いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ハーバード大のカンニング。 cunning test in Harvard Univ.

2012-09-04 19:24:14 | 日記
 (1)日本の教育というのは受験一辺倒か学校教育偏重主義だから、国際的評価が高くない。日本の大学生の学習時間は他国大学生に比較してかなり少ないと言われて、その世界大学評価ランクも東大がようやく20位台で顔を出す程度のものだ。

 その日本で見れば、大学教育カリキュラム(curriculum)だけを見れば、しかし教育機関
の中で授業時間をもっとも確保している。新年度は3月中にガイダンス、オリエンテーションを終えて4月早々から授業を始め、新年も三が日が明ければ授業を開始している。

 その大学、大学生の評価がその程度なので、高校以下の教育機関は押して知るべきだろう。昼日中に初等、中等教育の生徒がすでに街をさまよう姿を見るにつけ、学ぶべき時に学ぶ大切さを、学校教育の質の低下を思い知らされる。初等、中等教育現場の荒廃はすでに周知の通りだ。

 (2)大学教育カリキュラムのそれでも整備の中で、日本の大学生の他国と比較して問題となっているのは課外学習時間の低さだ。
 それは知的興味、好奇、探究心の低さとも言える。日本の大学教育の欠点で国際的評価の低さだ。

 その知的興味、好奇、探究心旺盛なのが欧米の大学教育だが、その欧米の大学生も平均して学習時間が多いという印象はないが、見えないところで努力、精進しているということだろう。

 (3)その代表格ともいえる米国ハーバード大で学期末試験を巡る大量(125人)のカンニング(cunning test)疑惑が発覚して話題になっている。
 近年はケイタイ、端末通信機器のメカニズム(mechanism)向上にともない高度なスキルを使った各種試験でのカンニングも教育社会問題化しているが、ハーバード大の場合はちょっと違う。

 (4)なにしろ、答案は自宅に持ち帰って作成する課題だ。文献、インターネット検索利用は自由、しかし他人との相談は禁じられている(報道)。なんとも個人の人格尊重の大学教育の極意だ。
 近年日本のテレビにもハーバード大の著名教授によるディベート(debate)方式の授業形式の紹介があって話題になった。テーマはあっても答えは必ずしもひとつではない多様に思考するハーバード方式の授業だ。

 大学が学生の思考能力のプロセスを尊重し、潜在能力(potentiality)を形成する授業の成果としての試験スタイルだ。
 ユニバーシティ・ブランド(university brand)のひとつだろうが、こうして見ると随分と日本の大学教育との違いを思い知らされる。

 (5)そのハーバード大のカンニング疑惑、受講学生の半数近くの答案に類似点が多いことに気づいた教員が大学に報告して発覚した。類似性の程度もあるが、文献、インターネット等利用自由の解答だから同類の答えは予想されるものだ。

 「そこ」に独自思考、個性、主張を期待する、答えはひとつでないハーバード大のブランド個性があるわけだ。
 学生側は制度上「答えは同じになる」と反論して、処分によっては提訴することも考えているという(報道)。

 (6)しかし、少なくとも大学が学生の思考能力、努力を最大限尊重した教育の「意思、意図」に、その多様な思考能力、努力で答えなかった、理解しなかった学生の「ぜい弱」さはあきらかだった。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新しい政治勢力をつくる使命... | トップ | 国の予算枯渇。 to run dry t... »

日記」カテゴリの最新記事