岩窟竜王/新居浜祭り

 がんばることにおしまいなんてあるんですか?! ©唐可可

変貌の'17 川西以外

2017-10-26 | レヴュー2017
喜光地
房が旧いものでした、雨仕様だろうか。他所に譲渡したりしていなかったんだね、その事実に驚きつつかなり感心。

池田
あれれ? 〆の玉龍に右腕がない、炎がまだ発火してない。去年は間に合わなかったのだろうから許そう、仕方がない。あれから一年たち、炎くらいはなんとかできるはずなのに放置とは一体どうしてですか?
この現状はわたしの「常識」を逸脱しております。もうそれで十分でしょ、そこ以上は過剰です、と思われる高祖はしつこく改良を繰り返しているのに。縫師とトラブル発生につき、なんてことはまさかないでしょうが……。

北内
山根で黄色い升が入った市松天幕をつけていたのですが、あれは三~四年前にちょっと被ってみたものでしょうか。それとはすこしパターンが違うようにも感じましたが、ビニール越しのチラ見じゃあ分かりかねる。もし着替えやコスプレならば、昼の部と夜の部で違いを出せば趣あり、だったのではないでしょうか。

龍鼓祭
穴子と赤ワインを愉しんで後、ほろ酔いでチャリを飛ばしたらなんとか間に合った。12台寄せ担きがまさに始まらんという時に。新田橋をわたりグラウンドにインしてまず目に飛び込んできたのは夜の観客席に積み上がった万余の大観衆で、これに圧倒された。照明があるとはいえ昼よりは暗く人々の顔まで見えるわけもないのだが、いままさに寄せていこうという12台に注がれた期待に満ちた表情がはっきり見えるようだった。あの中で太鼓を担くのは、さぞや高揚することであろう、足下がじゅくじゅくと不快なくらい何のことがあろうか!
M2で毎年やっている11台の寄せ担きに一台プラスしたくらいで大騒ぎするもんでもあるまいと思っていたが、大観衆の歓声が加味されると天晴れ見事なものだった。二部構成の企画自体はどうなんだかわからないが、夜の山根興行は成功であろう。ほんの一瞬の見で決めつけたが間違いなかろう。願わくはいつか再び、雨にたたられない機会を得んことを。
有り体にいうと、その日が川西ポイントとずれてたらいいのにな~。ちゃんとじっくり見たい。
さらに、もはや無所属のフリーランス太鼓である口屋を入れたらいい刺激になると思う。オファーさえすれば口屋は喜んで来そうな気がするけど?
アイデアや効果としては褒めるべきだろうが、担き夫が手首に嵌めていた光るリングはちょっと恥ずかしいな。それとちょっと時間が遅すぎ。19時頃に花火でよろしいのでは。

花火
家から鑑賞しようとしたが音だけで見えなかった。それは別によろしい。実のところ、花火の付加は好まない。花火は花火、太鼓は太鼓、の独立が望ましいと思う。著名な秩父夜祭りも花火なしではあれほどには集客できないんじゃかないかと勝手に考えているくらいで、花火の助けを借りないといけない祭りは観光的な「魅力の弱さ」を露呈しているみたいな気がするからだ。変なとり方だけど内政干渉みたいな気がしているのだ。我ながらひねくれてるね。

白浜×浮島
画像での後追いがせいぜいなので状況不見識ではありますが、浮島2名白浜1名が引っ張られたようですね、中須賀2の大江1から類推(こっちは見てわかっているので)しますときっと浮島に因ありと見做されたのでしょう。

河川敷
グラウンド部に入らずであっさり終えました。事実を切り取るならば車両通路まで入って出ただけ。これはいささか以上に寂しく落胆した。雨に一番堪えたのが実はここだったのかも。

最奥で澤津と山端の両新調太鼓が並んでいた光景が唯一の救いだったように思う。ビニール越しでなければどんなによかったか。

上泉
18は出なかったんだって? 天気もあれだったし、人も集まらないってことで?
そういう太鼓があってもいいんじゃないの。先発完投、中継ぎ、クローザー。いろいろ居ますよね。分業、棲み分け。昔聞いた話では多喜浜のある太鼓台(新田って聞いた記憶がある)は18は太鼓を出さずに八幡見物をするということでしたが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 手のひら返しはほどほどに | トップ | 従軍レポート№9(中須賀総点... »

コメントを投稿