写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

我が家の芝生は・・・

2017年06月27日 | 生活・ニュース

 このところ日中はほとんどの時間を庭で過ごしている。この1週間は、小型トラックで持ってきてもらった真砂土を、バラ園や菜園の低い所に一輪車で何度も往復して土を入れた。おかげで、ちょっと見、丘陵のように見えていたバラ園や菜園はやっと平らに見えるようになった。

 ひと仕事を終えて東屋に座り庭の南端を眺めていたが、今一つ締まりがない。「あそこに芝生を植えたらいいのかも」と、奥さんから提案があり、さっそく芝生を2束買って帰った。まずは余っていた真砂土を入れてトンボを使って水平にならし、その上に芝生を並べて散水した後、上から少し押さえておいた。

 翌日、芝の具合を見ると元気そうな色をしている。「隣の芝生は良く見える」とはよく聞く諺である。自分の家の芝生よりも、隣の家の芝生の方が綺麗に見えてしまうという意味であるが、転じて、自分以外の人は幸せなように見えていても、実際はそうでもないということらしい。

 我が家の隣には芝生は植えていないので比較することはできないが、植えたばかりの芝生は、ひいき目に見るせいか十分に青く綺麗に見える。一般に、隣の芝生がきれいに見える理由としては、自分の庭の芝生を見るのとは違って、斜めから見るので剝げたところが目立たずきれいに見えるからだという。

 何でも人が持っているものが自分のものよりも良いように見えるのは、身近なものほど常日頃接していて欠点がよく見えるせいであろう。自分の持っているものが世の中で一番いいと信じれば、そう思えるようになるということかもしれない。

 植えたばかりの庭の芝生を見ながら、そんな人生観にたどり着いた。世の殿方、「自分の奥さんがやっぱり世界一」なんですよ、ねっ!


つぶやき

2017年06月26日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 購読している新聞には毎日、読者投稿の川柳が掲載されている。先日、今の私にぴったりのものが載っていた。「婦人科を 除いてすべて 制覇した」というものである。

 この御仁も、年とともに体のあちこちにガタが来て、通う病院の診療科も増えていき、ついに婦人科以外は全部掛っているという句であろう。少し大げさに詠んでいるのだろうが、一病息災とはいかず、これほどまでに色々な科で受診している身は、今の私と同じで共感できる。

 一方、週に一度「歌壇」といって、これまた読者投稿の短歌が50首も掲載される。短歌など作ったことはないが読むことは嫌いではない。今朝掲載されている中で、これまた私が同感したものがあった。「かぜ薬 3錠ゆびで つまみとる おとなは15歳かららしい」という1首である。

 この短歌は、分かる人にはすぐ分かる歌である。買い置きのかぜ薬を飲むとき、箱に印刷されている注意書きの「用法・用量」の欄に「成人(15歳以上);1回3錠」と書いてあることを詠ったものであろう。私は風邪を引いたかなというときに、買い置きの薬を取り出して飲んでいるが、この注意書きに目が行くとき、この歌の作者と同じことを思うときがある。

 川柳にしても短歌にしても、あることを思い感じた時に、そのことを詠ったものであるが、深く考えて詠むこともあろうが、何でもないことを呟いてみたことを書くこともあるのだろう。そんなものでも読んで共感をするものは多い。

 自由律俳句となると、定型に縛られず季語にもとらわれず、感情の自由な律動を、まさにただ呟いたかのように表現している。こんなものであれば私でも作れるのではと錯覚するが、それはそれで奥は深いようだ。このブログは「エッセイ」を書いているつもりであるが、これからは余りかしこまることなく、呟いているつもりで、気楽に書いてみるのがいいかもしれないなどと思っている。

 


雨が降らない梅雨

2017年06月19日 | 旅・スポット・行事

 6月6日の雲が低い日、山口県地方は梅雨入り宣言が出された。翌日は1日中、小雨が降り、「いよいよ今年も嫌な梅雨に入ったな」と思っていたところ、翌8日から今日19日までの丸12日間、梅雨とは思えないような好天気が続いている。

 明日辺りからは、いよいよ本格的な梅雨に入り、向こう1週間ばかりの天気予報を見ると「雨時々曇り」のようである。今が盛りに咲いている柏葉アジサイも、カンカン照りの太陽の下では熱気で元気がなさそうに見えるが、やっと我が意を得て元気になってくれそうだ。

 先週、雨が降らない梅雨を逆手にとって、久しぶりに長距離のドライブに出かけてきた。1日目は、鳥取の砂丘と三朝温泉、2日目は大山と蒜山を周った。出かける数日前、テレビを見ていると、鳥取砂丘と三朝温泉の由緒ある旅館を紹介していた。見ていると急に行ってみたくなったのが出かけた動機であった。

 砂丘は、直ぐそばを通ったことはあったが歩いてみたのは初めてのことで、砂丘資料館では砂丘の成り立ちの説明の後、風洞で風紋を作る実験などを目の前で見せてもらい良い勉強になった。

 三朝温泉で泊まった旅館は、昭和天皇や今上天皇、そして皇太子殿下と、3代にわたって宿泊された宿で、温泉は大浴場や露天風呂などが立体的な配置でいくつもあり、思わず長湯してしまいそうなラジュームの湯であった。

 翌日は、海沿いを走り大山に向かった。大山といえば毎回必ず立ち寄る湖畔のホテル「大山レークホテル」がある。中腹にあるそれは静かな湖畔に建ち、ロビーに座って湖面を眺めているだけで心癒されるヨーロピアン調の瀟洒なホテルである。湖の背後に、大山の北壁をわずかに眺めることができる。しばらく森を散策した後、レストランでホテル定番のランチをとった後、蒜山に向かい牛乳を1本飲んで帰途についた。

 久しぶりに片道385㎞という長距離ドラうイブであったが、梅雨とは思えない快晴のおかげで、心身ともにリフレッシュできたいい旅であった。


生涯未婚率上昇

2017年06月13日 | 生活・ニュース

 「生涯未婚率」とは、50歳の時点で一度も結婚していない人の割合をいうが、国の調査ではこの30年間上昇傾向がつづいていて、2015年には男性23%、女性14%となっている。10年前には、男性15%、女性6.8%、30年前には男女とも5%くらいであった。

 一方で、結婚歴のない50代以上が伴侶を求め婚活に乗り出し、「シニアのんびりア初婚」を目指す動きが増えているという。それまで独身を続けてきた理由は人それぞれ。中でも目立つのが老親の介護である。

 ある女性は「自宅で病気の母親の看病をしながら仕事を続けた。毎日が母の世話で精一杯。結婚を考える余裕がなかった」と振り返る。母親が他界し、仕事を辞めたのを機会に身の振り方を考えるようになり、婚活を始めたという。

 再婚の場合と違い初婚同士の場合は、お互いに子供がいないので財産の分与などでもめることもなく、円滑に結婚生活を送れる。人生の折り返し点の50歳を過ぎ、後半生を誰かと寄り添いたいと思い始める。このような背景のもと、シニアの婚活熱が高まっているようである。

 人は誰でも一人で生きていくことはできない。若く元気なころは自分一人でも生きていけるような気がしているが、50歳にもなると、精神的にも健康面でも不安を感じることも出てくる。そんなとき、助け合い寄り添える伴侶の必要性を感じる場面は必ず出てくる。それこそが「シニア婚活」の一番の動機であろう。頑張れ、シニア! いらぬ世話だが、少子化対策にはならないだろうなあ。

 


庭に孤あり

2017年06月12日 | 生活・ニュース

 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」というほど苦しいことが多かったわけでもなかろうが、毎日楽しませてくれていたバラも最盛期を過ぎ、咲く花の数も日ごとに少なくなっている。

 そんな庭を眺めながら、奥さんが1週間も前からバラ園の改装案を練り始めた。庭を南北に直線状に埋め込んでいる煉瓦の中央辺りにアーチ状の曲面を作り、バラ庭の景観に変化を持たせたいという。

 ことバラ園に関して、奥さんからこうしたい、ああしたいと言われれば、今まですべて素直に聞いてきた。このたびもその意に沿う姿勢は崩さない。早速棒切れと長い紐を持ち出して、要望通りの弧を地面に描き、敷いてある除草シートをハサミでて切り取っていく。直線上に埋め込んでいる煉瓦を掘り起こして、弧に沿って埋め戻していった。途中「うん、なかなかいいわ」と背中から励まされながら1時間でレンガの埋め直しを終えた。

 翌朝、弧にした庭を眺めながらコーヒーを飲んでいると「いつもの所に電話して真砂土を持ってきてもらうわ」と電話で注文する。直後の朝9時、早くも真砂土を積んだ3トン小型トラックがやってきた。

 ガレージに砂を降ろして帰っていく。あとは奥さんと2人で1輪車に移し替えてはバラ園に運び込む。5往復もすると既存のバラ園の高さに土が入ったところで作業を終えた。あとは奥さんの気が済むよう、いかようにもすることになり私の作業は終わった。

 ガレージに残った真砂土は、食べるわけにはいかない。庭の低地にいずれは運び込むことになるが、それはしばらく休んだ後ということにしよう。庭に出るたび、視線は作ったばかりの張りだした弧の個所に目が行く。「徳は孤ならず 必ず隣あり」というが我が家では「庭に孤あり 必ず妻あり」か。