ノエルのブログ

文学、映画、ガーデンを巡る雑記帳

きつね寿司を食べる犬

2017-06-22 22:40:29 | ペット
  
毎度おなじみ、ゴールデンレトリバーのノエルであります。

日もとっぷりと暮れ始める頃、ノエルには「おやつ」の時間がおとずれます。たいていは、トースターで焼いたトーストなのでありますが、最近、ちょっと変わったレパートリーがくわわることに。

実いうと、飼い主はキツネ寿司が好きで、「なんか小腹がすいたかも」という夕方、近くのスーパーで買ってくるのでありますが、そこへノエルがご相伴にあずかることになったわけ。

犬が、きつね寿司を食べる姿って、なんだか絵になるなあ。毛の色も、キツネ色だし。

犬とキツネ寿司――気のきいた童話にでもなりそうではありませぬか?(どこが~?という声が聞こえそうだけど)
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高階良子さんの世界

2017-06-22 22:26:34 | 本と雑誌
  
少女マンガは、ほとんど読まなくなってしまったのだけれど、今も熱烈に読み続けているただ一人の少女漫画家、高階良子さん。彼女の膨大な、といえる作品のほぼすべてを読んでいるといっても、過言ではありません。

思いおこせば、私がはじめて高階さんのマンガを読んだのは、まだ幼稚園の頃、友達の家ででした。少女マンガ雑誌「なかよし」(今でも、あるのかな?)の付録についていた「赤い沼」を、友達の家に二階のうらうらと日がさす窓辺で読んだことは、あれから長い時がたった今もあざやかなのであります。

この「赤い沼」……、今でいうホラーだったと思うのだけど、「かごめかごめのわらべ歌」だとか「鬼子母神」の伝説だとかが、たくみに練り込まれ、幼心にその面白さに時間を忘れたもの。
そして、小学校時代――当時、高階さんのマンガの黄金時代だったはずで、クラスでもそのコミックスが回し読みされていたものでした。
「地獄でメスが光る」とか「化石の島」、「修学旅行殺人事件」「交換日記殺人事件」……ああ、こうタイトルを並べただけでも、当時の興奮がよみがえりそう

それからずーっと四十年にわたるおつきあいであります(考えてみれば、40年以上も、現役の漫画家として活動しているなんて、スゴイ!の一言。さすが、ミステリーの女王というべきか)。

ちょっと目がさえて、眠れないなあなんて時は、高階良子さんのマンガを(数えきれないほど読み返しているにもかかわらず)、ベッドに持ち込むことにしています。
ミステリーや怪奇ロマンは、夜更けの静かな時間が似合うんだもの。
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庭のマロニエ―アンネ・フランクを見つめた木―

2017-06-22 21:55:32 | 本と雑誌
 
「庭のマロニエ―アンネ・フランクを見つめた木―」 ジェフ・ゴッテスフェルド 作  ピ―ター・マッカーティ 絵  評論社

これも図書館で借りてきた本の一つ。 でも、一読したなり、宝物を見つけたような気分に。 それほど、内容も良質だし、文も絵も素晴らしいのです。

ただ、これは常々感じていることなのだけど、特に絵本などは書店で販売されているのは、有名なものか今風のごちゃごちゃした絵のものばかり。

こうした、深く心に残る隠れた名作こそを、読者に届けてほしいのに……。 その点、図書館は発行される書物を出版社の大小にかかわりなく、たくさん仕入れてくれるので、こんな掘り出し物に出会うことができるのですね。

さて、この絵本の内容を一口で言うと、主人公は、一本のマロニエの木。オランダの運河のそばの裏庭に立っていたマロニエが、強い印象を感じていたのは、黒い髪の生き生きした瞳の小さな少女――彼女は、ある日、ぷっつりと姿を消してしまいます。

そして、ある日、マロニエの木の裏にある建物に、こっそりと少女の一家は隠れ住む――少女こそアンネ・フランクだったのです。マロニエは、アンネの隠れ家での日々、その心情をそっと見守り続けるのですが、ある日、恐ろしい日が――。
誰か心ない者の密告で、アンネ達一家はナチスに連行されることに。

今でこそ、世界中の人たちが知っているアンネの物語ですが、こんな風に彼女を見守っていた木があったとは。余談ながら、このマロニエは、アンネがいなくなった後も長い歳月を生き続けますが、ある日とうとう強風に打たれて倒木してしまったそう。
この樹齢170年の木の芽は、世界中に贈られ、今もアンネの物語の生き証人として、若木として育ち続けているそう。日本では、福山市のホロコースト館にもあるそうで、ぜひ、このマロニエの木に会いたくなってしまいました。

 
そして、もう一つ惹きつけられたのは、絵本の挿絵。セピア色の描線で描かれた絵は繊細で、描かれたアンネも、実物とは似ていないようで、彼女を彷彿とさせる雰囲気があるのです
 久しぶりに、本棚から子供時代さんざん読んだ「アンネの日記」をひっぱりだしたくなってしまいました。
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玄冬の門

2017-06-19 22:55:12 | 本と雑誌
<「玄冬の門」 五木寛之 KKベストセラーズ

五木寛之氏は、深く尊敬する作家の一人です。だから、そのエッセイもだいぶの数を読んでいると思うのですが、これはその中でも新しい2016年刊のもの。
つまり、去年出たやつですね。

そして、一読した後、深く心が満たされ、背中を押されるような気持に。こんな意味合いで、尊敬できる作家を持てるというのは、幸せなことであります。

さて、この本で五木氏は、これまでよりさらに、高みの次元に達してしまったかのよう。「孤独死のすすめ」と題して、高齢者の自立をうながしています。
すなわち、「玄冬」と呼ばれる、人生の最終章に達した人間は、これまで営々と築いてきたつながりを絶って、「孤独のなかに生きる」、「孤独の幸せを追求する」べきなのではないか、と。

「玄冬」は別の言葉で言えば「遊行期」にあたり、「子供の心に帰っていく」季節でもあると、五木氏は言っています。

最近、高齢になっても人とのコミュニケーションの必要ばかりを説き、(確かにそれは大切なことですが)、高齢者が若い人の中に混じって、一緒に何かやるのを持ち上げる風潮がありますが、それはちょっと違うんじゃないか、という思いは私にもあります。
「TVなんかでも、若い格好をして、若い人たちと一緒に何かやっているのを、良いことのようにいいますね。けれども、やっぱり高齢者は孤立すべきだと思います」と書かれているのには、我が意を得たり、と思ってしまいました。


そして、これが印象に残ったのですが、人間の生はエネルギー保存の法則に貫かれているのでは、ないかという言葉。
自分という存在がいなくなれば、無にはなるけれども、大いなる海の中に溶けこんでしまうというのです。そこでは、自分という人間を作っていた人格だとか個性はとうに消滅してしまっているのだけれど、その生命エネルギーから、また新しい命が生まれるのだ、と。


素晴らしい示唆に富んだ言葉が盛られた、ぜひ手もとに置きたい一冊! であります。
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三千院、鞍馬、貴船を訪ねて

2017-06-19 22:31:33 | 旅行記
日帰りツアーで、京都へ行ってきました。何だか、最近京都づいているなあ~。

今回訪れたのは、三千院、鞍馬寺、貴船神社であります。そう、京都の奥座敷三点セットと言われている(ホント?)寺社めぐり。

京都へ何度も訪れているのですが、こうした奥まで行く機会はなかなかなく、三千院は十数年前、叔母に連れていってもらったものの、他の場所は初体験!

   

  横向きの写真になっちゃいましたが…

これらは言うまでもなく三千院――かつて行った時は、参道から寺院にいたるまで、観光客がぎっしりと鈴なりだったように思うのに、先週訪れた時は、ひっそりかんと静か。
参道のお店も閉まっているのがいくつもあり、「さびれているみたい」というのが正直な」ところでした。
この大原の地は、ガーデニングでも有名なベニシアさんもお住まいのところですが、京都の町中からはだいぶ離れた山の中であります。

京都というと、一年中観光客が目白押しという印象ですが、(私もそうであるように)みな、市内のにぎやかな場所をめぐるだけで満足してしまうのかな?


   
このおっきな天狗のお面は、何ともインパクトあり!  もちろん、鞍馬にあります。鞍馬もだいぶんの山の中。鞍馬駅は、古き時代の香り残る木造の建物で、待合室など映画に仕えそうなほど、レトロな雰囲気。こういうのは、好きだなあ。
    
 参道をいろどる灯篭も、日本の伝統色の朱が美しいです。
   
 鞍馬寺の門前にたたずむのも、狛犬というより、小さな獅子そのものの石像。台の石には、「大正2年……」とかの銘が打たれています。長い時を、こうして下界を睥睨しながら、
鞍馬のお山を守ってきたのでしょうね……。

 貴船神社も、「来てよかった!」という風情ある美しさでした。

 最近、「御朱印帳」なるものをはじめ、訪れたところで、書いて頂いているのですが、美しい毛筆の黒と印鑑の赤の組み合わせがなんとも、お洒落なのであります。
きっと、昔の人にも「ありがたいお札をもらう」という以外に、このモダンさが受けていたはず。 訪れた記念というか、ちょっとした達成感も味わえるのだ


  
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天才という星

2017-06-12 13:33:45 | アート・文化
   
最近、最も興味があるのは、将棋の天才棋士、藤井聡太 君です。

まだ14歳の若さで、並み居るプロ棋士を破っての連戦連勝……本当に天才っているんだ。すごいなあ。
スポーツ界には、十代半ばで頂点に達するアスリートが何人もおり、それはそれでスゴイことなのだけれども、聡太君の場合、「将棋」というところがミソなのであります。
日本の格式高き、頭脳ゲーム――こんなことを言ったら「何を、見当違いもはなはだしいことを」とあきれられるのかもしれないけど。でも、「将棋」盤を挟んで差し向かいになる姿を見ると、今は昔の剣士の姿を思い浮かべてしまうのです。

「神道無念流」とか「長曾根虎鉄」とか「菊一文字則宗」とか剣の道に関する言葉がぽろっと頭に浮かんだりするのだけれど、聡君を見ていると、なぜか天才的な少年剣士の姿をイメージしちゃうなあ。

 とわかったようなことを言っていても、実は「将棋」のルールなんてまったく知りませぬ。小さい頃、家に将棋盤があり、いじって遊んだことは覚えているのですが、さし方を教えてもらうまでにはいたりませんでした。
でも、以前から「やってみたい!」とキョーミしんしんの世界。いつか、将棋をさす日が訪れますように
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蕎麦を食べに行く

2017-06-12 03:33:28 | 日記

郊外のOKAYAMAガーデンまで出かけていき、お蕎麦を食べてくる。
    
昔のドライブイン、または水族館を思わせる建物やステキな遊具の並ぶ遊び場があるのだが、その一角に「真金堂 無哀荘」というお蕎麦屋さんもあるわけ。

 ごらんのように、茅葺きの屋根をした、とっても風情ある建物―― なんでも、150年ほど前の農家をそのまま再現・移築したものだとか。緑ゆたかな風景の中、堂々たる風格でたたずんでいる。

 中へ入り、席に落ちついても、窓から見える風景にうっとり。
     こんな風に、曇り空の下に、茅葺きの建物が点在しているのだ。庵(いおり)を思わせる建物も、水辺にありまする。


   木の樹皮が、苔むしているのもいいなあ。


  さて、鴨南蛮そばを食べ終わった後、となりにある乗馬クラブをのぞいたのでありました。
入り口には、馬を走らせる戦車らしきモティーフの石彫りの置物が……ああ、こういうのは好き。
  中には、19世紀の終わり英国で作られた貴族のための(ブライトン卿のための馬車とただし書きがついていた)馬車も展示されていたのだが、これもマホガニー色の輝きがすばらしい!   


六月に入ってからは、何をするのもおっくうな感じで家にこもっていたのだが、こんなことではいけない! うん、もっと生産的な日々を送らねば!
だって、初夏の自然や緑は、こんなに美しいのだもの。
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時生(トキオ)

2017-06-09 21:39:33 | 本と雑誌
  
  「時生」東野圭吾 講談社文庫

これも、図書館で借りてきた本。今まで出版された東野圭吾の本は、ほとんど読んでいるんじゃないかと思うのだが(つまり、結構ファン)、この本はまだ手をつけていなかった。なぜか、というと、冒頭シーンからして、難病の息子が今にも死んでしまいそうだという悲しいシーンから始まるのだ。
あらすじ紹介のところをざっと読んでも、不治の病を患う息子(まだ、17歳の少年にすぎないのに)に最期の時が訪れそうになった時、その父親である主人公が、自分の若い時に息子――トキオに会っていたという不思議な思い出を語りはじめる、というストーリー。
時を超える、という一種のSFで、こういうのがとても好みのはずなのに、今までどうしても読む気がしなかった。なぜって、エンターティメント小説が悲しくあってはならない、という思いこみがあったから。
大体、年端のいかない少年が病気で死ぬなんて悲しすぎる。

しかし、そんな思いこみをこの際、取っ払って思いきって読むことにした。結果は、やっぱり面白い!

「やっぱり、希代のストーリーテーラーねえ」とページを繰る手がとまらず、真夜中まで読みふけってしまった。さすがに、くたびれて三分の二以上読んだところで眠ってしまったのだけれど……。

主人公の宮本拓実は、二十年前、浅草の花やしきでトキオと名乗る不思議な若者に会ったことを思い出す。彼は、拓実の「遠い親戚のようなものだ」と名乗り、その後をくっついて歩く。自分のことを色々知っている、この若者は誰なのか? 
拓実の方でも、トキオに不思議な親愛感が湧いてきて、二人はやがてともに行動するようになる。複雑な成育歴を持ち、自堕落に生きてきた拓実の前から、突然恋人の千鶴が消える――彼女はどこへ行ったのか? そして千鶴を追う拓実たちの前に立ちふさがっていたのは、大がかりな犯罪網だった――というのが大まかなストーリー。

難病で若くして死なざるを得なかった息子が、そのいまわの際、過去へタイムスリップして自分の父親と出会う――これだけでも、十分ファンタジックな魅力たっぷりの物語になるはずなのだが、そこにミステリーの仕掛けやアクションを持ってくるのが、さすが東野圭吾。
物語の設定や、文章の語りはリアリティを感じさせるというより、ただひたすら面白い! 勢いやはずむようなリズムがあって「読ませる」のである。


「人は、未来のためだけに生きるのではない」。これは、トキオが何度も語る言葉だが、彼を待つ運命や、過去・現在・未来を包括する壮大な時間に思いをはせたら、人間の生とは、その場かぎりのものではない、という信念が生み出されるのかもしれない。
この本を読了した後、お茶を飲むために立ち上がったのだが、「人の運命って、メビウスの輪のように、どこかで未来や過去につながり、決して終わりのないものかもしれない」なんて思ってしまった。
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百年の家

2017-06-09 21:10:10 | 本と雑誌
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  「百年の家」 J・パトリック・ルイス 作。 長田弘 訳  講談社

  

 図書館で借りてきた絵本。といっても、荘重な感じのする表紙からもわかる通り、いわゆる「大人の絵本」というもの。

 1656年(!)という古い時代に建てられた一軒の家――この本はそんな家の1900年から1世紀に及ぶ歴史を、詩のような短文とともにつづったもの。
 家の歴史といっても、そこに住む一家との温かなふれあいがみっちり書かれている、というわけでは全然ない。この家に住む住人は、風のようにやってきて、またいずこへとなく去 ってゆく。

古い家は、ただ自分の内部に住む人々の喜び、悲しみを見つめるだけだ。だが、人々の記憶は、その壁や柱に消えない痕跡を残してゆく――この本は、そんな記憶を持った家の一人語りといっていいかもしれない。

淡々としていながら、陰影を感じさせる文章――これは訳者が、長田弘と聞いて、納得。かの有名な詩人の詩を読んだことはないのだが、その素晴らしい言語感覚は、いくつかの翻訳でふれてきたのだ。

そして、影の主役というべき絵。文章を載せたページと交互して、挿絵のみが一面に広がった見開きページが登場する。この絵も素晴らしい(ただ、私自身の好みとしては、こういう精巧なリアリズムを感じさせるのは、好きではないのだけど)。
どこかで見た絵だと思い、離れの「ノエルの本棚」をひっくり返してみたら、あった……「白バラはどこに」


 上の写真の本がそれ。やっぱり長田弘 訳で、みすず書房から刊行されている。

ナチス時代のドイツ。ふとしたことから森の中に迷い込み、収容所の子供達の悲惨な有様を見た、ドイツ人の少女。白バラと呼ばれる、小さな少女の善意と死を描いた、悲しい物語なのだが、傑作であることは間違いなし。

 明るく面白い、だけでない、ずしりとした読後感を求める方におすすめ―今夜の紹介は、この二冊でした。
        
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日々のこと

2017-06-09 19:35:44 | 日記・エッセイ・コラム
  
五月下旬まで、なんだか忙しかった……。書き物をしたり、カリグラフィー・ネットワーク展にもカードを出品するので製作したり…。

その合い間に、チビチビと作業していた写本装飾の作品ももう一気に仕上げて、上の写真のように額入れもしてもらった。う~ん、でもあんまり良くないような気がする。透明水彩を使ったせいか、迫力なし! これは、どうもいけない。
でもまあ、せっかく作ったのだから、自分の部屋に飾ることにいたしました。


六月に入ってからは、初夏特有の、空気が澄んで爽やかな日々が続いて、うれしい。でも、もうすぐしたら、ムシムシする梅雨がやって来るのだろうなあ――。
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