【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

核兵器今昔

2018-02-08 07:04:00 | Weblog

 昔「きれいな水爆」
 今「小さな原爆」

【ただいま読書中】『真説 鉄砲伝来』宇田川武久 著、 平凡社新書、2006年、800円(税別)

 「鉄砲伝来」は「1543年種子島に漂着したポルトガル人によって……」と私は日本史で習いましたが、その根拠は慶長十一年(1606)の『鉄炮記』という書物です。著者は「本当?」と疑問を投げかけます。半世紀も後の文献だし、日本各地への伝播や戦法の革新が「1543年種子島」だけでは説明がつきにくいのではないか、と。著者は、膨大な量が残されている鉄炮師の秘伝書を参照しつつ、新しい視点を本書で提示するそうです。
 実は「1543年種子島」以外の説を唱える人はこれまでに何人もいたそうです。それらは「通説打破」はできませんでしたが、『鉄炮記』のみを根拠とする通説から、残された鉄炮そのものを研究する方向へと進化していきました。
 鉄炮をはじめは猟師が「便利な道具」として愛用をし、大名は「珍奇なもの」として贈答品扱いをしました。1550年ころには各地に鉄炮師が登場し、玉の構造や火薬の配合や射撃術などの「秘術」を弟子に伝えました。彼らは「武芸」をもって大名に仕えました(「家来」ではなくて「お抱えの職人」のような立場です)。そもそも「鉄炮」は単体では役に立ちません。それを扱える人がいて、その知識と技能を伝えてくれたら、そこで初めて「鉄炮」は各地に伝播できるのです。毛利元就は永禄十年(1567)ころ「最近戦場では鉄炮という新兵器が出てきて思わぬ被害に遭うから気をつけるように」と家臣を諭しています。天正年間(1573-92)には長篠合戦のように鉄炮が大量投入されるようになりました。鉄炮鍛冶も大量の注文にてんてこ舞いとなります。
 種子島への鉄炮伝来には倭寇の頭目である五峰が関与していました。そして、1543年以降、西日本に続々と鉄炮(南蛮筒)が伝来します。種子島が日本の“中心地"ではなかったようで、各地でそれぞれ特徴のある「鉄炮」が製作されました。そしてそれはやがて朝鮮へも伝わっていきます。
 たしかに、それほど威力のある武器だったら、惜しげもなく日本中に情報を公開する、というのは考えにくいですよね。戦国時代なのですから。むしろ南蛮商人あるいは倭寇が商売としてがんがん売り込んだ、と考えた方がわかりやすい。これって、江戸時代末期に西洋の死の商人が日本に鉄砲を売りまくったのとちょっと似ているかもしれません。