ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

推し 燃ゆ

2021-04-07 21:08:44 | 本のレビュー

家族が買ったまま、放りだされていた「文藝春秋」三月号。そこに掲載されていた芥川賞受賞作「推し 燃ゆ」をやっと読む。

現役の女子大生の宇佐見りんさんが受賞して、大変話題になっていたのだが、いつも世間から一歩も二歩も遅れて進む私――あんまり関心はなかった。けれど、先週つれづれなるままに、ページを開いてみたらば、導かれるように一気読みしてしまったの。

女子高生のアイドル追っかけの顛末という、私とは一万キロも離れた世界に住んでいるとしか思えないヒロインだったにもかかわらず、である。(はっきり言って、嫌いな題材だわ)

何しろ、宇佐見さんの文章が素晴らしく上手い! 綺麗な文章とか文学的という範疇にあるものではないのだが、アイドルと自分という狭い世界に住んでいるヒロインの息遣いさえ感じさせるし、ヒロインの身体的な感覚(痛みとか、目がくらんだといった描写)も、こちらにひしひしと伝わってくる。

ただ読んでいて気が付いたのだが、この「あかり」という名前のヒロインは、現代を象徴する存在なのではなかろうか?  以前の芥川賞受賞作の「コンビニ人間」も「紫のスカートの女」の主人公も、あかりの系列に連なると思えてしまうのだ。「コンビニ人間」の主人公は発達障害気味で、コンビニにしか居場所がない女性だし、「紫のスカートの女」もホテルの掃除係として働きながら、まるで透明人間であるかのごとく、存在感の薄い女性が語り手となっている。

あかりもまた、家族やバイト先の人たちとは交流があるものの、彼女の関心は、子供時代から追いかけて来たアイドルのグッズを集め、彼に関するデータを収集することに向けられている。自分のことなど知りもしないアイドルの存在だけが、あかりのレーゾンデートルってわけ――そんな人生はむなしいのか、それとも幸せなのか?

こんな風に「閉じた世界」にいる人間は、案外たくさんいて、それが、これからはもっと増えるとしたら……不思議な未来社会が出現するような気がします。

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