【泉妙見山城】いずみみょうけんやまじょう
【別名】泉城・中城
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】千葉県柏市泉 地図
泉妙見山城は、中城と称する北東向きに突き出た台地を利用して築かれています。
三つの郭から構成され、郭内には現在も妙見社が祀られています。
相馬に移住したという相馬氏の関係の城と考えられています。
標柱
この場所は「中城」という小字で、戦国時代に館があったところといわれています。
御神体は妙見大名社で、二月二十二日、二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。
主郭はこの奥に見える民家の敷地になると思われ、ここより先には行っていません。
土塁
妙見社のある方を見ると、堀と土塁らしきものが見えます。
土壇
土塁らしき場所には建物(拝殿?)が建ち、土塁というよりは土壇になっているようです。
建物の裏側に回ってみると、妙見社と石碑があります。
妙見社はこじんまりとしています。
建物の陰になってしまい、肝心な本殿を見逃してしまいそう😅
でも、ちゃんとお参り🙏しましたよ。
石碑
この土壇に妙見社があったことを示す石碑です。
「庚申代石」が隣にあったので読んでみると、
享保十二年申戌天十一月に
五十人が同行して妙見社の御神木の松を講金(寄付金)で買って奉納したので、
今後ここに住む僧侶は神木を伐ってはならないというような内容が記して
あるようですがどうでしょうかね。(違ってたらごめんなさい)
そして、ここから東側に進んだ三夜堂のあるあたりに吉祥院があったようで、そこの住僧が建てたようです。
おせし様板碑
ここにあるのは、泉地区にある手賀西小学校の校門と道を隔てた小高い場所にある
板碑と呼ばれる中世に代表される塔婆の一種です。
この辺りでは庚申待ちの供養が盛んだったようです。
肝心なお城に関してはあまり情報が無く立ノ台にある泉城の支城という説がありますが
雰囲気としては、泉妙見山城の方が遺構が見えるところに残っていて実感があります。
令和3年12月30日登城
【別名】泉城・中城
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】千葉県柏市泉 地図
泉妙見山城は、中城と称する北東向きに突き出た台地を利用して築かれています。
三つの郭から構成され、郭内には現在も妙見社が祀られています。
相馬に移住したという相馬氏の関係の城と考えられています。
標柱
この場所は「中城」という小字で、戦国時代に館があったところといわれています。
御神体は妙見大名社で、二月二十二日、二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。
主郭はこの奥に見える民家の敷地になると思われ、ここより先には行っていません。
土塁
妙見社のある方を見ると、堀と土塁らしきものが見えます。
土壇
土塁らしき場所には建物(拝殿?)が建ち、土塁というよりは土壇になっているようです。
建物の裏側に回ってみると、妙見社と石碑があります。
妙見社はこじんまりとしています。
建物の陰になってしまい、肝心な本殿を見逃してしまいそう😅
でも、ちゃんとお参り🙏しましたよ。
石碑
この土壇に妙見社があったことを示す石碑です。
「庚申代石」が隣にあったので読んでみると、
享保十二年申戌天十一月に
五十人が同行して妙見社の御神木の松を講金(寄付金)で買って奉納したので、
今後ここに住む僧侶は神木を伐ってはならないというような内容が記して
あるようですがどうでしょうかね。(違ってたらごめんなさい)
そして、ここから東側に進んだ三夜堂のあるあたりに吉祥院があったようで、そこの住僧が建てたようです。
おせし様板碑
ここにあるのは、泉地区にある手賀西小学校の校門と道を隔てた小高い場所にある
板碑と呼ばれる中世に代表される塔婆の一種です。
この辺りでは庚申待ちの供養が盛んだったようです。
肝心なお城に関してはあまり情報が無く立ノ台にある泉城の支城という説がありますが
雰囲気としては、泉妙見山城の方が遺構が見えるところに残っていて実感があります。
令和3年12月30日登城