけ残った「カフスボタン」)

「文章のみがき方」

2007年11月27日 | 生活・ニュース
 日曜日の朝、毎日新聞をめくった。「本と出会う・批評と紹介」というページを開いた。「文章のみがき方」という辰濃和夫著(岩波新書・819円)の本が紹介されている。

 著者は、1994年に「文章の書き方」という本を出版している。これに続く本である。朝日新聞に入社し、1975年から1988年までの13年間、第1面のコラム「天声人語」を執筆した人だ。

 「文章の書き方」では、文章を書く上での心構え、基本的に大切なこと、表現上の心構えについてが書いてある。出版直後に買ったものを書棚に置いている。

 新聞を見てすぐに本屋に行ってみたが置いていない。店員に尋ねると取り寄せになるという。頼んで帰ってきた。

 新聞の紹介によると、文章をみがくには「辞書を手元におく」から始まり「いい文章の条件は、平明、正確、具体性、独自性、抑制……。これをこそ書きたい、これをこそ伝えたいという書き手の心の、静かな炎のようなものだ……」と書いてあるという。

 逆に悪文は、難解な文章。短い文章がいい。次の章は「推敲する」である。書いたものを後日読むと、書いた自分と違うもう一人の自分が、推敲を可能にする。これが大切だという。

 何はともあれ、分かりやすさが文章の第1条件だという。極力外来語は避けよう。土地の言葉を大切にしよう。ざっと、こんなことが書いてあるようだ。

 天下の天声人語を長い間書いた人の著書「文章のみがき方」を読んで、比べるべくもないが少しでも著者のレベルに近づきたくて、本の到着を今から心待ちしている。

 「わかりやすさが第1条件」と書いてあるが、書く文章以前に自分自身がもう少し分かりやすい人間でなければいけない気もするが、この年では、もう手遅れかもしれない。
(写真は、書棚にあった「文章の書き方」;岩波新書)

政治家の言葉

2007年11月25日 | 生活・ニュース
 最近、大物政治家が前言を簡単に撤回することが多くなった。政治家といえば、あやつる言葉が大切なことは論を待たない。

 参院選で「小沢代表と私と、どちらを選びますか」と言ったにもかかわらず、選ばれなくてもやめなかった安倍前総理。大連立構想を否定されて「じゃあ辞任します」と、記者会見しながら続投を決め込んだ小沢民主党代表。

 今疑惑真っ只中の額賀財務相は、先の自民党総裁選の時、いったん出馬を決意するが腰砕けをしてしまった。額賀財務相の疑惑にかかるテレビ番組を見ていると面白いことを言っていた。

 彼は過去に2度も大臣を辞任している。今回辞任するようなことになれば、3度目だ。そんな彼は、先ほど出版されたレストラン格付け本「ミシュランガイド」に掲載されて いる料理店によく行っていたという。

 これをとらえて、「額賀財務省は三つ星の店に行くが、黒星こそ今回で3度目だ」「彼には何を言ってもダメだ。まさに『ヌカに釘だ』」と言って笑わせる。

 最近の政治家は、お笑い芸人以上に笑いのネタを提供してくれる。言葉は政治家の命、大切にして欲しい。自分が言ったことを2回も3回も撤回しているとゴカイを招き、8回いや厄介なことになりますぞ。
  (2007.11.28 中国新聞「広場」掲載)