岩窟竜王/新居浜祭り

もう実体は偏屈竜王だな・・・・

94;帰着(F)

2016-12-28 | 19XX : 回顧シリーズ
94年は前振りがよかったよね。
西町と東町がお休み。六台祭りなんだから今時分の半ばしか出なかったんだ。
それでも、つまらん、寂しい、とかの声はまぁ出てこない、わざわざ強調するまでもなく中須賀×大江のラバーマッチがある(*1)からだよね。

16日、東方(大江久保田新田)は新高橋の開通式で川東と顔合わせし、西方(西原中須賀江口)は文センでVIPを歓迎したというのも珍事。ほぼ同時刻に行なわれたのは偶然なのか仕組んだのか。

17日の工場前で新調の久保田(*2)に中須賀が突進したところ、久保田は大後退(*3)。あえて大江を無視したような行動を中須賀がとった理由----といえるほどのものはあったのかなあ。
博物館入りの件を逆恨んだのがそれだと言われもするけれど、できれば大江とやらずに済ませたらいいかもね、できればだけど……という望みも少しあったんじゃないかな。

わたしが着目していたのは大江の四本柱でね、昨'93年に中須賀が木目シールを貼った金属製四本柱で組んでいた(*4)ことを知らないわけじゃない大江がどうしてくるのか、だった。江口入りの前あたりにちらりと覗いてみたけど「シールではない」生きた肌の木製に見えはした(*5)。
前年に東町が開発した台車の下駄を当日中に採用してしまうような大江が四本柱に何もやってこないのは不思議だったよ。

18日朝の大江浜でも中須賀はしつこく久保田へ迫り、大江を無視した動きを続けていた。下がる余地のない久保田にぐいぐい攻め込んでいたら暇にたまりかねた大江が、中須賀の横っ腹めがけて攻めてきたりした、そのまま押し込めば長胴まで入ってしまうかとも思うほど近接に。そこまで来られてやっと中須賀も大江に少し向けたりしていたね、大江を視界に入れずにやり過ごせ作戦はどうやらここまでだったようで。

船御幸上陸後、大江は中須賀からの御花受け取りを拒否した。ここでほぼ抜き差しならぬ一戦が確定したのかもしれないね、中須賀自治会での昼食時には「昼から大江とやるのでよろしく」と団長から所信表明もあった。

とはいえ、午後からも特に表立った騒ぎはなく登り道交差点に六台が集合してきたことはしっかり評価しておきたいね。今時分やるような自治会館出立の際には全裸で武装万端、ひどけりゃ高欄まで外すみたいな不作法をしていないんだから。
'92年と同じく東から入る年廻りだったけれどその時とは違って動き出したのは中須賀の方だった。下半身脱ぎの半裸となり江口(*6)をどけさせたけど新田が道を空けようとしない、なにやら動くなといわれている(*7)からできないなどと正論を述べて。ひとしきり抵抗はありはしたが、避けないなら実力行使する(*8)と脅しがあってさすがに新田は道を空けざるをえなくなって中須賀は東進できたんだ。

そんな悶着の間にか眼前にいるはずの大江はいつのまにかいなくなって(*9)いて、二輪を履く等の支度をしに帰ったことは容易に想像できたね。なのに中須賀は台車でこのままでいいから行ってしまえとしばらく騒いでいたんだから能天気なものだったよ。そこで気勢をあげたところで相手は見えないし、大江が二輪で来たら困ることにやっとこさ気づいて中須賀も花園まで戻って、支度を始めることになったわけだ。ちょっと時間を無駄遣いした感じはあるね。

あんまり慌てた風もなく帰った中須賀は全裸になると二輪を出してきた。いわゆる「伝説の鉄車」が現れたわけだけど、これを見てわたしは少々首をひねってしまった。昔の自治会館があった場所から出てきたのには頷くことがあったんだけど、現物がかなり疑問符の付く状態だったんだ。何年(*10)ほったらかしにしておいたかは知らないがまったく整備点検されてないことが明らかで、転がしてきたらば錆や塗料がぽろぽろ出つつこぼれつつだったんだから。使うことが予定されていて出てきたんならば少しは点検しておかないと公道に出てはまずい、事故に繋がる危険が増える(*11)てものだよ。おそらく油も差してなかったんじゃないかな、パンクする恐れはそりゃあ皆無なのだけれど。

まだ万端装備とはいかない頃、ちょうど横棒を取り付けている途中だったけど東の方から長胴の鳴る音が聞こえてきた、どうやら大江がやって来たらしい。見えてきた、芯棒には60㎝くらいの無骨な延長棒が付いている。気にしていた四本柱がどうなっているかと思って着目したら17日にチラ見したものとは違っていて、飾りのないステンレスの丸パイプでの登場だった。やっぱりね、とは思ったがこそこそしたところがなく(*12)てなかなかいいなとも感じたね。


(*1)93年にあってもよかったものよ、ないわけないだろ。
(*2)総額1億円と噂された。おそらく千万単位で切り上げがされたんだろうが、真珠を使っていることなどがその根拠とされもした。
(*3)この時は着車を疑ったようなスピードだった。
(*4)もちろん大江戦があったときのためにしたこと、こっそりうまくやったのはいいけど最終的にはバレバレだったのは口が軽かったのか、上手の手から水が漏る、ということだったのかな。
(*5)見えた、だけで実は……だったのかもしれないけど。この年は大江に秘密裏活動が多かったらしく箝口令が敷かれていた、との声まであった。
(*6)西町はお休みなので。
(*7)誰(あるいは誰々に)だったんだろう。
(*8)要請とか懇願ではなく「のかんなら先におまえとこもていくぞ」という恫喝だった。
(*9)こちらの印象としては踏み込んだらアレレもぬけの殻という感じ。久保田も消えていたし。2016年の大鳥居前で西町はさっさと撤収しているのに、東町が騒いでいたのと似た状況だった。
(*10)稼働は何十年空いたけど。ちなみに大江は東町の二輪を借りて使ったという話も聞いた。
(*11)悼むべき事故に直接繋がったわけではないと思うけど。
(*12)見間違いじゃなければ17日夜に付け替えたのかしらん。木目シールってお洒落でもなんでもないからやらなくていいよ。
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10 コメント

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前半戦 (東方の端くれマン)
2016-12-29 20:54:39
 94年は第一ラウンドが中須賀の浜、第二ラウンドが大江広場での一戦だった。結果を論じる野暮なことは止めて、最後は暗くなり手を振りながら「バイバイ!」と満足そうな笑顔で帰っていった中須賀が印象に残っている。それはまるで小学生が友人と下校に時に別れる時の挨拶のようでもあった。
 さて、当時を少し思い出すこととしよう。大江が昭和通りを西進している時、私は「アーケードを南へ曲がると今年の祭りも何事もなく終わりだな。」と思っていた。しかし、嬉しいことに遠くでぼんやり中須賀に台場に大勢乗り「おりゃ、おりゃ。」と何やら雰囲気が明らかに違う勢いがある様子に見えた。その時は久保田狙いかとも頭によぎるが、待てよ大江狙いかもしれないとも思い、中須賀の意図が掴めなかった。本文を読むと大江狙いだったと理解出来た。当時上下に揺さぶっている太鼓が迫ってきるのと同時に「中須賀2輪じゃ。」の声が上がった。実際は4輪のままだったことを私が知ったのは24年後の2016年つまり今年だった。なんせ中須賀の人とまともに情報交換するなどの話が出来ることなど皆無だったのだ。
大江は大和証券をバックで北進し2輪に付け替えることとなるが、「これからどうなるんだろう」のワクワク感と喧嘩になる不安が混じっていた。大江橋で向きを変えて中須賀向けて走り出すわけだが、その時は「こりゃ楽しいことが起こるぞ。」と大江は活気づいていた。私もまだ若く今のように息を切らすこともなかった。戦いが始まると前半戦は中須賀の棒端にくくりつけている横棒に手を焼いた。いつもの棒端にいたのだがその辺はスペースが十分あり、いつもの顔ぶれだった。中須賀の2輪が「ガシガジ」とコンクリートをすり潰すような重たい動きを目にして「こりゃ危ない、中須賀の2輪に気をつけろ。」と叫んで注意喚起したっけ。棒端の下の私は敵味方関係なくコケたかき夫を見つけると救助部隊に変身するのは今も昔も変わりない。
長くなるのでこのへんでひとまず終わり、続きは来年とする。
大江及び中須賀のみなさん、良い年をお迎えください。
Unknown (大江の担き夫)
2016-12-30 01:51:25
中須賀が見えたとき そのまま行けと言う長老たちに 「下がれ二輪に付け替えるぞ」と青年団が言うと 長老たちが「(2輪)あるんか」青年団が「ある」とのやりとりがあり 大江自治会館まで下がりました。2輪もレバーブロックで固定出来るようにしてました。自分は、2輪を着ける手伝いをしてたので延長してたのは、後から気付きました。最初は、機動隊のいる昭和通りに出ようとしましたが 海岸通りに中須賀がおる情報で海岸通りから中須賀に向かいました。
>東方の端くれマンさん (MA(self))
2016-12-30 09:35:16
「野暮なこと」をご遠慮いただきありがたいです。記憶が生きているうちに後編もやらなきゃいけませんが、どうもモチベーションは低めですね。
当時のビデオを見ると上下に揺すっているので確かに二輪付きに見えますね。
わくわく感とも不安感ともどちらもないまぜになった不思議な胸のざわめきはこの時が一番強かったのを思い出します。わたしも擦れてしまったんでしょう、そういう感覚をどこかに置き忘れてしまったのは残念です。
>大江の担き夫さん (MA(self))
2016-12-30 09:54:13
こちらを目視したら、大江がすぐにいなくなったのを憶えています。
あるんかと訊く長老達はきっとハッピにハチマキだったでしょうし、あると応える青年団もインフレしてあふれかえる前のジャージ姿だったはずです。なにか光景が目に浮かびます。
太鼓に乗っていた人達もジャージの人は少なくて芋っぽかったけど、新居浜浦の荒くれ者が適当に暴れているっていう感じは嫌悪感を感じるものではなく悪くないものでした。今の(揶揄される)学校対抗運動会みたいな風情よりはしっくり来るものがあったのです。
えらいコアなヤツを (はまっち)
2016-12-30 18:50:28
年末にあげたな。w
①江口の件も、なにか言おうか考えていたが。
②なぜにあそこまで、久保田をおったのか?誰か教えてください。
今も昔も、正面に見合った時は(ファーストコンタクトまで)武者震いする。(’15年だけはなんで?と疑問だったが。)横棒取り付けていたのは、そんな時間あったの?って思った。
事故があったから、あまり軽々には話せないけど。
よいお年を。
はまっちさんもよいお年を (MA(self))
2016-12-31 09:40:04
94年は16日に西方が文セン前、東方が新高橋で集っていました。特に新高橋なんて川東も来ていたから今考えるととても貴重です。ちゃんとした映像があるといいのに。
久保田の件は正解はわかりませんが、いわゆる新調お祝いの範疇でしょ。
横棒については(いつになるか不明ですが)後編で……。

Unknown (東方)
2017-08-13 18:53:04
懐かしい。
20数年前は若かったため、今みたいに疲れなど感じなかった。
昨日のことのように思うのは年を取ったせいなのか、はたまた、印象が強すぎたのか。繰り返すのが歴史か、事実が歴史になるのか。あと15回は祭りの現役でいたいがそれは欲張りか?
いつものように (MA(self))
2017-08-14 09:38:38
この後を書くのが億劫になっておりますが、まだ耄碌するまでは少しあると思いますので、東方さんが現役を続行される15回のうちに脱稿したいと思ってます。
その15回のうち、対象太鼓台の休みを何回くらい想定しておられます?
わたしは少なくともあと1回は休みがあるんだと思いますよ。
Unknown (東方)
2017-08-14 11:06:06
中須賀と西町次第ですが、悲しいかな最悪は15年の内5回は休むことになると予測。エスカレートもありうる。
抑制が働くか否か。
死亡事故が出て一時収まるがでも3年すればみんな忘れる。
みんな忘れる。 (MA(self))
2017-08-14 11:21:29
忘れることができるのはよい面ともあるのですが、忘れっぽいのは問題が多いし、忘れない方がいいこともあるのですよね。
そんなことは言わずとも、事故のない祭りを望んでいるし、ついでに休みがないのが望ましく存じております。
ただ覚悟をしておられるのは大人ですね。数が15だとすると大相撲と一緒で。
〇や〇やや〇……とか想定しているのでしょうが一回くらい●をプレゼントしてあげたいものです。

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