ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

むかし僕が死んだ家

2020-09-11 10:16:25 | 本のレビュー

  

「むかし僕が死んだ家」 東野圭吾 講談社文庫

これは、昔図書館で借りて読んだことがあります。その時も「とっても、面白いな」と思ったのですが、今回書店で文庫本を購入。

再読という訳でありますが、やっぱりgood! 名にしおうベストセラー作家、東野圭吾。それでも、やはり彼の作品が一番面白かったのは、初期の頃だと思っています。 デビュー作の「放課後」とか、あの素晴らしき傑作「白夜行」etc.

直木賞を受賞した容疑者Xの献身」などは、こうした作品に比べると、プロットこそ高度になっているけど、さほど面白くなかった記憶があります。

前置きが長くなりました。さて、この「むかし僕が死んだ家」――この意味ありげなタイトル。好奇心をそそり、頭の中にいつまでも、フレーズが残るようなタイトル。これだけでも、うまいですね。

まるで、マザーグースを思わせる薄気味悪さと、思わず手に取らずにはいられないミステリアスさを醸し出しております。

あらすじは――というと、主人公の「私」は、とある大学の物理学部の准教授となっているのですが、何年ぶりかで催された高校時代の同窓会で、かつての恋人沙也加に再会します。

彼女は今は結婚し、幼い娘もいる身。本当なら、もうかかわりあうことのない二人なのですが、突然、沙也加から私のもとに電話がかかってきます。彼女が言うには、「あたしには、幼い頃の記憶が全然ないの。その記憶を取り戻すきっかけとなってくれそうなものを見つけた。あなたに、あたしと一緒に、ある家に行ってほしい」

この家が表題の「ぼくが死んだ家」という訳なのですが、この家の設定が何とも素晴らしい。読者の興味をぐいぐい引っ張らんばかりなのです。

別荘地とは言え、山の奥深く、人もほとんど通らぬ場所に、ぽつんと立っている家。それは、沙也加の亡くなった父親が、残していった鍵によって開くのですが、なぜか、玄関は固く閉じられ、出入りできるのは、地下への扉のみ。

なぜ、こんなことがしてあるのか? そして、不思議なことに、この家には最初から水道も電気も通っていなかったらしい。埃のつもった家には、一つの家族が住んでいた痕跡があるのですが、子供部屋に残された少年の日記が、謎を解く鍵となる――というのが、おおまかな前段ですが、このあたり、東野圭吾は、本当にうまいですねえ。

他のミステリー作家だと、どうしても筆致がねっとりしていたりするものですが、ミステリーのくせに、さっぱりしているところが、東野作品の魅力なのでは?

少年の日記から、この家に起こった事件は、二十三年前にさかのぼるらしいことが判明します。少年は、なぜ死んだのか? そして、沙也加という女性は、本当は一体誰だったのか? 彼女は、本来なら何のかかわりもない、この家と何の関係があったのか?

これらの謎が、この不気味な家で一夜を明かす私たちのやりとりで、しだいに明らかにされます。この時、私と沙也加の間を流れる、かつて恋人同士だった者ならではの、スリリングさと親愛の情も、読み応えあり(しかし、かつての恋人の頼みで、遠い山中までつきあってあげるなんて、主人公の「私」も、ちょっといないくらい、いい人ですね)。

そして、不思議なことに、物語が終わった後、鮮やかに立ちのぼってくるのは、私と沙也加という二人の主要人物ではなく、「ぼく」という少年なのです。この日記だけの存在にすぎない少年。

もしかして、彼は今も、「僕が死んだ家」で眠り続けているのかも。


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