写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

スリム化

2005年06月30日 | 生活・ニュース
 昨日の毎日新聞に、1週間前に投稿していたエッセイが掲載された。2月25日に、このブログに出していた「案内状」というのを、大幅に見直しして投稿したものである。

 ブログでは文字数が483字であったが、内容を変えずに字数を約半分の250字以下に収めなければならない。
 
 主題と直接関係のないこと・余計な形容詞・繰り返し言葉などを削っていき、なんとか248字に収めて出した。

 さすがに、遠まわしな言い方、情緒的な飾り言葉などは使えない。理科室の人間の骨格見本のように、身も皮もなく骨だけの文となる。

 しかし、そういった中でも、僅かばかりの身をどこかに残そうかと四苦八苦してみる。

 文字を削る行為は、身を削ると同じようにエネルギーを使う。私にとっては、程よいフィットネスにもなっている。

 短いエッセイには、日本ハムの新庄選手のように贅肉は全くない。あるのは、本当に主張したい新庄、いや心情だけが残る。と言ってみたが、私のはその通りにはなっていない。言ってみただけである。
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 以下は、248字の掲載投稿文です。スリム化に興味ある方は、2月25日の当ブログのものと比べてみてください。
 
「案内状」
 中学校の同期会を開催する打ち合わせがあった。案内状の発送に話題が及んだ。今まで一度も出席しない者がいる。費用もかかるし、その人には、もう発送すまいとの意見が出た。私は強く反対した。

 同期会開催の情報だけは送ってあげたいと思った。案内状を見た時、皆の顔を思い浮かべるだろう。そしてその瞬間、たったひとりの同期会が心の中で開かれるに違いない。

 出席しない者にこそ、出席出来ない思いがあるのかもしれない。毎回出て来ない者へ「おい、たまには顔を出せよ。皆が会いたがっているぞ」と言って案内状を配って歩いた。
  (写真は、05.06.29毎日新聞に掲載されたエッセイ) 

同じ本

2005年06月29日 | 生活・ニュース
 私の本棚には、青春時代からの古びた本が大事そうに並べてある。学生時代には高い本を買う金はなく、文庫本が多い。

 セロファンのような半透明の薄いカバーが、陽に焼けてセピア色に変色している。

 時々、昔読んだ本をもう1度読んでみたくなることがある。私の胸の奥に、強く印象付けられている本である。

 今日も、その本棚の前に立ってみた。図書館のように作家別に並べてある。単行本の1冊を取り出した。

 そのまま隣に目を移すと、手に持っている本と同じものがもう一冊あった。その目で、違う棚の文庫本も見てみた。あった。またもや別の題名の同じ本が2冊ある。

 別々の本屋の、数ある本の中から、時を変えて同じ本を2度も買っている。余程気に入った本だったのだろうか。

 それにしても、こんなことをしていたとは、若い頃から既にボケていたのかもしれない。それにしては余り進行していないように思われる。

 しかしものは考えよう。「初めからボケている人は、年をとってからはボケない」という。今日は、ほんに良いことに気がついた。

 まてよ、結婚は確か1度しかしていないぞ。2度したかも知れない?奥さんはずっと今の奥さんだが・・・誰かに訊いてみよう。
  (写真は、山口瞳著の「2冊の江分利満氏」)

ゴーヤ

2005年06月28日 | 食事・食べ物・飲み物
 「あっ、ぶるぶるぶる。気持ち悪いっ」「こんなもん何が気持ち悪いんか」

 姉からもらった数本のゴーヤをまな板に載せて、妻が少女のような奇声を上げた。

 我が家では今まで、夏の味覚ゴーヤが食卓に載ったことがない。妻が、なまこ・たこなど一見グロテスクな外観のものに触れることが出来ないからだ。

「よし、俺が切ってやろう」と言ってふたつ割りにし、わたをとって薄切りにした。

 その後、チャンプルーにするまでの調理は問題なく妻は出来た。豆腐・卵・豚肉のみんなが、濃い緑色のゴーヤを引き立てている。

「うまいっ」ゴーヤの見かけに似合わぬ美味さと程よい苦味を肴に、冷えたビールが思いのほか進んだ。

「来年は植えてみよう」とまで妻が言い出したのは、昨年の今頃だったか。

 今夕、連休明けに植えたものが、初めて一本だけ収穫できた。昨年とは違い、精神的に成長著しい妻は、黙って台所で冷静に調理をしている。

 これを書いている横から、プーンとチャンプルー独特の香りがし始め、私の腹からク~と虫のなく声がした。

 チャンプルーとビールのことを思いながら、シャワーを浴びた。そのあと、グィとやってのチャンプルーの味は、この蒸し暑い空梅雨の不快感を吹き飛ばすような、苦みばしった夏の味がした。

 肴によし、おかずによし。何日でも続けて食べられそうなゴーヤだが、5夜連続でど~やと言われると、はてさて・・・売りは苦味、いや、苦うり・ゴーヤの一席。お粗末様。
   (写真は、初収穫の「ゴーヤ」)

遠距離電話

2005年06月27日 | 生活・ニュース
 車のラジオを聞きながら走っていた。お昼前、永六輔の、「誰かと何処かで」の番組中の「7円の唄」というコーナーで、ある女性のはがきが読まれていた。

 18年前に夫を亡くし、今はひとり住まいの93歳の義母が、遠くから電話をしてきた。カラオケ教室で「川の流れのように」を習ったと言う。

 それを聞いて欲しいと言って、電話口で朗々と歌うのをじっと聞いていると、淋しそうな義母のことを思い涙が出てきたと書いている。

 訳あって、老親ひとりを残して遠くに住んでいる娘の心情が、私にはよく伝わってきた。

 私も父を亡くした後、病弱な母をひとり残して遠く横浜に住んでいた。会社からの帰り、東京駅の公衆電話からいつもほぼ決まった時間に母へ電話を入れた。

 取り立てての話題はない。「もしもし、元気?もう、夕飯食べた?」「じゃ、またね」と極めて短い通話で終わるものであった。

 そんな電話でも、母は毎夕、それを待っていると思っていた。こんなことが半年も続いたろうか。

 間もなく、母は入院生活に入り、私から電話することは出来なくなった。息子からの電話もかかってこなくなり、どんな気持ちで母はベッドに寝ていただろう。

 それから数ヵ月後、電話も届かないところに母は逝ってしまった。老いた母をひとりで置いていたことを、今でも申し訳なく思っている。

 ラジオで聞いた「電話」という言葉で、こんなことを思い出した。いくら年を重ねても「母」という字に、私はめっぽう弱い。
   (写真は、よく使った「公衆電話」)

ガード下の靴磨き

2005年06月26日 | 旅・スポット・行事
 原宿から、銀座に出るためJR有楽町の駅に降りた。駅の直ぐ前の狭い通りには、夕方になると道路にまでミカン箱が置かれる。

 会社帰りのサラリーマンが、仲間とそこでちょっと一杯やって、元気を取り戻してから長い帰宅の途につく。

 まだ陽が高いとあっては、懐かしいその光景は見当たらない。ふとガード下に目を移すと、これこそ懐かしいものが眼に入った。

「靴磨き屋さん」である。3人の男を前にしたおじさんと、やや離れておばさんのふたりの靴磨きが営業をしていた。

 40年も前、サラリーマンとなって初めて東京に出張に出かけた。東京駅に降り、丸の内側に出ようとした時に、駅構内に靴磨き屋さんのコーナーがあったことを思い出した。

 何人もが、丸椅子を置いて営業したいたように思う。いつかの時に、好奇心旺盛な私は、若造のくせに、安い靴を磨いてもらったことがある。

 料金がいくらであったか覚えていない。このたび見た靴磨き屋さんの前には、「500円」と、大きくマジックで書いてあった。

 500円。ラーメン一杯、コーヒー一杯、缶ビール2本にほぼ相当する。コンビニの時給が約800円だから、40分に相当する金額だ。

 絶え間なく客が来るということはない。20分間位磨いての500円という額は、客観的に見て決して高いとは思えない。

そんなこともあってか、仕事のなかった昔のように、東京でも至る所に靴磨き屋さんがいるということはなくなっている。

 履いている靴の材質も変化している。本革が減り、合成皮革が多くなって来ており、水洗いで済むからかも知れない。

「ねぇ、おじさん、くつ磨かしておくれよ!」エプロン姿の、宮城マリ子の歌声が、遠くどこからか聞こえてくるような気がした。

 久しぶりに見る「ガード下の靴磨き」に昔を懐かしんでいた時、ガタガタガタ、頭の上をけたたましく電車が通り過ぎていった。
   (写真は、有楽町駅前の昔懐かしい「靴磨き」)