いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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私的な財津和夫論。(第26回) private essay about k. zaitsu

2011-09-07 19:37:28 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第26回は、「菜食・玄米」です。
 26 菜食・玄米
 財津和夫さんは、チューリップとして活動10年の82年(34才)頃にすっかり肥満体形になった。仕事柄、不規則な生活、食生活、特に本人が著書で述べているように食べすぎが原因と考えられて、一時72キロの立派なアスリート体形(身長178センチ)となった。
 82年と言うと、チューリップ1000回コンサートを記念しての東京よみうりランドを1日貸し切ってのライブ・ピクニック・イベントを開催した年です。当時、財津さんは2時間余りのコンサートの半分以上をピアノの前に座って演奏し、歌っていたので、かがむ体重の重さが負担になってきていたと著書で述べています。

 そこで、これでは音楽活動、コンサートに影響が出ると思いたって、減量計画に出ます。食事を野菜、玄米中心に変えて、タバコもやめて85年には見事59キロまで13キロ減量に成功します。
 当時、年間100本以上の全国コンサートを行っていますが、財津さんはコンサート終了後はひとり宿泊のホテルに帰り野菜、玄米中心の食事を続けたようです。
 ポール・マッカートニーが菜食主義者であったと言われているので、財津さんも興味本位から一時期菜食主義者と言う言い方もされていますが、減量のための食事改革が本当のところでしょう。

 63才を迎えた現在も体重管理、健康管理には細心でスリムな体形を維持しています。野菜、玄米中心の食事改革はその後ずっと持続したようで、当時、小渕沢の2階が宿泊様式のレコーディングスタジオのリトルバッハに家族で泊り込んでのアルバム「naked heart」のレコーディング時の食事でも、肉は鶏肉までと限定指定されていたと食事の世話係の人から、後年になってドライブで同スタジオを訪れた時に偶然お会いして聞いたことがあります。敷地内には小さな牧場もありましてポニーがいました。

 食事改革は徹底してたようで、この目標は「主義(ism)」と言えるほどの「意思の強さ」です。そうでもなければ13キロの減量はできません。意思の強さは財津さんのフロンティアな生き方の原点です。
 この意思の強さ、ミュージシャンとしてのプロフェッショナル・スピリットの高さは、断酒にもあらわれます。財津さんは福岡の育ちですから、酒、とりわけ焼酎には目がないようです。コンサート終了後の食事のあと、一升ビンを抱えて宿泊のホテルに帰ってくるという姿を見かけたこともあります。

 現在は、年令による声、ノドへの負担、影響を考えて適性なコンディショニング持続のために数年前から断酒をしています。音楽に対する高い向上心、追求心と同じようにそのプロフェッショナルとしての高い自制心、責任感がここにも伺えます。
 63才の現在でもメロウな高音に張りのある低音と幅の広い音域に、よく声が前に出る発声法、歌唱力の高さで、年間を通してのコンサートを行っています。

 ところで、ビートルズは「4人」、そのビートルズに影響を受けたチューリップは「5人」。チューリップの前身はフォーシンガーズの「4人」だった。
 チューリップの「5人」については、ビートルズにならえば「4人」でもよかった。
 ビートルズ同様、ツインボーカルを目指した財津さんはギターの安部さんにギター、キーボードの楽器スキルの多才な姫野さんを加えた。

 2人交代のキーボード(ピアノ)以外は、センターステージはいつもビートルズと同じリード・リズムギター、ベースの構成だ。
 ビートルズに影響を受けたとは言え、財津さんはかねてからのピアノ、キーボードでさらに音、自作曲に厚み、深み(ピアノのコードはギターより広い)を加えた「独自の音楽観」をアレンジしてチューリップ「5人」としたと考えている。
 著書に、「東京に出ると決めた時、『真の姿』でやりたいと、『ピアノとエレキギターが全面に出た』、現在の形にした」とある。

     参照 「10kgの分かれ道」(財津和夫)  〔転載禁止です〕 

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